舞台にドキュメンタリーの方法論を持ち込む ――劇作家・太田信吾が語る「発見」の意味

Posted : 2019.03.17
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映像監督や俳優として活躍してきた太田信吾さんが、初めて演劇作品に取り組んだ。その『幽霊が乗るタクシー』のコンセプトや、映画と演劇の創作の違い、それらの作り手として目指しているものは何かなどについて、お話を聞いた。横浜の海に出るのが大好きという意外な素顔も垣間見せてくれた。

太田信吾

ドキュメンタリー映像作家の初めての取り組み

今年2月、横浜で行われた国際舞台芸術フェスティバル「TPAM」のフリンジ企画として初めての演劇作品を発表した太田信吾さん。その肩書きは、映画監督・演出家・劇作家・俳優という。映像と演劇の作り手、演じる側の両方にわたる。2018年度の創造都市横浜における若手芸術家育成助成「クリエイティブ・チルドレン・フェローシップ」フェローシップ・アーティストの一人に選出され活動をしている。
自身の引きこもりの体験をテーマに撮ったドキュメンタリー映像『卒業』は、イメージフォーラムフェスティバル2010優秀賞・観客賞を受賞し、注目を浴びた。友人の自殺を契機に7年がかりで撮りあげた初の長編ドキュメンタリー映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』は山形国際ドキュメンタリー映画祭2013で公開後、世界12カ国で配給され、大きな反響を呼んだ。俳優としてはチェルフィッチュなど演劇作品に加わり、TVドラマにも出演している。2017年には初の映像インスタレーション・パフォーマンス作品を韓国のソウル市立美術館で発表した。テレビのドキュメンタリー番組ディレクターとしても活躍している。
作り手としてはドキュメンタリー映像の分野で評価を受けてきた太田さん、その初めての演劇作品『幽霊が乗るタクシー』は、プロローグ部分に「幽霊」という言葉を辞書の1ページを引用するかのように示すシーンがある。従来の名詞としての「幽霊」の定義に続いて映し出された映像は、動詞として定義された「幽霊」の辞書のページ。そこには「【動詞】—死者に想いを馳せる。」とあった。

「幽霊」は「死者を想う」という動詞

——演劇作品『幽霊が乗るタクシー』にはどのようなコンセプトがあるのですか?

東日本大震災の時の被災地の石巻市に何度も通って取材をしたのですが、そこで出会った死者に思いを馳せて演じること、これがこの舞台のコンセプトです。「幽霊」という言葉は名詞として「死後にさまよっている霊魂」などと定義され、怖れるもの、おぞましいものとして認識されている言葉だと思います。それを、残された人や生きている人が亡くなった人に想いを寄せて想像を働かせる行為として再定義しようという試みなんです。

石巻市には震災直後からタクシーの運転手の方が幽霊を乗せたという体験談が数多く寄せられていました。取材に訪れると、そういう体験をしたタクシーの運転手の方も、そして家族を亡くされた方も皆、幽霊に対して怖れを抱いていないし、死者として捉えているのではないと気づきました。被災者の方々が、死者とどう向き合い、自身の生にその存在をどう反映させて日常を生きているのかを学びたいと思いました。取材に当たって、答えづらいことをお聞きするたびに、「言いづらいがそれでも言おう」と向き合ってくださり、言葉にしてくださった方々の協力や思いを伝えるという責任を果たせたのではないでしょうか。

太田信吾

——作品にはどのような反響がありましたか?

劇場で書いていただいたアンケートや私のツイッターに対する反応には、デリケートなことに踏み込んで掘り下げたことへの批判的な指摘もありました。その一方で海外の方などから、もう8年の年月がたって風化してかけていることを改めて思い出させてもらえたという感想などもいただき、様々な意見が届いています。
それはとてもありがたいことで、「これが真実だ」「事実だ」という一面的な見方を押し付けることはしたくなかったのです。この劇では亡くなった方の言葉を想像して演じたわけですが、俳優陣にはそのセリフがさも正しい真実であるかのような口調では発しないでほしいと強く言ってありました。没入して感情的におおげさにならないように、他者であるという距離感を保つようにと。「これは僕たちがあくまでも想像したことなんですが、僕たちが感じた実感を共有してもらえますか」という意識を忘れないように、演じている自分たちもふと立ち止まって考えるようにと気をつけました。

幽霊が乗るタクシー公演風景

『幽霊が乗るタクシー』撮影:盛 孝大 (スタジオサリュー)
画像提供:トーキョーアーツアンドスペース

幽霊が乗るタクシー公演風景

『幽霊が乗るタクシー』撮影:盛 孝大 (スタジオサリュー)
画像提供:トーキョーアーツアンドスペース

——それはドキュメンタリー映画の制作方法と通ずるところがあるのでしょうか?舞台を作ることはどんな違いがありましたか?

舞台は生身の人間が観客の前に立ってその場で演じるものなので、後からの編集という切って貼ってというプロセスによって見せ方をいくらでも変えられる映像作品とは、制作のプロセスはまったくちがいますね。ただ私の出発点は“ドキュメンタリー作家”だと考えています。ドキュメンタリーの制作は、人や社会とカメラを通じて向き合い、自省を繰り返すことで価値観が更新されていきます。人との出逢いによって対話を繰り返し、価値観の更新を続けていく作業こそがドキュメンタリーの醍醐味だと思います。ドキュメンタリー作家として、生の舞台空間にドキュメンタリーの方法論を持ち込み、新しい舞台表現を模索したいと考えました。
今回の舞台で言えば「幽霊」という言葉であり、以前の映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』であれば「自殺」というのがそのテーマだったわけですが、 社会の前提となっているそれらの言葉の定義付けを疑っていきたいという制作の姿勢は、舞台であれ映画であれ、同一です。

——昨年10月から11月までドイツで滞在制作を行ったのですね?どのような制作作業だったのですか?

ドイツのエッセンという街で28日間、俳優とともにこの劇の滞在制作を行いました。世界遺産にも認定されているエッセンの炭鉱遺構(ツォルフェアアイン炭鉱業遺産群)の一部をリノベーションした劇場型のアートセンターPACT Zollverein、ここが 募集をした海外のアーティストが滞在制作をするプログラムに応募したのです。魅力的だったのは、1カ月という長期間滞在しながら制作ができることと、炭鉱の街からリノベーション、更新されつつある街の環境から刺激をもらえそうだったこと。台本は出発1週間前に初稿を書いてありましたが、現地の方々の意見や実際のリハーサルやパフォーマンスを見て得た感触を反映し、随時、修正していきました。ドイツに身を置いて感じた肌感覚の中で書き換えていきました。日本人として今何を世界に伝えていくべきかについては常に意識していますが、それがより鮮明になったかもしれません。ドイツから帰国してからまた石巻に追加取材に行きましたが、新たな事柄も発見できて、制作に意味合いを加えることもできました。

太田信吾

ドキュメンタリー制作とは価値を更新すること

——2010年に発表された最初のドキュメンタリー『卒業』については、その目的は何だったのですか?

これはパーソナルな目的で撮りました。私が大学に通っていた時に引きこもっていた時期があって、その時の私と家族の関係性をパーソナルなドキュメンタリーにしようと思ったのです。カメラをコミュニケーションツールとして両親と対話をしていく過程を通して、私が世界と向き合う価値観を発見していく、それを共有してもらうために発表したドキュメンタリーです。引きこもっていた2年間は、模索する時間だったとは思いますね。大学3年生になったら就職活動をして社会に出る準備をしなくてはならないというような決められた流れがある中で、ふと、それってどういうことなんだろうと立ち止まって考える。自分はどういう形で社会と向き合っていけばいいのか考える時間を持ったことは大事だったと思います。

狭い社会の流れに従って生きていると見えてこない価値観を、カメラを持って探しに行き、その発見を伝えるために共有する。ドキュメンタリー制作をそういうワクワクするものとして捉えられるようになり、それで私にとってそれは必要なものになりました。

——最初の長編映画『わたしたちに許された特別な時間の終わり』は、「自殺」がテーマだと伺いました。

劇場公開デビュー作で、この作品の上映のためにいろいろな国に連れて行ってもらえたとても大事な作品です。親友が私にその映画を完成させてほしいという遺書を遺して自殺してしまい、それまで撮り溜めていた映像を中心に自殺というテーマで構成した作品です。7年という年月を要した制作プロセスも大変だったんですが、人の死を題材にするということが重く、残されたご家族と一緒に時間を過ごすところからじっくりと経験しながら作っていきました。これを作りながら、私のドキュメンタリーの作り方や意味が形作られた、そんな作品です。

——それでは、太田さんが作品を作るのは何のためですか?

『幽霊が乗るタクシー』を作ることで、東日本大震災から8年たって復興が進んでいる中でも、心の復興という意味ではまったく進んでいないことを、石巻で出逢った方の想いに触れて知ることができました。遺された人にとって心の傷は年月がたったからといって癒えるものではない、ずっと死者の想いと共に生きていくことでかろうじて自分が生きることができるのだと。それは私が友人を亡くした時に味わった感覚でもありますが、他者の経験を知ることであらためて発見することができました。そうした発見にこれからももっと出会いたいですし、それを一面的な価値観ではなく、観る人それぞれの発見につながるように伝えていきたい。そして「生」と「死」を考えることは、作品をいくら作っても消化できることではないので、これからもずっと大事なテーマでありつづけると思います。

実際、次の映画作品を準備しています。韓国の釜山映画祭のサポートを受けて新作の長編映画の脚本を準備しているんです。やはり大震災による生と死というテーマを追い続けます。今度は幽霊ではないですけど。来年の春には映画作品として完成になりそうです。

——横浜はどんな街ですか?

海釣りが大好きで、明日も行くんです。根岸の浜から出る船で沖まで行きます。海の中で揺られているとき、釣りあげる瞬間に、地球とつながっている、直接に生命と触れ合っているという実感があります。日頃人間の空間で暮らしていると感じ得ない生命のリズムを感じることが心地いいです。身体が解放されるような、動物的になれるような感覚です。特に映画の編集作業で100時間200時間もある映像を見直し続けているような時には、脳の緊張をいったん弛緩させないと、新しい発見やアイデアを見失ってしまうのじゃないかと思い、意識してリラックスの時間を取るようにしています。それには海に出るのが一番です。中学生の頃は漁師になりたいと思っていました。もし漁師になっていたら?それはそれで毎日何かを発見しているのではないでしょうか。

 

取材・文: 猪上杉子
写真 :森本聡(カラーコーディネーション)

太田信吾

【アーティストプロフィール】
太田信吾 映画監督・演出家・劇作家・俳優
1985年生まれ。長野県出身。早稲田大学文学部哲学専修にて物語論を専攻。映像制作に興味を持つ。処女作のドキュメンタリー『卒業』がイメージフォーラムフェスティバル2010優秀賞・観客賞を受賞。初の長編ドキュメンタリー映画となる『わたしたちに許された特別な時間の終わり』が山形国際ドキュメンタリー映画祭2013で公開後、世界12カ国で配給される。俳優としてチェルフィッチュなど演劇作品のほか、TVドラマに出演。2017年には初の映像インスタレーション・パフォーマンス作品を韓国のソウル市立美術館で発表した。テレビディレクターとしては「情熱大陸」(TBS)、「旅旅、しつれいします」(NHK総合)などの演出を担当。釜山国際映画祭ACFを受け台湾・韓国との長編劇映画の制作準備も進めている。