芸術文化とインクルージョンvol.1 ――アートの現場から;横浜美術館と横浜市民ギャラリーあざみ野の取り組み

Posted : 2016.12.27
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あらゆる都市において「ソーシャル・インクルージョン」=「社会的包摂」の取り組みは推進していくべき重要課題だ。「インクルージョン」は、人種や年齢、性別、障がいの有無などに関わらずすべての人が暮らしやすい社会をつくるという考え方だ。 その中、文化芸術創造都市・横浜でも「クリエイティブ・インクルージョン」という施策が打ち出されている。先日、栗栖良依さんのインタビューを紹介したが、これまでも美術館やホールなどでこうした活動は数多く行なわれている。 実際にアートの現場ではどのようなことが起きているのか。まずは、第一弾として横浜市芸術文化振興財団の管轄する、横浜美術館と横浜市民ギャラリーあざみ野の取り組みを紹介する。

横浜美術館「子どものアトリエ」の取り組み
「学校のためのプログラム」

横浜美術館は1989年設立から子どものための活動を行なう設備を備えることを前提に建築された。全国でも珍しい、子どものための専用のアトリエ(その名も「子どものアトリエ」)を持つ。「子どものアトリエ」は631㎡の広さがあり、年間90日の「学校のためのプログラム」が実施されている。その種別ごとの実施の内訳は、小学校が35日、幼稚園・保育園・こども園が35日、特別支援・養護学校・個別支援学級や各種学校が20日となっている。学校の総数に比して特別支援・養護学校の実施の頻度が高いのは、一般級の子どもたちに比べて美術館に来ることが難しい障がいのある子どもたちも同様に、心を動かして楽しむことに育ちがあるとの、横浜美術館ならではの考えからだ。
(横浜市立)特別支援学校、(神奈川県立)養護学校、横浜市立小学校の中の特別支援学級が区ごとにまとまったグループ、の35校ほどが年間20回の枠に応募する状況が続いている 。2年に1回は参加できる計算となり、ある程度は継続的に子どもの成長を見ていけるという。

取材に伺った10月24日(水)は横浜市立東俣野特別支援学校からの生徒5人が参加者だった。在籍する児童生徒の多くが肢体不自由と知的障がいなどの重複障がい者で、その障がい特性に配慮した教育活動を行なっている学校だ。この プログラムへは学校としては毎回応募しているが、今回の1、2年生の児童たちは全員初めての参加だ。

10時30分、横浜美術館に学校のバスが到着。車いすに乗った子どもたちが降りてくる。横浜美術館のスタッフ7名が駐車場まで出迎え、「おはようございます」とにこやかに声をかける。玄関から建物内に入ると、裏通路を誘導し、人や美術品を運ぶ大型エレベーターに全員で乗り込み、「子どものアトリエ」のエリアへと移動する。

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実はこの動線の配慮に関しては、事前に学校と打ち合わせた上で決定したものだという。毎回、来訪する子どもたちの障がいの重さや、車いすあるいはストレッチャーのサイズを調査し、通路の幅や段差などをチェックした上で経路を決定する。

児童たちが準備された着替えコーナーで着替えをすませて、「子どものアトリエ」活動フロアに降りてきたのは11時10分。今回の参加児童たちは全員が自力では歩行できない子どもたちで、言葉によるコミュニケーションの取れる子どもは1名だ。普段から担当している学校の教師が1対1で付き添っている。各自が先生に抱きかかえてもらい 、最初のプログラム 「音の部屋」へと降りる。少し照明を落とした落ち着いた部屋では、座り心地の良いビーズクッションや、転がすと音の出る遊具、スティックで叩いて多彩な音色を自分で出す打楽器などを体験。新しい場での活動への導入の時間のようだ。

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隣の大きな活動フロアのほうへと各自のタイミングで移動すると、さまざまなコーナーが用意されている。テントのように布で囲まれたコーナーには細かく裂いた新聞紙がこんもりと小山のように積まれていた。小山の中からきゃっきゃっと笑い声がする。新聞紙の中に潜り込んだ児童に担当教師が 「あったかいね」と声をかけている。

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一方、 お湯や水のはいった風船クッションに身体を乗せて、ゆらりゆらりと動きを楽しんでいる子どももいる。これらは自分では動けない子どもたちに、触感や体感を通して何かを感じてもらおうとの試行錯誤から生まれたコーナーだという。最初の緊張した表情から徐々に感情が出てきて声を上げる子どもたちに、教師の声かけも多くなり、一緒に楽しんでいる様子だ。 

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児童の表情でタイミングを見計らいながら、スタッフと教師がねんどコーナーや絵の具のコーナーに誘導する。大量のねんどや、床にも壁にも絵の具を塗り放題の状況を見て取れば、一般学級の児童たちの場合なら、飛びつくところだ。しかし意外なことに、今回の子どもたちは 自分からは興味を示さない。むしろ尻込みするような表情が見受けられる。横浜美術館チーフ・エデュケーターの山﨑優さんによると、未知の感触やものへの警戒心が特に強いのだという。

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そんな中、こんな光景があった。 やはりあまり絵の具に関心を示さなかったが、足の裏に絵の具を塗って足型を取るなど、 スタッフが働きかけるにつれて少しずつ興味を持ち出した子どもがいた。その心の動きに気づいた横浜美術館エデュケーターの岡崎智美さんは、指で直接絵の具を塗るようにと誘いかけた。しかし指に絵の具が付く感触を嫌がるそぶりを見て取り、絵の具をスポンジに含ませて手渡して勧めた。すると、児童は自ら進んでスポンジを使って、段ボールのキャンバスに次々に色を塗り始めたのだ。教師に抱きかかえられながらも自分の意志で手を動かし、満足げな表情だ。

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5人の児童たちが 活動を終えたのは12時近く。全員が朝の緊張の表情はゆるんで、笑顔で手を振って帰路についたのが印象的だった。

 

学校教育との連携の重要性

「学校のためのプログラム」の実施はその対象の学校によってその準備はまるで違う。一般級の小学校の児童にはひとつのことにじっくり関わる体験ができるように準備するのに対して、養護学校を対象とする場合は「ひとりひとりの子どもに何がフィットするかわからない。好悪のポイントや反応もそれぞれ違うので、いろいろな選択肢を用意しています。楽しい気持ちになる体験にひとつでも出会ってもらうために」と岡崎さんは説明する。

この日も前述の絵の具を楽しんだ児童との間に嬉しい交流があったと言う。
「到着の時には「おはよう」と手を差し伸ばすと恥ずかしがって手を振り払われてしまったのですが、一緒に絵を描いたあとの帰り際に「またね」と言ったらにこっと満面の笑みでハイタッチをしてくれたんです。ここで楽しい体験をしてくれたんだな、固い殻をひとつ破ってくれたんだな、と嬉しく感じました。ここでの新しい体験が学校に帰ってからも繋がっていくと思いますから」

山﨑さんは、このプログラムが学校との連携を前提として実施されていることが重要だと話す。「子どもにとって教育や発達の日常の現場である学校の授業の一環として、平日のいつもの活動時間帯に実施することで、 ここでの新たな体験や発見が学校での教育へと繋がっていくのです。 毎日かかわっている担任の先生にとっても、新たな子どもの姿を発見するいい機会になり、次の働きかけへと広がっていきます」

障がいを持つ子どもを対象とする「学校のためのプログラム」を開始するにあたっては、お手本とするような前例やメソッドは あったのだろうか?

「子どものアトリエ」の理念は「「自分の目で見て、自分の手で触れ、自分でする」という自意識の獲得に目的があり、それを楽しい活動として提供する」というものだが、自分では動けない子どもに対してどうのように自意識を得られるように手助けしたらいいか———設立当初は暗中模索だったという。神奈川県立こども医療センターに入院中の重度の障がいを持つ子どもが入所する施設の医師や附属する養護学校の教師との出会いが大きかったと、山﨑さんは振り返る。おおらかに子どもたちを見守り、自己主張できた成長を喜び、発見を大事にする先生たちの姿勢に、このプログラムの発想の方向性や考え方を得たのだという。
もちろん横浜美術館のスタッフに教育心理学の専門知識は欠かせない。その上での、毎日の臨機応変で 真摯な応用力のおかげで、「子どものアトリエ」は誰もが自分の意志と出会う場となっている。
そして、そのような機会を増やすため、2007年から「子どものアトリエ」は企業協賛をもとに、出向いて来ることができない子どもたちの所へ出かけて行なう「出張ワークショップ」を始めたが、その出張先の一部は、病院や障がいのある子どもたちの支援施設である。子どものアトリエで培われた考え方や手法が徐々にではあるが社会貢献事業として歩み始めている。

 

横浜市民ギャラリーあざみ野の取り組み
「子どものためのプログラム」

横浜市青葉区にある横浜市民ギャラリーあざみ野の「子どものためのプログラム」は2005 年の開館時から開始された。年間約20講座が開かれているが、これに加えて「障がいのある子どもたちのための——親子で造形ピクニック」が年間12回、土曜日の午前中に毎月開催されている。個別支援学級や、特別支援学校等に通う子どもとその保護者、兄弟姉妹等が対象で、ねんど、絵の具、紙での工作を自由に親子で体験する。
登録している児童は20人ほど。近隣の居住者がほとんどで、毎回参加する親子が多いという。対応するスタッフは横浜市民ギャラリーあざみ野創作・造形エデュケーターの浅岡なつきさんたち4人だ。

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養護学校に通う4年生の子どもと参加していた母親から話を聞いた。「同じ学校に通う親から勧められて来たのですが、気軽に出かける場所が少ないのでとてもいい機会で毎月楽しみにしています。子どもは新しい場所に慣れるまで時間がかかるので、4年前に初めて来たころはずっと中庭のベンチでひなたぼっこをしていました。が、それでも急かさず見守ってくださるのが嬉しかった。家の中で親子だけで過ごしていると、ついあれもこれもダメと言ってしまうけれども、ここではその言葉を口にしなくていいので、親も開放的な気持ちになれるので助かります」

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浅岡さんは「危険を感じる時以外はなるべく自由に好きなように活動してもらえるようにと考えています。保護者の方と会話をすることもあり、親子がのびのびと過ごせる場になっているかと思います。長く通っている子どもも多く、成長を見ることができているのが嬉しいです」と意義を語った。

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ここまでの写真/Photo by OONO Ryusuke

 

「視覚に障がいがある人とない人が共に楽しむ鑑賞会」

「あざみ野」では、もうひとつ、「インクルーシヴ」なユニークな試みをしている。「アートなピクニック——視覚に障がいがある人とない人が共に楽しむ鑑賞会」がそれだ。
「あざみ野」では年に3回、企画展を開催しているが、このうち2回の展覧会を、視覚障がいを持つ人と持たない人でグループを組んで一緒に鑑賞するというもの。取材に伺った日は「悪い予感のかけらもないさ」展の会場を2組のグループが鑑賞していた。

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普通の鑑賞会とちがって、視覚障がいを持つ人を囲んで、参加者が各々質問 や意見や感想をおしゃべりしている、一風変わったにぎやかな光景だ。風間サチコさんの作品では「どんな印象?」と質問すると「なんだか少し怖い感じ」などのやりとりが聞かれた。岡田裕子さんの「カラダアヤトリ」を説明しながら一緒に実際にやってみる場面もあった。金川晋吾さんの鑑賞では、写真作品を言葉で説明する難しさを感じた人も多い様子だったが、「(被写体の女性は)どんな表情なの?笑ってるの?」と聞かれ、撮影者と被写体の距離感を説明しようと試みる人もいた。

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鑑賞を終えた後、参加者全員が会議室に集まり、 それぞれの感想を共有した。視覚に障がいのない参加者は、定員の15名が毎回ほぼ満員となる人気のプログラムだというが、盲学校の教師、福祉施設の職員だけでなく、美術鑑賞が趣味だという人など、障がい者との交流の機会を求める熱心な人が多い。

そこで聞かれた感想には、「ひとりで鑑賞すると時間をかけずにさっと見てしまうが、ひとつひとつの作品にじっくり向き合うことができた」「視覚障がいを持つ方に説明するために言葉を探すのは、自分の不確かさに気づく機会になった」など の発見が続々。また、「視覚障がいのある方はアート作品に関してどんな情報がほしかったのかを知りたい」との問いかけに、「作者のことや作風についての専門的な解説もほしかった」などの意見交換もあった。視覚障がい者のサポーターとして参加していた人からの「健常者が障がい者に何かしてあげるという関係性ではなく、障がい者がいることでお互いにフィードバックがあるという共有関係が大事ですね」という意見に全員が深く頷いていた。

横浜市民ギャラリーあざみ野学芸員の佐藤直子さんは「熱心な参加者が多く、自分が見ていたものの不確かさやコミュニケーションの楽しさを発見して感動を伝えてくださる方がたくさん。視覚障がいを持つ人だけでなく、視覚障がいのない方にとっても貴重な体験の場になっています」と話す。次回の「新井卓 Bright was the Morning ― ある明るい朝に」展での「アートなピクニック」への参加者を募集している(2月8日(水)応募締め切り)。

 

横浜美術館と横浜市民ギャラリーあざみ野の「インクルージョン」の取り組みを見たが、その根幹にあるのは両ギャラリーを所轄する横浜市芸術文化振興財団が、子どもの教育事業の目的として常に掲げている「自意識の獲得」にあるように思える。そこに根差すこれらの施設の取り組みは、子どもに向けても大人に向けても「アート」が持つ作用として「自分で受け止め、考え、行動する」ことを促す意図がある。「なぜ人は アートを求めるのか」————その根源的な問いが障がいの有無を越えた活動に繋がっている。
無論、さまざまな機会の提供は大事なことだが、それはあくまでもきっかけづくりであって、 本質は「何をするかではなく、何のために為すか」にある。アートは気づきを与える力がある。それを通じて人は自分以外のそれぞれに自意識があることに気づき、自らの意識を他者の意識と共有していくことによって、本当の意味で包摂的思考の理解を高めていく。それにはとても地道な努力や経験が必要であると感じた。

                   (文・猪上杉子)

 


 【横浜美術館へのアクセス】

篠山紀信展 写真力」 展

会期:2017年1月4日(水)から2017年2月28日(火)
開館時間:10時~18時(入館は閉館の30分前まで)
休館日:木曜日(2017年1月5日、2月23日を除く)
*開館日・時間は展覧会によって異なる場合があるので、詳細はカレンダーで確認を。
料金:一般1,500円ほか

子どものアトリエ」の活動については
http://yokohama.art.museum/education/children/
でご確認ください。

住所:横浜市西区みなとみらい3丁目4番1号
アクセス:みなとみらい駅(みなとみらい線)徒歩5分、桜木町駅(JR京浜東北線・根岸線、横浜市営地下鉄ブルーライン)徒歩10分
お問い合わせ: TEL:045-221-0300(代表)
http://yokohama.art.museum

 

【横浜市民ギャラリーあざみ野へのアクセス】

新井卓 Bright was the Morning ― ある明るい朝に」展

会期:2017年 1月28日(土)から 2月26日(日)
開館時間:10:00~18:00
会期中無休
料金:無料

アートなピクニック ―視覚に障がいがある人とない人が共に楽しむ鑑賞会―

日時:2017年2月18日[土] 14:00~16:30
対象・定員
視覚に障がいがある人10名
視覚に障がいのない人15名
申し込み締切:2017年2月8日(水)必着
※参加無料、要事前申し込み(応募者多数の場合抽選)
https://artazamino.jp/art-na-picni-mousikomi/
※最寄りのあざみ野駅までお迎えが必要な方は申込時にご相談ください。
※保育あり

「子どものためのプログラム」については
http://artazamino.jp/series/for-kodomo/
でご確認ください。

住所:〒225-0012 横浜市青葉区あざみ野南1-17-3 アートフォーラムあざみ野内
アクセス:あざみ野駅(東急田園都市線、横浜市営地下鉄ブルーライン)徒歩5分
お問い合わせ:TEL 045-910-5656
http://artazamino.jp/