横浜みなとみらいホール開館20周年特集(後編) 次代につなぐ音楽文化、街と人に育てられる音楽ホール

Posted : 2018.12.21
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横浜みなとみらいホール開館20周年特集の後編。前編では、20周年記念事業の趣旨と、クラシック音楽の現代性を紹介した。後編では、開館以来のパイプオルガンの取り組みや、若手音楽家に機会をつくる取り組みなど、応援してくださった方々に育てられたホールという観点から横浜みなとみらいホールの20年間を紹介する。

横浜市民のパイプオルガン“ルーシー”

提供:横浜みなとみらいホール ©Taira Tairadate

 

建造物とも称される最大の楽器であるパイプオルガン。その建造はホールの建築と併行して1年以上をかけて行われ、1998年にホール開館と同時に誕生した。アメリカのC.B.フィスク社製であるオルガンのチャームポイントは、マホガニー製のケースに彫刻されたカモメ。輝くような明るい音色にふさわしく「光」を意味する“Lucy”の愛称で親しまれて、今年二十歳を迎えた。
横浜市内にお住まいの読者の方の中には、自分や子どもや孫が、小学校の頃にホールでパイプオルガンを聴いたという記憶をお持ちではないだろうか。
横浜市では、すべての市立小学校がホールに出かけてオーケストラ公演を体験する「心の教育ふれあいコンサート」が行われている。ここで、子どもたちが“Lucy”の音色に触れる機会は、のべ400公演を超え、市内に住む小学生60万人以上が体験している計算となる。
また、開館当初に第1回を開催した「オルガン・1ドルコンサート」は、1ドルもしくは100円の料金で平日の昼間に開催し続け、近隣の勤め人が昼休みに立ち寄る姿も定着した。毎回1000人以上、時には2000人もが気軽にオルガンの響きを楽しんでいる。0歳児からの乳幼児と保護者のために開催している「0歳からのオルガン・コンサート」には、ずらりと並ぶベビーカーの圧巻の光景がおなじみだ。まさに老若男女、すべての横浜市民のためのパイプオルガンと言っても過言ではないだろう。

提供:横浜みなとみらいホール ©Taira Tairadate

 

この写真は6月9日に開催された「GRAND ORGAN GALA—パイプオルガンLucyガラ・コンサート」の終演直後に、横浜みなとみらいホールのステージ上から客席に向かって撮影された一枚。コンサート直後の熱気冷めやらぬ空気と、客席と出演者の一体感を感じ取れるのではないだろうか?この数分前のコンサート・フィナーレでは、パイプオルガンの演奏に合わせて会場全体が「海」を大合唱した、その余韻も写っているようだ。「海は広いな 大きいな」−−この歌は開館以来、「バースデイ・コンサート」「アニバーサリー・コンサート」「こどもの日コンサート」など様々な横浜みなとみらいホールのガラ・コンサートのフィナーレで歌い継がれてきた。その思い出が客席の誰の胸にもあったのかもしれない。ホールは出演者やパイプオルガンの演奏を圧倒するほどの客席の声で包まれ、熱く賑やかなお祝いの喜びがあふれた。

「GRAND ORGAN GALA 」(2018年6月9日大ホール) 提供:横浜みなとみらいホール ©Taira Tairadate

 

開館当初からホールオルガニストを務める三浦はつみは、終演後に20年を振り返って感慨深げだ。
「横浜のみなさまに広く愛され親しんでいただいたLucyの二十歳の記念に、縁の深いオルガニスト、作曲家らとともに、感謝をこめて祝宴のコンサートを開くことができ、思い出を振り返ることができました。今日も改めて感じましたが、横浜の聴衆のみなさまは演奏をただ受身に聴くのではなく、演奏に参加する意識が高く、前のめりの姿勢で好奇心と期待感を持って聴いてくださいます。」

「GRAND ORGAN GALA 」で進行とオルガン演奏を務めた三浦はつみ(オルガニスト) 提供:横浜みなとみらいホール ©Taira Tairadate

 

「心の教育ふれあいコンサート」で小学生の時にLucyと出会った方が今や赤ちゃんを「0歳からのオルガン・コンサート」に連れてくる場面も見られるようになりました。第二、三世代にまで引き継がれて愛され、どんどんLucyファンが増えているという嬉しい状況を噛みしめています。
この横浜みなとみらいホールでは全国の先陣を切ってオルガニストやオルガン文化を育てる役割を担ってきました。それをあたたかく見守り、新しいことや面白いことに取り組むことを当然のことと支えてくれたのが横浜の土壌です。そもそも横浜は日本で最初にオルガンが造られた街という歴史がありますからね。横浜ならではの進取の精神に支えられてきました。
これからもパイプオルガンの持つ豊かな包容力、感情のすべてを受け容れる音楽の特性をもっと生かして、子どもも大人も、あらゆる人にパイプオルガンの響きに包まれる体験を味わってもらう企画を考えていきます」

パイプオルガン“Lucy”は、20歳を迎えてなお一層の輝きを増している。この他にも、市内の盲特別支援学校生徒とのワークショップなども実施されている。
オルガンという楽器そのものは、古い歴史を持つ古典的な楽器だが、届ける奏者の演奏には同時代的な思想が宿る。きっとこれからも、“Lucy”は横浜においてすべての人に良質の音楽を届ける象徴として活躍するだろう。

 

子どもたちに本物の音楽を

横浜みなとみらいホールが開館当初から力を入れてきた事業の領域に、子ども向けの教育的分野がある。
未来を担うこどもたちに音楽を知り、学び、体験する機会を提供するための取り組み。次代の市民生活をより豊かにするため音楽文化醸成をはかるととも に、音楽体験を通してこどもの創造性、表現力、豊かな感性を刺激している。

前述した「0歳からのオルガン・コンサート」、2000年から開始したガラ・コンサート「こどもの日コンサート」などは、普段は入場できない未就学児にも一流の演奏家による本物の音楽にふれる体験をしてもらいたいとの発案から、毎年継続してきた。

鑑賞の機会を提供するのみならず体験を重視した活動も早くから実施し、実績を重ねてきた。その一つは「おやこオペラ教室」だ。3歳以上の子どもと保護者を対象に、大ホールの客席ではなくステージ上に設置された座席に座り、オペラ歌手による歌声を間近で聴き、オペラとはどんなものかをワークショップ形式で声を出しながら知る。2008年に開始し、10年続けてきたことでリピーターも増加し、近年は募集を始めると早々に午前・午後の2回の公演が満員になる人気の企画だ。

「おやこオペラ教室」(2018年8月11日大ホール) ©Ryusuke Oono

 

出演歌手たちとのステージ上での記念撮影を終えて満足げな参加者たちに感想を聞いた。小学生の娘を連れて参加した母親は、「去年初めて来てみたら親子でとても楽しめたので、今年は友達親子を誘って参加しました」と言う。「歌手やオペラの舞台についての説明が本当に面白かった」との娘の言葉に笑顔がこぼれる。小学生の息子と初めて参加した父親は、「オペラなんてこれまでまったく縁がなかったのに、歌手の方の呼びかけに子どもがとても楽しそうに呼応して声を出していて、意外な一面を発見しました」と言い、「とても近くで本物の歌手を見られて嬉しかった。生の歌声がすごい迫力で驚いた。また来年も来たい」と男の子は目を輝かせていた。

「おやこオペラ教室」終演後に ©Ryusuke Oono

 

進行役を務め、歌手としても出演した柳澤涼子は、10年前にホールの事業企画担当者から「オペラについて親子で体験しながら学べる企画を考えてほしい」と依頼を受けた。
「最初の頃は試行錯誤の連続でした。どうしたら子どもにとって理解しやすい説明になるのか、何を体験するのがオペラを知る上で効果的なのか。工夫をあれこれ重ねてきましたが、何よりも生の声を聴くという体験の説得力は大きいものです。そしてこの大ホールの持つ美しい響きを体感するからこそ大きな感動につながっているので、この横浜みなとみらいホールそのものを体験する企画でもあるんです」

柳澤涼子 ©Ryusuke Oono

 

柳澤はこの事業がもたらす音楽界におけるもう一つの意義についても付け加えた。子どもたちが日本語の歌詞を歌う必要性から、日本の作曲家によるオペラ作品を初回から取り上げてきた。2014年の『泣いた赤鬼』や2017年の『笠地蔵』は松井知彦の作品であり、今回のオペラ『不思議の国のアリス』は木下牧子の作曲作品だ。大人のオペラファン層にはむしろ未知の作品かもしれないが、オペラの予備知識のない子どもたちは歌詞やメロディをすぐに覚えて身体になじませてしまう。
横浜の子どもたちがオペラという総合芸術を体験し、日本の作曲家の音楽にも親しむ機会を継続して提供してきた功績は大きいだろう。

 

音楽の喜びを味わう場として

横浜みなとみらいホールは中高生のための教育事業にも取り組んできた。
2013年に設立された中高生を対象にしたジャズのビッグバンド「みなとみらいSuper Big Band」は、6年目を迎えた現在は40名ほどが在籍する。

「みなとみらいSuper Big Band」の練習の様子(2015年撮影 リハーサル室 ©Ryusuke Oono)

 

年2回の単独コンサートに加え、横浜みなとみらいホール主催の音楽イベントや、横浜市のジャズ・フェスティバル「横濱ジャズプロムナード」への出演などにも引っ張りだこ。今やプログラミング構成も司会進行台本も団員たち自身で考えるようになった。卒団生がパート練習に顔を出してアドバイスをしたり、卒団後にコンボバンドを結成して活動を続けるなど、5年間の成果は目に見える形で現れている。しかし、「プロ・ミュージシャンの育成が目標ではありません。同世代が同じ場所に集まって演奏することが大事な体験だと考えています」とホール事業担当者は話す。演奏する楽しさ、音楽の喜びを中高生が味わうことのできる貴重な場としてあり続けている。

 

“未来の音楽家”を育む場

将来の演奏家を育て、若い演奏家に演奏の機会を提供する事業も、様々な形で実施している。
「ヨコハマ ザハール・ブロン ヴァイオリン・セミナー」は1999年に開始し数年間にわたり開催され、マスタークラス受講生からは、庄司紗矢香木嶋真優をはじめ多くのヴァイオリニストを輩出した。
「横浜市招待国際ピアノ演奏会」は、将来を嘱望される才能を発掘し横浜から広く紹介することを目的として、1998年からは横浜みなとみらいホールで毎年途切れることなく開催されてきた。これまでに世界25カ国から、のべ190人に及ぶ新進気鋭のピアニスト達がソロ演奏やオーケストラとの競演で舞台に立ち、この経験を活かしてさらに世界へと飛び立っている。
2012年に開始した「金の卵を探しています。」という事業は、若いピアニストとヴァイオリニストを発掘、アンサンブルのレッスンを受講後に、NHK交響楽団メンバーをはじめとする「ハマのJACKオーケストラ」をバックに協奏曲を演奏する機会を得て、その後の演奏家としてのキャリアのスタート地点を手に入れている。
横浜みなとみらいホールは“未来の音楽家”を見つけ、育てる場であり続けている。

 

街に愛されるホール

今年3月末までのコンサートへの入場者数の総数はのべ8,128,735人と前編で紹介したが、このうちの約70%は外部の団体が開催したコンサートへの入場者だ。この20年間、休館日を除いた年間約330日にほぼ毎日コンサートが開催されており、その数は年間約500件、このうちホールの主催共催公演ではなく、市民音楽グループや学校、民間音楽団体が開催するものは例年350件以上となる。横浜市民にとって横浜みなとみらいホールは自分たちがそのステージに立って演奏する場としても親しまれてきた。
また、ピアノを備えた大小6室ある音楽練習室は、利用者が絶えない。

加えて、交通アクセスの利便性が良く、また他のエンターテインメントや食事、ショッピングなどの魅力も兼ね備えた全国的に見ても有数の賑わいを誇る街との共存関係を築き続けることでも、横浜の文化創造に貢献してきた。

横浜みなとみらいホール外観 提供:横浜みなとみらいホール ©Taira Tairadate

 

例を挙げるなら、大型商業施設クイーンズスクエア横浜に登場する約13メートルの屋内最大級のクリスマスツリーは、十数年間にわたって毎年横浜みなとみらいホールのパイプオルガンの音色でクリスマスソングを奏でた。
3年に一度の横浜市全域をあげての市民のお祭りである「横浜音祭り」ではメイン会場を担い、「横浜音祭り2016」ではパーヴォ・ヤルヴィ(指揮)率いるドイツ・カンマーフィルハーモニー管弦楽団がクロージングコンサートを飾って横浜市民を熱狂させた。
さらに、横浜美術館の企画展にシンクロしたコンサートの開催や、クイーンズスクエア横浜でのミニコンサート開催など、近隣の他の文化施設や商業施設とお互いの賑わいに欠かせない存在としての関係を築いてきた。音楽文化の持つ力は、街のさらなる開発とともに今後ますます横浜ならではの魅力づくりに貢献していくだろう。

 

これからの音楽ホールのあり方は?

横浜・みなとみらい21地区には今後、新しいホールの建設が数多く予定されている。2020年にはぴあが1万人収容のアリーナ型音楽ホールを開館し、2021年には民間会社による2万人規模の日本最大級の音楽専用アリーナが完成する予定だ。他に複数のライヴハウス型音楽施設も建設予定とされる。このような音楽やコンサートに関する活況の中、公立のクラシック音楽向けホールとして、今後のポジションをどのように見ているのだろうか?前編に続いて再び、館長の池辺晋一郎に聞いた。

−−今後、大規模の複数の民間文化施設が開発される予定になっています。芸術文化の街として、ますます花開く横浜。これからホールはどうなっていくのでしょうか?

私はみなとみらい21地区との関わりは古く、1989年にできたてのこの地で「横浜博覧会」が開かれたときにメインのパビリオンの音楽を担当して以来、大きく変貌を遂げるこの街を見続けてきました。周囲の環境に合わせて変化させるところもあれば、どんな時代でも変えてはいけないこともありますよね。これから街に加わる大型の音楽施設にはないアコースティックな高品質の音響は横浜みなとみらいホールの誇りですから活かしていかなければなりません。
これからも横浜市民のみなさまや未来の聴衆である子どもたちのために、面白いことを考え続けたいと思います。「もう20年」とも「やっと20年」とも言えます。「成人」として成熟した大人のコンセプトを提示していきますよ。

(文・猪上杉子)


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