座談会: ”リレー”される芸術不動産(中編)

Posted : 2022.04.29
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ヨコハマ芸術不動産機構の立ち上げを記念して実施している本企画。前編に引き続き、芸術不動産の創設期から関わってきた建築家の佐々木龍郎さん、ACYの杉崎栄介さん、そして今後の事業運営を担う株式会社plan-Aの相澤毅さんにご登場いただき、芸術不動産の過去、現在、未来をテーマに語り合っていただいた座談会の中編をお届けします。モデレーターを務めるのは株式会社オンデザインパートナーズの西田司さん。

白熱座談会のメンバー:右から西田司氏(㈱オンデザインパートナーズ)、相澤毅氏(㈱plan-A)、佐々木龍郎氏(建築家)、杉崎栄介氏(アーツコミッション・ヨコハマ)

 
 

前編はこちらから
【座談会: ”リレー”される芸術不動産(前編)】


西田:それでは前編から引き継いで、2010年以降から現在までの芸術不動産について、杉崎さん、説明をお願いします。

杉崎:芸術不動産リノベーション助成(以下、リノベーション助成)の前に、芸術不動産のベースとなる創造都市施策を少しだけ話しをさせてください。

 創造都市施策自体は、2004年に旧第一銀行、旧富士銀行などの歴史的建造物を活用するプロジェクトとして始まったわけですが、その背景には、港町ならではの進取の気質や、多様性の尊重、文化交易といった特徴の再顕在化、また横浜市が進めてきた都市デザインやまちづくり、文化的なものをどのような形で未来に継承していくかといった課題がありました。

 特にまちづくりでは、みなとみらい地区の埋め立て工事が完成し、関内駅・みなとみらい駅・横浜駅が一体的な中心市街地となることによって経済的波及効果が望める中で、「新旧をつなぐ都市の軸をどう形成していくか」が重要な視点でした。

西田:その創造都市施策の1号が、旧第一銀行と旧富士銀行だった。

杉崎:はい。みなとみらい地区から元町までの海側の軸線があり、さらにそこからJR根岸線側への縦の動線が重要だったので、創造都市施策では、北仲、馬車道軸などJR線に対して垂直ないくつかの軸線をつくられました。旧第一銀行、旧富士銀行は、その軸線が交差する馬車道駅を挟んだ建物で、開港地であったがゆえに生まれた銀行通りの面影を残すふたつの歴史的建造物です。当時、横浜市がこの2拠点両方を運営する団体の公募を実施しました。それで生まれた実験的活動が「BankART」というプロジェクトで、これは現在まで続いています。そして、このエリアを意識した施策が「創造界隈」と呼ばれています。

西田:拠点をいくつかつくることによって、新たな界隈が生まれると。

杉崎:そうです。最初からふたつの拠点を同時公募して、ひとつの団体に任せたのは、そういうメッセージが込められていました。

西田:それが「BankART1929 Yokohama」(旧第一銀行横浜支店)と「BankART1929 馬車道」(旧富士銀行横浜支店)のふたつなんですね。なるほど。その後は古い建物を改修した「BankART Studio NYK」や「急な坂スタジオ」などが完成していますね。

創造界隈拠点 急な坂スタジオ(※)

創造界隈拠点 BankART NYK(※)

 

杉崎:そうです。それらは「創造界隈拠点」と呼ばれています。政策的には正確な表現ではないのですが、芸術不動産を1つの運動として捉えて、その文脈でみれば、これらは公設民営型の”芸術不動産”と解釈することもできるでしょう。歴史的建造物を行政が所有したり、譲り受けたり、借りたりして、街の大事な財産として持ってはいるけれども、それをどう活用していくのか、芸術文化利用は行政側の1つの解決策であったとも言えます。一方で、佐々木さんが先程お話された「万国橋SOKO」などがあります。これは民設民営型の拠点です。
2008年当時の資料に「芸術不動産とは、物件所有者がアーティスト支援の趣旨を持っていることが大事」と定義みたいなものが記してあります。つまり、芸術不動産はあくまでも芸術文化活動の文脈で発展してきたと言えます。

西田:歴史的建造物などの物件所有者は横浜市だけ?

杉崎:横浜市も民間もどちらもあります。

西田:芸術不動産のベースは、物件所有者がアート支援として不動産活用するということですね。

杉崎:はい。我々はよくアーティスト・クリエイターのことを「創造の担い手」と呼んでいます。アーツコミッション・ヨコハマ(以下、ACY)という事業を立ち上げたのも、「創造の担い手となる彼らの環境づくりをしていきましょう」っていう趣旨からでした。その一環として芸術不動産事業も生まれました。

佐々木:泰有社の代表の伊藤さんが杉崎さんを訪ねたのが2009年。そこから杉崎さんが、いろいろなコミュニティに伊藤さんをつなげていったんだよね。

杉崎:リノベーション助成以前には、「事務所開設支援助成」というテナント向けの助成制度があったんですけど、それだけだと不動産の需要側なので、需要と供給のバランスが崩れていってしまう。そこでリノベーション助成っていう制度をつくって供給側も確保していこうとしました。

 ある日、伊藤さんがACYに物件活用のご相談にいらっしゃいました。こちらで地元のNPOさんが場所を探しているという情報を持っていたので、ご紹介したんです。当時はリノベーション助成の立ち上げ前でしたけど。

 シゴカイ(前編*4参照)の建て替えに伴って、そこの入居者の移転先を探さなくちゃいけなくなった時は、BankARTの池田修さんが宇徳ビルのオーナーを見つけてきてくれたんですよね。その際、リノベーション助成を活用して空間を改修しましたね。

佐々木:結局、リノベーション助成以前はオーナーは信用ベースでやっていたと思うんです。例えば、北仲(前編*2参照)は森ビルと横浜市がある種の信頼関係をつくっていったからできた。この「信用の時代」と「リノベーション助成の時代」があわさって、全7物件の事業モデルが生まれたことになります。

杉崎:その後、2015年以降はもう仲介業を財団はできないから民間に任せようとなりました。

相澤:それが、今やっている僕らのチームですね。そうか、そういう流れだったんだ。

佐々木:2015年からトータル6年間、横浜市の委託で芸術不動産を実施していますが、当初から自走する組織に切り替える目標でやっていましたね。最初の3年間は、櫻井淳さん、櫻井心平さん(櫻井計画工房)と曽我部昌史さん(みかんぐみ)と片岡公一さん(山手総合計画研究所)、僕のチームでやっていたけど、2018年からは相澤さんに入ってもらったんです。

相澤:そうですね。

佐々木:相澤さんに頭になってもらって、2021年11月、正式に「ヨコハマ芸術不動産推進機構」としてリリースしたんですよね。

杉崎:ACY事業の一環として生まれた芸術不動産も、最初は決められた枠組みでテナントや入居者支援を行っていました。その後、オーナー支援となって、そして次は相澤さんの行う仲介者支援へという流れなんです。

佐々木:これまでは、チーム内に建築の専門家が多すぎて、仲介の職能が低かったからね。

杉崎:相澤さんが入られる前は、歴史的建造物活用ということで、戦後建築である防火建築帯を対象に、横浜ならではの文化的視点で実践されてきて、成果もあがっていたのですが、元々の目標はそこではないんじゃないかと思っていて。ここ数年は「仲介支援をやんなくちゃダメだ!」「なんで財団から切り離したと思っているんですか」みたいな話を会議に出るたびにしていた(苦笑)。

佐々木:横浜市の課長さんとACYの杉崎さんのふたりが言い合っていて、その横で、僕らは案件の話をしているという(笑)。


西田:
そうすると、新たな機構となって「リノベーション助成の時代」はいったん終わったということ?

佐々木:そうです。助成制度がなくなったあと、芸術不動産には大きく三つのスタイルに分かれたと思います。ひとつ目はオーナーとアーティストを直接、マッチングさせるお見合い的なスタイル。「弁三ビル」(中区弁天町)では、不動産会社の原地所株式会社とアトリエ系工務店のルーヴィスをマッチしました。ふたつ目が大学起点型の「住吉町新井ビル」(中区住吉町)で、神奈川大学の曽我部昌史先生(みかんぐみ)が中心となって、大学側とアーティストによるチームでやっていました。オーナーにとっては、大学が入ってくれるから安心で、セルフビルドだから安くできるという利点もあったから、当初は3階部分だけだったのが、その後、4階にも展開していきました。いわゆるBankARTの池田さん的役割 を曽我部さんを中心とした神奈川大学が担った ケースです。みっつ目は泰有社の伊藤さん。彼は不動産専門の人で、杉崎さんを介していろんなコミュニティとつながって、ビル自体も増やしていくし、入居者もどんどん増やしていった。

僕の中では伊藤さんが、芸術不動産における森ビルの次のステークスホルダーだと思っています。これだけ多くのアーティストやクリエイターのお世話してくれているのって本当に大きな存在だと思う。

住吉町新井ビル(※)

 

西田:ここ「泰生ビル」からワンブロック先の「トキワビル」も泰有社でやってますね。

杉崎:「トキワビル」はもうリノベーション助成を使っていないんです。「泰生ビル」も、次の「泰生ポーチ」も、助成は活用したけど、ビジネスとしては成立すると聞いています。

助成は、あくまでもオーナーがアーティスト向けに物件活用してくれるようにという呼び水であって、それがないと成立しないというわけではないんです。もちろん、収入は普通の不動産テナントより低いかもしれませんが、泰有社さんは既存にはない仕組みを見つけたんじゃないかと思います。不動産も起業の多様なあり方にあわせて変化しているので、芸術不動産もビジネスになっていく時代ですよね。

泰生ビル(※)

泰生ポーチ(※)

 

西田:泰有社は弘明寺のほうにもエリアを拡大していますからね。

佐々木:「藤棚アパートメント」を運営する建築家の永田賢一郎さん(YONG architecturestudio)もそうだけど、中心市街地や臨海都市部ではないところでいろいろ始めているじゃないですか。ようやくアーティスト・クリエーターも外へ出ていく段階になったのかなと。

藤棚デパートメント(※)

 

西田:あー、なるほど。

佐々木:横浜市は1965年に「横浜市六大事業」というプロジェクトを立ち上げて、横浜ベイブリッジを開通させたり、みなとみらい地区をつくったり、港北ニュータウン、金沢シーサイドなど、ハードな政策を次々とやってきましたよね。その結果、横浜市の人口は1965年当時の170万人から現在の370万人にぐわっと伸びたわけです。そして、その次にハードだけじゃなくて、ソフト政策を組み合わせて立ち上げたのが創造都市だったと僕は位置付けてます。つまり、創造都市施策は、六大事業の次にくるくらい大きなプロジェクトです。

 横浜市の参与だった北沢猛さん(都市計画家、アーバンデザイナー)たちが、文化芸術に注目して特に歴史的建造物が残っているところを「創造界隈」と名付けて、集中的にコンテンツを投資した。結果的にプロジェクトの集積場となり、馬車道、関内軸ができました。そうなった時に大事になったのは、アーティスト・クリエイターなどの多くの人々が集まる場所をつくることだった。でも、それをするにはモデル事業となる事例が少ない。結局、オーナーって事例を見てから「これならうちでもできるかも」ってなるんです。だから、とにかく事例を増やすことが優先だったので、そのために助成制度を使ってオーナーの背中を押してきたわけです。

杉崎:我々も北仲や他の事例を見て、人の交流から新しいことが起きていたので、点でやるより、複数のアーティストやクリエイターが集まったほうがいいのは分かっていました。ACYの事務所等開設支援助成は点でしかなかったので創造都市の界隈性の狙いを考えると不十分でした。そこで、次はオーナー支援に着目してアーティストやクリエイターが集合できる場所をつくろうとなったわけです。ただ、ここからは相澤さんのパートへとつながるのですが、不動産仲介者については着目しつつも実現できてなかったんですね。そこが我々の弱さだった。

 不動産仲介は、5万円の賃貸契約をしても100万円の賃貸契約をしても、仕事の量はさほど変わらないと思うんです。むしろ、安い物件の方が手間はかかるんじゃないかと。起業するとか、アトリエを構えるとか、アーティストやクリエーターは、先のことを考えればスタートアップの経費は少ない方が良い。なけなしのお金をどう使うかで悩むので、良い物件に出会いたい気持ちが強く出ます。なので引き受け手は少ないんです。じゃあ、自分たち財団でやれば良いかといえば、財団ではそもそも不動産業ができないから駄目なんです。

西田:なるほど。宅建がないから?

杉崎:地方公共団体は業法外なので横浜市は宅建資格はなくても不動産を扱えます。でも外郭団体の財団は地方公共団体ではないので、もし、仲介業をやったり、不動産広告業をやるなら、資格取得や業界への登録が必要になります。ただ、そこまでして財団で不動産業やるとなると、今度は財団の定款に引っかかってきちゃう。

西田:確かに。


杉崎:
芸術不動産の立ち上げ当初は協力してくれる仲介者を探したけど、なかなか協力の輪が広がらなくて、佐々木さんと一緒にクリエイティブ系に強い某不動産会社を訪ねたこともありました。「横浜でも同じような不動産サイトをつくってもらえませんか?」っていう話をしに。そしたら、「いや、横浜は東京のマーケットのひとつなので、個別にクリエイティブ系の不動産サイトをつくるほどのボリュームがない」と言われて。

佐々木:「横浜は東京に商圏が近過ぎる」ってね。

杉崎:確かにそうだけど、僕らはそういう不動産業のことをよく分からなかった。

佐々木:あらためて「仲介の役割って何なんだろう?」って思ったりしてね。

杉崎:当時はリノベーションっていうワードもメジャーでなかった時代です。それこそ「芸術不動産リノベーション助成」をつくった時に、リンベーションなどを手掛ける会社のブルースタジオの大島芳彦さんと、当時リクルートにいらした島原万丈さん(LIFULL HOME’S総研)が、横浜を訪ねてくださったことがありました。あの時、佐々木さんに「すいません、こういう人がいらっしゃるんですけど。僕だけじゃ話が分かんないんで、来てください」って頼んだんですよね(笑)

西田:どこかで助成制度のことを耳にしたんでしょうね。

杉崎:そうです。おそらく、当時、自治体レベルでは名称として「リノベーション」を冠した制度はなかったので、気になられたのでしょう。

佐々木:あの頃は確かリノベーションの協議会ができた頃だったかな。当時は、「ブルースタジオ? 何しに来るんだよ」みたいな話で(笑)。でも、打ち合わせの後、福富町の韓国料理屋へ行って、カムジャタン食べて即、意気投合。今となっては、あの時に杉崎さんから声を掛けてもらわなければ、たぶんリノベーションクラスタには入っていなかった。あれで、一気に連れ込まれた(笑)。

杉崎:「じつは、こういう助成をやっています」「素晴らしいですね。僕たちもリノベーションっていうワードを広めたいんですよ」という話をして。

佐々木:ACYが「芸術不動産リノベーション助成」っていう制度をつくってくれた時も、僕は「リノベーション」というワードが正式名称に使われるとは思ってもなかったから。

杉崎:いまだに理解してない人は多いと思いますが、当時は全然、通用しなかった。「リフォームと何が違うの?」みたいな、そういう時代でしたね(笑)。

<中編了、後編へと続く>
【座談会:“リレー”される芸術不動産(後編)】

協力:BEYOND ARCHITECTURE
文:宮下哲
撮影:大野隆介(※を除く)
 

【プロフィール】(50音順)
 

相澤 毅(Tsuyoshi Aizawa)
株式会社plan-A代表取締役、合同会社plan-A TOYAMA代表社員。Project Designer、Innovation Booster。大手生活ブランド勤務を経てから前職ではデベロッパーにて社長室に所属し不動産開発から海外事業におけるスキーム構築・広報P R・販売戦略・広告クリエイティブ・ブランディング・新規事業企画・商品開発・人材育成制度構築・産学連携など手がけてきたが、2018年5月に独立起業。今は不動産事業者や大手家電メーカーのコンサル、企業の事業開発参画、不動産開発事業、場のプロデュース、拠点運営、自治体とのまちづくりや創業支援、企業の取締役や顧問、NPO法人の理事等を手がけ、多様な働き方を実践している。

 

佐々木 龍郎(Sasaki Tatsuro)
1964年東京生まれ。株式会社佐々木設計事務所代表取締役。生業は建築の設計監理。住宅・共同住宅、医療福祉建築、公共建築、商業建築などを手掛ける。そこで得た知見を活かして、地域デザイン、調査研究、人材育成などに携わる。株式会社エネルギーまちづくり社取締役、一般社団法人横濱まちづくり倶楽部副理事長、一般社団法人東京建築士会理事、千代田区景観アドバイザー、神奈川大学・京都芸術大学・東京都市大学・東京電機大学・東洋大学・早稲田芸術学校非常勤講師。

 

西田 司(Nishida Osamu)
1976年神奈川生まれ。使い手の創造力を対話型手法で引き上げ、様々なビルディングタイプにおいてオープンでフラットな設計を実践する設計事務所オンデザイン代表。東京理科大学准教授、ソトノバパートナー、グッドデザイン賞審査員。主な仕事として、「ヨコハマアパートメント」「THE BAYSとコミュニティボールパーク化構想」「まちのような国際学生寮」など。編著書に「建築を、ひらく」「オンデザインの実験」「楽しい公共空間をつくるレシピ」「タクティカル・アーバニズム」「小商い建築、まちを動かす」。
http://www.ondesign.co.jp/


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