黄金町でパンドラの匣(はこ)が開いた−中国成都市からのアーティスト、ザン・ジン

Posted : 2015.10.16
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アーツコミッション・ヨコハマ(公益財団法人横浜市芸術文化振興財団)は、中国四川省成都市と日本横浜市との間で滞在型交流プログラムを2010年からスタート。若手アーティストが、それぞれの国にレジデンスとして2~3か月滞在し作品を制作・発表している。また今回より共同主催に認定NPO法人黄金町エリアマネジメントセンターを迎えた。本プロジェクトを通して、今年成都から派遣されたアーティストは、张晋(ザン・ジン)さん。8月、灼熱の横浜にやってきて、10月1日から開催の黄金町バザールで披露する作品を作るため、2か月間黄金町に滞在した。

黄金町バザール2015−まちとともにあるアート

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化学を学んだ異色の経歴

ザン・ジンさんは1978年に四川で生まれた。時としてまだ少年のようにも見える華奢な風貌。口にする言葉はそれほど多くない。面白いのは彼の経歴だ。化学を学び、ニューヨークに留学して博士号まで取得している。それなのになぜ突如アーティストに?

「化学者としての人生なら将来が読めてしまうような気がしたのです。化学ははっきりした結果が出る。実験は他の人がやっても同じ答えが出るでしょう。それがつまらないと感じたのです。アートはそれぞれが違う。きっともっと面白い生活を送ることができると思ったのです」

彼の過去の作品には、シルクロードを歩き、はるかかなたの古と未来をつなぐ図像を詩的に捉えた写真群や、今を盛りと咲き誇る花の中の腐食が始まった部分を化学的に着色し、腐食物質であるオゾンを感じさせる『Broken Flowers』、レントゲン印画紙に植物の写真をプリントし、顕微鏡でみる世界を疑似体験させるような『Ant Crossing River』、中国で粉ミルクに混合されて中毒を発生させた物質”メラミン”を紹介するインスタレーション『Talk with Scientists』などがある。

『Broken Flowers』2012からDay Lily

 

特に前期の作品には、はかない美しさがあり、メメント・モリ(「死を忘れるな」)に通じる諸行無常の視点が感じられる。また化学物質を制作のテーマとしたり、実験道具や装置をオブジェとして使ったりと、化学博士である自分の経歴を活かした作品もある。

成都でジンさんの作品を見続けて来たA4Contemporary Arts Center代表のスン・リさんは「理系の理性的な作品」と評す。どの作品も端正で、それは確かに考え抜かれた末に生み出されたものに違いない。

そんなジンさんが、横浜の黄金町にやってきた。「秩序とは無縁の歓楽街」、そんな過去をアートで塗り替えようと今も頑張る変革中の街だ。現場の人たちの息吹は伝わるだろうか? ここでどんな思いを抱くのだろう? そして作品は? 興味が募った。

「コミュニケーションのスキルが知りたい」

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(株)永野鰹節店二代目一ノ瀬成和さんにインタビュー中

 

ジンさんは早速、町内や横浜のアートシーンの重鎮たちとのインタビューを始めた。側で見ていて面白かったのは、日ノ出町の(株)永野鰹節店の2代目の一ノ瀬さんに「ここに伝わる昔話や寓話を教えてください」と食い下がっていたことだ。近くに妖精やお化けが出そうな深い森や山がある土地ではない。特に一ノ瀬さんが知る戦後の黄金町で怖いのはお化けより、むしろ人間だったのだ。「小さい頃怖かったのは大岡川に浮かぶ土左衛門」と、半ば困惑して答える一ノ瀬さんに「母に行ってはいけないと言われていた場所などはなかったのか?」と言い方を変えながら何度も聞いていた。

「成都にはもう土着の昔話は消えてしまって残っていないのです。それがとても残念です。ここにはまだそんな古い話があるのではないかと思って」

自分のアンテナに触れる、その土地を感じられるものを探していることは理解できた。お祭りにも参加して神輿をかつぐ経験もした。ジンさんが結局黄金町の何を捉えたのかは後の彼の作品で知ることになる。

もうひとつ、ジンさんがインタビューの時に欠かさず聞いていたことがある。それは「コミュニケーションの方法」についてだ。

「一ノ瀬さんが急激な変貌を望まない町内の年配の人たちをいかに説得したのか、とても興味がありました。どうやってこの街が変わる必要性をわかってもらえたのかと知りたかった。”コミュニケーション”のスキルを探ることは、いつでも僕自身のテーマとして持っています」

外国に行くということは、少なからず、言葉が通じない人、異なる文化背景を持つ人とのコミュニケーションの難しさに対峙することでもある。黄金町での滞在は、どうやらジンさんのパンドラの匣を開けて、外国にいた過去の自分を思い起こさせたようである。

「去年僕はニューヨークにいた」

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『去年はニューヨークにいた』2015

 

10月1日から始まった黄金町バザール。ちょんの間から鉄板焼き屋になり、そして今展示スペースに使われている初音町スタジオにジンさんの作品はあった。全部で5作品。
「去年はニューヨークにいた」そんなフレーズから全作品の説明は始まる。

「去年」としたのは、アラン・レネの『去年マリエンバートで』という映画からタイトルの発想を得たからだが、実際には10年前、ジンさんは化学の博士号を取るべくニューヨークにいた。当時、英語は話せたが、外国人との交流経験も少なく、友達を作ることがなかなかできなかった。4年滞在したうちの最初の2年間は孤独だった。

「言葉ができないからというのじゃない。どうやって人に近づいてコミュニケーションを取ればいいのかがわからなかったのです」

網で作られた蜘蛛の巣に幾つかの日付のプレートがぶら下がり、その日に書いた文章が床に置かれている作品、それが『去年はニューヨークにいた』である。元々中国語で書かれたその文章はグーグル翻訳でへんてこな日本語になっており、意味不明のフレーズが並ぶ。しかしその中に人の描写はない。書かれているのは雪のこと、道路のこと…つまり誰とも接することなく書かれていたのだ。

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『去年はニューヨークにいた』文章部分

 

「当時は淋しくてたまらなかった。外国にいるということで、この黄金町であの頃の気持ちが蘇ってきたのです。あの頃の自分の孤独と重なります。そして自分でも封印していたかのような当時書いた文章の存在を急に思い出したのです。」

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『1832年ドイツの化学者リービッヒの発明』2015

 

グーグル翻訳が伝えるのは、翻訳したつもりでも異文化の間には齟齬が生じることがあるということ、そしてそれは時として滑稽であるということだ。また蜘蛛は黙々と1匹で巣作りする。蜘蛛の巣は孤独の象徴だった。

作品の中にもうひとつ蜘蛛の巣がある。ネオンで作られた明るい蜘蛛の巣だ。『1832年ドイツの化学者リービッヒの発明』という意味深なタイトル。リービッヒは睡眠薬の原料となった抱水クロラールと、ジンさんが前作品のテーマとしたメラミンを合成したことで知られている。

「すごいでしょう。彼の大発見はひとつじゃないのです!」

一度は化学を志した者として、ジンさんはリービッヒに畏敬の念を抱いているのかもしれない。どちらの化合物も社会の役に立つが、使い方を間違えると悲劇を生む。ニューヨークで孤独だった時、ジンさんは何度か眠れぬ夜を過ごした。結局飲まなかったけれど、睡眠薬に頼ろうかと思った夜もあった。その危うさもリービッヒという響きにはついて回る。

しかしこのネオンの蜘蛛の巣は、実はジンさんの横浜での幸福な邂逅を生み出していた。探したけれど中国ではもう廃れてしまったネオン工房が横浜には存在し、そこでアートを解する技術者に出会い、すっかり意気投合して思い通りに作ってもらったのがこの作品だったのだ。ネオンは2階の展示室全体を真っ赤に染める。

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黄金町のアーティストたちと。右端がジンさん。

 

「これほど強く照らすとは思わなかった。嬉しい誤算です。結局黄金町で身を持って知ったことは、人と人とのつながりは直接会って話すことに尽きるということです。空気を一緒に感じるような交流がいかに大切かがわかりました」

「僕はもう10年前の僕じゃない。ここでは淋しさは感じない。みんなお酒を持って集まってきてくれて、たくさんの友達もできた。温かく包まれている感じがします」

奇しくも昔の孤独と向き合うこととなった黄金町の滞在。しかし作品にしたことで辛かった思い出は昇華したのかもしれない。

雨の大岡川、女性トイレのモザイク窓

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『その土地の知識』2015

 

A4のスン・リさんは黄金町でジンさんの作品を見て「いい意味でとても驚きました」と語り出した。

「今までになくエモーショナルな作品だったからです。いろいろな要素が入っていて、反芻するようなタイプの作品だと思います。きっと黄金町でたくさんの経験をしたのでしょう。作品を作るのがアート・イン・レジデンスの最終目的ですが、本人が人間的にも成長するとてもいい機会だったと思います」

ジンさんがやってきた時、黄金町の横を流れる大岡川の川辺の笹は青々としていたのに、10月に入るとしおれてきた。「無常を感じる」とジンさん。滞在もそろそろ終わりだ。

1階には、ジンさんが中国から持参したレントゲンのフィルムに大岡川の雨粒が弾ける水面を描いた『雨の情景』。そう、夏が終わってからずっと雨ばかりだった。

2階には黄金町付近の京急の路線図を壁に描き、定位置に立った人の顔をコンピュータで解析して表情によって色ブロックを映し出すという『その土地の知識』という作品がある。解析のプログラムは中国にいる制作パートナーが手がけている。色ブロックを出現させるというアイデアは、なんと黄金町にある公衆女性トイレのモザイク窓から得たという。そんなところを見ていたのか。

最後に紹介するのは『禅師が語った日常語の中の仏教用語』。これは黄金町スタッフの紹介で大倉山の法華寺でご住職と会話したことから生まれた作品だ。ご住職が「上品」「下品」ということを言われた時、それが昔中国で使われていた言葉だと気づいた。すでに中国では消え去った言葉が、大陸から韓国を経てはるばると伝わった日本でまだ生きている。そのことが思いがけなく新鮮だった。その一方で日本が明治時代に外国語を翻訳するために造語した「民主」「自由」「科学」といった言葉が、近代になって反対に中国に輸入されていることも改めて面白いと思ったという。

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法華寺にて

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法華時にて

 

「ここで日本と中国とのカルチャートランスフォーメーションを実感しました。今、とても興味を感じています」

もしかしたらそれは彼の次の作品の種となるかもしれない。

ある快晴の日、ジンさんは成都に戻っていった。そして黄金町の仲間に、夜中に着いて早速故郷の味「火鍋」を食べたと報告があった。

こんな風に気軽なやり取りがいつまでも双方で続いていけばいい。


アーティスト・プロフィール
张晋 Zhang Jin
1978年 中国巴中市生まれ。
2008年 NYU工科大学博士号終了
その後成都市(中国)に戻り、古代シルクロードの歴史を研究し、数十点の写真作品を制作。彼の興味はアートと他分野の領域を超えた図像である。最近の作品では現存するものと化学とをあわせたインスタレーションの作品を多く手がける。
www.lakezhan.comIMG_4793(プロフィール)

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