ボーダレスな表現者、森山未來がコンテンポラリーダンスを探求する理由とは。

Posted : 2018.11.22
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実力派俳優として知られ、現在はコンテンポラリーダンスの分野でも振付家・ダンサーとして世界を舞台に活躍する森山未來さん。振付家・ダンサーとしての森山さんは、ここ横浜とのゆかりも深い。3年に1度のダンスフェスティバル「Dance Dance Dance @ YOKOHAMA」(以下、DDD)では、2015年の『JUDAS, CHRIST WITH SOY ユダ、キリスト ウィズ ソイ~太宰治「駈込み訴え」より~』(HONMOKU AREA-2)に続き、今年2018年9月には横浜赤レンガ倉庫1号館で『SONAR』を発表し、大きな話題を呼んだ。 俳優としてのキャリアを築き上げた森山さんが、コンテンポラリーダンスを探求する原動力とは何なのか――。『SONAR』公演期間中の合間をぬって、幼少時から複数ジャンルのダンスに慣れ親しんだ彼が感じる、コンテンポラリーダンスの魅力を聞いた。

俳優としてよく知られる森山さんだが、その出自はダンスにある。幼少の頃から10代の終わりまで、ジャズダンス、タップダンス、クラシカルバレエ、ストリートダンスと、じつに多ジャンルのダンスを学んだ。映画や舞台の仕事で多忙を極めるようになると、次第に遠ざかっていたが、2010年前後からはコンテンポラリーダンスのダンサーとしての活動が花ひらく。第一線で活躍する振付家の元で踊るだけでなく、アーティストとのコラボレーションによって作品を立ち上げるなど、クリエーションにも多くの実績を重ねた。
横浜では、DDDへの2回連続での作品発表のほか、横浜赤レンガ倉庫1号館での『JUDAS~』の上演、横浜ダンスコレクション2017『Vessel』へ出演、またダンスワークショップの実施など、この数年でいくつものプログラムに取り組んでいる。

複数ジャンルのダンスを経て森山さんが出合った、コンテンポラリーダンスの表現。舞台に立つことを知り尽くした森山さんだからこそ、感じてきたコンテンポラリーダンスの魅力について聞いた。

ダンスをはじめたいきさつ

―森山さんは幼少の頃からさまざまなダンスを学んでいたそうですが、そもそもダンスをはじめたきっかけは何だったのでしょうか。

ダンスをはじめたのは5歳の時でした。ジャズダンスやタップダンス、バレエやフラメンコ、ストリートダンスなどを、高校を卒業するまでやっていましたね。きっかけは姉の影響でした。ジャズダンスからはじめたのですが、実際やってみると、ジャズダンスをマスターするにはバレエが基礎にないとできない、といったことがあります。そのように手を出していくうちに、どんどん種類が広がっていきました。もともと落ち着きのない、今だったら多動症と言われるかもしれない子どもだったので、身体を動かしたいという欲求があったんだと思います。そこがダンスとフィットしたんじゃないかな。

―日本では森山さんのことを、映画やドラマのお仕事で知る方が多いのではないかと思います。俳優の仕事とダンスの仕事、森山さんにとって棲み分けはあるのでしょうか。

例えばドラマや映画で芝居をするときにも、身体からアプローチをするという方法があります。身体と言っても、体そのものだけじゃなくて、服を着るとかアクセサリーをつけるとか、たばこを吸うといったことも、すべて身体の拡張の一部として考えることができますよね。身体でアプローチをするということは、ダンスの世界だけにとどまらないことなんです。ダンスの世界ででも、ただ身体を模索しているだけではないし、演劇の世界でただ言葉を模索しているのかと言うと、もちろんそれだけではありません。
舞台上での表現について言えば、五体を使ってどこまで見せられるかが一番重要です。つまり身体性を見せるという意味では、芝居もダンスもほとんど変わらないと僕は思っています。どんな表現も相互に影響し合っているので、僕のなかにその2つを隔てているものはありませんね。

―5歳から10代の終わりまで複数のダンスを続けてきて、現在はコンテンポラリーダンスにより深くコミットされていらっしゃいます。ダンスを続けるモチベーションについて、聞かせていただけますか。

高校を卒業してから東京に出て来て、いちおう大学に進学したんですけど、仕事がどんどん忙しくなってきてしまって。10代の頃から演劇などもやらせてもらっていたのですが、基本的にはダンスで自分のキャリアが始まったという意識がありました。ですが、ジャズダンスをやるためにはジャズダンスのためのトレーニングが必要で、タップにはタップの、フラメンコにはフラメンコのトレーニングがある。そのためのメソッドはすべて違うんです。そのジャンルの数だけ僕の師匠みたいな人が居て、僕は曲がりなりにもすべてのジャンルを続けて来てしまった。それを続けていくには、あまりに時間が無さすぎるし、どれかひとつに絞るという作業も僕にはできませんでした。そういういろいろな思いがあって、ダンスそのものから遠ざかってしまうというか、触りづらくなってしまった時期があったんです。だから今まで触ってきたものとは全く違う、それらを踏まえた新しい概念としてのコンテンポラリーダンスとの出会いが、僕のなかで大きな救いになったと言えるかもしれません。

コンテンポラリーダンスに感じる魅力とは

―森山さんとコンテンポラリーダンスとの出合いは、どのようなものでしたか?

2008年に『RENT』というミュージカルに出演したのですが、その時の振付家がきっかけでコンテンポラリーダンスに出合いました。コンテンポラリーダンスって、ダンスのスタイルというよりも、概念と思ってもらった方が良いと思います。直訳すると「同時代性」という意味ですが、これまでにあった既存のジャンルには囚われずに、新しい表現を模索するというような考え方です。
僕が衝撃を受けたのは、既存のスタイルのなかでは表現しきれない動きも、コンテンポラリーダンスなら新しい表現として考えられる可能性があること。例えばバレエなどでくるくる回る動きがあって、バランスを崩すと倒れてしまう。それはバレエというジャンルでは失敗とみなされるんだけど、コンテンポラリーダンスだったら、そこからどういう動きを生み出せるのかという可能性の方を大切にします。そこには新しい表現が待っているかもしれない。コンテンポラリーダンスの人から、失敗が次の表現につながると聞いたとき、そういう考え方があるんだなと目から鱗でした。そこからコンテンポラリーの概念が、自分のなかでしっくりくるようになって。
極論を言えば、どの人にも身体は備わっているわけで、いわゆるダンサーという職業じゃない人にも、身体で表現するためのポテンシャルはあるわけです。だから自分がダンスをしていない時間にも、身体で表現する可能性をもち続けることができる。僕にとってコンテンポラリーという概念は、とても重要な意味があります。

―バイオグラフィーを拝見すると、その頃からコンテンポラリーダンス作品への出演機会が増えていますね。

コンテンポラリーに出合ってから、すごく精神的に自分と身体の関係性を考えるのが楽になっていったというか、腑に落ちてきたように感じて。偶然かもしれませんが、その頃からダンス、もしくは身体をしっかり用いて舞台をつくる作品に呼ばれることが多くなりました。『SONAR』に一緒に出演したヨン・フィリップ・ファウストロムと出会ったのが、『テ ヅカTe ZUKA』(2012年)という作品でした。この作品が、コンテンポラリーダンスへと入りこんでいったタイミングとしては大きかったかもしれません。

―2013年には文化交流大使として、イスラエルのカンパニーを拠点に活動されていますね。海外で活動するなかで感じたご経験について、教えてください。

イスラエルに限らないことだと思いますが、そもそも海外のアーティストたちは、表現することにおいてジャンルのボーダーを明確に定義していないところがあります。ミュージシャンも、ダンサーも、俳優も、表現に携わる人はみんなアーティスト。表現を謳歌しているというか、表現することを心から楽しんでいるように感じました。その空気感が一番大事だなと思って。もちろん、批評を受けることもとても重要なんだけど、自分たちの内なる声に耳を傾けること、自分たちのなかで満足しているかどうかを一番大切にしているんです。自己満足に甘んじるということではなく、モノをつくることを純粋に楽しんでいるところが、すごく良いなと感じましたね。

―『JUDAS~』や『SONAR』をはじめ、森山さんは海外のアーティストとのコラボレーションに多くの実績があります。このようなアーティスト同士のコラボレーションは、どのようなきっかけではじまるのでしょうか。

今はインターネットやSNSをとおして、いつでも誰とでも情報を交換できたり、連絡を取り合えたりできる時代です。でも実際にはその人と直接に会わないと、物事は動いていかないんですよね。それをリアルに実感しています。いくら仲の良い人でも、ネットを通じて文章だけでやり取りをしていても、肝心なところで大きな一歩が転がらないという感じ。だから一緒に何かをやりたいと興味をもった人には、まず会いに行かなければならないということを、作品をつくるようになってから感じています。今もそれは大事にしていて。もともと僕は人と関わることにあまり積極的な方ではありませんでした。でも会いたいと思う人には、自分から会いに行かなければならないことを学んだし、コミュニケーションを取ることを恐れてはいけないと思えるようになりましたね。そういう経緯で生まれた作品がいくつもあります。
いきなり何か仕事を一緒にやろうということではなくて、ただ久しぶりに会って酒を飲もうということで良いんです。単純に楽しくコミュニケーションをするという、ふとした出会いのなかで、せっかくこうやって会ったし、なんか一緒に仕事したいよねっていうぐらいのところから作品が立ち上がっていきますね。

3人の対話そのものが結実した『SONAR』

―森山さんにとって2回目の参加となったDDD2018ですが、『テ ヅカTe ZUKA』で出会ったダンサーのヨンさんと、音響デザイナーの及川潤耶さんの3人で『SONAR』を発表されました。本作のコンセプトについて教えていただけますか。

DDDという企画のなかで、タイトルとコンセプトが最初に必要でした。ノルウェー人のヨンとのクリエーションということで、はじめは日本とノルウェーで共有できるものについて考えて。文化交流的なニュアンスから派生して、「捕鯨文化」がパッと浮かびました。クジラは超音波で交信をしていて、何千キロも離れている相手の超音波を読み取ることができます。そういう言葉ではない、超音波で交流する強さを表現することが最初のコンセプトでしたね。

―創作のプロセスについて教えていただけますか。

こういった少人数で作る作品って、何らかのダイアローグからしか生まれないと思っていて。今回はタイトルを最初にぽんと置いて、僕たちのなかで考え方や概念をシェアして交流していきました。コミュニケーションやダイアローグがそのまま作品として形づくられていくようなプロセスです。
「SONAR」は水中の超音波という意味ですが、3人の対話のなかでそれを振動、バイブレーションと捉えていきました。ミクロからマクロまで、すべてのものは振動している。物質そのものが、そもそも振動しています。振動は、人を癒すこともできれば、ソニックウェポンのように高周波を脳に与えて殺す兵器にもなり得ます。都市の中には電磁波が行き交っていて、それがどういう影響を僕らに与えているかも分からない――。そんな風に、イメージが移行していきました。

―『SONAR』は客席が無い、実験的な構造でしたね。どのような発想があったのでしょうか。

振動が持続的に続いている状態を観客に体感してもらうためには、どうしたら良いかを考えました。その結果、舞台の上に半端なものを置くよりも、何もない空間のなかで観客と一緒にさまようことができればいいのではないか、という結論に至ったんです。
今、クジラって、海のなかで生きる場所を奪われているのではないでしょうか。大型の船舶が世界中を行き交っていて、仲間のSONARが聞こえない。だから東京湾にクジラが打ち上げられたりしてしまうんです。客席が無い、ある種の居心地の悪さを観客と共有し、居場所を見つけてもらえたらと考えました。

―実際に『SONAR』を上演してみて、どのような手ごたえを感じていらっしゃいますか。

今回は本番が始まってから分かることが、非常に多いと感じましたね。1時間の公演のなかで、はじめはなかなか動かなかった観客が、動くことに対して頓着がなくなっていくというか。観客自身が自由になっていく、変化していくのを感じます。逆にそういった動きが分かっていけばいくほど、自分たちはどういうものを提示すれば良いのかということは、もう少し考えたいところでもあります。公演期間中にも、3人でアイデアを出し合っていますね。

―公演期間中にも、作品が変化し続けているんですね。最後に、森山さんがこれから取り組みたいと考える表現について、何かお考えがあれば教えてください。

ここ数年、ダイアローグのなかから作品をつくるという行為をしてきて、何か違う形を試してみたいなとは思っているんですけど、それが何なのか今は分かりません。一回落ち着いて、頭がすっきりしたころに出てくるかもしれませんね。

取材・文:及位友美(voids
写真:大野隆介


【アーティストプロフィール】
森山未來(もりやま・みらい)

1984年兵庫県出身。幼少期よりジャズダンス、タップダンス、クラシカルバレエ、ストリートダンスなどを学ぶ。2013年秋には文化庁文化交流使として1年間イスラエルに滞在した。帰国後はさらに活動の場を広げ、国内外のアーティスト、クリエーターとコラボレーションを行っている。近年の主な出演作品に映画『モテキ』『苦役列車』『怒り』、舞台『テ ヅカ TeZukA』『100万回生きたねこ』『髑髏城の七人 Season鳥』『プルートゥ PLUTO』、『談ス』シリーズなど。18年10月にKAAT DANCE SERIES 2018にて伊藤郁女との新作を発表。
miraimoriyama.com