アーティストとして生きる。現代美術家 渡辺篤さん

Posted : 2017.01.04
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アーツコミッション・ヨコハマでは、横浜から世界に芸術文化を発信する次世代のアーティストを発掘し、彼らのキャリアアップを支援する助成制度「創造都市横浜における若手芸術家育成助成 クリエイティブ・チルドレン・フェローシップ」を開始。1年目となる今回、選ばれたアーティストは3名。その中のひとり、渡辺篤さんにお話をうかがう。

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2016年、自らのひきこもりの経験から、HPで集めた人の心の傷に思いを馳せるプロジェクト作品『あなたの傷を教えてください。』を作り始めた現代美術家、渡辺篤さん。
今秋に開催された「黄金町バザール2016」では、ポストへの投函形式で心の傷を募集し、制作も続けながら展示した。アートファンだけでなく、まさに実際に悩んでいる人、それを近くで見ている人、この作品によって多様な傷があると知った人…たくさんの人たちに共感を持って迎えられた。NHK Eテレのドキュメンタリー番組をはじめとして、たくさんのメディアにも取り上げられた。
ひきこもりを終えて、アートの世界に本格的に舞い戻ってから3年。「今までとリズムが変わった。少しずつ何かが回り始めた」と感じる1年だった。

 

「僕は実家の自分の部屋でひきこもりをしていた。」

東京芸大在学中から出自や社会的な事柄をテーマにした作品を作り続けてきた。
取り上げる問題はシリアスなのに、諧謔に満ちてどこかユーモラスな部分があったり、マニフェストの意図を持ちながら、きっちりとすみずみまで美しい。彼のHPには歴代の作品が年代別に詳しく掲載されているが、2010年から2012年まで抜けている。
結婚を考えていた人との別れ、芸術家同士のしのぎの削り合い、その他にも人間関係の軋轢があり、10年間患っていた鬱が悪化し、2011年の東北大震災の直前まで7ヶ月半に渡ってひきこもった。
本人が「他人へのあてつけのような、精神の自殺」と呼んだ凄絶な時期を終わらせたのは、ドアをノックしてこない母へのたぎるような怒りと、意志の疎通が図れたことのない父が精神病院への強制入院を考えていたこと。
「自分の人生を父に勝手にされてたまるか」との思いだった。そして母もまた深く傷ついていたことに気づいた。部屋を出た直後、実家の脱衣所の鏡を使ってポートレートを撮った。
「他の人には撮ることのできないこの写真を制作するための7ヶ月半だった」と考えた。
渡辺篤はやっぱりアーティストだった。

翌年にはコンクリートで作った家に1週間閉じこもり、最後には自ら壁をぶち破って出てくるパフォーマンス『止まった部屋 動き出した家』を行った。コンクリートは無彩で、重くて、硬くて、そして震災の津波で土砂が流れた後の町の色。ある種不幸な色だ。それを打破して外に這い出てくるのは、再生の儀式にほかならない。

ⒸATSUSHI WATANABE / Photo by KEISUKE INOUE / Courtesy of NANJO HOUSE

ⒸATSUSHI WATANABE / Photo by KEISUKE INOUE / Courtesy of NANJO HOUSE

 

『あなたの傷を教えてください。』シリーズの素材もコンクリートだ。作品第一号は、渡辺さん自身の傷から生まれた。

ⒸATSUSHI WATANABE プロジェクト『あなたの傷を教えてください。』(2016)

ⒸATSUSHI WATANABE プロジェクト『あなたの傷を教えてください。』(2016)

 

コンクリート板に傷を明文化して描き、あらわにした後にハンマーで叩き壊す。そのかけらを陶器を修復する金継ぎという手法を使ってつなげていく。陶器の世界では、漆で繕った上に金粉をまぶしたひびの跡を「景色」と呼んで珍重するがごとく、それは新たな価値を生み出す。テレビのドキュメンタリーで「傷ついた経験って財産や才能を手に入れることなのかな」と渡辺さんはつぶやいた。

もちろん今も傷つくことはある。大抵の人が好意的な感想を寄せてくれる今回の作品だが、中には厳しい意見もある。「それを真に受けています」と苦笑する。でも2度とひきこもらない自信がある。なぜなら「アートがあるから」。「日常の無自覚な所作さえ、全てが表現だと僕は思っていて、それを積極的に行おうと考えているし、自由がある。ありがたいことです。だから日々やっていける」アーティストとしての自覚を深めた分、以前より強くなった。

 

世界を見据えるアーティストとしての身の処し方

この作品はある種のライフワーク。どんなかたちになっていくかはわからないが、ずっと続けていくことになると考えている。集まった傷の中には共感できるものもあれば「女の子に生まれてしまった。」と男性である渡辺さんがどうしてもわからないものもある。
傷の文言は丁寧にコンクリートに描きとる。文字は6層に渡って絵の具を重ねる。それは写経のごとく、傷に思いを馳せる時間。
「世の中には僕が想像したこともない傷がある。そんな声を聞き取れるのは僕だからできること。ある意味宿命だと思っている。止むに止まれぬ気持ちでやっています」でも自分は正義ではない。作品はヒーリング・アートではないし、救済と呼ばれるものではない。「政治、福祉、宗教ではできないことをアートでやろうと思っている。ただ、人がむやみに自分から死ななくてすむような提案をしたいだけです」
傷を作品として昇華させるプロセスは自分自身のためでもある。しかし社会的なテーマを取り上げたり、募集型で作品を作ると、矢面に立たされているという感覚がある。さまざまな意見が寄せられる。それに向かい合う覚悟が求められる。

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それでもこれからは外国の心の傷も知りたいと考えている。すでに英語、スペイン語、フランス語、ネパール語、ドイツ語での応募があった。外国に出向き、現地の言葉でこのプロジェクトを展開したい。「違う政治、文化、宗教によって作られた個人の感覚に触れてみたい。わからないから接してみたいと思います。先に世界に飛び出したアーティストたちからは、アートの概念が明快な国では制作活動がしやすいと聞いていますし」
これからの現代美術には、海外をものともしないフットワークと視野の広さが必要だと感じている。レジデンス制作や国際的な展覧会にも参加してみたい…。
2016年に創造都市横浜における若手芸術家育成助成「クリエイティブ・チルドレン・フェローシップ」に選ばれ、その助成は海外へ羽ばたくための準備に活用される。

先日、日本にやってきたアメリカのメトロポリタン美術館シカゴ美術館などのキュレーターの前でプレゼンテーションをした。「ひきこもり」という言葉は「オタク」や「カワイイ」などと同様、すでにアメリカ社会の語彙に入っていると聞いていたが、エモーショナルなニュアンスまでは伝わっていなかったようだ。しかし一説には300万人とも言われる日本のひきこもりの現実にはみな興味を示した。上手な翻訳の必要性を強く感じたという。「やはり言葉は大切だと実感しました。このプレゼンでは、アメリカの人は通訳を介してではなく、直接話すことで生まれる信頼感のようなものを重視するようだという発見もありました」
現在、英語も勉強中。作品の見せ方、プレゼンの手段など経験するたびに学ぶことも多い。長く交流のある先輩アーティストの会田誠さんや、横浜のキュレーターの意見も参考にしながら、世界への道を模索している最中だ。

 

2016年を振り返って、そして新しい年へ。

2016年はアーティスト、渡辺篤にとってはいい年だったのではないだろうか。
「ひきこもりをやめて、2013年に展覧会をしましたが、FBやTwitterで繋がっていた人たちは来てくれたけれど、当時アート関係の人たちはほとんど来てくれなかった。アーティストとして、まだしろうとくさかったかもしれません。それが2016年になって、助成のコンペにも選んでもらえたし、テレビなどで取り上げられたりして、少しずつ何かが回り始めた。リズムが変わった年ですね。今後もやっていく自信ができた気がします」

『あなたの傷を教えてください。』シリーズを作りながら感じていたことは、世の中は多様だということ。
「辛いことは絵空事、ドラマの中の話ではなく、リアルな生活圏にあるということを今さらの様に気づかされました。社会ってこんなふうになっているんだなと。“ケガレ”と呼ばれる忌まわしい物事から人は目を反らしがちだけど、それと一緒に人間は生きているのだということ。ひどいショックを受けると、自分だけに起こったと思いがち。でもそんなことはない。ピーカンの幸福ばかりじゃなくても、ちょっと曇天で、晴れもあれば、雨もあって、そうやって毎日続いていく、ということを学びました。発見というべきかな」

アートがあるからもう挫けないと言った渡辺さん。ではあなたにとってアートとは?
「難しい…」と少し黙った後で「まだピタッとしないけど、生きること」。
曇天でも生き続けるということ。その気概はアートと呼ぶのにふさわしいと思う。

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2017年夏には六本木ヒルズ A/Dギャラリーで個展が開催される。気になるのは次の作品だ。
「日常品、日用品など家にあるもので、僕の経験にとって精神的なフックのあるもの、自分のひきこもりのストーリーに由来するもの、例えばうちのドア、姿見、和室のシーリングライト、電話などをコンクリートで作って、壊して、またくっつける。シリーズの起点としての“私家版”を作りたいと考えています」きっとそこで語られるのは個人の物語だけではない。ビルド、スクラップ、ビルド、スクラップ、ビルド…人類は絶え間なく続けてきた。その普遍をかたどるものにもしたいと渡辺さんは考えている。
「作って、壊して、は一般的に言えば都市景観としてあるけれど、バーミヤン遺跡の破壊、再生といった様な事例にまでつなげていければと思っています」日用品と言ってはいるが「部屋がひとつ作れそうな感じ」と笑う。
私的な話をどのように普遍につなげていくのか、共感を紡いでいく現在の作品の手腕を知るだけに、とても楽しみだ。

 

渡辺篤(わたなべあつし)
1978年神奈川県生まれ。2007年2009年東京藝術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修了。在学時代から傷や囚われとの対峙を根幹とし、社会批評性の強い作品を発表してきた。
https://www.atsushi-watanabe.jp/

(文・田中久美子)