2021-02-26 コラム
#都心 #美術 #横浜美術館

地域と世界 双方が実感できる美術館に −−横浜美術館・蔵屋館長に「リニューアル後」を聞く

1989年(平成元年)に開館した横浜美術館は3月1日から初めての大規模改修工事のため、2年を超える長期休館に入る。貴重なコレクションを未来へ継承し、さらに充実した活動が展開できるように設備を更新し、2023年(令和5年)度中にリニューアルオープンする予定だ。

「みなとみらい21地区」の中心的な文化施設として30年以上活動し、展覧会や教育普及事業で市民、美術ファンに親しまれてきた同館が今後目指す美術館のあり方とは? 昨年、6代目館長に就任した蔵屋美香館長に展望と抱負を聞いた。

 

−−昨年4月に横浜美術館館長になり、もうすぐ1年です。この間いかがでしたか?

蔵屋:美術館にとって激動の1年でした。着任当初は新型コロナウイルス感染症拡大防止のための臨時休館中だったので、私もほとんど出勤できず、今も対面での会議はままならない状況が続いています。6月に本格的に出勤を始めると、すぐに当館がメイン会場の「ヨコハマトリエンナーレ2020」(2020年7月17日~10月11日)が始まりました。トリエンナーレが終わり、ようやく落ち着いて通常業務に取り組めるようになりました。

当館の前は東京国立近代美術館に26年間、学芸員として勤務していました。美術館業務は大体、ベースが共通しています。作品を研究したり、収集したり、展示したり、展覧会を企画したり、教育普及事業を行ったり。なので大きなとまどいはありませんが、館ごとに細かいルールや文化の違いがあるのは面白いなと思います。

−−蔵屋さんは2013年、イタリアのヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展で日本館キュレーターを務め、特別表彰を受賞するなど、日本を代表する学芸員の一人です。『創造都市横浜』への登場は今回が初めてになりますので、自己紹介をお願いします。

蔵屋:千葉生まれの千葉育ちです。小さい頃から絵を描くのがとても好きで、ずっと漫画を描いていました。高校時代に美術部に入って油絵を始め、進学した東京の美大でも油絵を専攻しましたが、本当は漫画家になりたい下心があり、あまり絵画制作に真剣になれませんでした。卒業後は企業のパッケージデザイナーやアルバイトを経て一念発起し、千葉大大学院に進学して美術を研究するようになりました。文献を読むのも論文を書くのも大学院で一から学びましたが、そちらの方が絵を描くより向いていたようです。修士課程修了後に東京国立近代美術館で学芸員の募集があり、運よく採用されました。少し変わった経歴が幸いしたのかもしれません(笑)。東京国立近代美術館では2008年から課長を務めました。最初の8年は館のコレクション、その後は特別展や教育普及、ライブラリーを担当する部署の課長でした。

 

−−横浜美術館にどのような印象がありましたか。記憶に残る展覧会はありますか?

蔵屋:1989年の開館時からコンスタントに訪れ、展覧会や所蔵品は大体知っていました。でも、今思えばあまり見えていなかった部分もありましたね。横浜美術館は「みる・つくる・まなぶ」という三位一体の活動が大きな柱になっており、展覧会のほか、「つくる」場として市民・子どものアトリエ、「まなぶ」場として美術図書や映像資料を集めた美術情報センターがあります。それぞれの具体的活動や役割は、こちらに来て実感できました。特にアトリエの創作活動は前の美術館にはなく、仕事として関わるのは初めての経験なので、発見や驚きがあります。

記憶に残る展覧会はたくさんあります。例えば2016年の「BODY/PLAY/POLITICS」は「身体が生み出すイメージ」をテーマにアジアやアフリカ、日本の現代作家の作品を集めたとても意欲的な企画展でした。非欧米圏のアーティストによる現代美術展は集客が厳しいにも関わらず、これを実現していたことにも感銘を受けました。

ウダム・チャン・グエン《ヘビの尻尾》2015/2016年(BODY/PLAY/POLITICS展示風景) ©UuDam Tran Nguyen. Courtesy of the artist.  photo: Yuri Manabe *

オランジュリー美術館コレクション展 2019-2020年(展示風景)*

 

この10年ほど、国は美術館に対し、自ら収益を上げて削減傾向にある予算を補い、集客力も高めて観光拠点として地域に貢献するよう、要求を強めています。その影響で学術的、先端的な展覧会はやりづらい状況が続いています。そうした中、横浜美術館は確実な収入や集客が見込める展覧会だけでなく、挑戦的なものにも取り組む責任感と気概があると感じました。

ここ、みなとみらい地区は一種の“夢の国”だと思うのです。この30年で新たに開発された地区なので、高層ビルが建ち並び、街区も綺麗に整備されて、ごちゃごちゃしたリアルな生活とかけ離れた雰囲気です。その中にある当館も印象派展とか、〇〇美術館名品展といった華やかで非日常的な感覚が味わえる展覧会が似合います。でも時に、それだけではない問題意識を見せる姿勢も必要で、「BODY/PLAY/POLITICS」展はその一例だと思います。

 

撮影:笠木靖之 *

 

−−丹下健三が設計した横浜美術館はみなとみらいのランドマークでもあります。改修による変化はありますか。

蔵屋:外観の変化はあまりないかもしれません。今回の工事の主な目的は空調設備の更新です。お客さまの目には触れませんけれど、空調は美術館の心臓部なんですね。美術館は厳密な温湿度管理が求められ、適正でないと貴重な文化財である作品にダメージを与えてしまいます。開館から30年以上たち、その設備がだいぶ古くなったので、更新して今後数十年の活動に備えます。

それ以外の部分では、バリアフリー化を進め、車いすやベビーカーの方が直接上階に上がれるエレベーターを増設します。美術情報センターの入口は今上階にありますが、グランドフロアに降りて来ます。また展示室の天井を改装し、綺麗にします。新しく小さなギャラリーもできますよ。

−−新しいギャラリーはどちらにできますか。

蔵屋:館正面に向かって左端のグランモール公園の美術の広場に面したフロアです。商業施設「マークイズ」が2013年に美術館の前にでき、かつてガランとしていた広場もだんだん賑やかになって、子どもが大勢遊ぶ良い雰囲気の場所に育っています。その広場に対し、開かれたイメージをつくるのは大変大事です。広場にいるお子さんや大人が見つけて「わぁ、楽しそう」「行ってみたいな」と思ってもらえるようにしたいですね。

−−美術館のいわば“ショーウィンドー”部分ですね。

蔵屋:以前、丹下さんがどのように考え、当館を設計したかを調べたことがあります。元々、丹下さんは当館のグランドギャラリーから前の広場を通り抜けて海まで行ける長さ700メートルほどの緑の散歩道をつくりたかったようです。ちょうど資料館と慰霊碑、原爆ドームが一本の軸線で結ばれた広島平和記念公園と同じ方式ですね。これを横浜では、港町にふさわしく海と広場と美術館を一本の軸でつなごうとしたわけです。でも構想は実現せず、間に他の建物もたくさん建ったため、もう美術館から海はほとんど見えません。とはいえ丹下さんの初期構想を踏まえると、広場と美術館が一つにつながるのは大切だと思います。ここは今後頑張っていきたい部分です。

 

−−展覧会などのソフト面に変化はありますか。

蔵屋:当面はリニューアル後のイメージを皆でつくっていく感じです。まだ確定的なことは言えませんが、以前から美術館業界では、自館にすばらしいコレクションがあるにも関わらず、特別展ばかりに力を注ぐ状況への疑問がありました。さらに今回のコロナ禍により、大規模な海外展の開催は大変厳しくなっています。何が起きるか分からない現状を考えると、多額の費用をかけ海外から作品を持ってくることはリスクが高くなりました。

そうすると、自館のコレクションを見直してさまざまな切り口から紹介したり、全国から所蔵品を持ち寄って展覧会に仕立てたりすることが一つの活路になります。前職の東京国立近代美術館では20年以上、あの手この手で新しい見方を探し、コレクションを紹介してきました。その経験から、優れた美術作品には何十もの切り口があり、さまざまな文脈で紹介できると実感しています。例えばピカソなら「20世紀の巨匠」「キュビスム」以外に、色やかたちの組み立て方を探るとか、現代の作品と比較してみるとか、いくらでも見せ方があります。また国内にも良い作品がたくさんあるので、複数館が力を合わせれば海外展にひけを取らない内容にできます。長期休館前の最後の展覧会として開催中の「トライアローグ」展(2月28日まで)も、当館と愛知県美術館富山県美術館が共同で企画しました。

トライアローグ:横浜美術館・愛知県美術館・富山県美術館 20世紀西洋美術コレクション展 2020-2021年(展示風景)*

 

−−「トライアローグ」展は3つの公立美術館のコレクションを組み合わせ、20世紀西洋美術の変遷をたどる内容です。3館のそれぞれ制作年代が異なるピカソ作品が並ぶコーナーは特に圧巻で、国内コレクションの質の高さや多様さを象徴していると思いました。

蔵屋:横浜美術館は約1万3000点の作品を所蔵しており、西洋の近現代美術のほか、写真や原三溪(編集部注:横浜の実業家、美術品収集家)ゆかりのコレクションなど、大きな軸が幾つかあります。リニューアル後はコレクションをもっと大事にして、展覧会だけでなく、教育普及部門のプログラムやアトリエの創作活動、美術情報センターの活動とも関連づけていきたい。全館がコレクションを中心にまとまっていくようなイメージを描いています。とはいえ、日本は明治時代から〝特別展主義〟が強く、美術館も収入集客を特別展に頼ってきましたから、コレクションを中心に活動を再編してもお客様が足を運んでくださるのか、美術館運営は成り立つのか、今後、そうした点を議論していく必要があります。

横浜美術館コレクション展「ヨコハマ・ポリフォニー:1910年代から60年代の横浜と美術」2020-2021年(展示風景) 撮影:加藤健 *

 

−−「トライアローグ」展と同時開催中のコレクション展「ヨコハマポリフォニー:1910年代から60年代の横浜と美術」(2月28日まで)も興味深い作品がたくさんありました。

蔵屋:欧米に的をしぼった「トライアローグ」展と対照的に、こちらは横浜に関連した作品だけを集めています。世界性と地域性の双方に目配りした展示ができるのも当館の強みです。横浜は隣の東京とは異なる美術の流れがあり、世界的彫刻家のイサム・ノグチが幼少の一時期を過ごしたり、現代美術を支える著名作家をいち早く紹介する活動が行われたりしてきました。でも、そうした動きはまだ広く知られていません。展示でアピールすることで今後、美術史が書き換えられていく可能性もあるでしょう。

 

−−長期休館中に活動する予定はありますか。

蔵屋:教育普及系のプログラムは継続的に行っていきます。引っ越し先の仮事務所に若干スペースがあるのでワークショップなどを行う予定です。スタッフがプログラムを持って学校や病院に出張するアウトリーチ活動も、コロナが落ち着けば引き続き行います。現代美術系の小さな展示も、場所や予算が確保出来たらやりたいですね。あと休館中の重要な仕事にコレクションのデータのさらなる充実があります。本来、収蔵した作品は作家名や制作年、技法などを多言語でデータ化し、インターネットで取り出せるようにしておく必要があるのですが、開館中はなにかとやることが多く、画像の公開や多言語化などの作業が追い付きません。そうしたインフラを整備するような業務がたくさんあります。

−−コロナ禍で休館が相次いだ影響もあり、SNSやオンラインの活用に取り組む美術館が増えています。横浜美術館もオンラインでのワークショップやアーティストトークを行いました。

蔵屋:コロナ収束後はリアルな展覧会もオンラインのコンテンツも両方あって当たり前になるのではないでしょうか。美術鑑賞は実物を見てこそという考え方もありますが、オンラインは海外の人や種々の理由で来館できない方が見られたり、自分の都合に合わせて家で楽しんだりできる利点があります。例えば、ニコニコ動画に美術館や展覧会を学芸員が長時間かけて紹介する番組ができ、人気です。家でのんびりしながらゆるゆる見るわけです。足を運ぶのと異なった新しい美術の楽しみ方と言えるかもしれません。ただ、美術館が本格的にオンラインに取り組むには、リアルが前提の現行の予算や人手では難しく、両方が継続できる制度設計が必要になってきます。今年1年は「非常事態だから頑張ろう」で乗り切れましたが。

−−美術館も変革期にあるのですね。館長の役割をどう考えますか。

蔵屋:近年の美術館は収支や集客数が厳しく問われ、多くの方が楽しめる展覧会を開催する傾向が強まっています。たしかに「分かる人だけが分かる」内容では美術の楽しみは広がらず、ファンも増えないので、私も共感できる部分があります。ただ、最近は少し行きすぎているようにも感じます。美術館はもう少し現代に生きる人間にとって、目をそむけたいけれど重要なテーマを取り上げたり、疎外感を味わっている人が救いを得られたりする場所になってもいいのではないでしょうか。館長の役割は、そうした文化機関としての責務と経営のバランスを成り立たせることに尽きると思います。

ニック・ケイヴ《回転する森》2016(2020年再制作)©Nick Cave ヨコハマトリエンナーレ2020(展示風景)撮影:大塚敬太 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会*

 

−−最後に横浜美術館をどのような美術館にしていきたいか、考えをお聞かせください。

蔵屋:港町の横浜は、国際的な情報がたくさん入り、同時に海外に対しても多くの情報を発信できる〝交差点〟のような地です。その役割は国際美術展の横浜トリエンナーレを含めて、当館もしっかり果たしていくべきだと考えています。幸い、当館は国立美術館にもひけを取らないほど、建物もコレクションも立派です。地元の方に美術を通して国際的な情勢を体感していただき、同時に世界へ「ヨコハマ」を発信していく。そんな地域性と世界性の結びつきが実感できる美術館にできればと思っています。

 

取材・文 永田晶子「美術ジャーナリスト」
撮影 大野隆介(*以外)

 


【プロフィール】

蔵屋 美香(くらや・みか)
<略歴>
千葉県出身
女子美術大学芸術学部絵画科洋画(油絵)専攻 卒業、
千葉大学大学院教育学専攻修士課程 修了。
1993年より東京国立近代美術館勤務を経て
2020年4月、横浜美術館館長、横浜トリエンナーレ組織委員会副委員長に就任。

<企画した主な展覧会>
2000 年 美術館を読み解く:表慶館と現代の美術
(東京国立博物館 表慶館 主催:東京国立近代美術館)
2003 年 旅:「ここではないどこか」を生きるための10 のレッスン(東京国立近代美術館)
2007 年 わたしいまめまいしたわ:現代美術に見る自己と他者(東京国立近代美術館)
*鈴木勝雄・ 増田玲・ 保坂健二朗・三輪健仁と共同キュレーション
2009 年 ヴィデオを待ちながら:映像、60 年代から今日へ(東京国立近代美術館)
*三輪健仁と共同キュレーション
2011-2012 年 ぬぐ絵画:日本のヌード1880-1945 (東京国立近代美術館)
*第 24 回倫雅美術奨励賞
2013 年 abstract Speaking: Sharing Uncertainty and Other Collective Acts
(第55 回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展 日本館、アーティスト:田中功起)
*特別表彰
2014 年 高松次郎ミステリーズ(東京国立近代美術館)
*保坂健二朗、桝田倫広と共同キュレーション
2017 年 没後40 年 熊谷守一 生きるよろこび(東京国立近代美術館)
2018 年 「絵と、 」(ギャラリーα M)
2019-2020 年 窓展:窓をめぐるアートと建築の旅(東京国立近代美術館)
*五十嵐太郎と共同キュレーション

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