VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.10

Posted : 2011.02.25
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「横浜トリエンナーレ2011」キュレトリアル・チーム・ヘッドをつとめる、横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2011年2月25日発行号 に掲載したものです。

第10回:民主主義が疲弊し始めた時代に

 

エジプトの政変を予見していた作品
――《The Echo》ムタズ・ナスル(「横浜トリエンナーレ2005」出品)

2005年の横浜トリエンナーレの出品作家ムタズ・ナスルの作品は、自国エジプトを舞台に、1933年のエジプト映画のシーンと現代のエジプトのシーンを編集しつつ、社会の新旧、世代の断絶、とりわけ社会に対して改革を訴える世代と、無力から無為な時間を過ごす世代のコントラストを表現した。

《The Echo》ムタズ・ナスル, 横浜トリエンナーレ2005での展示 (撮影:春木祐美子)

《The Echo》ムタズ・ナスル, 横浜トリエンナーレ2005での展示
(撮影:春木祐美子)

この作品では、イスラム社会が抱える宗教的な制約、あるいは人々の間の紐帯が強い共同体が、いわゆる民主主義としばしば相容れない軋轢を生むこと、世代間の新旧問題等にトピックを見いだしたことを記憶している。

あれから6年を経た2011年1月28日、エジプトのホスニ・ムバラク(Hosni Mubarak)大統領(82)の退陣を求める抗議デモが、同国各地で行われ、警官隊との衝突で多数の死者が出ていることをAFP(フランス通信社)が伝えた。6年前にナスルが指摘したとおり、社会の底流で民衆の怒りがマグマの如くうごめいていたことを知らしめることになった。

エジプト情勢は、対岸のできごとではない。中東とアメリカをはじめとする欧米諸国との微妙なるバランスを取ってきたエジプトに予測のつかない事態が生じようとしており、インド、中国に次ぐ大規模なマーケットを抱えるアフリカとヨーロッパを結ぶ経済の要衝として、日本の企業にとっても、エジプトは重要な拠点であるからだ。

ところで、ムタズ・ナスルの描いたエジプトの旧弊からの脱出は、将来、民主主義のシステムが導入されることで解決されると踏んでいたのだろうか?

トリエンナーレやビエンナーレに出品するアーティストたちは、何らかの形で社会のシステムへの批判的態度によってその制作活動が貫かれている場合が多い。いわば、人間の社会と文化の研究のために質的調査を行う民族誌学者(エスノグラファー)とその姿が重なる。それは、アーティストたちの取り上げるテーマが、地球温暖化、民族問題、宗教問題、ジェンダー、文化、文明、歴史等に及んでいるからだ。場合によっては、モノとしての美術作品を制作することより、何もない展示空間に特定の環境を作り出すことで、仮想とは言え、特定の現実世界のシステムを密かに観者に経験させることを目指すアーティストも少なからず見いだせる。

疲弊する民主主義―芸術の不幸な時代

さて、民主主義が万能ではなくなった話題に戻すにあたって、卑俗ながら事例があったので、そのことから触れてみたい。ちょうどこのテキストを書いているときに、世間の話題をさらった相撲協会の八百長事件である。

この問題というのは、実は近代以降の社会システムを担保する民主主義と、システムとしての相撲社会の間にあり続けた齟齬が、たまたま携帯メールに残された動かぬ証拠によって明らかになったにすぎないことを指摘しないわけにはいかないからだ。相撲には少なくとも3つの異なる文脈を抱えたまま今日に至った経緯がある。一つは神事(奉納相撲)、一つは興行、そして今一つは近代スポーツとして。これらの文化システムは、歴史的発生も違えば、それぞれの持つ意味も異なる。ところが、公益法人としての相撲協会は、明らかに近代以降のシステム、つまり、厳格なルールに基づいた近代スポーツ、そして近代的な意味での民主主義での文脈でのみ、評価もされ批判も下されることになった。果たして、相撲協会は、民主主義的な手続きを踏みつつ、春の本場所=興行の中止を余儀なくされた。

相撲社会が歴史的に抱えるシステムは、近代以前の、人々の紐帯の強かった農村等の共同体にも該当する。無論、近代以前に、今日から見ても民主主義的な手続きと思われるような案件が確認できなくはない。しかし、何と言っても、かつては、お互いに顔を見合わせながら生活を営んでいた社会構成が、近代都市の形成以降、顔を知らないもの同士によって社会が形成されるようになってしまった、という点は、決定的に異なるだろう。そして、近代以降に本格的に導入された資本主義経済において、「ゲーム理論」(顔を見ながら交換する市場―昔ながらの商店街)ではなく、「市場論理」(近代の誕生とともに生まれた百貨店等)が優先されたのも同様の事態である。

さて、「個」の強い地域(フランスなど)では、システムとしての民主主義がある程度有効に機能していたのが、そこに共同体の絆の強い、例えば、イスラム系の移民が大量に流れ込むことで、国家を統治するシステムに劣化がはじまることになった。また、厄介なのは、日本のように共和主義の遺伝子を持たないまま民主主義を形成してきたような国も含め、社会のシステムを構築する言語が、世界の言語の数ほど多いという点だろう。こうした背景を抱えながら、アーティストたちは、民族誌学者よろしく制作に励むのである。そこに、普遍的な価値、普遍的な美の基準を見いだすことが困難なのは、むしろ当然のことかもしれない。アーティストは、確かに、戦争ではなく平和を、不平等ではなく平等を、あるいは不幸ではなく幸福を希求しようとするが、そこには、どれほどの普遍主義が機能するだろうか、という疑問が残るからだ。否、そもそも普遍主義は必要な事項なのかどうか?

公的機関が公益性を強く求められる時代に

19世紀以降、ルーブル等の「美術館」という制度が生まれ、美術は、王侯貴族の手から人民の手に委ねられた。ここでもまた、美術を社会に組み込む文脈の差し替えが行われた。美術館は、その本家であるヨーロッパを中心に、国民の国家への忠誠を陶冶する装置として機能し、今や、美もまた公益性が極めて強く求められる時代に突入している。再び相撲を例に挙げれば、「谷風の情け相撲」に日本人の琴線が触れた時代もまた葬り去られようとしているのだ。

今年1月開館した神奈川芸術劇場(KAAT)大スタジオで新作「ゾウガメのソニックライフ」を上演した横浜の演劇集団「チェルフィッチュ」を主宰している演出家の岡田利規氏は、朝日新聞のインタビューに次のように答えている。

なぜ芸術が必要なのか、なぜ公的な金で芸術なのかという問いに、)
「みんなが楽しめるものには税金を使っても良い」というロジックを持ち出すのはつまらない、と岡田さんは言う。最大公約数が数値上の定義であるように、『みんな』は現実には存在しない。それに公金は「楽しめるもの」に消費するより、「生への問いかけ」にあてる方が今の社会では説得力があるはず。「演劇は舞台の俳優の姿ではない。時間と空間を共にした観客の体験こそが演劇です。難解と言われるが、生きることに対する思いをダイレクトに表現している。難解であるはずがないです」
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000001102090005

 

公的機関そのもののシステムが徹底して公益性という「合意形成」に基づいたミッションを掲げなければならなくなった現在、岡田氏が敢えてこの「芸術を育てることにたいする公の役割」という話題に踏み込まざるをえなかったことは、あまりにもリアルだ。劇作家でもある山崎正和は、芸術(ここでは、近代美術以降と限定する)の担い手が、市民という群衆=マルチチュード(ネグリ=ハートのそれではなく)に移行して以来、芸術の不幸な時代が生まれたことを看破したが、その傾向は益々急進的になろうとしている。無論、だからこそ、山崎自身も、民=企業のメセナ活動に、オルタナティブな文化支援のスキームを見いだそうとしたのだが。
トリエンナーレ準備の中で知る世界の現実

ところで、「横浜トリエンナーレ2011」の準備もさすがに佳境に入り(入らざるをえなくなった)、3月11日の記者発表に向けて、出品作家との最終的な詰めの段階に入っている。アーティストの情報、出品作品をテキスト化しつつ、こちらも徐々に、それら出品作品やアーティストの傾向を把握できるようになってきたが、現代のアーティストがそれぞれに抱えている問題は、ある意味で共通しているのだと、改めて認識することになった。すなわち、世界をどう捉え、世界をどう理解するか。それは、一見したところ、普遍的な価値の共有にも見えるが、実は、そこに横たわるのは、スピードをあげるグローバル化と、それに追いついていない世界の理念だろう。作品を通して、そのいかんともしがたい現実を知るのも、こうした国際展における醍醐味の一つなのだろう。

さて、ムタズ・ナスルから、自身と自国エジプトの無事を知らせるメールが、1月31日に届いた。とは言え、混乱は益々激化している。今後、エジプトが、アメリカと中東諸国との間の仲介役という機能を失った時、このアーティストは、いかなる作品を制作するのだろう。

またしても、世界を知ることが先送りされた。

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員。横浜トリエンナーレ組織委員会事務局
キュレトリアル・チーム・ヘッド。

 

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2011年2月25日発行号に掲載したものです。