VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.24

Posted : 2013.11.12
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横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。

第24回:美術館の壁が白い訳、 ホワイト・キューブについて

この連載の第12回で、展覧会等で作品に添えられるキャプション(作者や制作年、あるいは材質・形状等)について書いた事がある。そして、キャプションが、実は19世紀になってようやく登場し、今やそれは作品鑑賞には不可欠な存在となった理由を、「作品を鑑賞することは、その作品の揺るぎない芸術的価値の確証を保証するテキスト“鑑賞”から始めなければならない。」と述べた。作品が、いつ誰によって制作されたか、を明らかにすることで、その真正性が担保されるのである。

今回は、作品とキャプションの関係と、なぜ美術館の壁が白いのか、あるいは白い壁に囲まれた展示空間=ホワイト・キューブがどうして誕生したのか、について考えてみたい。

さて、展覧会会場の添えられているキャプションを読みつつ作品を鑑賞するのか、あるいは、展覧会鑑賞において作品のキャプションはおろか、展覧会全体を説明する挨拶文も、各章の説明のテキストも必要を感じない。何よりもまず作品自身に触れ、仔細に鑑賞するか。つまり、美術作品(あるいは広範に芸術作品一般)は、感性において鑑賞すべきであるとするのか、そうでないのか。 無論今では、作品に補完的に用意されるテキスト無しには、もはや展覧会は成立しない以上、こうした言わばテキスト不要論は、実際には多数派とは言い難い。とは言え、この少数派の態度を考えるとき、それが一つの流れの上に立っている事を忘れてはならないだろう。ここで言う流れとは、近代美学が、あくまでも感性を一義的に要請したことに由来する。近代美学の始祖であるバウムガルテンは、「感性的認識論 scientia cognitionis sensitivae」として美学を定義付け、美の「言葉にならない」本質を、直感によって認識すべきとし、さらに近代美学を確立したカントによって、その中核を、実利的な意識、あるいは概念によるものではない直感性を据えることをさらに強化した。こうした近代美学の「教え」を忠実に守った態度が、テキスト不要派論に引き継がれているとも言えるのだ。

一方、18、19世紀を境に、絵画の主題におけるヒエラルキー(神話、歴史、宗教)が解体され、画家たちは、史実よりもむしろ感情の表現に力点を置きはじめ、あるいは近代都市の誕生とともに、急速に変化する現実世界を描くようになった。ここでは、絵画は、その内容をテキストとして共同体が共有していた記憶から離れ、言わば個人の経験に即したイメージを提示しはじめた。それは、カナダの美術史家アウグスト・K.ウィードマンの、18世紀のロマン主義についての、次のような言葉に端的に示されている。「その関心の中心が内面にあること、すなわちその関心が場面や出来事や行為への関心であるよりは、感情、思想、意思への関心である」(※1)

これら同時代の美術の動向と平行して、近代美学はどういった言説を展開しただろう。先述したように、カントは、美術作品というのは、それ自体で自律すべきものであって、それを補完するテキストが必要な作品は、作品としての自律性に欠ける事を繰り返し述べている。つまり、説明=テキストが必要な絵画は、絵画として不十分であるとしている。こうした作品の自律性にまつわる言説は、美術だけの世界で言われているわけではない。そもそも、人間もまた自律せよ、と、要請されているのだ。奇妙に聞こえるかもしれないが、とりわけヨーロッパでは、18世紀から19世紀にかけて、つまり、封建社会から市民社会へ移行しようとしていた時代は、神、あるいは王権との関係において決定付けられていた人々のアイデンティティ(職業も含め)が解き放たれ、人は自己言及を通して自律することが要請されていくことになる。

さて、これもまた、前回の連載で述べた事だが、かつて美術作品は、「今そこに在る」というアウラ=オーラも含めて、その作品の真正性を担保していのだが、もと在った場所から美術館へと収蔵された作品は、その生を剥ぎ取られた状態で収蔵もされ、展示されることになった。

美術作品がもと在った場所から美術館に収蔵されるために運び込まれる一方、19世紀以後、近現代の美術家たちは、その作品が、美術館に展示されることを想定しながら制作にはげむことになる。つまり、近代以前の作品は無理矢理その出自から切り離されて美術館に収められ、近代以降の美術作品は最初から暮らすべき家は美術館ということになった。

こういった作品がもと在った場所や歴史的背景についての記憶が薄れつつある現在、美術作品は、一層モノとしての作品として鑑賞が集中出来るような環境に置かれることが原則となった。一定の静寂、一定の室温、そして目線も一定に保たれた見易い環境に、作品は布置されるようになった。作品は、真っ白い中性的な空間(壁も含め)に置かれることで、その出自よりも、今そこにある状態を鑑賞することを鑑賞者に要請するようになる。

ところで、美術館の展示室が、白い壁に囲まれたホワイト・キューブと呼ばれる空間として一般化する契機となったのは、1929年に開館したニューヨーク近代美術館での展示と言われている。

View of MoMA’s first exhibition, Cézanne, Gauguin, Seurat, Van Gogh, November 7, 1929–December 7, 1929. The Museum of Modern Art Archives, New York. Photo: Peter Juley

View of MoMA’s first exhibition, Cézanne, Gauguin, Seurat, Van Gogh, November 7, 1929–December 7, 1929. The Museum of Modern Art Archives, New York. Photo: Peter Juley

 

ニューヨーク近代美術館が、近代=modernと名乗り、その名に恥じぬような展覧会が、開館記念の「Cézanne, Gauguin, Seurat, Van Gogh」展(1929)であった。印象派を前衛と位置づけ、印象派以後の作家たちを紹介することで、これらの作品の近代絵画としての歴史化を果たそうとしたのだ。その舞台を、今日まで引き継がれるホワイト・キューブによって迎え入れたのは象徴的ですらある。

また、1920,30年代に、こうした中性的な空間=ホワイト・キューブが登場し、一つの作品に集中して鑑賞出来るような枠組みが出来上がった背景には、とりわけ合理性、機能性に支えられた建築におけるモダニズム様式、あるいはそこから敷衍(ふえん)して生まれる「国際様式」の思想が色濃く反映していると言えるだろう。1932年には、そのニューヨーク近代美術館で近代建築の推進派であるフィリップ・ジョンソンとヘンリー・ヒッチコックの企画によりCIAM(Congrès International d’Architecture Moderne、近代建築国際会議、1928~1959年)の建築家らの作品を紹介した「近代建築展」が開催され、インターナショナル・スタイル(国際様式)建築という呼び方も一般的になった。国を超えて、すなわち文化的、歴史的背景の違いを超えて、普遍的な様式—装飾性を排した、合理的、機能的なーの考え方は、美術作品一つ一つの出自の違いを超えた、作品自身の有り様そのものにもっぱら目を向けさせようとするホワイト・キューブの考え方と通底していると思われる。

「TWS-Emerging / 209 菅 亮平 "White Cube"」 http://www.tokyo-ws.org/archive/2013/07/tws-emerging-208209210211.shtmlより

「TWS-Emerging / 209 菅 亮平 “White Cube”」
http://www.tokyo-ws.org/archive/2013/07/tws-emerging-208209210211.shtmlより

 

その後、建築においては1950年代(CIAMの活動が終止符を打った1959年)に、あるいは1970年代から80年代にかけて広く近代(モダニズム)の思想もまた行き詰まりを見せ、揺り戻しのようにして唱えられたポスト・モダニズムは、少なくとも合理性、機能性一点張りの思想に修正を求めた。そして、この頃、ホワイト・キューブへの批判(※2)もまた、美術館という制度批判と相まって盛んに行われるようになる。

このようにホワイト・キューブとは、単なる美術館の展示空間を指しているのではなく、美術館という一つの制度(美術が歴史化される装置)内制度ともいうべきものである。このことが、美術の動向にどのような影響を与えたのかは、次回に触れようと思う。

(※1) アウグスト・K・ウィードマン『ロマン主義と表現主義―現代芸術の原点を求めて 比較美学の試み 』(叢書・ウニベルシタス) 、1994引用、参照。

(※2) “Inside the White Cube The ideology of the Gallery Space”, Brian O’Dherty, The Lapis Press, 1976, 1986

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員