新しい神話—未来に遺すダゲレオタイプ 新井卓 インタビュー

Posted : 2018.02.16
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新井卓さんは、「ダゲレオタイプ」という撮影法を用いて制作する、世界でも数少ない写真家です。2016年、書籍 『MONUMENTS』(PGI、2015刊) により木村伊兵衛写真賞と日本写真家協会新人賞を受賞、昨年は横浜文化賞、文化・芸術奨励賞も受賞しました。作品は、パリのギメ美術館や東京都写真美術館など世界の主要な美術館に収蔵されています。2017年からは国立民族学博物館の共同研究『放射線影響をめぐる「当事者性」に関する学際的研究』に携わるなど活動の幅を広げており、その他『現代詩手帖』や『図書』など雑誌連載の文筆活動、2014年からは映像制作にも挑戦するなど、美術分野のみに留まらない旺盛な制作活動を伺い知ることができます。

新井さんの作品を私が知ったのは、2014年、ニューヨークのフォトフェアAIPADの会場でした。新井さんの所属するギャラリーPGIのブースに作品が展示されていたのです。その後、ボストン美術館で開催された、東日本大震災後の日本写真を捉えた企画展「In the Wake : Japanese Photographers Respond to 3/11」(2015)において、核の遺構を巡る「百の太陽に灼かれて」、「毎日のダゲレオタイプ・プロジェクト」、そして数百枚に上る膨大なダゲレオタイプによる渾身のモザイク作品のインスタレーションなど見る機会がありました。以来、ニューヨークからその活動を追っています。
2018年1月中旬、横浜市芸術文化振興財団の依頼により、横浜の新井さんのスタジオを訪れ、さまざまなお話を伺う機会を得ました。『MONUMENTS』に収められた代表作の背景にある膨大なリサーチと活発なフットワーク、「毎日のダゲレオタイプ・プロジェクト」シリーズにある日常の移ろいの質感を感知し写しとる眼力と繊細さ、さらに、木村伊兵衛賞の賞金すべてを注ぎ込んで購入した7機の大型ストロボを使い、日本全国の少年少女の肖像を写す最新作「明日の歴史」についてなど。「自分自身、写真家だとはあまり思っていない。ただの人です」と語る新井さんですが、今後の展望に熱い思いが込められています。

撮影:大野隆介

 

 

文学を通した写真世界との出会い

僕は川崎に生まれ育ちましたが、小学校1年から3年のときの担任が自由奔放な先生でした。教科書を使うのが嫌いで、これはつまらないからやめようとか、ここだけはおもしろいからやろうとか、先生独自の選択で授業をしていました。とくに印象に残っているのが、草野心平の「冬眠」という詩です(註1)。カエルの目線で冬眠しているのを黒丸(記号)のみで表現していて、子供ながらにこれはすごいと思いました。たぶん先生は東北の出身だったと思いますが、石川啄木や宮沢賢治の作品を取り上げたり、道徳の授業の代わりにみんなにテレビを見せてくれたりということがありました。詩を書きたいと思うようになったのは、この先生のおかげですね。

中高生で詩を書くといっても、人生についての詩なんてものは書かないですから写生に近い。要するに俳句みたいなものです。ある風景を見たときに詩が思い浮かんで、書いてみたりする。その時に何かあるんだけど言葉にならない時というのがあって、これは写真に撮っておいて後で見たら詩になるかなって考えたのです。航空エンジニアだった祖父が使っていたカメラPen FT(註2)が形見としてたまたま僕の手もとにあり、そこから写真の世界に入っていきました。

撮影:大野隆介

 

 

魅惑された最初の一枚—ダゲレオタイプ

二十歳の頃からよく旅をするようになり、ダゲレオタイプ(銀板写真)を初めて見たのはヨーロッパでバックパッカーをしていた時のことです。美術館にダゲレオタイプのコーナーがあって衝撃を受けました。こんなに生々しいイメージなのかと。古本でダゲールの書いたマニュアル本(註3)を探し、自分でもやってみることにしました。撮影した最初の一枚は池の写真でした。うっすらと写ったんですね。それがものすごく美しかった。誇張ではなく一週間ずっと布団の中で眺めていました。保管の仕方を知らなかったので、ティッシュに包んだままにしておいたら消えてしまいましたが——ダゲレオタイプはケースに入れなければ、手で触れただけでも消えてしまうのです。

 

 

唯一で精密

一番古い超アナログの技術だから簡単に再現できるだろうという予想はみごとに外れ、当初は薬品を入れる木箱さえ精密に作れなかった。漏れだした薬品を吸い込んで、自らを危険にさらしたこともありました。昔の人が使っていた技術だからといって簡単なわけではまったくなく、自分は19世紀の技術を自由に使いこなすこともままならないと気づいたのです。むしろその点に関しては退化していると言えます。現代のわれわれは発展史観の中で生きているので、技術は常に進歩 するものと思っていますが、実はそれは大きな勘違いなんじゃないでしょうか。

写真の歴史にはふたつの相容れない命題があります。簡単に撮るためには画質を犠牲にしなければならないし、鮮明に撮るためには簡便さを犠牲にしなければならない。写真が報道や広告の世界で使われるようになると、技術的な二者択一をせまられ簡単に撮れる方向にいかざるをえなかったわけですね。写真を年代順に並べると画質はどんどん悪くなっている。ダゲレオタイプってすごい解像度なんですよ。19世紀のナノテクと言われているように、普通の写真の画素数がミクロンだとすると、ダゲレオタイプはナノ・オーダーでケタがひとつ違う。だから発展史観はいったん疑うべきですよね。

どうしてダゲレオタイプを選んだのかとよく訊かれます。デジタルとダゲレオタイプは写真という括りで考えると一緒かもしれない。だけどじつは違うメディアだと僕は思っています。デジタルの写真が“情報”って感じだとすると、ダゲレオは“モノ”っていう感じがするんですね。自分の姿を残したい人は“モノ”として残したいという気持ちが強いのではないかと思います。それにダゲレオは複製ができない。ひとつだけの“モノ”として関わり合える。それもダゲレオタイプの魅力といえますね。

 

 

「核」世界における美術活動

僕は冷戦世代なので、見ていたアニメや漫画の多くは戦争後の世界を描いたものでした。映画の影響もあり、地球は滅びると思っていた。川崎生まれだったから環境汚染も酷かったし、中小の化学工場など、昔は基準があまかったので廃液を用水路にドボドボ流すわけです。化粧品の工場からピンクの廃液が出ていたり、光化学スモッグの中で遊んだりと、それが普通だと思っていました。だから福島の原発事故の後に生まれて子供時代を過ごしている人たちって似ているところがあると思います。イエス、ノーの話じゃなくて、もうすでにある環境といいますか。

偶然にも、東日本大震災が起こる少し前、1954年の水爆実験で放射性降下物を浴びたマグロ漁船・第五福竜丸の展示館(註4)館長の安田和也さんから、「新井、これで何かやってみろ」と「死の灰」がはいったシャーレを託されたんです。困ったなと、ぼんやりしているうちに半年が経ち、何もしないで返すわけにもいかないと、3月11日にシャーレを持って近所の公園に試し撮りに行きました。これを撮って何を伝えることが出来るだろうと自問しながら撮影をしていた最中、大地震が起こったのです。

2011年3月11日、等々力緑地、1954年アメリカの水爆実験によって第五福竜丸に降下した死の灰「毎日のダゲレオタイプ・プロジェクト」シリーズより、6.3x6.3cm、所蔵:ボストン美術館/Museum of Fine Arts, Boston

 

 

内と外の現実

第五福竜丸との出会いの時点では核をテーマにしようと思っていたわけではなく、どちらかといえば木造マグロ漁船の存在感そのものにびっくりしました。こんな船でマーシャル諸島まで行って帰ってきたのかという事実の方が、強烈なインパクトでしたから。でも地震が来て、原発事故後の福島は逃れられない現実として生活に食い込んできた。そこではじめて、写真を撮るとはこういうことだったのかと気づいたのです。それまでは、写真とは投網漁のように自分が網を投げ、何か釣れてきたものを「いる」とか「いらない」とか取捨選択するものだと思っていましたが、そうじゃなかったんですね。どちらかというと、ずっと定置網みたいに流しておくと何か訳のわからないものが引っかかってきて、それまで意識していなかったものごとの存在に気づく。自分の行為の外側にあるものの方が強い現実を持っていることを思い知らされました。

第五福竜丸のための多焦点モニュメント「百の太陽に灼かれて」シリーズより、2013、106x198cm、所蔵:個人蔵/Private Collection

 

 

「福島」というライフワーク

2012年3月に銀座ニコンサロンで展示の機会があり(註5)、2011年から撮影した福島沿岸部と福島第一原発周辺の作品に加えて、3ヶ月ほど南相馬で滞在撮影したシリーズをまとめた「Here and There ── 明日の島」を発表しました。このシリーズは今も進行中で、福島全域から下北半島まで範囲が拡がっています。ダゲレオタイプは一日にほぼ一枚しか写せませんから究極的な断片で、向こうからきたものを撮るっていう風にやっています。ダゲレオタイプで作品を撮り始める前から、目に見えないものを写したいという思いはありました。改めて福島で感じたのも、そんなことでした。放射能は目に見えないとよく言われます。でも、目に見えないのは放射能だけなのか?恐ろしいほどに分断がひろがってしまった人々の心や、物言わぬ草木や動物たちはどうでしょうか。それらの聞こえない声をどうやって掬いとり分有することができるか、ずっと考えています。

2012年6月23日、パーラーダイヤ、小野町「Here and There ── 明日の島」シリーズより、25.5x19.3cm、作家蔵/Collection of the Artist

 

 

現代の神話

僕は現代を新しい「神話」の世界にたとえてみることに興味があります。震災以降、米ニューメキシコ州のトリニティ・サイトに行き、人類史上初めての核実験を実現させた物理学者オッペンハイマー(註6)が、ヒンドゥーの神話に傾倒していたことを知りました。そこで僕は、核の是非の議論からいったん退いて、そもそも核が誕生した時に一回立ち返って思いを巡らせたいということを感じました。オッペンハイマーは非常に不遜な人で、自分が破壊神になったということを言ったわけです。人間が作りだした最先端のテクノロジーの破壊力が人智をはるかにこえて凄まじいことを知った彼は、古代より創造と破壊の繰り返しが語られてきた神話になぞらえて、世界を解釈しようとしたのでしょう。図らずもその神話は、姿を変えて現代に続いていると考えることができるのではないでしょうか。

いまの時代はアトミック・エイジと呼ばれていて、これで世界が終わるかもしれない。だから最後の神話を作っていると仮定してみる。神話って何千年も残ったりしますが、核テクノロジーの存在についてはそのくらいの時間軸で議論しなければダメで、7世代8世代の時間軸で考えなきゃいけない。じゃあそれってどれくらいかというと、2〜300年くらいでしょうか。完全にフィクションの世界なんですよ。そのことを前提に、僕は作品をとおして問題提起をしています。限られた時間の中でいくつの問題提起ができるかと考えてみれば、今までのように完成まで10年以上かかる長期のプロジェクトばかりでは時間が足りない。そこでもっと違うやり方も試したいという思いで映画の撮影を始めてみたり、もっと短期的なシリーズ「明日の記憶(Tomorrow’s History )」を撮り始めたりしています。

福島第一原発/1Fのための多焦点モニュメント、マケット、「百の太陽に灼かれて」シリーズより、2015、60x2,600cm、作家蔵/Collection of the Artist

 

 

ダゲレオタイプによる十代の「肖像」と「肉声」

「明日の記憶」というシリーズは、10代のごく普通の若者たちを約1時間インタビューしてからダゲレオタイプを撮るという、聞き取りと撮影によるプロジェクトです。広島、福島と廻り、これから撮影する岩手、東京、京都、沖縄などを含めて200人くらいになる予定です。現存する最初のダゲレオタイプは1837-38年のものなので、ダゲレオタイプは180年は消えずに残ります。まだ実証されていませんが、きちんと保存したら200年、300年先まで残るかも知れません。180年後の未来の人たちがこの写真を見ながらどんなことを考えるのでしょうか。「この人はインタビューでこういうことを喋っているけれど、こんな気持ちなんじゃないか」と想像し、何かを投影するわけですよね。それって、写真と人のすごくいい関係性だと思います。

インタビューのときは敬語を使うようにしています。これはお互い対等でいたいということを相手に伝えるためのルールです。このことを相手が理解した瞬間、大人になるのです。普通の12歳や14歳の少年少女にひとりの人間として接すると顔つきが変わる。大人がいて自分たち子供がいるという、普段の枠組みが外れた瞬間から、なんら大人と変わらない存在になるわけです。1時間くらいずっと話を聞きますが、若者たちの言うことがとてもおもしろい。大人は調整しながら話すけれど、彼らはぱっと外れることがある。言葉にならない間があったりするし、「うーん」と一言だけ唸ることもある。そういう反応を集めておきたいと考えています。

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ここに写っている二人は福島県、白河の受験生達です。一般的に写真家はいい瞬間を選ぶ人だと思われていますが、僕がやっているのは瞬間を切り取るというよりは一緒に協力して関係性を深めながら作品を作るということですね。撮られる側の協力がないと成り立たないんです。主役が写る方だから彼らにとってこの写真の意味合いはちょっと重いんですね。ひとりひとりの反応はさまざまですが、感じているものは計り知れない。一世代違うだけで見えている世界が全然違うと思うんですよ。目に見える表面のリアリティを掬い取るだけではちょっと違う気がしています。

ナギサ、白河「明日の歴史」シリーズより、19x13cm、2017、作家蔵/Collection of the Artist

ショウタ、白河「明日の歴史」シリーズより、19x13cm、2017、作家蔵 /Collection of the Artist

 

 

ゆっくりと小さく、確かな活動を求めて

ダゲレオタイプの撮影はすべて手作業で、金属板を磨くことから始めます。たとえば撮影旅行なら朝5時くらいに起き、3、4枚磨くだけでもう8時くらいになる。現場で行う薬品調整は環境に大きく左右されるため数値化できるものではない。撮影に行くときはその日の空気や身体感覚でやらないといけない。失敗することは毎日のようにあります。ダゲレオタイプでできることは、結局、ゆっくり小さくやろうってことなんです。社会問題についてあなたどうですかって言われても、自分には大きすぎてアプローチできそうにない場合でも、行ってみて、見たことを記録する。自分の足元から見えてくるものから始められればいいと、僕はそう思っています。

撮影:大野隆介

 

 

註1
「冬眠」は草野新平(1903-1988)が1951年に発表した黒丸一文字のみで構成されている自由詩。草野は詩に絵画的な手法を取り入れるなど前衛的な詩作を試みたことで知られる。 

註2
オリンパス・ペンFT。オリンパスが1966年に発売した35mmハーフサイズの一眼レフカメラ。

註3
L・J・M・ダゲール著/中崎昌雄訳 『完訳 ダゲレオタイプ教本―銀板写真の歴史と操作法』(1989、朝日ソノラマ、クラシックカメラ選書刊)。
L・J・M・ダゲール[Louis Jacques Mandé Daguerre] (1878-1851)は、写真技術の先駆者であったJ・N・ニエプス[Joseph Nicéphore Niépce] (1765-1833)に協力し、1839年にダゲレオタイプをフランス学士院で発表。世にはじめて写真術を広めた。

註4
第五福竜丸は、1954年3月1日にアメリカ軍によるマーシャル諸島のビキニ環礁での水爆実験で被ばくした遠洋延縄マグロ漁船。船員23名の全員が被ばくし、船長が数ヶ月のちに死去。日本国内で反核運動がはじまるきっかけとなった。総トン数 140.86t、全長 28.56m、幅 5.9m。東京都立第五福竜丸展示館は、1976年、第五福竜丸を永久展示するために夢の島公園内(東京都江東区)に開館。  

註5
2012 ニコンサロン連続企画展 Remembrance 3.11 新井卓「Here and There −明日の島」銀座ニコンサロン (キュレーション:竹内万里子)

註6
ロバート・オッペンハイマーは、1942年からルーズベルト大統領の政権下で行われた核爆弾の開発のための「マンハッタン計画」を主導したアメリカ人物理学者。1943年に原爆製造のチームを率いてニューメキシコ州ロスアラモス国立研究所へと拠点を移し1945年7月16日、ニューメキシコ州のホワイトサンズ・ミサイル射場内にあるトリニティ・サイトにて人類史上はじめて核実験を成功させた。(参照『MONUMENTS』PGI、2015刊)

 

取材・文:ヒントン実結枝 (ニューヨーク在住、インディペンデント・アートリサーチャー)
校正:藤森愛実
編集協力:岡本マサヒロ