金沢区と横浜都心臨海部をアートでつなぐ BankART1929+黄金町エリアマネジメントセンターによる試み

Posted : 2020.07.17
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横浜郊外の団地エリアに巨大なピンクの猫のアート作品が出現して話題になったのは2月のことだった。横浜市の創造都市界隈を拠点として活動する「BankART1929」と「黄金町エリアマネジメンセンター」が協同し立ち上げたYOKOHAMA AIR ACT実行委員会が実施したプロジェクトのひとつだ。横浜市金沢区をテーマに行われたプロジェクトの全容とその成果を紹介しよう。

飯川雄大《デコレータークラブ−ピンクの猫の小林さん−》2020年 木材、蛍光塗料、H930 xW1000xD80cm 協賛: 株式会社シンロイヒ 協力:並木クリニック 撮影: 阪中隆文

 

金沢区の団地にピンクの猫のアート出現

 横浜市金沢区並木という街が今回のプロジェクトの舞台だ。昭和40年代に海を埋め立てて造られたこの地に、多数の団地が建てられ、昭和53年(1978年)に並木と名付けられ町びらきをしたという。平日の昼下がりに訪れると年配の人たちに混じり、幼い子どもを乗せた若い母親の自転車も往き交い、新しい住民もまた増えていることがうかがえる。

この日常の風景のなかに、高さ9メートルを超える大きなアート作品《デコレータークラブ−ピンクの猫の小林さん−》が現れた。住民たちが何が起こるのかと見守る中、2019年12月、工事現場のような足場が組み立てられて製作が始まった。最後にビビッドなピンク色に塗装されて足場がはずされ、その姿が現れたのは今年1月31日のことだった。

このプロジェクトは、日常生活の中で芸術を身近に感じてもらおうと横浜市と公益財団法人横浜市芸術文化振興財団が行う芸術創造特別支援事業リーディング・プログラム「YokohamArtLife」のひとつとして実施された。そのキャッチフレーズは「ようこそアート。わたしのまちへ。」だ。

これまで都心臨海部を中心に展開されてきた創造都市の取り組みを、市内郊外部へと広げていくことを目的に、「BankART1929」と「黄金町エリアマネジメントセンター」がYOKOHAMA AIR ACT実行委員会として共同で開催した。その舞台に選んだのが金沢区シーサイドタウンだ。

金沢区は、1960年代から始まった横浜市六大事業によって、都心臨海部の戦後復興と機能強化にあたり、工場の移転先として埋め立て事業が実施され、工業団地のシーサイドタウンが整備されたという経緯がある。

金沢区をテーマにまず行われたのが、勉強会だ。BankART1929が企画した「BankARTスクール出張編」では、横浜市六大事業の当時の関係者を講師に迎え、金沢区と都心臨海部の歴史的なつながりを学び直すことを目的とした計5回のレクチャーシリーズを開催し、述べ120名が参加した(内容については後述する)。

※※BankART1929提供 金沢区にある横浜市立大学いちょうの館多目的ホールでの鈴木伸治さんによる講座

 

この学びを基盤として、黄金町エリアマネジメントセンターが企画したのが「猫の小林さんとあそぼう!プロジェクト」だ。金沢区シーサイドタウンの中の並木団地を実施エリアとして選んだ理由を、黄金町エリアマネジメントセンターの事務局長・山野真悟さんは「ちょっとした偶然からだったのですが、後になって重要な決断だったと知りました」と話す。住民の高齢化と世帯数の減少が進む状況のなかで、並木団地は近年ファミリー層の移住も徐々に増えつつある地域である。長く住む住民と新しく移り住んだ住民の間に新しい会話が生まれることを目指す今回のプログラムにおいて、アートの意味を見出すにはぴったりの舞台だったという。

まず2019年12月8日に行ったのは、盆栽をアート作品になぞらえたワークショップ「猫の小林さんの庭づくり」だ。「ピンクの猫の小林さん」の作者である飯川雄大さんと造園師の石井直樹さんが講師を務め、地域の親子など30名が参加し、それぞれが自分の小さな庭をつくることに取り組んだ。

参加者からは、「子どもの想像力や発想を自由に発揮できる場となった」「繊細でこだわりを大切にするアートの精神を、暮らしに足してみようと思う」といった感想が届いた。

※ワークショップ「猫の小林さんの庭づくり」撮影:飯川雄大

 

制作現場は苦労の連続

このワークショップで地域住民どうしとアーティストとの交流のきっかけができ、大きな「ピンクの猫の小林さん」のためのプロジェクトがスタートした。

黄金町エリアマネジメントセンター立石沙織さんがその一筋縄ではいかなかった経緯を語った。最初に苦労したのは巨大な「ピンクの猫の小林さん」のための「大きな庭」探しだった。「巨大な猫が隠れることができる建物や植物があるところ」などの条件で提供者を探し続け、最終的に公募に手を挙げてくれたのが「並木クリニック」だった。現地制作と設置作業に入らなければならないぎりぎりのタイミングだったという。

クリニックの建物の高さに合わせて設計した作品のサイズは、高さ9.3m、幅10m、奥行80cmの大きさとなった。この大きさから屋外建築物として建築局に許可をとることになったり、土地の形状から猫の形を何度も微調整したり、自治会や住民に許諾を得たり、プロジェクトのコーディネーターを依頼した岩澤夏帆さんや現場監督を中心に調整や対応に日々駆け回ることになった。さらには天候という自然現象による作業工程の変更、大工職人や塗装業者の手配など、思いもよらない事態の連続だったと振り返る。

※制作中

 

それでも、けっしてあきらめず妥協しない飯川さんのアーティストとしての姿勢に多くを学び、「実り豊かな経験だった」と立石さんは語る。

アートが日常を変える

会期中は、近隣に別会場(並木コミュニティハウス)を設け、作品の制作プロセスや意図を多面的に伝える写真や映像の展示も同時開催した。毎週末はガイドツアーなどのイベントを企画し、アーティストや取材者が直接に鑑賞者に説明する機会を用意した。

突如現れた巨大なピンクの猫は、日常生活の舞台である団地の風景を非日常なものへと一変させたようだ。「ピンクの猫」が持つインパクトに驚いて立ち止まった住民どうしの共通の話題となり、対話の糸口が生まれた。

飯川雄大《デコレータークラブ−ピンクの猫の小林さん−》2020年 木材、蛍光塗料、H930 xW1000xD80cm 協賛: 株式会社シンロイヒ 協力:並木クリニック 撮影: 阪中隆文

 

こんな声が届いた。

「屋外アートは街を明るくしてくれた」「猫が見えにくいところに隠れていることで、見た人が驚いたり写真を撮ったり、日常の風景を一変させている」「この街のよさを見直した」「経験の豊かな高齢化した街だからこそ、このようなアート活動が許容できたのでは」「アート作品があることで自分の街を面白く感じることができた」

飯川さんが「この作品をとおして新しい人と人とのつながりが生まれるといい」と完成時に期待したとおりの役割を、「猫の小林さん」は果たしてみせたようだ。

黄金町エリアマネジメントセンター事務局長・山野真悟さん

黄金町エリアマネジメントセンター立石沙織さん

「金沢区とみなとみらい」の関係性を学ぶ

「ピンクの猫の小林さん」プロジェクトに先立って開催されたのは、「金沢区とみなとみらい」と題した5回の勉強会だ。通常はみなとみらい地区(新高島駅構内)のBankART Stationで実施している「BankARTスクール」の出張編として、金沢区とみなとみらいの両方を会場に5回の連続講座を開講した。横浜市六大事業の当時の関係者を講師として、金沢区と都心臨海部の歴史的なつながりを学び直すこのレクチャーシリーズには、述べ120名が参加した。

ランドマークタワーの完成(1988 年)を象徴的な出来事とする、みなとみらい21地区を再生させる事業には、金沢区への工場と団地の移転という巨大なプログラムが同時に実施されたという歴史的な背景がある。1989年に開通した新交通システム・金沢シーサイドラインは、新杉田駅から金沢八景駅までをつなぐインフラとして整備された。横浜都市部のみなとみらい地区という新しい街の誕生には、その整備のための金沢区との深いつながりによって成り立っていたということがこの連続講座で掘り下げられることになった。

その5回の内容は;

第1回「みなとみらいの誕生 -中区と金沢区との関係を テーマに」恵良隆二 横浜みなとみらい21事業、ドックヤードガーデン保全活用計画などに関わる

第2回「六大事業はどう構想されたか」鈴木伸治 横浜市立大学国際 教養学部都市学系・大学院都市社会 文化研究科・教授

第3回「旧市街地とみなとみらい」金子勝雄 西区連合町内会自治会連絡協議会会長

第4回「金沢シーサイドタウンと都心部強化事業」遠藤包嗣 NPO法人田村明記念・まちづくり 研究会理事

第5回「鎌倉と金沢」今井信二 元横浜市職員。金沢区役所を振り出しに、主に文化・文化財・創造都市などの分野の仕事を歴任

※※「鎌倉と金沢」今井信二さんとのフィールドワーク

 

郊外部金沢区と都心臨海部のみなとみらいの歴史的なつながりを学び、都市計画の背景にあるふだんは忘れがちな歴史を学び直した受講者からは、

「横浜の多様性、奥深さを感じ取れた」「芸術を大切にするために横浜市の歴史的背景を学べた」「これまで知る機会がなかった土地の記憶をたどることができた」といった声が届いた。

BankART1929・代表の池田修さんは「このスクールを開講して学んだことで、金沢区に従来あった古都鎌倉や海という魅力に加えて、団地という財産もあることに気づきました。街のアイデンティティを再発見でき、今後さらにこのテーマを深く掘り下げていくためのイントロダクションになりました。金沢区とみなとみらいのそれぞれの都市政策に関わったキーパーソンの存在を知ることもできました。郊外部とのご縁ができたこと、すばらしいひとに巡り会えたことが大きな成果です」とその意義を語ってくれた。

※※

 

金沢区という街の意外な成り立ちと、知られざる魅力を探るとともに、その歴史的背景ならではのアートと今の住民との出会いと、そこから生まれる融合の反応を浮き彫りにする両プロジェクトとなった。

取材・文:猪上杉子
写真:※・※※以外 森本聡(カラーコーディネーション

 


【開催概要】

■ BankART school出張編「金沢区とみなとみらい」
期間:2019年11月下旬~2020年1月末 全5回開催
講師:恵良隆二、鈴木伸治、金子勝雄、遠藤包嗣、今井信二
場所:金沢区(並木ラボ、横浜市立大学、他)、みなとみらい(BankART Station)
主催:YOKOHAMA AIR ACT実行委員会(BankART1929+黄金町エリアマネジメントセンター)
助成:公益財団法人横浜市芸術文化振興財団、横浜市
協力:横浜金沢シーサイドタウンエリアマネジメント協議会(あしたタウンプロジェクト)

 ■飯川雄大《デコレータークラブ−ピンクの猫の小林さん−》
展示期間:2020年1月31日(金)〜3月1日(日)  10:00〜18:00
場所:並木クリニック(横浜市金沢区並木2丁目9-4)
主催:YOKOHAMA AIR ACT実行委員会(BankART1929+黄金町エリアマネジメントセンター)
助成:公益財団法人横浜市芸術文化振興財団、横浜市
協賛:シンロイヒ株式会社
協力:並木クリニック、並木コミュニティハウス、ミハマ通商株式会社、横浜金沢シーサイドタウンエリアマネジメント協議会(あしたタウンプロジェクト)、石井造園株式会社、株式会社横浜シーサイドライン、tmsd萬田隆構造設計事務所

【プロフィール】

飯川雄大(いいかわ・たけひろ)
1981年兵庫県生まれ、同地を拠点に活動。人の認識の不確かさや、社会の中で見逃されがちな事象に注目し、鑑賞者の気づきや能動的な反応を促すような映像、写真、インスタレーションを制作。2015年黄金町エリアマネジメントセンターにて個展開催。 2019年「六本木クロッシング2019展:つないでみる」(森美術館)出品。2020年7月には、ヨコハマトリエンナーレ2020「Afterglow ー光の破片をつかまえる」と、KAAT神奈川芸術劇場のアトリウム映像プロジェクトに参加予定。