立ち止まって考えることができる社会へ向けて――藤原徹平の建築哲学

Posted : 2017.12.19
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住宅やビルなどの建物から、スタジアムのような巨大な施設、さらには都市そのものの設計に関わることもある建築家。社会情勢や法律などあらゆる分野に精通し、複眼的な視点が求められるだけでなく、未来を見据えてひとつの解を導き出していく大変な仕事だ。私たちの生活はさまざまなシーンで、建築に支えられている。「建築をつくることが絶対的に素晴らしいことだとは思っていないんです」と話すのは、フジワラテッペイアーキテクツラボ(フジワラボ)主宰、横浜国立大学大学院/建築都市スクール「Y-GSA」では准教授として教べんを執る、建築家の藤原徹平さんだ。フジワラボでは、住宅や文化施設、店舗等の設計やリノベーション、美術展の会場構成などを幅広く手がけている。日本各地で多くの実績をもつ設計スタジオだ。生粋のハマッ子でもある藤原さんの幼少時代のバックグラウンドから、近年のいくつかのお仕事まで、たっぷりと聞いたお話のなかから、藤原さんが志向する「建築」のあり方が見えてきた。

 

考え方の基盤が養われた横浜での幼少時代――都市環境への信頼

生まれも育ちも横浜の藤原さん。幼少時代を過ごしたのは本牧だ。かつては漁村からリゾート地になった本牧だが、高度経済成長期の横浜に生まれた藤原さんは、都市として発展していく時代を過ごした。本牧の米軍キャンプ返還というできごとも経験した。

「横浜の歴史でいうと、路面電車がなくなってバスに代わり、米軍から土地が返されて市民が増えた時代だと思います。本が好きで、小説や歴史ものなど、世界中のものをとにかく知りたい子どもでした。港町の横浜生まれだからかもしれませんが、海外のものには特に興味があって。映画や音楽もですが、特に文学ですね。海の向こうから文化が集まってくることが、僕のなかでは都市の原風景としてありました。」

神奈川県立音楽堂や神奈川県立青少年センターといった施設や、根岸森林公園、そして近所の縁日や酉の市などのお祭りにもよく遊びに行っていたと語る藤原さん。本牧の地域コミュニティも活発で、近所の友達と一緒に演劇をつくって遊んだ記憶もあるという。身の回りには当たり前のように文化的な環境があった。

建築家としての後の藤原さんに、影響を与えたできごとのひとつが、サーカスだった。広大な空き地になっていた米軍キャンプの跡地に、毎年サーカスが来ていたという。

「その時だけ、仮設の都市ができるんです。特別な経験でしたね。ヨーロッパではクリスマスに向けて街の広場にサーカスができますよね。マルシェやマーケットもそうかもしれませんが、祝祭の場を仮設的な建築でつくるというのは、都市のはじまりみたいなものだと思います。 

僕が中学生のとき、1989年に横浜博覧会がありました。みなとみらいの街並みができる前のドックヤードだった場所で、博覧会の前に大鉄道博というイベントがあって、機関車に乗ったこともありました。みなとみらいが開発される前の都市の記憶です。移り変わっていく横浜を経験できた、最後の世代だったかもしれません。」

 

都市開発によって失われる地域の記憶――都市の集団的な記憶をいかに蓄積していくか

都市の工業化や開発によって、戦後日本の高度経済成長はあった。その裏側では何が起こってきたか? 藤原さんが目を向けるものは、そこに生きる人々の「記憶」だ。

「そういう意味では、都市への怒りというものがあって。僕の居た小学校には、寄付された水族館がありました。その小学校は、かつて漁村で、潮干狩りができる海岸校庭があったんです。それが工業化のあおりを受けて埋め立てられてしまって、漁村や大人たちが海岸と引き換えに、学校へ水族館を寄付したんです。ある時、そういう大人の欺瞞みたいなものに気付いて。宿題やったら飴あげるよみたいな感じで、校庭が海岸であることを手放せば、水族館あげるよと。等価じゃないものが与えられていく都市開発の悲惨さを子どもながらに感じました。一方でそこには経済成長があり、何とも言えない側面もあるわけです。例えば経済がよくなると、本牧の裏山がなくなっている。そして山には神社やお寺があって、縁日がある。地域の記憶があるんだけど、それが根絶やしになってしまうこともあるわけです。」

都市の発展と記憶の継承。建築家ではなくとも、無関係ではいられない問題だ。建築が未だに重要かどうかは分からない、けれども建築がひとつのファクターになり、記憶をつくったり残したりすることに関わりたいと、藤原さんは語る。

「究極、僕は新聞記者になっても良かったんです。人間には、生きていく支えが必要です。そのために人々は、集団的な記憶をつないでいくのだと思っています。それは地域の宗教だったり、生活の根っこみたいなものだったりすると思うのですが、このような都市の記憶を応援するように生きるということが、僕にとっての生きたい生き方でした。大学院の3年まで建築家になりたいとは1ミリも考えていなくて。いろいろなことがあって建築家になることになっちゃったんですけど。

建築をつくることが必ずしも素晴らしいことだとは思っていなくて、新築をつくらなくて済むならば、既存建築を残した方が良いと提案することもあります。どんなによくない環境だと思われていても、そこに記憶が宿っていて人が居るのであれば、安易に変えるべきではないと思うんです。」

  

立ち止まってみんなで考えることが、同じ時代を生きるということ

藤原さんがたとえ建築家ではなかったとしても、世のなかに、社会に対して何かを訴えかける強いメッセージを発信していただろう。だが藤原さんの俯瞰的な視点が、「建築」という人々の生活に深く根差した設計をつくるときに、とりわけ力をもつことが分かる。「建築家という職業において、言われたものをつくっているだけでは意味がないと思うんです」と話す藤原さん。同時代だけでなく、未来を見据えて提案する建築家としての視点がそこにはある。

「建築家として大切にしていることは、依頼があった時に、本当にそれをつくる必要があるのかないのかも含めて、考えることです。例えばクライアントから依頼を受けて何かをつくるとき、完成したものが、クライアントが想定していたのとは違う部分があったとしても、10年後、20年後に僕の配慮に気付いてもらえることが理想的な状態だと考えています。いずれ分かるというか。

世間は本当に、何かをつくる計画が進んでいるときに、立ち止まって考えることができません。でも立ち止まるべきだし、考えるべきですよね。人生って一回しかないから。今立ち止まらなかったらいつ立ち止まるんだっていう話で。立ち止まって何をなすべきかをみんなで考えることが、同じ時代を生きることだと思うんです。オリンピックの国立競技場もそうですが、もし、国立競技場を壊さないと大人たちが決めることができていたら、日本中の若者は相当驚いたと思います。立ち止まることを大人たちが示せない限りは、日本の未来に希望はなかなか見いだせないのではないでしょうか。」

立ち止まって考えることは、個人レベルでもできること。藤原さんが近年手がけた住宅の事例には、東日本大震災以降、どのように暮らしていくかを一緒に考えて欲しいという依頼があったという。クライアントの要望を聞きながら、最終的に提案するのは住宅ではあったが、地域の教会のようにも使えたり、ギャラリーや食堂を公共空間として開くことができたりする、多様な使い方ができる空間を設計した。

「自分の家族のための箱をつくりたいと考えるのが普通ですが、住宅をつくるひとが、子どもたちが街の人と一緒に育っていく場をつくりたいと考えていました。良い時代だなと思いました。」

 

居心地の良さが、美術展の会場構成においてはもっとも重要なこと

Reborn-Art Festival、そしてヨコハマトリエンナーレ2017と、夏から秋にかけて美術展の会場構成を立て続けに手掛けた藤原さん。ある期間、集中的に作品が展示される美術展の空間構成においてもっとも重要なことは、居心地の良さであるという。

「例えば読書などの経験に近いと思いますが、知識としては詰め込むことができたとしても、自分の心が動くためには準備が必要です。良い状態で良い言葉に出会えば心が動くんだけど、知識として詰め込んでも心は動かない。それと同じで、受け止める準備ができていないと、どんなにすばらしい芸術作品を見ても、感じることができません。今回のトリエンナーレのような、いわゆる都市で行われる施設型の美術展の会場構成においては、いかにその場所を公園のような場に変えることができるかを考えて取り組んでいます。リラックスしたりカジュアルな気持ちになったり、ちょっと意識を飛ばしてぼーっとできたりすることが重要です。」

ヨコハマトリエンナーレ2017の会場構成においては、コンクリートの壁と地面に沿って、ベニヤのベンチがさりげなく設置されていたのが印象に残った。作品を見るのに疲れたら、思わず腰を掛けてくつろぎたくなるベンチだった。このような“気の利いた”デザインの提案が、藤原さんの会場構成の魅力だ。

ヨコハマトリエンナーレ2017 展示風景 写真:KATO Ken 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会

 

一方で街のなかを自由に回遊できる美術展の場合には、ポイントとなる拠点をどうつくるかが重要になる。 

「数年前に、理事として所属しているドリフターズインターナショナルというNPOで、瀬田なつき監督といっしょに街を漂流する映画館『5 windows』をつくりました。空きビルや京急の高架下、公民館などを映画館にして街を巡りながら5つの物語を見る作品でした。そのなかで空き家の窓に映画が映っているのを観客が見るわけです。そうすると、その隣にある窓も何か重要な気がしてくるという現象が起こりました。街のなかに情報の凝縮があると、そのまわりの風景が変わります。回遊型の作品の場合には、そういう場所を都市のなかに何か所か仕込んでおいて、あとは観客の受け取り方の創造性にゆだねるやり方が、面白いと思っています。」 

『5 windows』という作品は、律儀に順番どおりに最短距離で観た人の経験と、焼き鳥屋さんでつまみ食いをしたり寄り道したりしながら巡った人では、体験の質も変わってくると藤原さんは指摘する。高い集中力でまわる方法もあるが、どこか弛緩していて心に余裕があれば、受け取れるものも変わってくるだろう。

 

瀬田なつき監督作品 映画『5windows』開催時の様子

 

自分のイシューを見つける批評精神を養う――YGSAのスタジオ教育

藤原さんが教べんを執る、横浜国立大学大学院/建築都市スクール「Y-GSA」。ここでのスタジオ教育は、能動的な学びの場を徹底して追求している。日本における建築の大学院は、研究室の先生の設計を手伝う研究室制度が主流のなか、YGSAでは先生に所属する発想をそもそもやめている。

「もともと僕は横浜国大の大学院の出身ですが、YGSAができる前からそういう気風はありました。その能動性教育が深化したのがYGSAです。先生の後ろを歩いていた人が、社会に出て、社会の大きな動きに対して立ち止まることができるかというと、難しいですよね。大きい声である必要はないと思いますが、未来に向けて思考し、的確な呼び声で社会の動きを止めることができるかどうか。自分なりの批評精神をもつことが、一番重要だと思っています。」 

藤原さんのスタジオでは“ポストインダストリー”というテーマを掲げている。スタジオテーマは、社会の動きに対して批評精神をもつきっかけとして設定されたものだ。

「人が集まれば産業が生まれますが、産業が自分たちの生活実態を変えてきた側面もある。自分たちが思い付いたことで自分たちが苦しんでいくという、人間の営みそのものみたいなところがあると考えています。“産業”という側面から社会の実態を捉えることも建築学の醍醐味だと思っています。」

具体的に取り組む課題のなかには、横浜の町工場をリサーチした学生もいた。親会社と下請け、孫請けが連鎖的に廃業したり、一方に新しい産業が興る動きがあったりと、業界の風景も一様ではない。未来の可能性と、過去の衰退が同時に風景として重なる現状に、学生は直面した。そこにある未来の可能性をいかに見ることができるか、そしてそれを建築がどのように応援することができるかを、藤原さんは問う。

「答えはなくても良いから、自分にとってのビッグイシューをどう発見することができるかを考えて欲しいと思っています。そこで自分が本当にやるべきことが見えてきて、初めて能動的に勉強したいと思うことができるようになるからです。」

具体的な設計の事例にとどまらず、藤原さんの“建築哲学”とも言える考え方や、横浜でのバックグラウンドについてもたっぷりと語っていただいた本インタビュー。社会に対する批評精神をもつべきは、Y-GSAの学生に限らないだろう。立ち止まって考えることができる社会に向けて、私たち一人ひとりの姿勢が問われている。藤原さんのお話を聞きながら、そんなことを考えた。

 

取材・文 及位友美(voids)

藤原徹平(建築家)

横浜国立大学大学院 Y-GSA准教授
FUJIWALABO 主宰
NPO法人 ドリフターズインターナショナル理事