ドキュメンタリーでもフィクションでもない新しい映像表現を――玄宇民さんインタビュー

Posted : 2018.12.28
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横浜にある東京藝術大学大学院出身の作家、玄宇民さん。彼は、生まれた地を離れた人々のありようと移動の記憶をテーマに映像をつくっている。現在取り組む新作は、香港の離島・ペンチャウ(坪洲)島へのリサーチを元にしたもの。ドキュメンタリーでもフィクションでもない「新しい語りの手法」を探る玄さんにインタビューした。

新作の舞台は香港のペンチャウ島、違う時間の流れる離島

2018年度の創造都市横浜における若手芸術家育成助成「クリエイティブ・チルドレン・フェローシップ」フェローシップ・アーティストの一人、玄宇民さん。在日韓国人三世としてのバックグラウンドをもち、これまでは移民をモチーフに、移動と記憶をめぐる映像作品を撮影してきたアーティストだ。東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻では修士・博士課程を修了する8年間に渡り、みなとみらいや元町中華街の校舎を拠点にするなど、横浜との縁が続いている。この助成プログラムをきっかけに、玄さんは以前から興味をもっていた香港のペンチャウ島のリサーチを深めることにした。2018年4月から段階的に進めている現地での撮影・リサーチをもとに、複数年かけてじっくりと新作シリーズの制作に取り組んでいる。2019年2月の公開を目指すバージョン1が、現在は撮影と編集プロセスの最中だ。

まずは、来年の公開に向けたステップとして、新作のリサーチ映像と自身の全作品を一挙上映する上映会を企画する。現時点まで撮りためた映像を編集した新作のリサーチ映像+短編プログラム4作品を上映する「Aプログラム」と、韓国3部作と題した長編作品を含む「Bプログラム」による構成だ。年末12月30日の渋谷ユーロライブでの上映会を目前に控える玄さんに、お話を聞いた。

――去る12月15日には、横浜・関内の「The CAVE」で自主企画のトークイベント「ナラティブの空間:イマジナリーラインをめぐって」を開かれましたね。来年2月の新作発表に向け、段階的に作品を開こうとする意識を感じます。

この助成は作品をつくることだけが前提ではなく、作家の年間を通じた活動に対する助成です。それは自分にとって大きいことで、この機会にいろいろ試行錯誤させてもらっていますね。トークイベントでは作品づくりの過程をシェアしたいと考えていました。制作過程を共有することで、積極的に外からの影響を受けたいという目論見があったんです。沖縄やアメリカなど「複数の場所」をモチーフに作品を制作しているミヤギフトシさんには、かねてから話を聞いてみたかったのでゲストにお呼びしました。

今取り組んでいる新作は、一旦は来年2月の上映を目指してはいますが、そこで終わりではなく、その都度フィードバックをもらいながら作品を転がしていきたいと考えています。撮影期間中にカメラをまわしていることだけが制作プロセスではなくて、トークイベントなどもその一部と言えるかもしれません。

――新作の制作プロセスについてお聞きしたいと思います。香港のペンチャウ島とはどのような出会いがあって、興味をもち始めたのでしょうか?

芸術公社が主催する「r:ead(レジデンス・東アジア・ダイアローグ)」のプログラムに2017年に参加して、香港にレジデンスをしました。そのときに香港の人から「面白い島がある」と教えてもらい、行ってみたのがきっかけです。ペンチャウ島には、何もしていないおじさんおばさんがたくさんいると聞いたんです(笑)。実際に港には、椅子に座って何をするでもなく海の方をぼーっと見ている人がたくさん居て。そこに居ながら、ここではないどこかに思いを馳せているように見えました。そのイメージは今回の新作に大きくリンクしています。

新作のリサーチ映像より

 

初めて訪れた香港の都市空間はすさまじく、どこへ行っても垂直的な摩天楼がそびえていました。一方でペンチャウ島は、香港の都市部から船に乗り30分程度で行けるほど近くにあるのに、都市部とは違う現実があり、空気感もまったく異なる島です。その島に移り住んだ人は、80〜90年代ぐらいの香港の感じが残っていると言っていました。またかつては石灰やマッチ産業で栄えた島でもある。体感としては、この島がすごく面白いという立脚点からリサーチがスタートしています。

香港は、巨大なシステムで動いている中国と接していて、いろんな衝突が起きている国です。最近では学生による香港反政府デモ「雨傘運動」もありました。経済的な発展の最前線であるとともに、政治的な主義や思想が衝突する最前線でもある。作品のなかのイメージのひとつには、このような「目には見えないもの」が行き交う場としての香港の面白さもありました。

 

目には見えない境界線、異なるショットをつなぐ映画の文法「イマジナリーライン」

――トークのタイトルにもなっていた「イマジナリーライン」は、まさに物理的には存在しない、目には見えない境界線の意味でした。そして映画の文法用語としても、異なるショットをつなぎ合わせる際のルールが「イマジナリーライン」と呼ばれるそうですね。

「目には見えないもの」のイメージとともに、本作ではもうひとつ「死」のイメージを扱っています。これまでの自分の作品にも「お墓」や死のモチーフは登場しています。香港では旧盆の時期になると、地獄の門が開き死者が帰ってきて供養する、儀式やお祭りがあります。ペンチャウ島にはそういう祭りの文化が残っていました。そこにたまたま居合わせて撮影をすることができたんです。またその祭りと同時期に、今年亡くなった祖母の遺骨を、生まれ故郷である韓国のチェジュ(済州)島に運ぶ出来事がありました。このときの移動も、素材として撮影しています。

民族的なお祭りと、遺骨を運ぶだけの映像。それだけを見せても、エキゾチックでトライバルなものとしか映らないかもしれません。ですが向こう側とこちら側を、イマジナリーラインでどのように接続することができるか考えています。韓国のチェジュ島と、香港のペンチャウ島、ふたつの異なる場所をつなぐのは、アクロバティックな発想に聞こえるかもしれません。ただ映像で見たときに、その二つを行ったり来たりすることは可能です。映像というメディアは、このような表現に向いています。

もうひとつ考えなければいけないのは、映像のなかで捉えたものを現代に生きる我々と、いかに接続するかという点です。例えばお墓そのものも、時間を超えて死者と対面するアクロバティックな装置だと思うんです。この日本からほかの場所に思いをはせることを、映像を通して体験させること。島というモチーフは、そういうときに効果を発揮するのではないかと考えています。

新作のリサーチ映像より

 

――島に行くためには、それこそ海や物理的な国境など、さまざまな境界を越えて行きますよね。だから身体的に移動のイメージを感じるのかもしれません。

自分自身はこれまで「移動」そのものを撮ってきた傾向がありました。ロードムービー的に撮影した作品もあった。でも島で撮ると移動の過程を撮らなくても、移動した感じが出ると思うんです。移動について語るときに、移動そのものを撮るよりも、むしろ違うところに飛んでしまうことでその間にある「移動」を見せたいと考えています。

――助成をきっかけにプロジェクトをどのように発展させていくか、現時点でお考えがあれば教えてください。

当初の予定では、一年目のリサーチではカメラをまわしてドキュメンタリー的なものをつくる、翌年以降はそこからフィクションに昇華させるとプレゼンしていました。それは何となく今でもぼんやりと考えています。ただフィクションと言っても俳優が演技することでは必ずしもなく、距離感のある映像、イメージの断片や複数の語りから構成される「物語」をイメージしています。現代美術的なアプローチに近い映像になるかもしれないですが、どうやったらそういうものがつくれるのか、今は考えています。

2月の上映に向けてもうあまり時間がないのですが、1月にもペンチャウ島へ行きカメラをまわします。今度は長くこの島に住んでいるローカルの人に、インタビューをする予定です。

 

三世としての語り方――「アイデンティティ」ではなく「移動」を捉える

――先ほどおばあさまが他界され、韓国のチェジュ島に遺骨を運ぶお話がありました。おばあさまとチェジュ島は、それぞれ玄さんにとってこれまでの作品に繰り返し登場する重要なモチーフですね。これまでの作品についてもお聞きしたいと思います。アーティストとして発表した最初の作品は、海女さんだったおばあさまが先祖のお墓参りに行く様子を追ったドキュメンタリー作品『to-la-ga(トラガ)』(2010年)でした。アーティストとして最初につくったのがこの作品だったことには、どのような思いがありましたか。

もともと映画が好きで映画監督になりたかったので、東京藝術大学大学院映像研究科映画専攻の入試を考えていました。でも長編1本と短編1本を出さないといけなかったので、作品を撮影したことがなかった自分にとってはハードルが高すぎた。たまたま学部の先輩に、同大学院のメディア映像専攻に通う方がいて、卒展を観に行きました。そうしたことをきっかけに、メディア映像専攻へ入学しました。

メディア映像専攻の在学時に映像作品を撮ることになるのですが、僕自身美大の出身ではなかったので、これといった突出したスキルもなかったんです。自分が勝負するために何が必要かを考えたとき、海外で撮ること、そしてこれまで向き合ってこなかった「ルーツ」について、これを機に向き合おうと思いました。それで韓国のチェジュ島で育ち、在日韓国人の一世として日本にやってきた祖母を追うことにしたんです。

『to-la-ga(トラガ)』(2010年)トレイラー

 

――カメラを向けるからこそ聞けることもあったのではないかと思いますが、いかがでしたか。

祖母が墓参りにチェジュ島へ行く機会があったので、そこでカメラを回しました。並行して日本でも話を聞きました。チェジュ島で暮らしていた若い頃を知れたのは面白かったですが、何より船に乗って日本に来たときのイメージが強く残りました。夜の真っ暗な海のなか、どこに行くか分からない船に乗って、祖母は日本へ来たそうです。日本の長崎に着いてからも、大阪まで歩いて移動したということでした。その「移動」のイメージが強烈だったのを覚えています。それをどう表現していくかが、その後の作品に継続して引き継がれていきました。

――トークイベントのときに、一世、二世が日本で時間を過ごすなか、彼らが経験した差別や日本で生きることへの葛藤みたいなものが、自分たちの世代では薄まっている、そのなかで三世として「どう語るか」を考えてきたと話されていました。語るための表現として、最初から「移動」を捉えていたんですね。

そうなんですよ。自分のアイデンティティについてわだかまりみたいなものがあって、それを解消したいという欲望はなかったんです。むしろ表現したかったのは「移動」のイメージでした。

――2作目の『NO PLACE LIKE HOME』(2011年)は東京藝術大学美術館に収蔵され、一定の評価を得た作品ですね。本作は韓国のソウルで撮影されたドキュメンタリーで、韓国系アメリカ人、在日韓国人、養子、ハーフなど、それぞれの形で韓国につながりをもつ人たちの語りを収めたものでした。

結果的には、アイデンティティへの葛藤をもつ人たちの語りになっていますが、僕のなかでは「移動」の延長にあります。ソウルに行って出会った人たちを撮っていますし、彼らは異なる背景をもちながらソウルにやってきた人たちでもある。それぞれの韓国との距離感を捉えていますが、このときには「複数の声」にこだわりました。

カメラをもって話を聞くことは一番シンプルで、僕にとっては話を聞くための口実でもあります。一人の人を密着して追いかけるやり方もありましたが、同じ世代の複数の声で新しい像を浮かびあがらせることを意識しましたね。

――このころから「三世としての語り」を意識されていましたか?

テレビのドキュメントなどで、密着型の映像は世の中にあふれていると思うんです。そういうものとは違う、ある意味ライトに捉えたい気持ちはありましたね。

『NO PLACE LIKE HOME』(2011年)トレイラー

 

ドキュメンタリーでもフィクションでもない、新しい映像表現へ

――その後、2015年には60分を超える長編『OHAMANA』を発表されています。

やっぱり映画を撮りたいと考えて、ぶつけたのがこの作品ですね。OHAMANAは韓国の仁川の港からチェジュ島に渡る実在した夜行船の名前です。移民一世から僕らの世代へと続く歴史を、船を舞台に追うドキュメンタリーとして最初は企画しました。ただそれとは別のモチベーションとしていちど俳優と仕事がしてみたいとも思っていました。それで劇映画の撮影監督に入ってもらったり脚本を書いたりして、本作は当初完全なフィクションをやるつもりで撮りました。

ただ映画的な撮り方の経験が不足していたこともあり、船の上では脚本の半分ぐらいしか撮ることができなかったんです。そして編集する際に、作品のモチーフを考えると、僕自身のドキュメント的な要素を加えた方が良いと撮影監督からアドバイスをもらいました。その結果、船の上で出会った人にインタビューした映像も交え、フィクションとドキュメントが半々ぐらいの作品としてまとまりました。

『OHAMANA』(2015)トレイラー

 

――そうだったんですね。経緯を知らずに見ると、どこまでがリアルで、どこまでがフィクションなのか翻弄される感覚がありました。そして博士課程の集大成となる『未完の旅路への旅』(2017)を発表されています。

このときは、ドキュメンタリーとフィクションの間を実験的に表現してきた作家の系譜を研究しました。さまざまな作品を見て流れを踏まえたうえで、形式を意識してつくった作品です。1930年代の大日本帝國で飛行士を目指した韓国人女性の足取りをたどるロードムービーと、撮影クルーのドキュメントによって構成しました。

本作では意図的にノイズを生み出そうとすると、意図したはみ出し方に収まってしまうという課題に直面しました。クルーが実際に移動するなかで、何かが起きることを期待するならば、時間をかけて撮影をする必要があります。学内での審査会では、映画専攻の諏訪敦彦監督から「フィクションを避けすぎていないか」という指摘をもらいました。

これまでの作品で経験したトライアンドエラーを経て、最新作では、自分がファインダーをのぞいて、何か未知のモノに出会うフレッシュさに改めて向き合いたいと考えています。

『未完の旅路への旅』(2017)トレイラー

 

取材・文:及位友美(voids
写真:森本聡(カラーコーディネーション


【イベント情報】

玄宇民作品上映会 

日時:12/30(日)
Aプログラム 12:30〜15:00
Bプログラム 15:10〜17:20
会場:渋谷ユーロライブユーロスペースの下の階です)
料金:1000円(全プログラム鑑賞可)

上映作品:
<A 新作リサーチ映像+短編プログラム>
「香港での新作リサーチ映像」2018〜
『未完の旅路への旅』2017
『秋田国語伝習所』2016
『NO PLACE LIKE HOMELAND』2011
『to-la-ga』2010

<B 韓国3部作>
『OHAMANA』2015
『NO PLACE LIKE HOMELAND』2011
『to-la-ga』2010


【アーティストプロフィール】

玄 宇民(Woomin GEN)
1985年東京生まれ。生まれた地を離れた人々のありようと移動の記憶、マイグレーションをテーマに韓国と日本で映像作品を制作。主な作品は韓国系移民の若者をインタビューした『NO PLACE LIKE HOMELAND』(2011)、韓国の実在するフェリーを舞台にしたロードムービー『OHAMANA』(2015)、秋田県で実践されていた標準語教育を題材とした『秋田国語伝習所』(2016)など。最新作は戦前の日本に暮らした韓国人女性飛行士の足取りを俳優と共にたどる『未完の旅路への旅』(2017)。2016年以降ソウル独立映画祭(韓国)、Taiwan International Video Art Exhibition(台湾)、ディアスポラ映画祭(韓国)で作品上映。東京大学文学部美学芸術学専修卒業。東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修士過程、同博士後期課程修了。博士(映像メディア学)。