横浜市民ギャラリー

Posted : 2012.12.25
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1964年に開設された、当時「横浜で最初の美術館」とも言われた横浜市民ギャラリー。 地元の美術愛好家が熱望したことによって開館したこの美術館。1964年に開設され、 半世紀近くもの間、横浜の市民に広く美術を紹介し続けてきました。 現在館長を務める三ツ山一志さんが、開館してすぐに企画された「今日の作家展」と 「横浜市こどもの美術展」というふたつの展覧会を軸に、 横浜市民ギャラリーのこれまでの歴史とその果たした役割を語ります。

(インタビュー・構成:猪上杉子)

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2012年12月25日発行号に掲載したものです。

 

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「横浜で最初の美術館」の心意気

ここ、横浜市民ギャラリーは、1964年 (昭和39年)に横浜市中区桜木町に開設されました。この地(中区万代町)に移転開館したのは1974年 (昭和49年)ですから、関内に来てからも40年近くの歴史があります。開設当時の横浜の美術への意気込みはすごかったそうです。日本の公立美術館で戦後一番最初に作られたのが神奈川県立近代美術館で、遅れをとること約15年、「我が横浜に美術館がほしい」という当時の美術家や美術愛好者たちの熱意が実ってやっと開設に漕ぎ着けたのです。桜木町にあった中区役所の庁舎跡に開設したものの、空襲や機銃掃射で開けられた穴がまだ天井にあって雨漏りの水たまりが床にできているような中で展覧会を開催したものだ、と当時を知る人は思い出して話しますね。

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そしてついに、前川國男さんの設計で5年がかりで完成した「横浜市教育文化センター」の堂々たる建物の中に移転開設となったのです。前川國男さんは、東京文化会館や東京都美術館、横浜市青少年センターなどの設計で知られる日本を代表する建築家のひとりです。特徴的な外壁の赤みのあるタイルの美しさは目を引いたことと思います。当時の横浜市長は飛鳥田一雄さんでした。飛鳥田さんには「現代美術館構想」があったそうで、「向上発展と創造の殿堂」「待望の開館」という開館を伝える新聞の大きな見出しに、市民の大きな関心と期待を一身に集めたことがうかがわれます。

この横浜市民ギャラリーのことを「横浜で最初の美術館だ」と呼ぶ人もいますが、別の意味では〝市民ギャラリー〟という名称を全国的にした功績もあります。「横浜で最初の美術館としての心意気」としては確実にその役割を担い、果たしてきたと言えます。その「心意気」が最も顕著に感じられるのが、開館すぐから開催した「今日の作家展」と「横浜市こどもの美術展」という二つの展覧会の歴史です。

「今日の作家展」の革新性

「こんにちの」という言い回しに当時の市民ギャラリーのハイカラさと意気込みを感じます。 評価の定まった過去の作家の紹介とは別に、今、 まさに制作している、つまり生きている作家が「こんなふうに描いています」「こんなことを考えています」ということを紹介しようという、ハイカラで先鋭的な試みでした。「今日の作家展」は1964年の開館の年から2005年度まで開催されました。外部の批評家やゲスト・キュレーターを招聘して企画をしてもらうという画期的な方法でした(2000年からは市民ギャラリーが企画しています)。登場した作家達の顔ぶれは、鋭く時代を反映したもので、川俣正、李禹煥(リー・ウーファン)、草間彌生、日比野克彦、村上隆、荒木経惟、椿昇といった当時は誰も知らなかった若手の作家を先駆けて紹介してきました。横浜という進取の気風に富む土地柄と、横浜の“美術館”としての自負心がもたらした革新的な取り組みだったと思います。

「今日の作家展」の果たした意義は、市民のみなさんに新しい価値との出会いを提供して、新しいコミュニケーションの方法を提案してきたということに尽きると思います。まだ価値の定まっていない現代美術を展示して、「こんなふうに考えてもいいんだ」「そんなふうに人とコミュニケーションしたっていいんだ」という提案を示し、「頭も心も固くしていてはダメだよ」と誘って、新しい価値を自分の目で確かめよう、自分の心で感じよう、 自分の頭で考えよう、とする行動的な市民を育成してきたんです。

1989年に横浜美術館が開館し、また「ヨコハマトリエンナーレ」 が5回目の開催を迎えようとしています。「今日の作家展」のころは「現代美術」と呼ばれていたものが「コンテンポラリー・アート」と呼ばれるようになって、今、若い人たちが〝アート〟と理解しているのは「コンテンポラリー・アート」のことだということが分かります。「コンテンポラリー・アートって何?」と訊かれると、「作者に会えるよ」「作った人と話せるよ」と私自身は説明することにしています。「今日の作家展」の意味も問い直すことになりました。2006年からは「ニューアート展」、2011年からは「ニューアート展NEXT」と名前を変更して、現代作家の作品を紹介するグループ展という形式は踏襲しながらも、「よりわかりやすく、また親しみやすく紹介する」「創造都市横浜からの発信」というコンセプトで開催しています。新しい美術をわかりやすく読み解いてあげたり、作家の話が聞けたり、作家といっしょに作ったりする機会を用意して、コンテンポラリー・アートのいいところを一層身近に伝えるようにしています。 横浜には「今日の作家展」の精神が脈々と引き継がれています。

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ニューアート展NEXT 2012」会場風景(2012年、横浜市民ギャラリー)

ニューアート展NEXT 2012」会場風景(2012年、横浜市民ギャラリー)


「横浜市こどものための美術展」の意義

市民ギャラリーが果たした大きな役割のもう一つは、 子どもたちの「アンデパンダン展」、つまり審査しないで受け付けた作品すべてを展示する展覧会として、1965年から毎年開催している「横浜市こどものための美術展」です。無審査の展覧会は当時としては画期的なことでした。初代館長は山田今次さんという詩人の方でしたから、「表現の自由というものは人から審査されるものではない」という「アンデパンダン」の考えに共感されたのかもしれません。「読売アンデパンダン展」が開かれたのが1949年ですから、大人の展覧会では「無審査」という姿勢が流行っていました。でもそれを子どもの展覧会で行なったのは画期的でした。私自身も子どもの展覧会の審査員を頼まれることがありますが、それは断っています。子どもの一生懸命に優劣はつけない、子どもを豊かに育てよう、という精神に共感しているからです。

ですから、「無審査」を掲げた「こどものための美術展」の意義は、そこに「上手」「下手」という安易な評価をするのではなく、子どもがどれだけ自分の能力を自分の意識を込めて発揮したかという、子どもに対する理解の場であると同時に、「子どもにとって、アートは自分を知り、大人になるための糧となる活動」ということの啓発にあると思います。今までの最高の展示絵画数は8千点以上、前回も3千点以上の参加がありました。

2002年からはじめた子どものための造形プログラム、「ハマキッズ・アートクラブ」もまさに、 上手な作品の作り方を教えるわけではなく、子どもが教えてもらいながら、作り上げることに時間をかけられる自律の体験をしてもらう場であってほしいと思っています。人は手を動かしながら考えるのだと思います。美術とはある意味、そういうもの。「考える」「思う」ために絵を描いている、と言えるのかもしれません。 これは大人についても言えることですけれどね。横浜市民ギャラリーは美術教育の本来のあり方もきちんと実践してきた歴史があります。

横浜市民ギャラリーの意義

企画展のうちのひとつの「今日の作家展」、そして「横浜市こどもの美術展」という、この二つの展覧会は、横浜市民ギャラリーがその長い歴史をかけて、市民に、そして子どもたちへ向けて、果たしてきた大きな役割です。ほかにも、さまざまな企画展の実施や、年間200団体近い展示室の貸し出しの役割も非常に大きいと思います。 横浜市民ギャラリーはその時々の「今」を問いかけてきたんです。現在の横浜の美術事情は、横浜美術館があり、横浜トリエンナーレという国際展覧会が3年に一度開催され、横浜市民ギャラリーあざみ野、黄金町エリアマネジメントセンター、BankART Studio NYKもあり、そして130近い民間ギャラリーもあるという賑やかな状況です。現代美術に触れる機会が広がっています。でも横浜市民ギャラリーは、やはり市民が行動的になって、積極的になって、自分の内面に向かい合ってもらうような機会を提供する、という使命に変わりはありません。設立のときの「意気込み」と精神は変わらないんです。

 

■関連サイト
横浜市民ギャラリー
http://www.yaf.or.jp/ycag/

PROFILE

三ツ山一志[みつやま かずし]
彫刻家。造形教育家。横浜美術館の「子どものアトリエ」創設に携わる。横浜市民ギャラリーおよび横浜市民ギャラリーあざみ野館長。

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2012年12月25日発行号に掲載したものです。