大衆芸能の歴史をつなぐ街、横浜

Posted : 2014.03.11
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ズラリひしめく寄席や芝居小屋、芸を競うたくさんの役者や芸人たち、連日にぎわう飲食店。ここ横浜は、かつて東京の浅草、大阪の千日前と並ぶ繁華街として全国に名を知らしめた街だ。明治から昭和にかけて、そのメインストリートとなったのが伊勢佐木町通りであり、ここから横浜の大衆芸能の歴史がはじまった。
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喜楽座前 明治後期-大正初期/横浜開港資料館所蔵

 

「伊勢ブラ」を生んだ、ハマ随一の繁華街

開港で外国人があふれる不思議な街、文明が開化したハイカラな街、工場地帯や貿易港として栄えた街、戦後の闇市でごったがえす街、レトロな建物や海があるデートスポット…。開港以来150年あまりの間、横浜はいろいろな顔をみせてきた。その中でも忘れてはならないものがある。“大衆芸能の街・横浜”だ。

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横浜伊勢佐木町通り 大正中期(長者町から賑町方面をのぞむ)/横浜開港資料館所蔵

横浜が生んだ大衆文学の巨匠・長谷川伸の没後50周年を記念して、昨年横浜にぎわい座で開催された企画展「長谷川伸とふるさと横浜」で、当時のまちの様子が紹介された。明治期の伊勢佐木町通りを描いた絵や写真には、寄席や劇場が軒をつらね、人であふれている。東京からの芝居見物も当たり前。伊勢佐木町界隈は大繁華街だったのだ。貧乏だった少年長谷川伸はなかなか芝居小屋に入れず、表の絵看板を眺めながら伊勢佐木町のまちを歩いたという。新興の港町横浜を題材にした、任侠ものの「ハマっ子芝居」もここで生まれた。

 

 

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横浜にぎわい座の桂歌丸館長(写真は2012年3月、『ヨコハマ・アートナビ』のインタビュー時に撮影)

大衆芸能の街・横浜にゆかりある
生粋のハマっこ、桂歌丸師匠

歌丸師匠が今も住む真金町は元遊廓街。昭和11年、お女郎屋の御曹司として歌丸師匠は生をうける。吉原と浅草の立地関係からもわかるように、遊廓街と繁華街・劇場街は切っても切れない間柄。真金町の永真遊廓にほぼ隣接する伊勢佐木町も明治時代に大繁華街となる。幼い歌丸師匠も戦前、伊勢佐木町で漫才や芝居を観たようだ。

 

変わりゆく街並み
交錯するさまざまな想い

明治期の大火事、関東大震災や戦災などのたびに壊滅的な被害を受けた伊勢佐木町は、そのたびに力強く再建されたが、大正期頃からは映画の街としての色合いがだんだん濃くなっていった。明治期には伊勢佐木町界隈だけで10軒以上あった寄席も、戦後はずいぶん数が減ってしまう。そこで1984年、歌丸師匠は意を決して当時の細郷市長にお願いに行ったそうだ。「横浜に寄席をつくって欲しい」。

一方、みなとみらい地区の開発と並行し、線路を隔てて内陸側に広がる野毛地区の振興策を横浜市が進めるなか、その一環として文化施設を建設する話が持ち上がった。

地域のにぎわいづくりをめざす住民の想いと、「横浜に寄席を」という歌丸師匠の想いがつながり、2002年4月「横浜にぎわい座」が誕生する。野毛も伊勢佐木町とならび大衆芸能の伝統が息づく街。大衆芸能の歴史がつながったのだ。

 

東京では出会えないものが
横浜にぎわい座にはある

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1F エントランス

「開放的な横浜らしく、誰でも出られる寄席にしたい!」…これは横浜にぎわい座の特徴的なコンセプト。それを実現する公演のひとつが「有名会」。落語のほかにも、色物とよばれる手品や漫才なども上演する寄席形式の公演だ。ポイントは落語協会と落語芸術協会の合同公演だということ。協会の垣根を越えて芸人が高座にあがるのを観ることができる、東京の他劇場にはないスタイルの公演だ。さらに「横浜にぎわい座上方落語会」も開かれており、上方の噺家が定期的に出演するのもまた珍しい。落語立川流や円楽一門の噺家も主催興行に顔を並べている。ちなみに、寄席がはねた噺家たちは、野毛の行きつけの店に集まるとか。

「のげシャーレ」にもご注目を。移動式客席のある正方形の空間を自由に使える小ホール(B2F)だ。シャーレとは、理科の実験でおなじみのアレ。つまり、この空間を実験的に使ってもらおうというもので、その想いのままに、ダンスや演劇、ときにはプロレス(!)やリング上での演歌のPR活動(!!)など、予想外の使い方もされるというからおもしろい。

横浜にぎわい座 芸能ホール(空高座/正面 めくり)

芸能ホール(寄席囲い使用)

主催興行として開催される登龍門シリーズには、実力ある二ツ目から若手真打など若い芸人がしのぎを削る。「将来の名人上手を横浜から育てたい」という歌丸師匠の想い。そのための「場」をつくることも横浜にぎわい座の大事な役割だ。

 

 

 

 

そして、横浜で生まれ育ち、横浜を愛する桂歌丸館長の存在。

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横浜にぎわい座の桂歌丸館長(写真は2012年3月、『ヨコハマ・アートナビ』のインタビュー時に撮影)

日本を代表する噺家のひとりとして、また誰もが知っている人気テレビ番組「笑点」の司会者として人を惹きつけてやまない。しかして、その素顔は細やかな気遣いの人。お客さんやスタッフを気遣いながらも、それを感じさせない洒落や機転のきいた粋な言葉で周囲の雰囲気を和ませる。もちろん芸に対してはとても厳しい。よく口にする言葉は「おもしろいかどうかはお客様が決める」。自身に対する戒めとも取れるこの言葉は、そのまま劇場のあり方にも通じる。「お客様本位の劇場」「誰でも出られる寄席」「にぎわい座から未来の名人上手を出したい」…。横浜にぎわい座のスタッフは、歌丸館長の言葉の重みをひとつひとつ噛み締めながら業務にあたっているそうだ。

大衆芸能の潮流に身をゆだねながら歴史をつなげ、また新たな潮流の一端を担いながら新しい時代を切り拓く。それが横浜にぎわい座なのだ。

 

横浜にぎわい座がかかげる、この言葉。
「いつも、ここに、にぎわいが。」
そんな劇場であり続けてほしいと強く思う。

 

 


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横浜にぎわい座
住所: 横浜市中区野毛町3丁目110番1号
TEL: 045-231-2525
最寄駅: JR線・市営地下鉄線「桜木町」駅より徒歩3分、または京浜急行線「日ノ出町」駅より徒歩7分
http://nigiwaiza.yafjp.org/