加藤弓奈さん(急な坂スタジオ・ディレクター)

Posted : 2010.06.25
  • facebook
  • twitter
  • mail
今回は、STスポットの館長を経て、この4月に急な坂スタジオのディレクターに就任された加藤弓奈さんにお話を伺います。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年6月25日発行号 に掲載したものです。

アーティストを支援する稽古だけじゃない稽古場

Q. 急な坂スタジオとはどんな施設ですか?

その名の通り、日ノ出町・桜木町から急な坂を上った、坂の途中にある、もともと老松会館という横浜市の所有する結婚式場であった施設をダンスや演劇のアーティストのための稽古場として再活用しているスタジオです。
1階にスタジオが3つと、コミュニティルームという会議室が1つ。
それから2階の披露宴会場だった空間をホールという形で貸し出しています。

Q. この施設の運営主体はどこですか?

NPO法人アートプラットフォームという組織がやっておりまして、もともと横浜のSTスポットと、東京にあるアートネットワークジャパンという団体が共同で立ち上げたNPO法人になります。
指定管理ではなく、横浜市が任意の団体に運営を委託しているという形態になっています。

Q. 一般的な公共施設との違いは、どんなところでしょうか?

そうですね、行政の場合に比べて、NPOの方が、人やお金の動きが何をやるにしてもスピードが早いというのが、自分たちでやっていて一番感じるところですね。やろうと思ってすぐ動ける人が集まってくるし、自由に動ける。

Q. 急な坂スタジオを借りるときには何か審査のようなものがあるんですか?

審査はないのですが、公演を開催することが決まっていて、そのための中長期的な稽古のためにスペースをお貸しするというコンセプトを設けています。
コミュニティルームは、舞台制作に関係なく、一般の方にも貸し出ししています。

Q. 急な坂スタジオではどんな劇団やアーティストが稽古しているのですか。

全国的にミュージカル公演をしている団体であったり、横浜市内や都内の小劇場で作品を発表しているカンパニーですね。それから、アートネットワークジャパンが「フェスティバルトーキョー」をやっている関係で、飴屋 法水さんが『4.48サイコシス』の稽古でずっと使用されていました。山海塾さんが毎年ツアーの前に長期的に利用されていますね。

Q. 非常に個性的で、世界的にも活躍なさっているようなアーティストの皆さんがここで稽古をしている場なんですね!「稽古だけじゃない稽古場」というコピーが印象的ですが、急な坂スタジオの活動の特徴を教えてください。

そうですね。「レジデント・アーティスト」という制度を設けておりまして、現在は3名のアーティストの方に稽古場を無償で提供しています。
彼らの活動や制作に応じた時期に合わせて、稽古場を提供するだけでなく、そのほかの制作的なサポートを行なったり、あるいは稽古場を公開したりして、作品をつくる過程で、お客さんに発信したりするような作業を一緒にやっています。

Q. レジデント・アーティストなど、アーティストを支援する仕組について少し詳しくお話いただけますか?

現在のレジデント・アーティストは、チェルフィッチュの岡田利規さん、ニブロールの矢内原美邦さん、それから最近若手として活躍なさっている柴幸男さんの3名がいらっしゃいます。
彼らにサポートするのに加えて、『坂あがりスカラシップ』という支援事業も行なっています。これは、2年前に始めたもので、坂の下にある野毛シャーレさん(横浜にぎわい座)と、STスポットと急な坂スタジオの3者合同でやっています。まず急な坂スタジオで長めに稽古していただいて、野毛シャーレかSTスポットの好きなほうを選んでもらって公演をする。私たち急な坂スタジオは制作サポートや公演期間中のサポートをする、というものです。

最初は岩渕貞太さんというダンサーさん単独で、彼は2年間継続してサポートさせていただきました。それから去年は岡崎藝術座という若手の演劇カンパニーさんも一緒にサポートさせていただきました。今年は、今ちょうど選考中で、また来年の2月の公演に向けてサポートする団体さんを探しているところです。

Q.どんなアーティストさんをサポートするか、というような方針はあるのですか?

もちろん作品の傾向は好き嫌いもありますし、人それぞれなので、こういうふうなの、というのはないのですが、我々スタッフが20代後半から30代の人間が多いので、世代が近くて、今創造活動をしている上で、何が難しい、何に困っているというのを一緒に相談して、解決する方向を探っていける相手というのを頭において選ぶようにしています。

Q. このコーナーの第1回に登場いただいて、こちらのレジデント・アーティストでもあった中野成樹さんのお話の中で、「急な坂スタジオのスタッフたちの直接間接のサポートやアドバイス、公演を見にきてくれたりと、場所を貸してくれるだけでなく、精神的に支えになってくれることが非常に大きい。」というアーティスト側の言葉が非常に印象に残っています。このような関係を築ける秘訣は?

自分達が楽しんでいると、一緒に仕事している相手もすごく楽しい気持ちになるし、作り手が楽しい気持ちでつくったものというのは、お客さんにそのままダイレクトに伝わると考えるようにしています。大変なときもあるだろうし、人それぞれ苦手なこと得意なことはどうしてもあるんですが、基本は「私達が一番楽しんでいる」と。これをみんなで上手に共有できるよう心がけています。

Q. それって、実は、とても大変なことですよね。アーティストの妥協しない姿勢に付き合うことも必要ですしね。

そうですね。
中野成樹さんは今年レジデント・アーティストを卒業なさったのですが、彼が『Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)』という作品をやったことがすごく大きくかったと思います。彼が、(急な坂スタジオに隣接する)野毛山動物園をみて、「動物園の隣に公園がある。これって『動物園物語』(オールビー作)とロケーションがまったく一緒だから、やりたいよね。」って言ったんです。

レジデント・アーティストを集めたお花見の席で中野さんがぽろっともらした一言だったんですが、これを実現できたことは急な坂スタジオにとって大きな意味を持っていますし、中野さん自身にとっても大きな意味があったと思います。レジデント・アーティストそのものに関しても、それぞれ考え方は違うものですが、中野さんが、「僕にとってのレジデント・アーティストの仕事は、それ(Zoo Zoo Scene)で十分だった」っておっしゃって卒業したというのが、すごく、スタッフ一同ありがたいなと思っています。そういう関係をずっと、いろんな人と築けるといいなと思っていますね。


野毛山動物園と『Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)』

Q. 『Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)』は、2008年、2009年と2年連続で発表された作品ですよね。この作品についてもう少しお聞かせください。

『Zoo Zoo Scene(ずうずうしい)』これは、動物園の英訳Zooを2つ重ねて「ずうずうしい」という、ただのシャレで始まったものなのですが、エドワード・オールビーというアメリカを代表する劇作家の『動物園物語』という作品で、動物園帰りの男がセントラルパークのベンチで男と出会うという男性の二人芝居なんです。せっかく野毛山動物園があるんだし、出来ないかなーということが、発端でした。
急な坂スタジオのスタッフ、私ともう一名で動物園側にお話を持っていったんですね。

ご挨拶に行って、「レジデント・アーティストがこんなことを言っているんですが、何か一緒にできることはないですか。」とご相談に行きました。
そしたら、動物園側も、今まで動物園に足を運んだことがない人を呼び込む仕掛け作りというのをいつも考えていらして、『別のジャンルの人がそういう話をもってきてくれると視野が広がるので、ぜひ一緒にやりましょう』と言って下さったんですね。それで実現しました。

1年目の2008年は、5月に2日間やらせていただいて、翌年の2009年も『Zoo Zoo Scene ふたたび』ということで再演させていただきました。今度は少し長めにということで3日間の公演になりました。
この作品は、最初に動物園の中をツアーしてから、『動物園物語』というお芝居を見ていただき、お芝居の後に動物園の職員の方と演出家がトークをするという、全てを通して一つの鑑賞体験という形で実施しています。

Q. 野毛山動物園というのは昔から入場無料で、横浜市民にとってはとても身近な馴染みある場所ですね。懐かしいというか。私も拝見して、日常空間が非日常になる感覚を味わいました。劇場を飛び出して、街や周辺施設と連動しながらレジデント・アーティストの可能性を探るという試みは、スタッフにとっても大変ですよね。 このような展開は、当初から考えていらしたことなんですか?

まず「固定の稽古場を手に入れることができない」ということがアーティストの悩みとしてありました。一定期間、荷物も置きっぱなしにできて、ちょっとした舞台も仮設でも組むことができる場で、彼らがスタジオの中に籠って制作して、やがて劇場公演ができる場所それが、急な坂スタジオのベーシックな役割です。でも、それだけだと、我々スタッフと作り手の距離って縮まらないんですよね。せっかく長く居るんだったら、「それ、劇場だけじゃなくてさ、ちょっと街でもやってみない?」って声を掛けられる距離にレジデント・アーティストが居た。

それから、野毛の街そのものがやっぱりものすごいパワーを持っています。大道芸もずっと続いていますし、なんか、この街全体から何かを立ち上げていこうという空気を坂の上にいても感じるんですね(笑)。お食事処の鰯料理の村田家さんというところでは、年に一回、座敷芝居をさせていただいているんですよ。それから吉田町でも一緒にやらせていただいたり、黄金町・日ノ出町まで行ったり。まず私達も外に出て行こうという気持ちがあったのと、それを受け入れる間口の広さが街そのものにもあったという幸せな出会いがあったので、じゃあ、いけるところまでいっちゃおう、みたいな(笑)。


アーティストとともに

Q. 開館して1年目には既にそういうことを街と一緒に実現していらしたわけですね。新入りって難しいところもあると思うんですが、そんなに早くから地域と交流できたのはどうして?

スタッフ自身が出掛けていくように心がけていました。
最初にこの館がオープンするときに、もともとこのあたりで演劇活動をしていた方たちにしてみればまあ、よく分からない人たちがやって来て、稽古場を作ったけど、どうなんだろう?という感じですよね。やっぱり端から見ると、あそこ何をしてるのかなと思われてしまいがちですし。

開館当初はスタジオの中もそんなに整っていませんでしたし、利用率も高くなかったので、極力我々自身が外に出るようにしました。「とりあえず動物園見にいこうか?」みたいなところから始まりました。「野毛に美味しいお店があるらしいから、みんなでご飯食べに行こうか」って、なるべく自分達で足を運ぶ、ということをしましたね。人を招きいれるためには、まず自分達が行かなければならないと思って。

Q. 急な坂スタッフというよりむしろ、町内の一員というお付き合いから始めている感じですね。

そうですね。

Q. STスポット、急な坂スタジオという2つのスペースを使いながら成長なさったアーティストさんとして、 中野成樹さんとそれから、チェルフィッチュの岡田利規さんもそのような方の一人なんですね。

STスポットの契約アーティスト時代に岸田戯曲賞を受賞なさっています。
岡田さんはちょっと独特な方なんです(笑)。岡田さんが使っているということで、憧れをもってこのスタジオに来てくれる若いアーティストがすごく多いというのがまず一つと、まあ、STの頃からのお付き合いなので、二人で(急な坂の)ラウンジでぼーっとしながら、「今何したいんですか?」って聞くと、「んー、のんびりしたい」とか(笑)。ここをのんびりできる場所とは思ってくださるようです。

Q. 稽古場だけではなく、ホームグラウンドともいえるような場になっているんですんね。

年に何回か必ずバーベキューをやるようにしていて、なるべくレジデント・アーティストのお稽古が重なっているときにやるようにしています。岡田さんは一度息子さんも連れてきてくださいましたね。本当に特別な場所だとは思ってくださるようで、それはすごくありがたいですね。

Q. 急な坂スタジオって面白いお名前ですよね。岡田さんが名づけたと聞きましたが?

そうなんです。みんなで、「名前どうしようね」って話していたときに、岡田さんが英語で、「STeep slope STudioって、急な坂のスタジオって意味だよ。いいんじゃない?」って、最初は英語で出してくれたんですよ。で、「これ訳したらどうなるんだろう?」「急な坂スタジオ?」「あ、かわいい!」って。それで決まりました。雑談の中で決まることが結構ありますね。


インターンシップからスタート、3年目で館長に!

Q. 加藤さんはもともとSTスポットのインターンシップから始まって、いわば“たたき上げ”という感じですが(笑)、この世界に入ったきっかけをお聞かせいただけますか。

学生時代、演劇映像専修の演劇コースという学科に所属していまして、自分で演劇を作ったり演じたりするのでは全くなくて、歴史や評論を勉強する学科でした。そこで、4年生のときに劇場・ホール実習という科目をとったんですね。いまでは劇場にインターンシップに行くという機会はよくありますが、当時はまだ少なくて。自分で研修先の劇場を選べたのですが、新国立劇場、明治座、世田谷パブリックシアターだったりと、わりと大きな劇場が並んでいた中に一つ、STスポットというすごく小さな劇場がありました。

私の出身は横浜なんですが、「あれ、横浜にこんな劇場あるんだ」って思いました。当時はまだSTスポットのことを知らなかったんです。それで、大きな劇場に行くと、まあ、一部分しか見られないだろうから、自分は何も知らない分、一番小さいところに行って、全部目が届く環境で何が動いているんだろうということを勉強したいなと思って決めました。2002年でしたが、一週間、STスポットでダンス公演のインターンシップに行ったんですね。

その頃、岡崎館長がいらして、ダンスの企画が5周年を迎えたフェスティバルの年でした。山田うんさんや、山田せつ子さん、今はレジデント・アーティストの矢内原美邦さんなど、そうそうたるメンバーで、30人近いダンサー達による公演を一気にやってしまうという企画でした。

Q. STスポットのあの小さなスペースで…。すごい迫力ですね。

ソロ十八番勝負から始まって、6人×3日間やって。で、一日明けて“ボクデス”さんとか天野由起子さんの短編をやって、でもう一日明けてグループワークをやったりしていました。怒涛のコンテンポラリーダンス漬けになってふらふらしていたときに、次に、スパーキングシアターという演劇のフェスティバルのアルバイトに誘っていただきました。

そのときの公演が、中野成樹さんが演出し、チェルフィッチュの山縣太一さんたちが出演する、STスポットの演劇人が“ぐちゃっ”と集まったような演劇作品をいきなり見たわけです(笑)。 これが最初だったんですね。
このときに中野成樹さんに始めてお会いしました。そこで岡田利規さんにもお会いして。なんだか不思議なところだなと思いました。

この演劇フェスが終わったときに、館長から、「もし就職先が決まっていないなら4月からうちに来ない?」って言われたんです(笑)。その頃、就職活動はあまりちゃんとしていなかったし、厳しい時期でしたし。それと3年間専修コースで演劇のことを勉強したのに、これで「私は演劇のプロです」と言えないとしたら、ちょっとかっこ悪いし、せっかく勉強したのならそれをフル活用したら面白いだろうなと思ったので、就職させていいただくことにしました。
最初の1年目は仮に合わなかったらしょうがないということにして、勉強だと思って、親には1年留年したと思ってください(笑)、みたいな感じで飛び込んだんですね。

Q. STスポットってすごく小さい劇場じゃないですか。インターンシップで初めて行かれたとのことですが、びっくりしませんでしたか?

びっくりしましたよ(笑)。こんなことってありえるんだ!って。毎日ダンス公演で、もういいですって、いうか。しばらく観なくていいんじゃないかって思いましたね(笑)。

Q. 加藤さんは、たとえば高校時代に演劇をやったことは?

ダンスや演劇などの公演を見ている数は多かったと思いますが、自分自身で演じたことはないですね。

Q. どんなものをご覧になっていたのですか?

高校生でいろんなものをたくさん見る方はあまりいらっしゃらないですよね。
こどもの頃はよく祖母にミュージカルを見に連れて行ってもらっていて、劇場に通うという習慣はありましたね。
それから高校時代が、ちょうどNODA・MAPが始まった頃で、これを観た高校生の私は衝撃を受けてしまって(笑)。制服のままシアターコクーンに通うという、不思議な状態で(笑)。大学に入ってからもよく観ていました。

Q. ダンスなどもご覧になっていましたか?

そうですね。神奈川県民ホールでお手伝いをしていたので、インバルピントカンパニーだったり、ビデオダンスを観たりはしていました。

Q. 演じる側としではなく、むしろ小さいころから様々な作品をご覧になって、そこでいろんなものを受け入れる感性が養われていらしたのですね。

そうなんですかね。確かに、わりと「何でも来い」みたいなところはありますね。

Q. 大学で勉強されて、そのまま純粋に劇場に就職なさったのもすごいですよね。

そうですね、異常事態というか(笑)。大学側もびっくりしたみたいです。
卒業生で初めてだって。やはりどうしても皆さんマスコミ業界に進んでしまう学科だったので。あるいは、演劇にはまってしまってそのまま大学に来なくなる、みたいな人も多かったですし。

Q. インターンシップがきっかけとなり、アルバイトではなく就職という形で STスポットに入られましたが、何年くらいいらしたんですか。

まる5年です。

Q. その頃は、どんな様子でしたか?

最初の1年目はアシスタントでした。
館長の方がいらして、そのすぐ下に演劇プロデュースの方、そしてアシスタント、この3人でまわしていました。最初の年、2003年がちょうどBankARTの立ち上げで、お世話になった館長の岡崎さんが移られたんですね。
その次に演劇プロデュースをやっていた田中啓介さんが後任で、館長になられたんですが、彼自身ももっと大きなところでやりたいという希望をもっていらしたので、丸1年でお辞めになって。3年目にして館長になるということになってしまいました(笑)

Q. 入社3年目にして館長!?

そうなんです。5年間のキャリアのうちの後半の3年が館長という(笑)。
年上が二人、年下のスタッフが一人という、ちょっとどきどきな感じだったんですけど(笑)。
まず私自身が劇団活動をしたことがなかったので、劇場の使い勝手が分からないという人とすごく気持ちが近いんですね。それで、私だったり、前任者の方もそうだったんですが、初めて劇場で公演する人たちにとってすごく親切な劇場にしようと思いました。何をしていいか分からない。大学をでて仲間と劇団を立ち上げて公演をしようと劇場を借りてみた。客席数も少ないから借りてみたけど、どうしましょう?という人たちがたくさん来る劇場だったので、この人達に対してすごく細かくケアをするようにしました。私も同じことが分からなかったので、一緒に学びながら運営していたことがSTスポットでの特徴だったと思います。

それに加えて、応援したいと思ったアーティストに対して、全力で応援するっていうのもSTのちょっと独特なスタンスでした。私がいた時期は中野さんと岡田さんという二人ですね。この二人がやっていることがとても面白いとスタッフ全員が感じていましたし、彼らに必要なのは、劇場でコンスタントに公演を打って、自分たちがこれのプロなんだっていう感覚を持ってもらうことなんじゃないかなってみんなが思っていました。
彼らに対して、何というか、縛るわけではなく、積極的に何かをしてあげるっていうわけでもないですけれど、その場にいてケアをして、困ったことがあったら一緒に考える。そういうことをずーっとやっている場所だったなあと思いますね。

Q. 何かエピソードはありますか?

岡田さんは、働き始めてすぐに、6月ですね、サンデーパフォーマンスというものをやっていました。岡田さんと中野さんと、もう1組若手のカンパニーが一日だけ日曜日にSTスポットを借りて、30分ずつ自分達の作品をやろうという企画で、そのときに初めて岡田さんの「マンション」という作品をみたんですけど。それがすごく面白くて。岡田さんに「すごい面白かったです。」って言ったら、「でしょう?僕、いつもこんな感じ。」って(笑)。

Q.STスポットにもレジデント・アーティストのような、契約アーティストであるとか、支援制度というのは加藤さんの時から始められたのですか?それとも最初から?

契約アーティストという風に銘打って始めたのは、私と私の前任者の方と一緒に始めたことです。それまでも、なんとなく常にサポートしているアーティストがいたり、アルバイトでダンサーの方に入ってもらって企画を一緒に立てたりっていうことはあったんですけれども、契約アーティストっていう風に銘打ったのは、私の時からですね。

Q. 劇場にはアーティストが必要だということで、STスポットは60席ながら、そこに「契約アーティスト」を制度として作り、そこからチェルフィッチュの岡田利規さん、中野成樹&フランケンズの中野さんとか、その後、大活躍をするようなアーティストがそこから生まれているっていうのは、素晴らしい活動でしたね。STスポットを知らない人が、こういうサポート体制のことを聞くと、どれだけ大きな劇場だろうと思うんじゃないかと。小さな劇場ながらこの支援を何故、やろうかなと思ったんですか?

多分、小さな劇場じゃないとできないことだったような気がします、今思うと。やっぱり距離感というのがすごく大事で、近いんですね。アーティストとスタッフの距離もそうですし、狭いので、嫌がおうにもお客さんとの距離が近いっていうのは、客席でちょっとした音が起きても役者はすぐ分かるし、演出家もそれにすごく敏感になるし、逃げ場がない空間なんですね。初めての人にはもしかしたら「狭くていいかも」と思うかもしれないけれども、おそらく、何年か公演を重ねている人たちにとっては、どこから見られてもいいように、自分の体だったり作品を持ってかなきゃいけないので、実はすごくスリリングな劇場なんです。

だからこそ、演出家がポロッと言ったことをスタッフがすぐ拾えるし、「じゃあこうしたらいいじゃない」という相談ができる。今面白いって思っている人たちが側にいて、一緒にやりましょうと言えるのだったら、一緒にやろうよ!という感じだったんですね。
それと、すごく贅沢なんですけれど、いろんな作品がいろんな劇場でやられていますけど、自分が見たいって思ったものが、自分のいる劇場で行われてたら、そんなに幸せなことはないと思ったので、じゃあ見たいものをやればいいっていう、ちょっとずるい発想で、お二方にお声掛けしました。

Q. 先程からSTスポットの話、急な坂スタジオの話を聞いていて思うのは、いずれも規模は違いますけれども、建物(ハコ)から始まっていない感じですね。建物(ハコ)ができてさあ何をやろうというのではなくて、そこに魂が宿るというか、何か「こと」が始まることからその劇場の特徴が生まれてくるみたいな感じがしますね。だからきっと作家とスタッフ、スタッフとまちの人たちの垣根がすごくフラットな感じがして、お互いに風通しのいい関係だったのですね。仲良くないと実はいろんな事って進みづらかったり、相談もしづらかったりしますよね、その辺がすごく柔軟に回っていたのですね。とても素敵なことですね。

ありがたいですね、そう言っていただけると。

Q. 加藤さんのお人柄なんじゃないですか?

わからないですね(笑)。

Q. 自分で演じてみたいなあと思ったことは?

ないんですよね。そこが多分一番よかったんじゃないかなと思っています。今でも。私はお客さんにとっては、あの人は「アーティストに一番近い人」で、アーティストとか役者にとってはあの人「お客さんに一番近い人」っていう、ど真ん中の部分にちゃんといてあげて、お互いの出会いをケアしてあげる仕事が制作者だったり劇場の支配人だったりと思っているので、そこがぶれないから多分続けられているし、いつも楽しいなと思えているんだと思います。


急な坂スタジオの館長に就任して

Q. STスポットでできること、それから急な坂スタジオでできること、共通する部分と違う部分があると思いますが、この4月に急な坂スタジオのディレクターに就任なさって、今までと変えていきたいということがありますか?

はい。公演に向けて稽古をして劇場に巣立っていくというのが、稽古場の基本的な姿ですが、そうじゃない仕掛けを作ろうと街中や動物園で発表させていただいたりしてきました。今度は、それとはまったく別に、「劇場で作品を発表する」ことや、観客の前で作品を公演として見せること以外に、創造活動の中でなんか出てきたモヤモヤだったり、「あれ、今これちょっといろんな人に見てもらいたいんだけどどうしよう」というのを公演という形ではなくて、人が入ってきてモノが生まれる瞬間に立ち会える仕掛けや企画にしてみたい。

その試みを今年一年間、じっくり取り組みたいと思っています。できれば、レジデント・アーティストの稽古場にはフラフラ入って行って「いま何してるの」っていうのを聞いたり、作品のクリエーションには直結するとは思うんですけれども、公演とは別に、例えば週に一回、ちょっと一緒にやってみたい役者さんを集めて、ワークショップみたいなことをする、であったり、モノを発表するというのとは別のレベルで物を作ることっていうのを突き詰める時間をアーティストに提供できるような企画を実現できたらなあと思っています。

Q. 今後の具体的なプロジェクトは?

開館当初にやっていた、「フィールドワーク」というものをやりたいと思っています。アーティストと一緒に横浜のいろんな空間を回って、こういう場所でこういう公演をしたらおもしろいよねって、何となくみんなで話をしながら、横浜の町をぶらぶらを歩くというツアー形式の企画です。
これまでに何回かやっていて、今、ちょうど世代交代の時期なので、最初にここを使ってくれていた世代と、3年半たってさらに若い世代が出てきて、新しく「横浜おもしろそうかも」と思って集まってきてくれた人たちと一緒に、もう一回、我々スタッフも開館当初の気持ちに戻るような感じで、もう一回横浜ぐるっと回ってみようかということを何となく計画中ですね。

Q. 横浜のご出身ですね。この街は、仕事をしてみて、どんな可能性魅力があると思いますか?

傍から見ると観光地だというイメージだと思いますが、実際にはすごく古い商店街があったり、昔から住んでらっしゃる方がいらしたり、歴史がきちんとある街だなと思います。それから、その歴史を語り継ごうと思っている人たちもたくさんいる場所なので、その意思を、演劇やダンスというツールを使ってやってみたらもっとおもしろいことができるんじゃないか、提案もしやすいですし、そういう提案に対して「それ面白いかも」ってすぐ反応が返ってくる場所ですね。

こんなに大きな都市なのに、広いんですけど、ただ広いだけじゃなくて、ちゃんと人の心の深いところが見える、人が住み、ここで生活してきたっていうのをすごく感じることができる場所だなと思います。

Q. 急な坂スタジオは、今後も新しい動きを発信していかれると思うんですけれども、一方で、一般の人に対しては?

基本的には開いている施設なので、ぷらっと入ってきていただいて、お手洗い使って帰って行かれる方もいます。
演劇関係の本や雑誌もけっこうありますから、それも自由に読んでいただければと思っていますし、コミュニティルームという部屋は、市民の方が会合やちょっとしたレッスンにお使いいただけるように、スタジオとは別に時間ごとに貸し出しもしてるので、ちょっぴり辛いですけど坂を上って入ってきてもらえたら楽しいかなと。

Q. みんなの大きな応接間が、ここにあるっていう感じですね。

できればカフェ機能だったり、夜はちょっとお酒が飲めたりみたいなことを少しずつやっていけると面白いかなあとは思っています。
企画と連動してでも構わないので、なんとなくアーティストも帰らないし、街の人もふらっと上がってこられる時間帯っていうのを作れたら楽しいですね。

創造的な活動が、ヨコハマの暮らしやまちの中でゆっくりと醸成しながら、この場所ならではの形で育まれていくといいですね。今後の急な坂スタジオの活動に改めて期待しています。今日はどうもありがとうございました。

プロフィール
加藤弓奈さん加藤弓奈(かとう ゆみな)
1980年生まれ。早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業。
2003年4月、大学卒業と同時にSTスポットに就職。2005年、館長に就任。
2006年、急な坂スタジオ立ち上げに参加。
2010年4月、急な坂スタジオ ディレクターに就任。

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年6月25日発行号に掲載したものです。