横浜はアートとの親和性の高い街。アーティストやクリエーターが作品を発表する機会を多彩に提供し、彼らの創造性を育てる環境も充実している。そんな「創造都市・横浜」を支えてきた数々の「場所」の、これまでの道程とこれからについて探る全6回のシリーズ。
今回は「急な坂スタジオ」ディレクターの加藤弓奈さんにお話しいただいた。
【急な坂スタジオの基本データ】
横浜市が推進する歴史的建造物や市所有財産を活用した文化芸術創造の実験プログラムとして、2006年10月にスタート。元結婚式場の旧老松会館を転用し、舞台芸術の創造拠点として管理・運営を行なう。 最大2カ月までの長期利用が可能なホールと3つのスタジオ、3時間から利用可能なコミュニティ・ルームを持つ。レジデント・アーティスト3人、「坂あがりスカラシップ」対象者1人、サポートアーティスト5人を支援している。また、ドラマトゥルクや制作者、技術者といった、次世代の舞台芸術を担う人材の育成にも力を注ぐ。
岡田利規さんが名付け親
「『急な坂スタジオ』というネーミングは開設当時からのレジデント・アーティストの岡田利規さん(劇団「チェルフィッチュ」主宰)が名前を付けてくださいました。英語で『Steep Slope Studio』はどうだろうかと。訳してみたら『急な坂スタジオ』、語呂がいいし可愛いね、とこの名称になりました。
ネーミングは大事なので、創設時のスタッフでかなり長い期間考えていたのですが、これだとピンときました。おかげで親しみを感じていただいていると思います。
スタジオを稽古場にして演劇の創作活動をすることで一緒に挑戦をしてもらうレジデント・アーティストは、これまでにのべ5人。中野成樹さんと岡田利規さんと矢内原美邦さん(『Nibroll』主宰)が最初の3人で、中野さんは卒業して行きました。その後、公募で仲田恭子さんが3年という任期で滞在しました。仲田さんの卒業後に、劇団『ままごと』を主宰する柴幸男さんにお声掛けをしました。今はこの3人がレジデント・アーティストとして活動しています」
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左から岡田利規さん、矢内原美邦さん、柴幸男さん ©Takaki Sudo
創作し続けるための支援を
「『坂あがりスカラシップ』は公募で選定した対象者に、1年間のサポートを行なう仕組みです。今年度いっぱいの対象が橋本清さんで、今年度新規の対象者は野上絹代さんです。
支援の内容は開館当初から時を経て少し変わってきました。演劇専攻のコースを設ける大学が近年増加したこともあって、大学で学んだ後に演劇のカンパニーで活動しようと思う人が増えてきたという背景も関係しています。演劇の分野の若い創作者はどんどん出てきているんです。けれども公演を恒常的に続けていくために何をしたらいいのかを見守り、支援する場や制度はけっして増えていません。

岩渕貞太さんのワークショップ ©Hironobu-Hosokawa
ですから、私たちは、アーティストが何を必要としていて何が不足しているかを、相談して解決するための手助けをするようにしています。アーティストが創作の上で興味を感じる人がいたら、どういう人との出会いが今その人にとって重要なのかを考えて、出会えるための準備を手伝います。人と出会うことは創作にとってとても大切ですから。
スカラシップを開始した当初は、公演実施のための支援が主でした。舞台美術を付けられるように補助したり、宣伝チラシをデザイナーに依頼できるようにサポートすることで宣伝効果が高いものができるような機会を作ったりと。
でも、一度の公演をサポートするだけではアーティスト自身の支援にはなりません。作品をずっと作り続けていくための、創作のために吸収すべきことを一緒に考えるサポートへとだんだんと変化してきましたね。
そして『坂あがりスカラシップ』の卒業生に対しては、『サポート・アーティスト』という形で引き続きの支援を行なっています。現在は岩渕貞太さん、藤田貴大さん、白神ももこさん、木ノ下裕一さん、酒井幸菜さんの5名がその対象です」

白神ももこさんの主宰する「モモンガ・コンプレックス」の『秘密も、うろ覚え。』アテンド風景 ©北川姉妹
この場所から生まれた作品も
「元は結婚式場だった建物ですから、ちょっと面白い空間がアーティストの刺激になることもあります。スタジオには神棚の名残が残っています。2階は披露宴会場だったので、演劇用としては広い空間があります。着付けのための30畳の和室もユニークな空間としてそのまま活用しています。衣装部屋として貸し出したり、またワークショップや講座を開催したりしています。

ソ・ヒョンソク『つれなくも秋の風』 ©Takaki Sudo
この場所自体がきっかけとなって生まれた作品も。一昨年には韓国のソ・ヒョンソクさんが、結婚式場だったという歴史を出発点にした『つれなくも秋の風』という作品を発表しました。観客と俳優が一対一のペアになって会話する、挙式場や和室や建物の周りをすべて使っての上演でした。彼にとって元結婚式場ということが作品づくりの重要なモチーフになったんです。
またすぐ近くにある野毛山動物園もモチーフになりました。開館当初に上演した『動物園物語』は、中野成樹さんがロケーションの一致からぜひこの作品をやりたいということで始まり、野毛山動物園に相談して広場を貸していただいて公演が実現しました」
居る場所、帰る場所でありたい
「演劇の創作に立ち向かうアーティスト自身がどんな熱量で作品を作ろうとしているか、どういう情熱でお客さんと向き合おうとしているかということを理解して、その姿勢を応援するということを心掛けるようにしています。
『坂あがりスカラシップ』の卒業生やレジデント・アーティストの人達が、今も創作活動を続けることができているという事実自体に、大きな喜びを感じています。そこにこのスタジオがある意味がありますから。彼らが「居る場所」「帰る場所」であり続けたいですね。公演を終えて帰ってきた彼らに『おかえり』と言い続けたいです」
演劇にとっての横浜の街の魅力は?
「私自身、横浜育ちですが、横浜はそれぞれの区で区民ミュージカルが作られていたり、古くからのアマチュアの劇団さんが公演をされ続けていたり、高校演劇がすごく盛んだったりと、作ることに対して関心の強い人が多いと感じます。けれどもあまり演劇を見に行くことは少ない。横浜には気軽に行ける小劇場が少ないので、東京に行ってしまう。ですから『急な坂スタジオ』主催公演は、お隣の動物園であったり、周辺を歩くだとか、いつもは劇場じゃない場所にどうやって演劇作品をインストールすることができるかというのを積極的に考えるようにしています。素敵な場所がたくさんある街なので、そういう場所も劇的な空間に変わるという事をもっと市民の方に体感してもらえる機会が増えるといいなと思っています。

急な坂スタジオ×藤田貴大 映像作品『歩行と移動』
昨年、サポートアーティストの藤田貴大さん(劇団『マームとジプシー』)とのコラボレーションで作った映像作品 『歩行と移動』 に関しては、横浜のいろいろな場所で撮影を行ないました。横浜の街には演劇空間に変貌してしまうような魅力的な場所がたくさんあるんです 。
どんな空間も劇場になり得るんじゃないかなと思う一方、劇場に行くという面倒な準備なしに演劇に出会ってほしい。チケットを予約して、何月何日何時からを空けておくという行動はおっくうでも、毎日通っている道の途中で何か劇的な事が起きていたら、そこで何かと出会えたら幸せかもしれないですよね。
もちろん劇場でフルスケールの作品を作るということはアーティストにとっては必要なことですが、それと同時にアーティストと出会うための入り口は広い方がいい。関心があってチラシを手に取った人しか演劇を観に行けないというのはもったいないことですから、街の中で気軽に演劇を体験することができるように、これからも仕掛けていきたいです。
そして、この稽古場で日常的に起きていることをもっとオープンにできる仕組み作りもしたいですね。ここでものが作られて、ものが生まれる瞬間にお客さんが立ち会えるという機会を増やしていきたいと考えています」
【急な坂スタジオへのアクセス】
〒220-0032 横浜市西区老松町26−1
最寄り駅; 京浜急行線「日ノ出町駅」、JR「桜木町駅」
お問い合わせ;TEL : 045-250-5388
http://kyunasaka.jp
開館時間;10:00~22:00(受付時間 10:00~18:00)
開館時間;毎月第3月曜日、年末年始、夏季休暇
●PROFILE
かとうゆみな
2003年、大学卒業と同時に「STスポット」に就職。2005年、「STスポット」館長に就任。
2006年、「急な坂スタジオ」立ち上げに参加。2010年、「急な坂スタジオ」ディレクターに就任。
横浜市在住。