創造界隈アートスペース Vol.1

Posted : 2009.08.25
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横浜創造界隈には、元は倉庫や歴史的建造物だった建物を転用した、「拠点」と呼ばれる アートスペースがあります。この中から6カ所 の「拠点」を、アートプロデューサーとしても精力的に活動する住吉智恵さんがレポートします。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2009年8月25日発行号 に掲載したものです。

横浜の記憶-「点」で結ばれた街

space_map 「創造界隈」と呼ばれるアートスポットを4回にわたり紹介する。界隈と呼ぶにはやや離れているスポットごとの特徴とその連係について伝えるため、1回目はまず筆者の横浜個人史にふれてみたい。さかのぼること約30年。母が切り盛りしていた吉田町の超場末のスナックからほど近いイタリア料理店・オリジナルジョーズで、生まれて初めてパリパリの薄焼きのピザを食べたことが横浜に関する最古の記 憶だ。馬車道のフランス料理・シュミネー、鰻の梅林、中華の生香園など連れられた店はいろいろあるが、どこで食べていても夕暮れどきには街中に爆音で大洋ホエールズの応援歌が流れだし、どんなに気取っても 気取りきれない庶民的な雰囲気があった。

その頃の印象。それは横浜 は”大いなる下町”だということ。
やがて慶應義塾大学の日吉校舎に通うようになり、授業やスキー部の陸トレが終わると数台の車に乗り込んで横浜に向かう。それが2番目の記憶。ユーミンの曲に歌われたしゃらくさいカフェバーに入るでもなく、ただ埠頭まで乗りつけて(反則です)ビールを飲む(これも反則)だけなのだがこれが楽しい。東京からそう離れていないのに、人も灯りもまばらな荒涼とした場所で遊ぶことが、(スキーの)オフシーズンの単調な大学生活にとって唯一、プチ・スリリングな体験だったのだ。

この頃の横浜は「点」で結ばれた街だった。大黒ふ頭、シルクセンターのあたり、横浜スタジアム、中華街、どこも車に積まれて瞬間移動するため、いつまでたっても土地勘が働かない。それを実感したのが20代で 海外の都市を知ってからだ。ヨーロッパには、道幅が広くて目的地まで歩くとかなりあるが、歩いてみないとその土地を実感できないような街 がいくらでもある。横浜もそんな街で、世田谷のこじんまりした商店街で育った筆者にはこれだけで異国情緒満点であった。

 

アートの街、横浜

そしてようやくアートの街、横浜である。
2001年、第1回横浜トリエンナーレが華々しく開催され、取材のため準備中から会場へ日参した。小沢剛が開催前から大勢のボランティアを巻き込んでつくってきた「トンチキハウス」がベースキャンプだ。歩きすぎて重くなった全身を巨大な座布団にあずければ海の家気分。ここで伝 説となったイベントを多数目撃する。ゴージャラスのライブ前のエキジビションマッチ、チェ・ジョンファと宇治野宗輝のバリカン対決。大道具のトランポリンに飛び乗り、バク転を決める八谷和彦。

もちろん来日アーティストとの貴重な取材も実現した。マウリツィオ・カテランやリクリット・ティラバニ、オラファー・エリアソン、故ジェイソン・ローズ……今ではなかなか日本を訪れることのない作家も多いが、この頃はみんなまだ中堅で、港町のちょうどいいスケール感をくつろいでエンジョイしていた。東京在住の日本勢も一緒にくつろぎすぎて、ときには赤レンガ倉庫から桜木町駅まで直線ダッシュで終電に滑り込んだ。この達成感によって横浜の心理的距離はかなり近いものになった…。

BankART Studio NYK(建物外観)。旧日本郵船倉庫を活用。

BankART Studio NYK(建物外観)。旧日本郵船倉庫を活用。

2003年、みなとみらい線の開通で「点」の街は「線」で把握できるようになる。2005年の第2回横浜トリエンナーレではだいぶ楽に動けたことを覚えている。のちに「黄金町バザール」(2008)で装いを新たにする旧・赤線地帯、黄金町の古い名画座を改装したシネマ・ジャック&ベティを初めて訪れたのもこの頃だろうか。インディーズ映画の埋もれかけた佳作を根気よく上映し、2009年には「横浜黄金町映画祭」もスタート。友人・坪川拓史監督の「美式天然」が第1回のグランプリを受賞したことも記憶に新しい。2008年の第3回横浜トリエンナーレでは公式イベントの1つ、リングドームでのトークシリーズを担当したので何度も万国橋を渡った。
浜風に「吹きっさらしの徹子の部屋」終演後は、震えながら聴いてくれた観客の方々も一緒に馬車道の台湾料理屋で身体を温めたり。この店はなぜかいつ行っても団体で入れるので、BankART Studio NYKでKATHY+grafやARICAなどのパフォーマンスを観たあと、必ずといっていいほど打上げに使われる。紹興酒の熱燗を瞬時にもってきてくれる愛すべき店だ。またZAIMで同時開催されていた若手作家主導の「ECHO」展は今後注目すべき作家が何人も参加しており、1階のZAIM CAFEでよくビール飲んで語りあったが、本会場以上に時代の体温を間近で体験できる展示だったと思う。ここのスタジオに入居中のアーティストだけでなく、
作家主宰のイベントが比較的低コストでやりやすいことは横浜ならではの利点だろう。さらにこれもインディペンデントの企画で、桜木町旧駅舎の創造空間9001でやはり同時期に「三田村光土里」展をやっていた。しっとりとした映像と彼女自身が口ずさむ「倫敦橋」の歌にあつらえたようにぴったりのスペースだったので驚いた。とくに待合室だった小部屋は、アキ・カウリスマキの映画に出てくるような、遠い町のひと気のない停車場を思わせ、彼女の作品がもつクールな情緒に余韻を残す句読点のような意味を帯びていた。この9月には展示空間をめくるめく「宇宙と和式美」を表現する集団「MIRRORBOWLER」が占拠し、数百個のミラーボールが回るらしい。(9月3日?29日。「横浜創造界隈 ARTWEEKS」の一企画。)
ZAIM(建物外観)。旧関東財務局の建物を活用。

ZAIM(建物外観)。旧関東財務局の建物を活用。

創造空間9001(建物入口)。旧東横線桜木町駅舎を活用。

創造空間9001(建物入口)。旧東横線桜木町駅舎を活用。

 

いま、横浜で気になるアートスポット

最近この記事の取材で初めて訪れたところが3つある。

YCC(ヨコハマ・クリエイティブシティ・センター) 旧第一銀行横浜支店を活用

YCC(ヨコハマ・クリエイティブシティ・センター)
旧第一銀行横浜支店を活用

1つは打合せに訪れた白亜の建築、YCC(ヨコハマ・クリエイティブシティ・センター)。以前「BankART1929」だった建物をこの5月から「YCC」としてオープンしたもので、 創造界隈の拠点をつなぐ基地でもある。そして「象の鼻テラス」。第1回横浜トリエンナーレで全長40メートルの巨大バッタを高層ホテルにとまらせたアーティスト・椿昇が、この港の突端に「ペリー(時をかける象)」という彫刻を常設設置したばかりだ。常に時代感覚を先取りする、お騒がせアジテーションで知られる椿さんだが、今回は木目調も素朴な、昭和の客間の置物っぽい作品となった。ラディカルなコンセプトをよそに、観光客のおばちゃんたちが古代象の牙に感心しながらソフトクリームをなめている脱力感もまた大いなる下町・横浜である。

 

急な坂スタジオ。元結婚式場だった「旧老松会館」を活用

急な坂スタジオ。元結婚式場だった「旧老松会館」を活用

さらに興味津々だったのが、今をときめくチェルフィッチュの岡田利規がレジデンスしているという野毛の「急な坂スタジオ」。結婚式場だった施設が、そのまま舞台芸術の稽古場にもってこいのスタジオとなっている。神前式の神殿がそのまま残っていたり、控室の日本間が楽屋に なっていたり、身体表現の現場の人たちならではの直球な目のつけどころが素敵だ。気になるのは昨年に引き続き、野毛山動物園で行なわれるという演劇「ずうずうしい(Zoo Zoo Scene)」(9月25日~27日。「横浜創造界隈ARTWEEKS」の一企画。)。 1950年代に書かれた戯曲を「誤意訳・演出」するのは当館の顔、レジデンスアーティストの1人である中野成樹さん 。普段動物を見る側の人間が見られる側に転じるというこの企画は、古代ローマ時代から連綿と続く「人と動物の見世物」のあやうさをさまざまなかたちで妄想させてくれるのではないかと期待を寄せている。だいぶクリーンになった日ノ出町の駅前のポップなストリップ小屋もきっと気分を盛り上げてくれるはずだ。ナイト野毛山もあるというので乞うご期待。次号からは「創造界隈」のアートスポットの 魅力にさらに寄っていく。

※9月1日~29日、「横浜創造界隈ARTWEEKS」として、「創造界隈」のあちこちで、さまざまなイベントが開催される。詳しくは公式サイトをご参照ください。

 

著者プロフィール

住吉 智恵 [すみよし ちえ](アートエディター・ライター)

東京生まれ。「ART iT」「BRUTUS」などに執筆する傍ら、アートバーTRAUMARISオーナーを5年務め、現在再開準備中。美術と同じくらい、映画、音楽、舞台、文学を愛する高等でない遊民。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2009年8月25日発行号に掲載したものです