フェミニズムの視点で文化を語り継ぐ――日本とインドネシアから思考する本間メイさん

Posted : 2020.03.06
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日本とインドネシアを拠点に活動する、アーティストの本間メイさん。この数年はフェミニズムの視点から女性への抑圧をリサーチし、映像作品の制作に取り組んでいる。2020年2月には、インドネシアでの調査にもとづいた出産や胎盤など女性の身体にまつわるテーマで構成した個展『Bodies in Overlooked Pain -見過ごされた痛み-』を開催した。複数の映像作品をとおして、西洋的な近代医療や日本におけるリプロダクション・ヘルス/ライツにまつわる話との比較などからインドネシアに特有の文化を伝える個展だった。開催中の展覧会場で、新作を中心に創作の背景を本間さんにお聞きした。

なぜ女性たちの「痛み」は消えないのか?――伝統的産婆「ドゥクン・バイ」をきっかけに考える

ナイフでざっくりと切られたドラゴンフルーツの実。本間さんの新作映像のワンシーンだ。そんなメインビジュアルも印象に残った本間さんの個展『Bodies in Overlooked Pain』が、2020年2月7日~16日まで黄金町エリアマネジメントセンター(Site-Aギャラリー、日ノ出スタジオI棟)にて開かれた。

展覧会『Bodies in Overlooked Pain -見過ごされた痛み-』のメインビジュアル

 

本間さんはここ2~3年、ジェンダーやフェミニズムをテーマにリサーチにもとづいた映像作品を手がけている。2019年度は、アーツコミッション・ヨコハマ(ACY)の若手芸術家支援助成クリエイティブ・チルドレン・フェローシップを初めて取得し、最新作『Bodies in Overlooked Pain』の制作に取り組んだ。同タイトルは個展のタイトルにもなり、表題作として会場内でも大きく扱われた。

『Bodies in Overlooked Pain』はインドネシアの伝統的産婆であるドゥクン・バイへの聞き取りから制作をスタートした作品だ。「女性の出産」というセンシティブなテーマだが、パフォーマーによる出産ポジションの実演や、バンド演奏による「クルアルガ・ブルンチャナ(家族計画)*1」の紹介シーンなど、コミカルな雰囲気もあわせもつ映像作品だった。パフォーマーの一人として、アーティスト本人も出演している。

本間さんの作品では、ナレーションで物語るテキストも重要な要素のひとつになっている。ナレーションではドゥクン・バイがもつ、女性の身体的・精神的な痛みをケアする技術や知識の豊かさ、女性の出産や避妊にまつわる日本の文化との比較などが語られていた。
(*1クルアルガ・ブルンチャナ(家族計画):子だくさんで知られるインドネシアで「子どもは2人まで」を推奨する政策)

『Bodies in Overlooked Pain』のワンシーン(※)

 

『Bodies in Overlooked Pain』の展示風景(※ 撮影:松尾宇人)

 

本作のタイトルになっている「見過ごされた痛み」とは、どのような問題意識から生まれたテーマなのだろう? 

「リサーチを深めていくにつれ、女性が肉体的に感じる『痛み』とは別に、ある種の神話的な価値観から『痛み』が操作されているのではないかと感じていました。
たとえば『黒人女性は痛みに強い』という偏見がいまだに残っていたりします。黒人奴隷への差別意識もあり、麻酔を使わずに人体実験をしていた記事も読みました。また日本では出産のときに、お腹を痛めて産むことを善とする考え方がいまだにありますよね。欧米では無痛分娩が主流なのに、日本では6%ぐらいだと聞きます*2。そもそも医学界で男性が多くを占めていた歴史を考えると、女性に関する病はまだまだ解明されていない部分が多いのではないでしょうか。このような社会的に存在する『痛み』への偏見や抑圧を、作品で取り上げたいと考えました」
(*2公益社団法人日本産婦人科医会 医療安全部会「分娩に関する調査」(2017年)によると、平成28年度の無痛分娩実施率は全分娩数のうち6.1%)

作中では「中絶」についてもナレーションで触れられた。現在は中絶の手段として「薬」を使うこともできるのに、日本の主流は「手術」である。また、インドネシアでは儀礼の執り行いなど、特別な技術を持つ人をドゥクン(直訳ではシャーマンの意)と呼び、かつて分娩介助を行なっていた伝統的産婆はドゥクン・バイなどと呼ばれている。ドゥクン・バイの技術は、主に母から娘へと継承される。オランダ占領期には慣習や伝統を尊重しない入植者に、ドゥクンたちは自分たちの技術を伝えようとしなかったそうだ。シャーマンという語源からは神秘的な存在が想起されるが、実際に本間さんが出会ったドゥクン・バイたちは、近所にいそうな話しやすい年配の女性であったという。作中では逆子を防止するためには「雑巾がけの体操」をすればいいなど、女性の身体に対する彼女たちのあたたかなまなざしが明かされる。

日本で当たり前と考えられている西洋近代医療は、女性の身体にとって本当によいものなのだろうか? 「痛み」を見過ごしているのではないかと、作品は観客に問う。

最新作でのチャレンジ

ドゥクン・バイへの聞き取りや、文献・記事などの資料をあたり、丁寧なリサーチを経て制作された最新作『Bodies in Overlooked Pain』。フェローシップを取得し、リサーチにもじっくりと挑んだ本作での新たなチャレンジは、どのようなところだったのだろう?

「イギリスやオランダ、アメリカは膨大なデジタルアーカイブを公開しています。今まではそういったアーカイブから、テーマに関連した画像を引用することが多くありました。ですが今回は、アーカイブを映像のなかでは使用していません。パフォーマーに演技をしてもらったことも初めての試みになりました。当初は映画のようにナレーションに沿った映像を制作しようと考えていましたが、そうではなく、身体的な動きとナレーションをうまく組み合わせれば面白いものになりそうだと思ったんです」

きっかけは、本間さんがジャカルタで開催したレクチャーパフォーマンスだった。そこで得たパフォーマティブな表現への手ごたえが、本作に反映されているという。またこれまでナレーションは小説の引用や、歴史的な事象を足しながらつくっていたが、今回の作品は扱う内容が多岐にわたったため、本間さんが自身でテキストを書く必要があった。

「リサーチではフェミニスト科学者の本や、医療系の道具などのコレクションをもつイギリスのプライベートミュージアムのデジタルアーカイブなどをとおして、医療の歴史や女性の身体的な痛みや病を調べました。こういった歴史と、私自身もしくはその他の女性が持ちうるパーソナルな視点、さらには日本の問題点や現在の状況などを織り交ぜながら、テキストを編んでいきました。初めての試みで大変でしたが、挑戦できてよかったです」

近年はSNSで、「私も」を意味する「#MeToo」を用いて、セクシャルハラスメントの体験を告白・共有する運動が世界中で広まった。これまで以上に、女性の声が社会的にも発信されるようになっている。「そんな社会背景が作品にも反映されているかもしれない」と本間さんは言う。過去作では歴史をさかのぼってリサーチし、物語を立ち上げる手法で映像作品を制作してきたが、テーマの対象が現代に近づいてきたのもひとつの変化だ。

「過去の話だけを扱っていた時は、『女性の姿』を用いる表現はしてこなかったのですが、今回は自分も含め『女性の姿』を積極的に入れていることも特徴です。昔の女性も今の女性も、同じような悩みを抱えていると考えるようになったからかもしれません」

文化的体験をいかに残すか――作品が伝える歴史

個展では、先述した最新作『Bodies in Overlooked Pain』に加え、同会場内(Site-Aギャラリー)で2019年に制作した映像作品『Our special organ』、『Pekerja perempuan -Women workers-』を展示。『Our special organ』は、女性の出産後、身体の組織の一部である「胎盤」を入れた壺を埋める風習を伝える映像作品だ。出産体験のインタビューも含まれている。『Pekerja perempuan-Women workers-』は、瓦工場(瓦を生産する工場)で働く女性たちの姿を捉え、彼女たちの生活をナレーションで伝える作品。作中では「以前、インドネシア人は毎年子どもを産んでいた」など、子だくさんの実態も語られた。

『Our special organ』展示風景(※ 撮影:松尾宇人)

 

『Pekerja perempuan-Women workers-』展示風景(※ 撮影:松尾宇人)

 

さらに黄金町エリアの別会場(日の出スタジオⅠ棟)では、関連展示として『Anak Anak Negeri Matahari Terbit-日出ずる国の子どもたち―』(2018年、映像)も公開された。本作は東アジア・東南アジアでセックスワーカーとして働いた日本人女性・通称「からゆきさん」のストーリーをたどり、近代日本の植民地主義に内包された女性蔑視を浮き彫りにした作品だ。

『Anak Anak Negeri Matahari Terbit-日出ずる国の子どもたち―』展示風景(※ 撮影:松尾宇人)

 

胎盤を壺に入れて埋める風習。具体的には、子どもの成長に見立てたたくさんのスパイスや植物などを、胎盤と一緒に壺に入れ埋めるのだが、その風習を知った経緯が本間さんの作品創作に影響しているという。

「きっかけはインドネシアのブル島で農園を経営していた、オランダとインドネシアの血をひくBeb Vuykという作家が書いた本でした。ブル島はインドネシアのなかでは最果てとも言える場所で、ジャワ島などとは人種も文化圏も全然違います。彼女がそこでの生活をノスタルジックに書いている本の中で、その風習が紹介されていたのを偶然読みました。
私のような外国人がそういった情報を得られるのは、オランダや混血の人たちが本にして、それが英語になっていることがあるからです。インドネシアだと地域によって言語も大きく異なり、残らない文化もたくさんあると思うんです。このような文化的な体験を、作品にできないだろうかと考えました」

本間さんの友人たち、インドネシアの都市部に住む20~30代の若い世代には、胎盤を埋める風習の詳細は知られていないことも多いそうだ。
Beb Vuykが書いた本のように、今度は本間さんの作品が誰かに文化を伝えていくのだろう。

「フェミニズム」の視点――インドネシアとの出合いをきっかけに

本間さんの作品の特徴であるジェンダーやフェミニズムといった主題には、どのようなプロセスを経てたどりついたのか。そこには2009年から4年間留学していたイギリスでの経験が関わっている。

「イギリスの人たちは考えていることや価値観がそもそも違うし、そこに居る人たちみんながフェミニストという感じだったんです(笑)。イギリスに行って初めて日本は男女平等ではないことに気づいたのですが、ずいぶん時間がかかったなと思っています。これまで日本で感じていた居心地の悪さが何だったのかやっとわかったんですね。
その気づきはある意味本能的なもので、言葉で表すのは難しいのですが、イギリスでは女性としての振る舞いが求められていないように感じました」

多くのアーティストがフェミニズムを主題として扱っており、すでに一定の議論が尽くされているとイギリスで感じた本間さん。「ここで同じことをやっても面白くないだろう」と考えた。その後、展覧会の運営の仕事でたまたま渡航したインドネシアが、本間さんにとって「面白い」場所となる。2016年にインドネシア語を学びに行ってから現在まで、インドネシアと日本を行き来する生活がはじまった。

「戦時中は日本がインドネシアを占領していました。それを忘れることはできません。ポストコロニアリズムの観点からも、日本とインドネシアのつながりや違いを比較していきたいと思いました。私自身、日本のことだけを調べることには興味がなかったのですが、インドネシアと比較することで、これまでよく分からなかった『フェミニズム』がいろいろなところでつながっていくのを感じるようになりました」

本間さんがイギリスで学んでいた頃は、「エッセイフィルム」と呼ばれる手法に再び注目が集まっていた。エッセイフィルムとは、監督の主観的なアプローチで物語の制約から逃れ、ナレーションで思考を反映する実験的な映画の形式と言われている。本間さんもエッセイフィルムをつくってみたかったが、なかなか実現しなかったという。

「今振り返れば『みんながフェミニスト』のイギリスで、自分は何を考えて何をリサーチして見せたいのか、その対象が定まっていなかったから、つくることができなかったと思うんです。はじめはエッセイフィルムをつくりたいと考えていましたが、今は自分がつくるものがエッセイフィルムであるかどうかにこだわりはありません」

セックスワーカー、日本軍「慰安婦」、女性の労働、胎盤、出産。この2~3年につくられた作品のテーマを並べれば、本間さんがイギリス時代の逡巡を脱却し、ジェンダーの観点から女性をとりまくさまざまな抑圧に焦点をあて、創作を重ねてきたことがよく分かる。そして歴史にもとづいたストーリーから、現代の女性がもつ悩みや痛みへと主題も移行した。インドネシア人と結婚し、公私ともにインドネシアとの深いつながりをもつ本間さん。インドネシアでのリサーチプロジェクトは、彼女のライフワークとも言えるだろう。

フェローシップの取得をきっかけに、「ひとつの展覧会として、複数の作品をまとめて発表することができたのは大きな経験になった」と本間さんは振り返る。展示メディアも映像だけでなく、写真作品やアーカイブの展示など、複数のメディアによる構成に取り組んだ。

「じつは写真の作品(『子宮頸部のサイズ1cmから10cm』)が売れそうなんです。私の映像作品は人の話を扱っていることもあり、あまりマーケットに出したくなかったのですが、作品を写真でも展開することで、マーケットに出すことができる可能性も得られました」

フェローシップを契機に、新たな可能性を模索する本間さん。これからも最新作に連なるテーマを掘り下げていくのか、それとも新たな主題で創作をはじめるのだろうか。これからのプロジェクトにも期待したい。

インタビュー・文:及位友美(voids
写真:大野隆介(※をのぞく)


【プロフィール】
本間メイ(ほんま・めい)

アーティスト/Back and Forth Collective メンバー
1985 年東京都生まれ。現在、東京とバンドン(インドネシア)拠点。2009 年女子美術大学芸術学部芸術学科卒業。2011年チェルシー芸術大学大学院ファインアーツ科修了。近世から現代にいたるインドネシアと日本の歴史的関係のリサーチを基点に、資料やアーカイブといった公的なドキュメントのみならず、小説や日用品、作家自身が現地を歩き、映像を撮影するなど多角的なアプローチを取り入れ、現在にも通ずる社会・政治的な問題や多国間における関係性を考察する映像作品やインスタレーションを発表している。近年は見過ごされがちな女性に関する歴史を主に扱う。
主なグループ展に「Instrumenta #2 MACHINE/MAGIC」(National Gallery of Indonesia、2019年)、「5th Indonesia Contemporary Ceramic」(Jatiwangi Art Factory、2019 年)、「つぎはぎの『言葉』(字 ことば kata eweawea)」(トーキョーアーツアンドスペース本郷、2018年)、「Quiet Dialogue:インビジブルな存在と私たち」(東京都美術館、2018年)など。