金島隆弘さん(Far East Contemporaries 代表)

Posted : 2011.02.25
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今日は、横浜でアーティストに寄り添った活動を続けているFar East Contemporaries 代表で、アートフェア東京2011のエグゼクティブ・ディレクターにも就任された金島隆弘さんにお話を伺います。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2011年2月25日発行号 に掲載したものです。

横浜での活動:アーティスト交流レジデンスプログラム

Q. 横浜での活動について、簡単にお聞かせください。

横浜のZAIM に、2008年に場所をいただいて、FECをスタートしました。
FEC の活動の中心は、「横浜市・北京市アーティスト交流レジデンスプログラム」のコーディネートです。今年で4年目になります。プログラム自体は5年目で、初年度は横浜美術館が主体となり、私はコーディネーターとして携わりました。2年目からは横浜市芸術文化振興財団とFECが共同で実施する形になり、現在に至っています。

このプログラムは、横浜市と北京市の都市間交流の位置付けでスタートしました。その前年まで、私が北京にいたこともあって、現地でのコーディネーションをする形でお手伝いすることになりました。

ZAIM(旧関東財務局) ※2010年3月閉館

ZAIM(旧関東財務局)
※2010年3月閉館

毎回、北京に住む若手の中国人アーティストを横浜に招き、いろんなアーティストと交流してもらったり、美術関係者に会ってもらったりしながら、2、3ヶ月間かけて横浜で滞在制作をしてもらい、そして新作を発表する、ということを続けています。

Q. 横浜に招くアーティストはどのようにして決められるのですか。

第三者の方に意見を頂きながら決めています。初年度は中国の中央美術学院の教授の方にご意見をいただきましたし、2年目以降は欧米でも活動しているインディペンデント・キュレーターの方やアジア・アート・アーカイブという組織のリサーチャーの方に入っていただきました。毎回、個人の意見に偏らないように、複数の方と議論しながら、おもしろいアーティストを選定するようにしています。

選定にあたり重視している点は、まずは日本に興味をもっていること。それから、なぜ今の時代にこの作品を生み出しているのか、ということを考えさせるようなアーティストであることです。作品が単に美しいということだけではない。それから、交流プログラムですから、いろんな人と話をすることに対して積極的であることも大切にしています。

Q. レジデンス事業は各地で行われていますね。横浜で取り組んだ5年間で感じたレジデンスプログラムの意味や効果について、どのように考えていますか?

滞在中に、アーティストがどんな人に会ったか、どんなことを経験したか。 これがとても重要だと思っています。
正直、今、各地で行われているレジデンスプログラムの多くが、“箱”だけというか、「(アーティストを)連れてきて、滞在日程と展覧会をする」という枠組みだけが決まっている。その間は何もケアしない。そういうところが多い気がします。私は、滞在中にできるだけいろんな人に会ったり、日本でしか得られない経験を積んでもらうような機会を、作家とコミュニケーションをとりながら、多く設定するようにしています。

幸い、横浜でのプログラムは毎回一人のアーティストを招聘するので、丁寧なコミュニケーションを保つことができる。どのアーティストも必ず、京都や東京に行きたいという希望を持っているので、毎回一緒に行きます。彼らの希望でもあるし、一緒に行くことで私たちも気付かされることがたくさんあります。こういうフレームがあるから誰か来ればいい、それで自由にやってください、ではなく、もっと関わることでお互いに学ぶことができる。 その中で、プログラム自体が豊かになり、横浜に滞在したことが今後の彼らの活動にも繋がっていくようなことを生み出したいですね。

Q. 「アーティストと地域との交流」とは、どんなことをするのですか?

滞在するアーティストによって異なると思います。前々回の作家は、交流そのものが作品に繋がるタイプの作家だったので、黄金町エリアに出向いたり、地元で活動をするアーティストと活動を共にしたり、横浜の中にかなり深く入り込んでいました。

でも、アーティストによっては作品制作に集中したいところで、無理に交流の場をつくることがストレスになる場合もあります。その場合は、展覧会の場で、作家トークや、作品を見ながら市民と作家が交流できる場を設定しています。
もう少し広い目でとらえると、3年前のアーティストは横浜で写真の作品を制作したのですが、その作品が今は欧米の展覧会で発表されています。つまり、作品を通して横浜の風景が世界中に巡回するわけです。これは、世界と横浜がつながるひとつのよい機会だと思います。

Q. アーティストと地域が出会うために大切にしていることは。

まず、アーティストの希望をしっかり聞くことから始めています。例えば2年前のアーティストは、日本の普通の風景をみたいと。で、創造界隈を実際に歩いて黄金町や寿町などのエリアを歩いて巡りました。歩くことで、街の日常の景色が見えてきます。横浜で何を得たいのか、アーティストの個性によって違いますから、それをきちんと汲み取るようにしています。
それから人との出会い。特に地元の横浜美術館やBankARTには必ず伺って、キュレーターやディレクターの方にご挨拶しています。

Q. 中国のアーティストは、横浜のどのような点に興味を持つのですか。

みなに共通する感想は、(横浜は)非常にきれいであると。それは北京が汚いとも言えますが、ごみが落ちていない、ほこりがない(笑)。
それから、東京に行くと、人の多さ、スピードの速さに、彼らは疲れてしまいます。それに比べて、横浜は、もう少し客観的になれるというか、距離を置きながら自分のペースで物事を受け止められる。 でも東京にも遠くない、ということで居心地がいいようです。また、東京は人が多すぎて、誰とコミュニケーションをとればいいのかよく分からないけれど、横浜では、一人ひとりとじっくり話をして関係をつくることができる。スケールがほどほどの大きさなので、密度の濃いコミュニケーションを築くことができる。横浜のいいところだと思います。

Q. 横浜のどんな場所に興味を持ちますか。

2007年の作家は新しいものやテクノロジーに興味を持っていたので、みなとみらいエリアが大好きでしたね。彼は、みなとみらいエリアを扱った作品を制作しました。逆に、2008年の作家はローカルなものが好きで、特に地元・横浜で活動しているART LAB OVAの蔭山ヅルさんと一緒に、彼らがやっているバーで一日店長をしたりするほど仲良くなっていました(笑)。最後にはレジデンスをしていた場所でOVAの方と一緒にパフォーマンスをしていました。
2010年のアーティストは、とにかく作品に真摯な作家で、ずっとYCCに籠って2カ月の間に大作10枚を描きあげました。

Q. お話を伺っていると、街並みや生活、人と会えるところが好まれるようですね。

生活の分かるスケールで日本を楽しみたいというのと、京都に皆行きたがる。
日本には古くていいものがいい形で保存されて残っているということに、中国のアーティストはとても敬意を払っています。中国では古いものをどんどん壊してしまって、特に建物に関してはほとんど残っていないからです。お寺には本当に感動しているようです。日本人が持つ保存に対しての姿勢や、いいものに価値を見出して大切にする心に感心しているようです。
そこは私たちが逆に気付かされる点です。


今年の滞在アーティスト チェン・ウェイ

Q. 今年の滞在アーティストであるチェン・ウェイさんは。

チェン・ウェイさん

チェン・ウェイさん

写真を制作する作家なので、写真にまつわる場所やお店をピックアップするなど、事前にリサーチをしてきています。古い本を置いていた黄金町の本屋を気に入っていましたね。

Q. チェン・ウェイさんの滞在で印象に残っていることは。

彼が言っていたのは、メディアでしか見ていない日本のイメージと、実際の日本は全く違うそうです。
彼自身、日本での滞在はすごくリラックスできているようです。中国ではプレッシャーもあるそうですが、実際に生活している本国からすこし距離を置いたことで、自分の作品を作るスタンスを含めていいリセットになっているようです。
彼は80年生まれの30歳です。自分達の表現は「中国にいる」というところから生まれてくると言っています。作品制作の動機についても話しますし、日本の若い人が何に関心があるのか、アーティストはすごく興味を持つようです。

Q. 日本の同世代のアーティストとの交流もあるのですか。

チェン・ウェイさんの制作アシスタントを務める、 自身もアーティストである野田さん。(左)

チェン・ウェイさんの制作アシスタントを務める、
自身もアーティストである野田さん。(左)

今回は、同世代のアーティストにネットワークをもつ野田さんに制作補助に入ってもらっています。
彼女のネットワークを通じて、いろんな経験ができているようで心強いですね。

Q. 日本人アーティストの反応は。

「すごくおもしろい」と。チェン・ウェイの作品は舞台セットのようなものを作り上げて、それを写真に撮るという手法を取っています。彼の作品を見て日本の方がまず感じるのは、「中国っぽくない」。おそらく、潜在的な中国に対するイメージや同世代のイメージとして、政治的な意味が込められていることが多い、とか、クールじゃないという印象を私たちが持っているためですが、チェン・ウェイの作品は全くそういうことを感じさせない。クールで、感覚が研ぎ澄まされている感じがするようです。

彼は杭州の学校出身ですが、そのエリアの若いアーティストが、今すごく面白い。2010年に滞在したスンシュンもそうですが、中国美術学院のジャン・ペイ・リーというメディアアーティストの教授がいます。彼のアプローチが非常にユニークで面白い。そこで育っている若手のコミュニティが、今までの“ベタ”な中国のアーティストらしくない作品を生み出していますね。チェン・ウェイもそうして頭角を現した作家の一人です。

Q. 先生の役割は大きいですね。

そうですね。それで人が育つ環境ががらりと変わります。コミュニティが生まれます。横浜も、もう少しコミュニティが育ってくると面白いでしょうね。

Q. 中国は表現に対する制限があると聞きますが、影響は。

中国は、オリンピック前までは非常に寛容でした。オリンピック開催を達成するために、あらゆる表現をほとんど黙認していました。ところが、オリンピックが終わってからは規制が厳しくなっています。
中国国内から海外に持ちだす場合は、全ての作品がチェックされます。海外から中国国内に入れるものもチェックするようですから、かなり厳しいですね。

一方で、アーティストも賢くなっています。一見規制の対象にはならないようで、実は非常に皮肉がこもっているという。押さえつけられる環境の中だからこそ生まれる表現があって、これがおそらく中国人アーティストの力強さです。彼らは、もし作品が売れなければ、農村へ帰って厳しい生活をしなくてはならない現実があります。15億ともいわれる人口の中で、アーティストとして成功し食べていくというサバイバルは、日本人アーティストとは比べものにならない環境です。

Q. チェン・ウェイさんの作品を拝見しました。本当に洗練されていますね。

最終的にこの作家に決めたのは、昨年のバーゼルのリステ(アートフェア)に出展されていた作品を見たときです。その作品は、空間の使い方などがとてもよくて。彼は、まるで映画を撮るように本格的に舞台セットを作って写真に撮る手法をとっています。非常にリアルなセットです。そして、デジタルでなくフィルムで撮ります。デジタル加工はしていません。

Q. 日本と中国では、作品づくりの環境に違いはありますか。

日本で制作するほうが、制限は多いでしょうね。中国では、物も人もすぐに集まりますから、全て自分でできます。スタジオも広いスペースを安く借りられます。日本では大変でしょう。通訳も必要だし、物をひとつ買うにもどこの店がいいとか、分からない。古い家具とか、中国ではすぐ入手できるものも、日本ではリサイクルショップを覗いたり、ネットオークションで落札したり、あの手この手でなんとか手に入れています。私たちは、あらゆる面で作品制作のサポートをしています。

金島さんのスタジオBLROOMにて作品制作中のチェン・ウェイさん(手前)。

金島さんのスタジオBLROOMにて作品制作中のチェン・ウェイさん(手前)。

Q. 今回の滞在制作の作品はいつ公開されますか?

今回生まれる新作は、ヨコハマ創造都市センター(YCC)の3階で、3月19日から展示されます。今回は、インスタレーションに挑戦しようということで、過去に撮った写真を立体化することも試みているようです。(→展覧会詳細情報)


アートフェア東京のディレクターとして

Q. 金島さんは、中国の東京画廊にいらしたころは、作品を紹介して売るだけでなく、作家のサイドに立って、一緒に作品制作に携わることで、日本とアジアをつなぎたいとおっしゃっていました。そして独立、その後、横浜のZAIMでFECをスタートなさいましたが、そのあたりのことをお聞かせください。

横浜に来て4年になります。北京にいた頃は中国を対象に仕事をしていました。でも、中国だけがアジアではないし、もっとアジアを理解したいという思いがありました。ですから、3年間は韓国でプロジェクトを作って仕事をしたり、台湾で仕事をしたり。アジアの各都市で、能動的に、自分が行って仕事を作るということをしていました。アートフェアの仕事も手伝いながら、広くアジアを理解しようという4年でした。そして拠点が横浜だったという感じです。
そして、ありがたいことに、いいタイミングでアートフェアのお話をいただいて、今までやってきたことが全部活きるようなことになっています。

Q. アートフェア東京のディレクターに就任された経緯は?

昨年ですね、前任の辛美沙さんからお話をいただきました。辛美沙さんが5年間かけてやってきたアートフェアがやっと社会に定着してきたところで、辛さんご自身はご自分のプロジェクトをしていきたいと。それで後任にどうか、とお誘いいただきました。
正直、私はキャリアもまだまだですし、年齢的にも世界のアートフェアのディレクターとしては、おそらく最年少だろうと。少し考えましたね。

でも、ちょうどそのころ、それまでのアーティスト側の視点から作品制作の支援をするということを3年間続けてきて、コレクターの側からのアプローチも重要なのかなと、思い始めていたんですね。作り手の理論と買い手の理論です。買い手の理論が、どうアートにつながるだろうかと。 さらに、中国や韓国のコレクターが勢いよく作品を買ってマーケットが活性化する一方で、日本の10年後はどうなってしまうだろうと。私自身も以前は、日本に帰国すると元気がなくなるので日本を見ないようにしていました。

Q. というのは?

中国や韓国は勢いがあります。若い人が生き生きとして、元気に働いているんです。 なにかやろう!と言ったとき、みんなで一丸となって頑張る、という勢いがあります。一方、日本はなんとなく元気がない。誰かが足を引っ張ったり、後ろ向きで、鬱になる人も多い。あらゆることに無駄が多い。中国や韓国では、パッと決めてすぐやってしまう。30~40代の人がディレクターとなって、仕組みをどんどん変えている。それが気持よかった。でも一方で、このまま何もしないで、日本はどうなってしまうのかという思いもありました。

実は、アートフェアのお話を最初にいただいたときは正直、悩みました。アートフェアというマーケットよりではない、アーティストに寄り添った関わり方を敢えて行っていましたから。でも、やはり買う側の視点とか、アジアの中で日本はどうすべきか、ということも感じていたので、いろいろ考えました。
最終的には、今回のアートフェアが、買う側と作り手、両方のことを考えるような、よい機会になる可能性があると思いましたので、お引き受けしました。日本でようやく認知されてきたアートフェアというものを、アジアの中でどのように存在感を高めていくか、海外の方にいかに日本に来てもらうか、国内のコレクターをグローバルな視野でどう作っていくか。 これが非常に重要だと思います。

Q. アートフェア東京の特徴は。

一般的なアートフェアと大きく違う点として、古美術から近現代アートまで、つまり古いものから新しいものまで一挙に集まるフェアであることです。世界の大きなアートフェアは、ほぼ近現代のアートに特化していますから。

これに対して意見もありますが、私たちは全て見せるという方針を変えないつもりです。オランダのマストリヒトに「TEFAF」というアートフェアがあります。古いものから現代まで扱うフェアです。実は、スイスのアートバーゼルよりも有名で、多くの人が集まる。いい物に、古さや新しさは関係ないと思います。 古いものを見ることで、新しいものの見え方が変わる、その逆もあり得る。 アートフェア東京が、TEFAFのアジア版のような存在になるといいですね。アジアには、このようなアートフェアが現在のところないので、そういう捉え方で、アートフェア東京を発展させていきたいと思っています。

Q. 今回のアートフェア東京のテーマに「アートを開く」ということが挙げられています。前号でインタビューに登場いただいた逢坂恵理子さん(横浜トリエンナーレ2011総合ディレクター・横浜美術館館長)もコミュニケーションの重要性に触れていました。異なるタイプの芸術の催しのディレクターが、ともにコミュニケーションをキーと考えているのは、おもしろいですね。

今までのアートは、「分かる人だけ分かればいい」、「分かる人が買えばいい」という姿勢が多かったように思います。でも、欧米のギャラリーは非常に熱心に営業をしています。だから、市場が形成されて、実際にアート作品を購入する人が多い。もちろん美術教育の違いもありますが、そういうギャラリー側の努力がある。日本と海外との違いです。

また日本では、興味を持っている人は多いのに、「怖くて近づけない」とか、「分からない」という人が多い。そういう方に分かってもらえるようにしないと、層は広がらないと思います。産業界や企業の方とお話しする中でも、アートに何か関わりたいのに関わり方が分からないと言われることがあります。こちらに対しても、まず自分たち、アートの側が開いてコミュニケーションして、広げていこうと思います。

Q. 最後に、アートフェア東京のディレクターになられたことで、東京でのお仕事が忙しくなられるのではないかと心配ですが(笑)、これからも横浜でやっていきたいことがあれば、ぜひお聞かせください。

東京での仕事の比重が大きくなっているのは確かです。平日はほぼ東京ですから。でも、私がやり続けたいことは、アーティストと一緒にプロジェクトを作ったり、作品制作に関わったりすることです。これはアートフェアの文脈ではできないことです。ですから、現在の私の精神的なバランスとして、東京では産業やマーケットについて、アートのためのマーケットを広げていく活動。そして、横浜ではアーティストにより近いスタンスで、今まで続けてきたことを継続していく拠点として、活動を続けていきたいと思っています。今後もこのバランスを保ちたいですね。

Q. ますますお忙しいことと思いますが、相乗効果でつながっていくといいですね。

レジデンス交流プログラムも2010年までは、すべて一人でやっていましたが、今回はアシスタントとして野田さんに入ってもらいました。新しい方に関わっていただくことで、全く異なる考え方やネットワークが入ってくるので、非常によかったなと思っています。そういった形で、このプログラムもさらに面白くなっていけばなあと思っています。
横浜に来るとホッとします。アーティストと話をする時間はとても大切です。これがなくなってしまうと、アートフェアのこともできなくなってしまうかもしれないくらいです(笑)。どちらも必要なことだと思います。

つながって、ひろがっていくといいですね。今日はありがとうございました。

平成22年度 横浜市・北京市アーティスト・イン・レジデンス 交流事業展
陳維 / Chen Wei 「漠然の索」
東北地方太平洋沖地震の影響により、中止となりました。(2011.3.18)

アートフェア東京2011
東京国際フォーラムが震災および原発事故の被災者受け入れ施設となるため、開催延期。開催予定日等、今後のスケジュールは未定。(2011.3.22)

プロフィール
金島隆弘さん金島隆弘[かねしま たかひろ]
1977年、東京都生まれ。FEC代表兼ART iTプロデューサー(東アジア担当)。
2002年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了、ノキア、東芝、東京画廊を経て、2007年よりFEC(ファーイースト・コンテンポラリーズ)の設立準備、2008年4月よりZAIMにて活動を開始。横浜、北京、台北を中心とした東アジアの現代美術のリサーチプロジェクト、作家の作品制作支援、交流事業等を手がける。
2010年6月に、アートフェア東京エグゼクティブ・ディレクターに就任。

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2011年2月25日発行号に掲載したものです。