VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.20

Posted : 2012.10.25
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横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。 「アートとは?」と問い続ける連載です。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2012年10年25日発行号に掲載したものです

第20回:続・作品の不在性

トヨダ作品における一回性、あるいは作品の不在性

美術の文脈の中で、写真というメディアが、我々の前に立ち現れる形式は、プリントによってか、写真集という場合が多い。これらは、文字通り複製可能なものであるので、いわゆる一回性に担保されたアウラを放つ絵画等との違いは際立っていることはすでに述べた。ヴァルター・ベンヤミンのこの言葉は、そもそもその芸術作品が、生を受けた場(教会であったり)から、美術館という制度の中へ、美術史の文脈で意味論的に位置づけられたモノとして回収された19世紀の事態が念頭されている。「オリジナルのもつ〈いまーここ〉的性質が、オリジナルの真正さという概念をかたちづくる。」(ベンヤミン『複製技術時代の芸術作品』)わけだが、その意味で、複製が可能な写真にはアウラは存在しなくなる。

プロジェクターの操作従事者=作家自身という絶対条件。

プロジェクターの操作従事者=作家自身という絶対条件。

さてトヨダ作品は、スライド=写真という形態、つまり複製可能なメディアであるから、一回性のアウラは存在しないのだろうか。個別のスライド=写真の属性と、それがある物語によって編まれ、シークエンスとして上映される作品自体の属性は、自ずと異なる。再びベンヤミンの言葉を借りると。「そもそもアウラとは何か。空間と時間から織りなされた不思議な織物である。すなわち、どれほど近くであれ、ある遠さが一回的に現れているものである。夏の午後、静かに憩いながら、地平に連なる山なみを、あるいは憩っている者の上に影を投げかけている木の枝を、目で追うことーこれがこの山々のアウラを、この木の枝のアウラを呼吸することである。」
ビルの屋上に仮設のスクリーンが設置され、夜の帳が下りはじめた頃から開始された上映会は、映画館のごとき隔離された空間は約束しない代わりに、しばしば耳に入る都市独特の喧噪もまた、その場の臨場感を演出する「小道具」となった。それは、もはや二度と再会しえない一度限りの経験として観者に記憶される。
一方、この一回性は、実のところ、もう一つの厄介な問題を考えることを我々に強いる。それは、何百枚ものイメージ自体の記憶が定かでなくなることだ。プリントしての写真、写真集における写真は、繰り返し「観る」ことを約束するのだが、トヨダ作品は、まさにその一回性の関係においてでしか、「観る」ことを担保しないからだ。トヨダのイメージを観ているはずが、いつの間にか、そのイメージに喚起された観者一人一人の記憶として蘇ったイメージしか残っていないという事態が生じる。それを回避するための作品の再現は、作品の現前性よりも、作者=トヨダの現前によってのみ可能になる。言い換えれば、作者の不在は、作品の不在に直結するのだ。だとすれば、これは、美術における慣習、あるいは約定の埒外に在る作品としなければならない。

この場、この時の雰囲気の中の一度きりの視覚体験。

この場、この時の雰囲気の中の一度きりの視覚体験。

市場から離反することーあるいは作品の不在性

作者の不在が、作品の不在に直結する、ということは、端的に言えば、売ろうにも売れない、ことを示している。こうした事態は、インスタレーションの形式を持つ作品が、展示のインストラクションがない限り、作者の没後にそれを再現することに困難が伴うことと類似している。ただ、このようなインスタレーションや他の表現領域との形式上の類似性だけでは説明し切れないトヨダ作品の特異性について、少し触れておこう。
トヨダ作品(改めて「NAZUNA」)の二時間にも及ぶスライド・ショーは、その鑑賞後の印象として、そこで取り上げられた人々の間が目に見えない領域で「繋がって」いることを気づかせる。すでに述べたように、両親の姿、家族のアルバムに登場する本人、日本のアーミッシュの人々、ホームレスの人々のコミュニティー、檀家を持たない僧侶とその弟子達。これらを結びつけるのは、大文字の利益=経済共同体(ポリティカル・エコノミー)ではなく、モラル・エコノミーの領域、ないしはプライベート(両親、トヨダの個人的人間関係)な生活領域である。無論、肥大化し続けるポリティカル・エコノミーの領域が、伝統的な共同体、あるいは協働型社会を浸食しているのは近代の歴史そのものを体現しているのだが、トヨダはそうした周縁領域に一定の距離を置きながら接するのではなく、むしろ寄り添いながら撮影を続ける。
ところで、写真は、他の美術の分野と異なり、表現対象と作者=撮影者との関係が、その作品のあり方、ないしは評価そのものに直結する場合がある。だからこそここでも、トヨダの眼差しの先に在るものと、本人との関係に観者は思いを馳せることになるのだ。トヨダは、僧侶(この僧侶は事故で他界するのだが、その後も、トヨダはその「関係」を継続しようとしている)とも懇意な関係を作る。アーミッシュの共同体では、労働も厭わない。トヨダは、まるでノマドのように移動しながら、一定の期間、そこここに滞在し、撮影するのだ。しかも、そうしたトヨダの「関心」の対象は、一般には「無関心」な対象であり、近代から今日に至まで、その領域は周縁へと追いやられる一方でもある。とは言え、こうしたトヨダの眼差しは、社会派リアリズムでもなければ、ルポルタージュでもない。なぜなら、そうした写真が喚起する言説空間は、ここでは、当て嵌まらないからだ。いや、むしろトヨダは、そうした言説を拒絶さえしているかのようだ。そうした社会的なメッセージではなく、トヨダによってその視線が注がれる素材の寄る辺のなさ、あるいは、作品自体の不在性の強さにこそ力点が置かれている。
敢えて言うとすれば、ここにあるのは、ノスタルジーとは言い難い、「失う」ことで喚起される言いようのない焦燥感、あるいは時間の経過の中で生ある立場の人間がいだく、言うなれば「サウダージ」註1)にも似た想いに近いだろう。つまり、今の自分が感じる空虚感や、生あるものの儚さといった回収しえないものへの強い郷愁や想いだろうか。

上映後に参加者を交えトーク・ショーを行なった。

上映後に参加者を交えトーク・ショーを行なった。

トヨダヒトシについて2回にわたって紹介したが、トヨダ作品を観ていると、何か真実を解き明かすということではなく、作家自身のこれまでの営みを開いて見せた、ということに尽きるような気がしてならない。まるで「襞」を解く行為にも似た行為は、『エニグマ エジプト・バロック・千年終末』の著者マリオ・ペルニオーラの次のような一節を想起させる。「秘密ではなく襞に満ちた世界へとわれわれを導くのが、ドゥルーズの『襞』である。・・・ここでは思考活動は秘密を明かすことや啓蒙、明晰化としてではなく、ひとつの説明/襞を解くこととして設定される。」
ここで問題にしなければならないのは、現実とそれを示すイメージや外観が分離してしまうような社会、つまり全体が一向に見渡せないが、全体を示すイメージや外観が与えられることによって成り立つ社会=現代社会にあって、イメージをどう扱うべきかという「作法」について思いを馳せるべきだろう。フラ  ンスの映画作家にして著述家でもあるギー・ドゥボールが、その著『スペクタクルの社会』(1967)及び『スペクタクルの社会についての注解」(1988)で展開する「スペクタクル」の指し示す意味もまた、そうした全体が隠蔽された状況についての批判的言説なのだが、それらを念頭に入れつつペルニオーラは続けてこう指摘する。「襞や説明によって開かれる概念の地平は、スペクタクルあるいは秘密について問う戦闘的な世代全体が迷いこんでしまった袋小路からの脱出を可能にする。」と。こうした問題意識を共有する作例をもう一つあげておこう。
9月14日から17日にかけてドイツの小都市カッセルで行なわれた「ドクメンタ13」とリバプールの「リバプール・バイアニュアル」、27日からは、国立台北芸術大学のKuandu Museumが主催する「カンドウ・バイアニュアル」(日本からアーティスト渡辺豪を推挙したキュレーターとして参加)と「台北バイアニュアル」に出張で出かけた。
これらの中で、「ドクメンタ13(http://d13.documenta.de/)」 、「リバプール・バイアニュアル(http://www.biennial.com/)」、そして「台北バイアニュアル(http://www.taipeibiennial2012.org/)」には、共通したディレクターの姿勢が見いだせたような気がした。正確に言えば、ディレクターが選定した作品にその考え方が良く反映していた、と言うべきかもしれないが、いずれにせよ、このことを示す作品の特徴は、先述したような、事を解き明かし、明晰化するのではなく、事態を物理的に開き、そして説明することにある。もう少し具体的に言うと、「台北バイアニュアル」のディレクター、アンセルム・フランケが6名のキュレーター(日本からは港千尋が参画)に出した注文は、それぞれにとっての「MUSEUM=博物館」を組織して欲しいというものだった。グローバル化が進み、従来あった国家や社会の枠組みが揺らぎ出し、人々の足下が掬われ出した現代、この事態を見つめ直すことが、こうした美術の国際展でも重要な視点となっている。そして、歴史の枠組み(過去と現在を繋ぐ)を巧みに使って「今」を照らし出そうとする意図だ。
さて、そうした幾つかの国際展の中でも、アクラム・ザーカリ(Akram Zaakari)の作品が印象的だった。ザーカリは、ドクメンタにもリバプールにも出品していたアーティストだが、とりわけリバプールの出品作について触れておこう。ザーカリの独立した展示空間に入ると、写真作品が目に入る。そこには、誰もが幼い時に両親から撮ってもらった写真が在って、それらは、公園にあるような遊具と戯れる姿だったり、パンツを下ろして自慢げな表情を見せる姿であったりするのだが、それらの写真の下には同じ状況で撮影された今の姿が撮られている写真が展示されている。何ともユーモアのある写真だろう、と誰もが感じる写真である。

Akram Zaakari,"Another Resolution"(1998)

Akram Zaakari,”Another Resolution”(1998)

この展示スペースの隣は、暗室になっており、ビデオの作品が展示されている。ここでは、ザーカリが、亡き祖母の若かりし頃のヌード写真を発見する事からはじまり、その撮影者を探し出し(カイロの写真館を突き止める)実際にコンタクトを取ってインタビューを行なう。このインタビューに現れる高齢(80歳近い)の紳士は、カイロで写真館を営んでいる。
60年も前の話しなのだが、この紳士は、ザーカリの祖母の事を良く覚えていることを証言する。何と記憶力の良い事かと感心させられるのだが、それには理由があった。というのも、1950年代に、ザーカリの祖母のみならず多くの専業主婦が、当時人気のあった女優に肖ったポーズを取って写真にすることが一種の流行だった。エジプトは、世俗的イスラム教とは言え、こうした行為が、公に受け入れられる訳ではなかった。というよりも、むしろ、そうした写真の中に収まった当時の女性達は、夫はおろか、誰ものためでもなく、もっぱら自分自身のために撮影をしたというのだ。そうしたザーカリの祖母のヌード写真の「誕生」の経緯を語りながら、紳士は、写真の歴史—カラー写真が登場して写真は死んだーや、エジプトの歴史についても問わず語りをはじめる。ここでは、何か真実が暴き出されるわけではないし、声高に政治的なメッセージが謳われる訳でもない。一見、過去も振り返るような姿勢をみせつつ、今の国家、社会、人間の有り様について見つめ直す契機を与えようとしているのだ。

註1)ここで使ったサウダージは、クロード・レヴィ=ストロースの「サンパウロのサウダージ」における意味の重なりを意識している。

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員。
※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2012年10月25日発行号に掲載したものです。