VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.28

Posted : 2014.07.28
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横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。

横浜トリエンナーレ2014のある側面
または、写真の操作的モデルの影響

前回の続編を執筆する予定だったが、諸事情により、今回は横浜トリエンナーレ関連に変更する。とは言え、ここでも、写真が与えた美術への影響がテーマということには変わりはない。

このテキストを書いている6月初旬の時点で、横浜トリエンナーレの出品作品はほぼ出そろっている。2012年から今日まで、紆余曲折を経て編まれた作品リストを眺めながら、なるほど今回のトリエンナーレの作品には、すべてではないにせよ、ある共通点が在ることに気がついた。それは、前回にも触れた写真の操作的モデルの美術作品への影響についてである。無論それぞれの作品には、美術家が込めた表現の意味があり、また時代背景も異なるので、何もかも同じと言っている訳ではない。それら作品に現れる意識的、あるいは無意識的に採用される表現方法に共通点が在るという意味だ。

イザ・ゲンツケン「世界受信機」1981(参考図版)

イザ・ゲンツケン「世界受信機」1981(参考図版)

 

さて、「ヨコハマトリエンナーレ2014」のアーティスティック・ディレクター森村泰昌は、今回のタイトルを「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」とし、さらにそこから2つの序章と11の章を設けた(以下を参照。http://www.yokohamatriennale.jp/2014/director/structure.html)。こうした展覧会構成は、少なくともこれまでの横浜トリエンナーレには見られなかった試みで、その事自体が本展を極めてユニークなものとしている。さて、その章立てに沿って、ここでのテーマ、写真と美術の関係に絞って作品を幾つか列挙すると、ブリンキー・パレルモ、イザ・ゲンツケン、エドワード&ナンシー・キーンホルツ、殿敷侃、イライアス・ハンセン、大竹伸朗等が挙げられる。

殿敷侃「山口ー日本海ー二位ノ浜 お好み焼き」1987

殿敷侃「山口ー日本海ー二位ノ浜 お好み焼き」1987

 

例えば、作家本人が「すべての彫刻はレディ・メイドに見えねばならない」とマニフェストしているイザ・ゲンツケン、美術用語で「ファウンド・オブジェクト」と呼ばれる素材を採用した殿敷侃、大竹伸朗、エドワード&ナンシー・キーンホルツ、イライアス・ハンセンらの作品では、日常生活で使われているモノが作品素材として採用されている。ちなみに、この「ファウンド・オブジェクト」という用語については次のような解説がある。

『「見出された対象」。端的に言えば、一度何らかの目的のもとに使用された「物」のことであり、より限定的に言えば、そのなかでも芸術作品を構成する要素として流用・転用された「物」を意味する。「ファウンド」という英語と「オブジェ」という仏語の奇妙な接合が示唆するように、この言葉はダダやシュルレアリスムにおける「オブジェ(物、対象)」を用いた制作実践と深く結びついている。実際、ファウンド・オブジェの典型的な例としてしばしば挙げられるのは、シュルレアリスムのコラージュや、クルト・シュヴィッタースの「メルツ」シリーズにおける日用品や廃棄物である。同時に、先の定義上、一般的なコラージュ作品における素材(新聞や雑誌の切り抜き)、M・デュシャンのレディ・メイド作品(《泉》における便器)、モノ派において使用される物体(石や木材)も、広義のファウンド・オブジェに含めることが可能だろう。後者の定義をとれば、川俣正や大竹伸朗の作品をはじめとして、ファウンド・オブジェによって構成される作品は今日枚挙に暇がない。冒頭で記したように、本来ファウンド・オブジェという言葉は、特定の機能(使用価値)を持った物体が芸術としての機能(美的価値)を付与されたときに用いられるものであった。しかし、1960年代以降の流用、転用、シミュレーションをはじめとする新たな制作原理が明らかにしたように、そもそも「使用価値」と「美的価値」という分類自体が実は極めて曖昧なものである。したがって今日この概念について問われるべきは、当初のダダ、シュルレアリスムの含意を超えて、「見出された(found)」「対象(object)」という言葉の外縁をいかに定めるかという問題であると言えるだろう。著者:星野太 <http://artscape.jp/artword/index.php/author/hoshino> 』
http://artscape.jp/artword/index.php/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%96%E3%82%B8%E3%82%A7

殿敷侃「山口ー日本海ー二位ノ浜 お好み焼き」(部分)1987

殿敷侃「山口ー日本海ー二位ノ浜 お好み焼き」(部分)1987

 

ところで、なぜ美術は、手技による作品制作を放棄し、こうしたすでにあるモノを作品へと取り込むようになったのか。その端緒となったのが、マルセル・デュシャンであることは、すでに前回述べた。そして、そのデュシャンが採用する作品制作の方法が、まさに写真の指標的な性格を忠実になぞったものだった。一方、横浜トリエンナーレの出品作家についてはどうか。作品の制作年も異なる点は、同じ制作方法であったとしても、その意味は微妙に異なる。そもそもデュシャンの時代、つまり、20世紀初頭のシュルレアリスムやダダの作家たちの写真使用法においても違いはあった。その違いを知る前に、こうした時代に、それまでの時代には「美術」とは言えないモノが、「美術」になった背景には何が横たわっていたのかを知る必要がある。

端的に言えば、人が美しいと感じるものへの根本的な不信が生まれ、同時にそれは「何が美しいか」という美の問題から、美が成立する状況=場こそが重要である、という関心へと移行したことを意味する。そして、もはや時代は、美術家は「自らの手業によって何ものかを制作する者」ではなくなってしまったということであり、さらには、モノを作り出すのではなく「考え方=アイデアを作り出す」ものこそ美術家であるという認識が20世紀初頭に定着しはじめる。とは言え、これが今日、こうした美術に対して一般的にコンセンサスを得た認識かと言えば大いに疑問だろう。美術家によって作り出されるモノとしての作品ではなく、考え出されるアイデアであるとしながらも、実際にはモノとしての作品が市場を賑わす一方、そうした言わばコンセプチュアル(概念的な)な美術は、「現代美術は分かりにくい」といった言説に代表されるように、依然として一般の受容者には難解なものという理解に変わりはない。というよりも、巧みな手業によって作り出される美術作品に感心することは疑いようのない事として今も尚生き続けている。これらは、美術という文脈の中で、パラレルな関係として今日まで存続しているのだ。

近代以降、ここでは美術館誕生以降、美術作品は、それまでに在った場所(貴族や特権階級の邸宅や教会、寺院等)から美術館にその終の住処を移し、あるいは、美術館の展示室の空間に展示されることを想定しつつ美術作品は作り出されてきた。集められた美術作品は、写真として撮影され、そのイメージは、今や画集はおろかネット上でいとも簡単に手元で「鑑賞する」ことが出来る。

さて、美そのものでなく、それが置かれる状況こそが重要である、という事に立ち返ろう。美術館の誕生が概ね19世紀であるのだから、美術作品が、美術館の中に在るという状況は、せいぜい二百年くらいの歴史しかない。この間、その美術館の展示室という場は、モノを美術として位置づける場所として登場した。普段の生活の中に何の疑問もなく在ったモノが、その場から離れ、美術作品を構成する素材として採用され、展示室という美術の歴史への通過儀礼の場に布置された途端に、見事に美術作品となるのだ。どのような美術作品も、こうして美術史という制度に位置づけられる事で、歴史化される。

ところで、少し話しがそれるが、展覧会を組織する仕事柄、きれいな壁面が完成し、絵画や彫刻がそこに美しく配された時に、もうこれで完成だと、思いたい時にいつも憂鬱になるのは、「作品には手を触れないで下さい」の表示をその過不足ない展示に否応なく付けなければならない事だ。作品の保全もまた学芸員の仕事の一つであるので、それは、「ねばならぬ」お仕事なのだが、いかにも無粋だ。実は、碩学ストイキツア(ブカレスト生まれの近現代美術史の専門家)が、この話題を別の角度で取り上げながら幕を明ける書物がある。「シュミラクルの歴史人類学 ピュグマリオン効果」という歯ごたえのあり過ぎる論考なのだが、そこで、ストイキツアは、こう切り出している。

「かつてー二世紀あまりまえのことー芸術が美術館へと追いやられたとき、その追放を達成したのは、ひとつの禁止であったー『作品に手を触れないでください。』」これはおそらく、唯一正しいものとなった作品の接し方、視覚体験を侵犯するあらゆる試みを防ぐための一方法であり、純粋な静観という手法とは異なる仕方で、〈芸術〉と〈生〉を結びつけようとする試みを、ことごとく拒絶するものであった。『触れるな』という厳命は、『芸術作品』においてイメージが物(chose)に勝利した帰結であり、その非現実生としての側面が聖別された結果であった(そして今もなおそうである。)イメージとはー周知のとおりー世界の残りの部分から区別される。それは、実在しないのだ。『作品に触れること』、それは、イメージを事物の段階への後退させることであり、想像界の秩序に属するイメージの本質そのものを損なうことなのである。」

ここで述べられていることをオリジナルとコピーの問題に置き換えれば、美術館で展示されている「本物」の作品はオリジナルであることには違いないのだが、視覚的経験のみに限定された作法によって、それは、実体のない視覚イメージとなってしまったとは言えないか。ベンヤミンの近代資本主義が量産する夥しい商品が表出するファンタスマゴリ(幻影)から「複製芸術」の時代の到来を予感したことを想起させる。触れる事の出来ないケースに入った商品への欲望は、美術館における視る事だけしか許されない美術品へのアプローチへ繋がる。

写真の操作的モデルの美術への影響の背景には、こうした美術を巡る場の問題が横たわっていたのだが、再び横浜トリエンナーレに戻ると、例えば、出品されるビリンキー・パレルモの作品は、1966年から72年にかけて、綿布をベースに、漂白した布や絹といった異なる布を縫い合わせながら画面構成を行う、「ファブリック絵画」シリーズに位置づけられるものだ。遠くから見ると一見、オールオーバー(画面全体を均質に処理しようとした)な絵画に見えるこの作品は、「描く」ことで担保される絵画の定義を逸脱し、異なる種類の布を縫い合わせた素材が「絵画」然とした作品として成立している。まだ東西ドイツの時代に、パレルモが素材としての布を西ドイツのデパートで買い求めたのは、デュシャンの行為と重なる。シュルレアリストたちが好んで骨董市などでオブジェになり得るモノを求めたのに対して、デュシャンは、既成の、しかも手垢がついていない新品の工業製品等を百貨店で選んだ。なぜなら、すでに述べた「何が美しいか」といった趣味性を嫌い、モノの発見者である自身のそうした趣味性を極力排除したかったからだ。ちなみに、パレルモは、横浜トリエンナーレでその作品の近くに展示されるロシア・アヴァンギャルドの画家カジミール・マレーヴィチ(1879-1935)に影響を受けている(実際パレルモは、1964年にオランダ、アムステルダムの市立美術館でモンドリアンとともにカジミール・マレーヴィチの作品に出会い衝撃を受けた)。

あるいは、出品作家であるタリン・サイモンの場合は、写真の属性を徹底して利用した作品と言えるだろう。この場合の写真の属性とは、一つ一つの写真は指標(Index)であるということだ。本の巻末にある索引(Index)を思い出して頂きたい。そこには、文中で使われた主要な用語が、五十音順、あるいはアルファベット順に掲載され、それらの言葉が、何頁に記載されているかが一目瞭然に分かるようになっている。一つ一つの言葉は、辞書を引けばその意味は分かるが、実際に文中に現れるそれらの言葉の意味は、必ずしも辞書通りという訳にはいかない。言葉は、それが置かれる文脈によって微妙に異なるからだ。奇妙に聞こえるかもしれないが、写真も同様に、それが置かれる文脈でいくらでも意味を変えてしまう。写真は、それを指し示すテキストがなければ、写真自体に意味を成さないからだ。これには、反論する向きもあるだろう、自分が愛情豊かに撮った子供の写真は、それ自体ではっきりした意図も意味があるではないか、と。しかしながら、その微笑む子供の写真は、もしその子供が万が一行方不明にでもなれば捜査用写真として使用されるだろうし、不幸にも夭折した時には葬儀に遺影して使用されるだろう。同じ写真でも、扱われる文脈(捜査か遺影か)で、その意味は途端に変わってしまう。タリンは、血脈(これ自体が一つの文脈)をテーマに、世界中の様々な一族を調査し、その人物を文字通り指標として画面化し、周到な調査に基づくテキストを添えることで、ともすれば可変的になりがちな写真の意味を「正しい」あるいは「しかるべき」文脈の中に布置して行く作業を表現としている。

このように日常生活で見いだせるモノを作品に採用する理由は、無論作家によってまちまちだが、繰り返すが、こうしたモノをまず発見し、それをかつてそこに 在った状態から引き離して作品として取り込む行為として、写真の操作的モデルの踏襲であることを改めて指摘しておきたい。

備考:タリン・サイモンは、ネット状で自身の作品を語っているので参考にして欲しい。
http://www.ted.com/talks/taryn_simon_photographs_secret_sites?language=ja
http://www.ted.com/talks/taryn_simon_the_stories_behind_the_bloodlines?language=ja

 

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員