紆余曲折が生み出す、古くて新しい価値— アワヤタケシさん

Posted : 2018.07.11
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関内駅から5分ほど歩くと落ち着いた街にひとつのレトロビルが現れる。階段を上りアンティーク調の扉を開けると、先ほどまで聞こえていた街の喧噪が消え、目の前には自然光が美しく差し込むやわらかで静かな空間が広がった。 ここは、作家名「chikuni」で活動する家具作家であり照明演出もおこなうアワヤタケシさんのアトリエ兼ギャラリー「10watts field & gallery」。アワヤさんは他にも、住居や商業スペース、室内の装飾デザインから製作までもおこなうという。 家具作家、照明演出、室内装飾、ギャラリー運営……、なぜアワヤさんはこれほどまで肩書を持つのか? なぜ横浜に拠点を置き活動をしているのか? そこには時代の波に翻弄されるも、自分の在り方を探し続けるアワヤさんの姿があった。

 

『自分の好きな部屋を描いてみてごらん』

神奈川区の反町で生まれ六角橋で育ったアワヤさん。幼少期はどこにでもいる普通の子どもだったという。

「プラモデルが全盛期で戦車や電車、ロボットなどを作る子どもでした。色を塗ったりするより組み立てることが好きでしたね」

まわりと一緒だと思っていた少年は、あるきっかけによってこの先の人生を決めることになる。

「当時、自宅をリフォームする話があり、両親から『自分の好きな部屋を描いてみてごらん』と言われ方眼用紙を渡されました。インテリアなんて言葉は知らなかったけど、『こんな家とか、あんな部屋にしたいな』って考えること自体がすごく楽しかったんです。それからは時間があれば家や部屋の絵を夢中で描いていましたね」

その経験がきっかけとなり、どんどんインテリアの興味が膨らんでいった。高校卒業は建築関係の専門学校に行くことを決めた。

「早く自分のやりたい方向に行きたくて専門学校を選びました。インテリアの勉強をしたかったけど、その前に建築の学校で基礎を学ぶ必要があると思っていました」

 

専門学校で建築を学び、就職活動を迎えた。世間はバブル絶頂期だったこともあり就職先は山ほどあったという。何社も内定をもらうなか、アワヤさんは原宿のデザイン事務所を選んだ。

「そこは商業デザインを専門としている会社でした。小さなデザイン事務所だったので、グラフィックだけではなく、百貨店で化粧品会社のブースを作ったり、パッケージデザインをしたり、什器のデザインをしたりとなんでもやりましたね。仕事が多岐に渡ったことが、いまの活動に生かされていると思います」

家に帰れないほど忙しい日々が待ち受けていたが、仕事はいつも新鮮で楽しかったという。しかし、景気は徐々に悪化していき仕事は激減。ついにはバブルがハジけて仕事がなくなってしまった。

「世の中って残酷だなって思いましたね。無職になったけど食べていかなきゃいけないから、急いで就職先を探しました」

生き延びるために見つけたのはフェンス屋の仕事だった。フェンス屋の親方から溶接や鉄の曲げ方など職人的な仕事を覚えていくうちに「自分はこのまま職人になってしまうのか」「もうクリエイティブな仕事には戻れないのか」と、弱気な考えが頭の中でぐるぐると回る日々が続いた。しばらくすると、フェンス屋も倒産した。

 

本当にやりたかったことが見えてきた

「自分は本当にやりたい仕事をしているのか?」。自問自答を繰り返していたアワヤさんは、フェンス屋の倒産をきっかけに気持ちが吹っ切れた。ちょうどいい機会だと考え、気持ちのままに動く勇気が湧いてきたという。

「仕事がなくなり気持ちもリセットしたことで、自分が本当にやりたかったことが見えてきました。様々な可能性を探るうちに『家具を作りたい』という気持ちが膨らんでいきました」

 

家具職人を目指すため家具関連の学校へ行くことも考えたが、資金に余裕がなかったアワヤさんは家具屋で働くことを目指したという。しかし、未経験のため働き口が見つからない。まだまだ出口が見えない不景気が追い打ちをかけ、時間だけが過ぎていった。何社も不採用が続くなか、ようやく都内のイギリスアンティーク家具屋に採用が決まった。

「当時はアンティーク家具に全く興味がありませんでした。でも、先輩たちが家具をバラしたり、組み込んだり、制作当時の塗料や接着をマネたりと修復する姿を目にして非常に感銘を受けました。その環境が本当に楽しかったですね」

先輩たちの仕事を見よう見まねで必死に覚えていった。その傍ら、仕事で出た廃材を家に持ち帰っては、それを使って立体物や家具を作りはじめた。「その行為がいまの活動の根っこにあるような気がする」とアワヤさんは振り返る。

それからというもの、仕事の合間をみながら少しずつクリエイティブな活動を増やしていった。順調に思えた生活だったが、アンティーク家具屋は5年目で辞めてしまった。

「社長と大げんかして辞めました。振り返ると、デザイン事務所もフェンス屋もアンティーク家具屋もみんな5年しか続いてないんです。どの会社でも社長や先輩と衝突することが多かったので、社会人15年目にして自分は人に使われることが向いてないことに気が付きました」

 

自分なりのやり方で作家に近づいてみる

誰かに使われるのではなく、自分の手で仕事や価値をつくりたい。その思いが芽生えた頃、家具職人として独立するがきっかけが訪れた。

「神奈川区の六角橋にパン屋『ナタネベーカリー』ができることになり、知り合いからその店の家具を作ってほしいと依頼されました。その頃は独立しようか迷っていたときだったので、『この先の何かにつながるかな』と思い家具を作らせてもらいました」

家具を無事納品し『ナタネベーカリー』はオープンした。天然酵母で作るパンが美味しいと店はたちまち人気となったという。ある日、店にひとりの客が訪れた。店のオーナーの知り合いで、千葉県市川市にギャラリーを構える「gallery らふと」のオーナーだっだ。

「『gallery らふと』のオーナーさんが、僕の作った家具を気に入ってくれました。それがきっかけで、オーナーさんが主催する千葉県市川市のクラフトフェア『工房からの風』に参加しないかと話をもらいました。当時はクラフト業界って全く知識がなかったんですけど、勢いで参加してみました」

 

クラフトフェア「工房からの風」は、木工はもちろん、ガラスや陶芸、オブジェや布などさまざまな作品が出品されていた。アワヤさんは「こういう世界があるとは知らなかった」と驚いた。当時の「工房からの風」には、現在は人気作家として活躍する木工作家の山口和宏さんや井藤昌志さんなどが参加していたという。

「僕は家具を出品していました。木工といえば家具だけを指すと思っていたけど、カトラリーや小ぶりなスツールを出品していた人もいたので、もっと柔軟に制作していいんだと感じました。そのころ『自分は作家と呼べる立場でもない』と思っていましたが、その経験を通じて『僕なりのやり方で“作家”というものに近づいてみよう』と思うようになりました」

 

空間に寄り添い作品を制作すること

アワヤさんは、ぼんやり“なにかつくる人”を続けるのではなく、覚悟を決めて“作家”になることを決めた。当時、アイヌ文化に興味を持っていたことから、アイヌ語で「木」を意味する「chikuni(チクニ)」を作家名にして活動をはじることにした。それからは家具作家として徐々に活動を広げ、東白楽に路面店『東白楽・chikuni』をオープンした。その店では家具の他に、木製の照明や壁掛けの本棚なども制作し並べた。

 

他にも、店にはアンティーク家具屋の仕事で好きになった古い雑貨や古い作品も少しずつ並べていった。

「古い物がどのような歴史を歩んできたかと考えるだけでたまらないんです。いろんな人の手に渡って今ここにあるから。そう感じる物をいまでも集めたり店に並べたりしています」

 

突然、はじまった照明演出 ハルカナカムラとの出会い

『東白楽・chikuni』に、ミュージシャンのハルカナカムラさんが訪れたことも印象的だったとアワヤさんは語る。

「少し面識のあったハルカくんが、僕の作った照明を買ってくれました。ハルカくんの音楽がすごくよかったので、『もしよかったら、ハルカくんの公演で僕の家具や照明を使ってくれない?』と提案したら『いいですね』ってよい返事をもらえて」

 

その後、ハルカさんの演奏会「流星」で使用する舞台用の家具を依頼されたアワヤさん。演奏会当日、現場に着いたアワヤさんはハルカさんから「照明だけを使いたい」と提案されたという。

「しかも照明をハルカくんに渡そうとしたら『chikuniさん、照明の設置もお願いしていいですか?』って言われました。僕は照明や家具を貸して終わりだと思っていたから、『えっ、俺がやっちゃっていいの?』って戸惑いました(笑)。でも、いざやってみると照明を使った舞台演出がとても楽しかったんですよね」

急な依頼だったが、アワヤさんは“インテリア好き”の血が騒いだという。

「演奏会『流星』は10ワットの照明を15台使って、とても暗い演出をしました。プロの照明は絶対にやらないような暗さだったけど、ハルカくんは気に入ってくれました。予期しない出来事だったけど、結果的に照明演出という自分の新たな武器を見つけることができました」

その公演以降、ハルカさんに照明演出を依頼されたという。

「新しい照明を作るなど試行錯誤をしていくうちに、自分の演出方法の幅が広がりましたね。最終的にハルカくんの公演の演出は全部僕がやるようになりました」

ハルカさんの公演に携わり5年。アワヤさんはハルカさんの公演には欠かせない演出のパートナーとなっていた。

 

 

新たなスタート これからも自分を信じてみる

『東白楽・chikuni』を3年半ほど営んだ後、少し落ち着いたスペースを求め反町駅からほど近くのビルに拠点を移した。移転直後、日本は東日本大震災に見舞われた。

「震災で世間は節電とかエコとかいろんなブームが起きていたけど、結局は自分たちが資源を大切にするという意識を持つことが重要だと感じていました。100ワットの白熱球を使って必要以上に電力を消費する人もいるけど、『そんなに明るくなくてもいいのでは?』と感じていましたしね。僕の店は全て10ワットの電球を使っていたこともあり、ひそかに“10ワット運動”ではないですけど、『たったひとつの電球を変えるだけで電力は抑えられる』と発信したいと思っていました」

その思いは日に日に強くなり、店名を「chikuni」から電気の10ワットを意味する「10watts」に変更した。

世の中の価値観が大きく変化した2011年。アワヤさんは新たな試みに挑戦したいと「10watts」で初の企画展を開催した。

「さまざまな活動を通じて全国の作家や店との関係ができたので、みなさんに『企画展のために力を貸してください』と声をかけました。ありがたいことに多くの方に賛同いただき、想像以上に素晴らしい企画展が実現しました」

初めての企画展「球体」がスタート。思いのほか多くの反響がありアワヤさんは驚いたという。

「反町の外れにも関わらず、全国から多くの人が訪れてくれました。はじめての企画展で不安な気持ちが大きかったけど、たくさんの人が楽しんでいる様子を見て、『これからも自分を信じてやってみよう』と少し自信がつきました。ただ、あくまで僕の本業は作る方なので、そこはおろそかにせず年に1、2回ほど企画展をやっていきたいと思っています」

2017年、立ち退きを理由に反町の店「10watts」は現在の場所である関内に移転。店名を「10watts field & gallery」として新たなスタートを切った。

取材で訪れると、企画展「黒白 こくびゃく」が開催されていた。タイトル通り白と黒の作品が真っ白な空間と調和するように静かに並び、アワヤさんが制作した照明も展示されていた。

 

「僕は作品制作を依頼するとき『あれやって』と言わないようにしています。今回の企画展も『あなたたちが思う“黒と白いもの”を作ってください。集めてください』とだけお願いしました。作家側はハードルが高いかもしれないけど、なるべく制作の自由度を広げていきたいので」

必要最小限のテーマを伝えることで、蓋を開けるまで何が飛び出すか分からない状況をつくる。それこそが表現の可能性だとアワヤさんはいった。

 

紆余曲折 その先に自分のあるべき生き方がある

取材後、私は「紆余曲折」という言葉がふっと頭に浮かんだ。辞書で調べると「物事が順調に運ばないで、こみいった経過をたどること」とあった。

誰でも思い通りにいかず悩み、苦しみ、悲しむことはある。その姿から逃げるのではなく、目に焼き付けることによって自分の進むべき道が見えてくるのかもしれない。そう思った。

アワヤさんが自らの人生を切り開いたように。

 


10watts field & gallery
テンワッツ フィールド アンド ギャラリー

住所:神奈川県横浜市中区扇町3-8-7三平ビル301
アクセス:石川町(JR京浜東北線)徒歩7分、伊勢佐木長者町駅(横浜市営地下鉄ブルーライン)徒歩8分
営業時間:13:00ー17:00
オープン日:金曜〜日曜、および企画展示期間
※詳しくはホームページをご覧ください。
連絡先:045-273-1944
https://10watts-chikuni.tumblr.com