2020-11-27 コラム
#建築

横浜という都市の顔をつくった三人の建築家

横浜で三つの建築展が開催されている。取り上げられているのは、村野藤吾、槇文彦、浦辺鎮太郎という日本の戦後建築界を代表する三人。実はいずれも横浜と深い関係をもった建築家である。

 

撮影:井上玄

 

 

村野藤吾/都市に人間的な表情をもたらす

 

村野藤吾展が行われているのは、馬車道駅に隣接する帝蚕倉庫の跡に、その一部を復元する形で今年6月開業した商業施設「北仲ブリック&ホワイト」の1階、BankART KAIKO。会場には模型や図面が所狭しと模型や図面が展示されている。宇部市民館(竣工1937年)、世界平和記念聖堂(広島市、1953年)、日生劇場(東京・日比谷、1963年)といった著名な作品を差し置いて、中央の大きなスペースを占めているのが、横浜市庁舎だ。関内の駅前に立つ、1959年竣工の旧庁舎が、村野による設計だったのである。

横浜市旧庁舎模型 撮影:井上玄

 

村野は建築界の巨匠として、丹下健三と並べて挙げられることがある。その際、丹下は庁舎や体育館といった公共施設を多く手掛けたが、村野は百貨店やホテルといった商業施設を中心に設計したと、対比的に語られたりもするが、実際には村野も旧大庄村役場(尼崎市、1937年)、尼崎市庁舎(1962年)、宝塚市庁舎(1980年)など、庁舎建築をいくつか実現させている。その中でも、横浜市庁舎は代表作にあたる。

外観の特徴は、コンクリート打放しによる格子状の柱梁と、その間の壁、ガラス、バルコニーで構成したファサード(立面)だ。よく見ると、柱は上の階に行くほど細くなっている。材料の使用を最小限にする構造設計である。一方で、バルコニーは壁面に深い陰影をもたらし、一見、ランダムに散りばめられたような配置が、絶妙なリズムを見るものに感じさせる。そして壁面の素材にはレンガタイルをあしらって、豊かな質感を備えさせた。

横浜市庁舎が完成した時、周りにまだ大きな建物はない。そうした環境のなかに、のっぺりとした巨大な壁面が現れることを、村野は避けようとした。都市の公共建築は合理性一辺倒におちいらず、人間的な表情も必要だ、そんな主張がうかがえるデザインである。

加えて目を引くのは、内部にある階段や手すりといった細部のデザインだ。特に見入ってしまうのが、喫茶室の階段で、日生劇場や千代田生命(現・目黒区庁舎)の華やかな曲線階段と比べれば地味だが、むしろこういった普段づかいの階段にこそ、設計の巧みさが現れているようにも思える。今回の展示では、写真と図面によって、旧ヨコハマ市庁舎の細かなところまでがわかるようになっている。

展覧会場 撮影:井上玄

 

旧庁舎屋上にある塔 撮影:井上玄

 

旧庁舎の市民広場の吹き抜け階段 撮影:市川靖史

 

村野は関西に拠点を置いて活動した建築家だが、横浜市立大(1963年)の校舎も設計しており、建築家として横浜市への貢献は大きい。その重要な文化的遺産が市庁舎だったわけだが、竣工後60年を迎えて当初の役目を終えることとなった。建物のうち行政棟はホテルや商業施設として改造され、使われることとなっている。完全な形でないのが残念だが、関内の駅前にあった建物は、多くの人に親しまれた都市景観であり、それらが部分的にも受け継がれたことは、プラスととらえるべきだろう。

 

 

槇文彦/六大事業からかかわり新市庁舎を担う

 

代わりに、新しく建てられた庁舎の設計者が、槇文彦である。展示会場は、旧帝蚕倉庫の向かいに位置するヨコハマ創造都市センターBankART Temporary。旧横浜銀行本店別館(元第一銀行横浜支店)を保存活用した芸術文化活動拠点であり、横浜アイランドタワーの低層部にあたる。この建物の設計も槇によるものだ。

BankART Temporary  ©BankART1929

 

 

天井が高い1階のホールでは、新横浜市庁舎(2020年)、金沢シーサイドタウン(1978年)、並木第一小学校(同)、慶應義塾大学日吉図書館(1985年)、神奈川大学16号館(1996年)といった市内にある槇作品が紹介されている。一方、3階のギャラリーでは、スパイラル(1985年)、幕張メッセ(1989年)といった全経歴を通じての代表作から、リパブリック・ポリテクニック(シンガポール、2007年)4ワールド・トレードセンター(ニューヨーク、2013年)といった近年の海外作品までを、模型や映像を使って見せる。槇という建築家の全体像がわかる展示だ。

興味深いのはやはり前者である。横浜にある建築に加えて、ここには東京・代官山のヒルサイドテラス(1969-92年)も展示されている。これは公道に面して連続的に建物を設計していくことによって、類例のない優れた都市景観をつくり上げた事例だ。槇が建築と都市との関係を一貫して追求してきたことを、この展示室では伝える。縦長の大きな窓に掛かった建築をプリントしたバナーも、展示空間が外部の都市とつながっていることを暗示する。

展覧会場 ©BankART1929

©BankART1929

 

展示では大きく取り上げているもののひとつが、金沢シーサイドタウンだ。埋め立て事業で新たに開発された住宅地において、槇は都市基盤のデザインからかかわった。金沢シーサイドタウンは、みなとみらい21、港北ニュータウン、地下鉄、高速道路、ベイブリッジと並んで横浜市六大事業のひとつ。飛鳥田一雄市長(在任1963-78年)が、都市プランナーの浅田孝や田村明らとともに推し進めたこれらのプロジェクトは、現在、横浜市の都市的骨格となっている。これらの計画にデザイナーの立場から参画し、重要な役割を担ったひとりが槇だった。

そして槇は、新しい横浜市庁舎の設計も担当する。この建物では、建物に内包された開放的スペースであるアトリウムや、水辺の賑わいを生み出すテラスといった、都市的な公共空間が設計コンセプトの柱となっている。

なお、村野藤吾展と槇文彦展は、向かい合って位置する会場で同時期に開催されることから、「M meets M」のタイトルで一体のものとして広報が行われている。横浜市の庁舎の設計者は、MからMへと引き継がれたというわけだ。

現在の横浜市役所 ©BankART1929

 

浦辺鎮太郎/環境をとらえて活かす建築づくり

 

田村明のもとで横浜市の建築づくりを担ったもう一人の建築家が浦辺鎮太郎だ。浦辺は1909年、現在の倉敷市にあたる岡山県児島郡粒江村に生まれた。大学で建築を学ぶと、卒業後は倉敷絹織(現・クラレ)に就職。そこで営繕技師となる。先進的な企業理念をもった社長の大原總一郎のもと、工場、寮、美術館、ホテルなどの設計を手がける。

1964年に独立してからも、隅櫓構想と呼ばれるマスタープランに沿って倉敷市内の様々な主要施設を次々と設計。大原美術館分館(1961年)、倉敷国際ホテル(1963年)、倉敷市民会館(1972年)、倉敷中央病院(1975年)、倉敷市庁舎(1980年)といった施設が出来上がった。倉敷という街に、ホームドクターのようにかかわり続けた建築家であった。

美観地区の建物では町並みとの調和を図るなど、都市景観の重要性にも早くから気付いていた。そしてレンガ造の紡績工場を改修し、ホテルへと生まれ変わらせた倉敷アイビースクエア(1974年)の設計も担当する。古い建物を生かしながら用途を大胆に変えて用いる手法をコンバージョンと呼ぶが、日本における先駆けがこの建物だった。

同様の手法で倉庫を商業・文化施設に転用したものが横浜赤レンガ倉庫で、その1号館2階が今回の浦辺展の会場である。生誕110年を記念し、昨年、倉敷アイビースクエアで開催された展覧会を、横浜に巡回させるにあたって、会場に選んだのが参照先のこの建物であるというのは、気が利いている。

倉敷国際ホテル ©Forward Stroke inc.

大原美術館分館 ©Forward Stroke inc.

倉敷アイビースクエア ©Forward Stroke inc.

 

浦辺は浅田孝と古くから交流をもっていて、その紹介で田村と出会い、横浜での設計を行うようになったという。最初に手掛けたのは大佛次郎記念館(1978年)で、切妻形とボールト型の屋根が並ぶ造形は、モダニズムの建築デザインから絶対に出てこない不思議な魅力をもったもの。妻面に設けられた色ガラスはアールデコのようなパターンである。

続いて担当した横浜開港資料館(1981年)では、敷地を囲むように道路側に寄せてコの字形平面の建物を配置。隣接する区画の建物とともに、整った町並みをつくることが目されている。また、神奈川近代文学館(1984年)では、公園内の高低差がある敷地で樹木に隠れるように建物をつくっている。いずれも周囲の環境をとらえて、それを活かしていく建築づくりがはかられている。

これらのほか、展示室には浦辺が生涯で手掛けた建築作品群から30件近くが選ばれ、模型化されている。それが図面や写真とともに並ぶ様子は圧巻だ。建築家の全体像を知ることができるこの展覧会を見て、日本の戦後建築史における浦辺の重要性がさらに増したようにも感じられた。それだけ充実した展示であった。

展覧会 ©Forward Stroke inc.

大佛次郎記念館 ©Forward Stroke inc.

横浜開港資料館 ©Forward Stroke inc.

 

建築がもたらす都市への継続的な影響

 

三つの建築展に共通して見てとれるのは、建築家が果たした都市づくりへの大きな役割であり、その建築作品がもたらす継続的な都市への影響だ。市外の人も多く訪れる公共的な施設を設計したことで、横浜という都市の顔をつくったとも言える。

村野、槇、浦辺のほかにも、神奈川県立図書館・音楽堂(1954年)や神奈川県立生少年センター(1962年)を設計した前川國男、シルクセンター(1959年)や神奈川県新庁舎(1966年)を設計した坂倉準三、横浜市歴史博物館(1994年)の設計やみなとみらい21のマスタープランづくりにかかわった大高正人など、戦後の横浜の建築に大きな関わりをもった建築家はまだまだいる。「横浜近現代建築MAP」*というパンフレットが有隣堂伊勢佐木町本店5階で無料配布されているので、これを入手して、地図に示された横浜の名建築をたどってみるのもよいだろう。

横浜は建築に恵まれた都市である。それを改めて感じ入ることができた三つの展覧会だった。

文/磯達雄(いそ・たつお)

*「横浜近現代建築MAP」は先着順配布、なくなり次第配布終了。


【展覧会情報】

M meets M 村野藤吾展 槇 文彦展
会期:2020年10月30日(金)~12月27日(日)
時間:11:00~19:00
休館:月曜
会場:・村野藤吾建築展 ~旧横浜市庁舎の建築家~
BankART KAIKO(横浜市中区北仲通5-57-2-1F)
・槇文彦+槇総合計画事務所~人・建築・都市 槇 文彦建築展
BankART Temporary(横浜市中区本町6-50-1)
料金:2展共通チケット
*村野藤吾展と槇文彦展どちらもご観覧いただけます。
*ご本人に限り会期中何度でも入場可能です
一般:1,600円/大学生、専門学校生:1,000円/横浜市民・在住:1,000円/
高校生・65才以上:600円/障がい者手帖お持ちの方/付添1名 無料/
中学生以下:無料
お問い合わせ:展覧会開催連絡協議会(BankART1929)
info@bankart1929.com tel: 045-663-2812

建築家 浦辺鎮太郎の仕事 横浜展 都市デザインへの挑戦
会期:2020年11月14日(土)〜12月13日(日)
時間:10:30~18:30(入館は18:00まで)
会場:横浜赤レンガ倉庫1号館2階(横浜市中区新港1-1)
料金:大人 1,000円、大学生 500円、高校生以下 無料
お問い合わせ:浦辺鎮太郎建築展 実行委員会 事務局
E-mail:info@urabesekkei.jp tel:06-6220-0102

*MmeetsMと浦辺展は、相互チケット割引あり(チケット提示で入場料100円割引)

LINEで送る
Pocket

この記事のURL:https://acy.yafjp.org/news/2020/88710/