2020-07-22 コラム
#美術

ヨコハマトリエンナーレ2020 開幕 アーティスト・新井卓にとってウイルスと共存する社会とは?

「ヨコハマトリエンナーレ2020」が7月17日(金)に開幕した。新型コロナウイルス感染症への十分な安全対策を講じるため、開幕を2週間延期しての開催。参加アーティストのひとり、写真家・新井卓さんに新しい作品、ウイルス流行下で考えたことなどについて、オンライン・インタビューで話を伺った。

©TAKASHI ARAI STUDIO

 

新井卓さんは、「ダゲレオタイプ」という撮影法を用いて制作する、世界でも数少ないアーティストだ。最初期の撮影技法で銀板写真とも呼ばれるダゲレオタイプを用い、これまで核の歴史への関心につながる作品などを発表してきた。「ヨコハマトリエンナーレ2020」には、千人針をモチーフとした新作を発表する。コロナウイルス感染拡大下での「自主隔離」の中の作品制作はどのようなものだったのかを聞いた。

 

奪われた土台

 

−−コロナウイルス感染拡大下ではどのように過ごされていましたか?

新井:ものをつくるということは、人と関わらないと始めることができないし、続けられないし、終わらない。それを奪われるということは、誰も予期していなかったことです。今まで当たり前のものとしていた自分の土台が、すっと消えてなくなってしまい、困惑しました。どうやって過ごしていたのか、3月頃のことはまるで悪夢の中にいたような感じでよく覚えていないんですよ。

ヨコハマトリエンナーレに出展する映像作品のために、92歳の方を撮る予定がありましたから、その撮影ができる日が来るまでは絶対に自分が罹ってはならないと自主隔離していました。YouTubeで公開されていたヨガをやったり、パンを焼いてみたりと、隔離下の暮らしのルーティンをつくることで精一杯でしたね。アーティストとしてではなく、人として日々の生活の基盤ができてきて少し落ち着くことができました。そうした日常が回るようになってからは、もともと引きこもりがちな性分もあって、それなりに楽しみながらひたすら自主隔離を続けていました。

4月末になってようやくダゲレオタイプのための銀板が届きました。それでやっと「よし、始めよう」と立ち上がったような感じです。

 

−−そこからヨコハマトリエンナーレのための作品制作を始めたのですか?創作活動にはどんな影響があったのでしょうか?

新井:今回は「千人針」をモチーフにしています。「千人針」というのは、一枚の布に千人(注)の女の人が赤糸で一針ずつ刺して縫い玉をつくって出征兵士に贈ったものです。古書店で入手しました。その縫い目を撮影した1000枚のダゲレオタイプの写真を壁面いっぱいに並べ、それに向き合う形で映像作品を展示します。つまり、ダゲレオタイプの撮影と、映像制作を同時に進めなければならなかったのです。こんなに作品づくりがぎりぎりになったのは初めてです。

ダゲレオタイプは銀板に像を焼き付けるのですが、コロナ禍の影響で必要な材料が届くのが大幅に遅れました。やっと届いた時には、撮影期間が2カ月を切ることになってしまいました。元の計画では5カ月がかりで撮影する予定だったんですが。千人針の縫い目のひとつひとつを撮影して現像するという作業を繰り返すのですが、通常のペースだと1日10枚撮影するのが限度です。それを1000枚、いや仕上げてみないと出来栄えはわからないのでもっと多い枚数を、毎日毎日撮影し続けたので精神的にも肉体的にも追い詰められました。

©TAKASHI ARAI STUDIO

 

小さい縫い目を拡大撮影するためにF直の低い(暗い)マイクロレンズを使用したので、1万5000ワットの閃光を当てなくてはならず、始めた頃にはその強いフラッシュの紫外線で顔に軽いやけどを負ってしまいました。 1000枚を撮り切らなくてはならないという辛い作業の連続でしたが、でも自分で好き好んでやっているわけですからね。にわか仕込みのヨガで身体をほぐしながらしのぎました。
(注:厳密には千人ではない場合もあった、寅年生まれの女性は年の数の縫い玉を縫ったので。)

 

思いがけないウイルスの余波

 

−−そんなご苦労があったのですね。映像制作の方にも影響はあったのでしょうか?

新井:広島で撮影をしようと計画していましたが、緊急事態宣言が解けて実施できたのは6月6日でした。実際に千人針を縫った経験のある92歳の女性、そしてその娘と、若い孫世代の女性に出演してもらいました。「おばあちゃん」が玉結びを縫って、「娘」がそれをほどく、「孫娘」がその布にアイロンをかけるというストーリーです。自主隔離のかいもあり、やっと映像撮影ができたことが嬉しかったですね。原爆遺構のひとつである旧陸軍被服支廠という建物の前での撮影です。ここは軍服の製造や修繕を大規模に行っていたところで、たくさんの女性が縫いもの仕事をしていた場所です。当初は秘められた祈りとして始まった「千人針」と重なりながらも対極の背景を持っています。

《千の女と旧陸軍被服支廠のためのアンチ・モニュメント、広島》より ©TAKASHI ARAI STUDIO

 

©TAKASHI ARAI STUDIO

 

旧陸軍被服支廠前での撮影風景 ©TAKASHI ARAI STUDIO

 

−−映像作品の完成もぎりぎりになったのでしょうか?

新井:映像作品にはもうひとつ、「千人針」にまつわる要素が入っているのですが、それは蚕の映像なんです。千人針は日露戦争時から太平洋戦争初期にかけては絹布が使われることも多かったようです。。それに養蚕はずっと日本の主要産業でしたし、戦時中に植民地支配する際には養蚕ができるかどうかを評価したという軍事的な関わりがあります。それで蚕が絹糸をはいて繭をつくるところを映像に入れたいと構想していたのです。当初は養蚕農家に撮影に行く計画でしたが、その計画は実現できそうにもなくなりましたので、自分で蚕を飼うことにしました。これもコロナウイルスのせいですね。

−−思いがけない余波ですね。

新井:インターネット・ショッピングで蚕飼育セットを購入して、卵は5月22日孵化しました。その後も順調に脱皮と変身を繰り返しながら育ち、6月18日に繭をつくりはじめました。無事にその様子を撮影することもできました。

育てる過程は楽しかったですよ。父親の実家が養蚕をやっていたので子どもの頃に蚕の世話を手伝ったりしたことを、葉を食べる音や匂いで懐かしく思い出しました。

蚕は人間の都合で、蛾になっても飛べないように品種改良された生き物で、人間によってのもとで飼われなくては生きられない、人間の身勝手さに巻き込まれた生物なんです。実際に飼ってみたことでそんな思い入れも湧いてきましたね。

©TAKASHI ARAI STUDIO

 

テーマとの向き合い方

 

−−「千人針」のテーマで新作をつくることはいつ頃から決まっていたのですか?

新井:ヨコハマトリエンナーレのために決まっていたのではないです。展覧会のためにとテーマを決めるということはしないので。千人針に興味を持って調べたりし始めたのは2、3年前になると思います。

作品としてつくり始めるまでには時間がかかるんですよ。去年の秋に、ラクス・メディア・コレクティヴ(ヨコハマトリエンナーレ2020のアーティスティック・ディレクター)がスタジオに訪ねてきてくれて食事をしたりしながら長い時間会話をしたんです。千人針を試しに撮影したものを見せたところ、「それでいこう」ということになったのです。彼らが言うには「ドキュメントとしての写真じゃないところがいい」というふうなことでした。

おそらくは、僕がつくろうとしていたものが千人針のドキュメンタリーではないということに共感してくれたのではないかと思います。歴史的な遺物をモチーフにする場合、そのドキュメンタリーならば単純です。「こういう歴史がありました。人々はこのようにしてこれをつくりました。でも今振り返るとこういう意味なのではないでしょうか」という、テレビのドキュメンタリー番組であったり、インターネットのまとめサイトのようなものになりがちなんです。

人は意味がわからないものは怖いと思うものですからね。なんでも簡単に解釈をつけてわかろうとする。解説がつけられたものに対して、安心してそれ以上の思考を止めてしまう。でもそれは危険なことでもあります。

©TAKASHI ARAI STUDIO

 

−−ではどのような作品なんでしょうか?

新井:これまで、原爆ドームや第五福竜丸など、戦争や災害にまつわる、よく人に知られた歴史的遺物を撮ってきました。それらは社会の中で歴史的に大事だと価値が認められているのですが、その「平和のモニュメント」といった確定的な価値を脱構築するということをずっとやってきました。でも、それだけでいいのだろうかと思い始めてきていたんです。歴史的なものを語っているオブジェクトは、有名無名に限らず、大から小までいろいろあって、千人針は最も多数遺されている歴史的遺物で、名もなき一介の市民がつくったものです。そういう、ささやかな、まだ価値がなんだかわからないものをテーマにやっていきたいとシリーズを始めたのです。

最初に興味を持ったのは、千羽鶴でした。東日本大震災の後に、被災地に日々大量に送られてくる千羽鶴について調べてみたら、みんなの力を合わせると願いが叶うという古来の「合力祈願」が元になっていることがわかりました。お百度詣りなどもそれに当たりますが、古代から世界中で行われてきたものです。

千人針もそうしたものですが、始まった当初はなんと「兵隊に取られませんように」という徴兵忌避の祈り、それが後に「無事に帰ってきてほしい」という家族や恋人の間での密かな祈りに変化していったらしいのです。それは「勇敢に戦って命を惜しまない」という政府の意向とは反する存在だったのですが、太平洋戦争末期になると「銃後の守り」の団結に利用できると推奨されることになり、国防婦人会などを通して女学校に発注して大量生産されるようになります。

最初の成り立ちと、後になってからの利用のされ方が全然違ってくるのです。個人のささやかな善意だったり、ひとりの密かな願いだったものが、大勢の手によって編みあがって集合すると、モンスターのような呪物になる。

千人針や千羽鶴のような、個人や家族といった最小単位の共同体内で受け継がれる歴史的な記念物を「極小の記念物(マイクロ・モニュメント)」と呼ぶことにしたのですが、千人針のダゲレオタイプという「マイクロ・モニュメント」と、千人針を縫った体験のあるおばあちゃんの記憶に関する半分フィクションの映像という「非モニュメント」を対比させて展示したいと考えています。作品に意味づけすることはしないで、見る人の感覚にまずアクセスできればといつも思いながら。

 

−−詳細に調べ上げたのですね。テーマに向き合う時はいつもそういう姿勢で臨まれるのですか?

新井:ついのめり込んでしまう性格なもので。今回の千人針について調べたり考えたりしたことは、制作を始める前に「千羽鶴・千人針考 ──極小の記念物(マイクロ・モニュメント)とナショナリズム── 試論 」という短い文章にまとめました(未発表)。

研究活動については、都立第五福竜丸展示館で出会った研究者の誘いで東アジア環境史学会に参加した折、歴史学者の藤原辰史さんとお知り合いになり、藤原さんが人類学者の石井美保さんら研究者と立ち上げた「アニマ・フィロソフィカ」という共同研究チームにも加えていただいて、現在論文を書いているところです。環境史学や人類学が取り上げることは、僕の関心と見事に合致するので、とても学ぶことが多く、常に影響を受けています。

 

−−そんなご苦労が実って、ついに新井さんの作品が公開になりましたね。

新井:とてもびっくりしたのですが、このウイルスの拡大下で若い人たちが「この布マスクは現代の千人針だ」などとSNSなどでさかんに言い出したんです。迷信、あるいは役に立たない呪物の象徴のような言い方で千人針を引き合いに出していたので、まさか現代の若い人たちからこんな言葉を聞くとはと驚きました。この世相の中で、千人針に対してそういうイメージを若い世代の人たちがもし抱いているのであれば、僕の作品にどのように反応するのか興味があります。

 

−−コロナ後の世界においてアートはどんな役割を果たすのでしょうか?

新井:懸念していることがあります。写真の世界ではずいぶん前からスナップ写真の存在感が薄れてきています。戦後日本で活躍したスナップシューターたちは、人々がちっとも大事だと思っていないないもの、ゴミみたいだと思っているものを拾う仕事なんです。そういう人がいなくなると、社会に見えない死角ができてしまう。価値があるのかないのかわからない変なものや表舞台から隠された人々が見えなくなってしまい、公共にばらまかれる広告的イメージしか残らなくなってしまいます。それが当たり前になってしまうのは危ないことです。コロナ後の社会で、好き勝手に写真を撮る行為やほかのすべてのものが自粛ムードになって諦められてしまい、目に見えない不可視領域が増えていくのは怖いことだと思っています。

ヴァルター・ベンヤミンという哲学者は自分の仕事のことを「歴史の屑拾い」と称しています。それを僕はすごく気に入っています。アートもそうだと思うんです。社会ですでに価値や評価の確定されたものをとりあげるのではなく、みんなが見たくない、無価値だ、むしろ嫌いだと思っているようなものを、アートというフォーマットで見られる形にすることを手伝うことが自分の仕事だと思っています。コロナ後の社会でそういう仕事がやりにくくなることは恐怖です。自粛や安全や安心といったスローガンのもとでそういうことは起きるものですから。いろいろなことを諦めてしまう社会にならないようにしなければと思っています。

撮影:大塚敬太 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会

 

新井さんの作品《千の女のための多焦点モニュメンツ No.1〜10》と《千の女と旧陸軍被服支廠のためのアンチ・モニュメント、広島》には「ヨコハマトリエンナーレ2020」の横浜美術館会場で出会える。「考えるための入り口になれば」という新井さんの新作に立ち会って、ゆっくりと感覚が呼び覚まされるのを待ってみたい。

構成・文 : 猪上杉子

 


 

【プロフィール】

Photo by Anton Orlov

 

新井 卓(あらい・たかし)
1978年神奈川県生まれ、同地を拠点に活動。
写真の最初期の技法であるダゲレオタイプを用い、核の歴史への関心と接続させた作品などを発表。ヨコハマトリエンナーレ2020では、戦地へおもむく人の無事の帰還を願って作られた千人針をモチーフとした新作を発表。これまで、ボストン美術館、サンフランシスコ近代美術館、森美術館、東京国立近代美術館、上海ビエンナーレほか国内外の多数の展覧会に参加。2014年に英国ソースコード・プライズ、2016年には第41回木村伊兵衛写真賞、日本写真協会賞新人賞、神奈川文化賞未来賞を、2017年横浜文化賞文化・芸術奨励賞を受賞。ボストン美術館、サンフランシスコ近代美術館、東京都写真美術館、エリセ美術館、ギメ美術館ほか多数の美術館に作品収蔵。単著に『MONUMENTS』(PGI、2015)などがある。

 

【イベント情報】
ヨコハマトリエンナーレ2020「AFTERGLOW―光の破片をつかまえる」
Yokohama Triennale 2020 “Afterglow”
アーティスティック・ディレクター:ラクス・メディア・コレクティヴ
展覧会会期:2020年7月17日(金)-10月11日(日)
毎週木曜日休場(7/23、8/13、10/8を除く)、開場日数78日
会場:横浜美術館 横浜市西区みなとみらい3-4-1
プロット48 横浜市西区みなとみらい4-3-1(みなとみらい21中央地区48街区)
*下記会場でも作品の展示があります
日本郵船歴史博物館 横浜市中区海岸通3-9
開場時間:10:00-18:00
※10/2(金)、10/3(土)、10/8(木)、10/9(金)、10/10(土)は21:00まで開場
※会期最終日の10/11(日)は20:00まで開場
主催:横浜市、公益財団法人横浜市芸術文化振興財団、NHK、朝日新聞社、横浜トリエンナーレ組織委員会
問合せ:050-5541-8600(ハローダイヤル/8時~22時)

 

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