2019-06-11 コラム
#美術

「アートはなぜ私たちに必要なのか?」 を探る対談がBUKATSUDOで開催 逢坂恵理子(横浜美術館・館長)×川内有緒(作家)

横浜美術館で館長を10年にわたり務める逢坂恵理子さんと、ノンフィクション作家 川内有緒さんが、4月23日、横浜・みなとみらい「BUKATSUDO」で対談した。広く、深く現代アートやアーティストに関わる二人のテーマは「アートはなぜ私たちに必要なのか?〜人生をもっとしなやかに楽しむためのヒント〜」。さてどんなことが話し合われたのか、そして私たちの人生にどんなヒントが示されたのか?

逢坂恵理子さん(左)と川内有緒さん(右) BUKATSUDOにて※

 

逢坂恵理子さんと川内有緒さん、二人に共通する、縁の深いアーティストは、現代美術界のスーパースターとも呼ばれる蔡國強(ツァイ・グオチャン/さい・こっきょう)さんだ。川内有緒さんは、蔡國強さんと福島県いわき市の実業家・志賀忠重氏が一緒に生み出してきた数々の作品とその制作の舞台裏や二人の友情を丹念に取材して『空をゆく巨人』(集英社)を昨年刊行した。逢坂さんは、館長を務める横浜美術館で2015年に蔡さんの大規模な個展『帰去来』を企画・開催した。

対談は、その蔡さんと関わった体験をそれぞれが紹介して始まった。福島県いわき市での、日頃はアートに縁のない志賀さんらが、蔡さんが描いたスケッチを頭と体を使って形にしていく様子が楽しいと川内さんは話す。東日本大震災後に制作した「いわき回廊美術館」では美術館周辺の山々を、志賀さんが99,000本の桜を250年かけて植樹する「いわき万本桜プロジェクト」を進めているという。

いわき回廊美術館(写真提供;川内有緒さん)

 

一方、横浜美術館の『帰去来』では、美術館内で火薬を爆発させて巨大作品を制作したことが大きな話題となった。そのときの館長としての判断、学芸員たちの立ち回りなども、爆発の模様を納めた映像を流しながら逢坂さんは説明した。

【参考】蔡國強『帰去来』――絵画への“原点回帰”-

対談の後半では、いよいよ本題に入り、アートがもたらす人生における意味について、熱を帯びた対話となっていった。

 

 

現代アートと出会う

 

川内: 逢坂さんは現代美術に興味を持つきっかけになった作品はヨーゼフ・ボイスのものだと聞きました。どういう体験だったのですか?

逢坂:今でこそ現代美術の世界で仕事をしていますが、大学生だった1960年代後半から70年代始めのころは日本の美術史、しかも古い方を勉強していたので、現代美術のことはなにも知らなかったんです。出入りしていたのは東京国立博物館や根津美術館、出光美術館といった場所。

その後美術出版社でアルバイトをすることになりました。美術作品の資料を整理する作業をしていたときに出会ったのがヨーゼフ・ボイスというドイツのアーティストの作品です。『コヨーテ -私はアメリカが好き、アメリカも私が好き』(1974年)を見たときに、これは美術作品なのかと驚きました。ヨーゼフ・ボイスがアメリカに行って画廊の中にコヨーテと一緒にこもって1週間暮らすというパフォーマンス作品の記録写真でした。

川内:空港から直接ギャラリーに行って檻の中に入って1週間過ごして、他のアメリカを何も見ずにそのままドイツへ帰っていったそうですね。これだけを見るととてもいわゆる「美術作品」とは思えないですよね、当時これを見た人々の戸惑いはうかがい知れます。

逢坂:コヨーテはアメリカの象徴なんですよ。でも現在のアメリカではなくて、アメリカの先住民族のことを象徴しているんです。つまり現代のアメリカ社会を批判している作品で、先住民族のアメリカ人と自分はコミュニケーションをとるけれども、現代のアメリカ人とは接触しないという主張の作品。でもその意図はこの記録を見ただけではわからなくて解説を読まないとわからないですよ。

川内:わからないですね。他の作品も、ただ普通の黒板消しにサインがしてあるだけとか、単体で見たら、「えっ、これがなんで作品なんだろう」と思います。けれどもその背景を知るとやっと作品に見えてくるんですね。ヨーゼフ・ボイスは現代社会に疑問を投げかける作品ばかり作った人ですよね、私には不思議な存在です。

 

現代美術の面白さは現代と関わるところ

 

逢坂:美術作品を鑑賞することの意義は、わからないことをどうやって自分の中に引き寄せるかということなんですね、最初の一歩は。私もヨーゼフ・ボイスを初めて見た時、大学で美術史を勉強していたはずなのにまったくわからなかった。まったくわからないからちょっと恥ずかしいなと思って知りたいなと思ったのがきっかけなんです。けれども勉強してわかったからその作家や作品を好きになるかというと、そうとは限らずに以前から知っていてわかっているものの方がいいと思う人はたくさんいます。それはそれでいいんです。

でも、アーティストの持っている発想とか表現したいという意欲がどんなものなのかを知りたいなと思うのなら、自分からアプローチしていくことが大切です。ヨーゼフ・ボイスの思想は、美術は政治や社会や経済に深く関わるべきで、自分たちの世界をよくするためにもっと開かれたものになり、人々の中に浸透していくべきだというもの。

今言うと「なるほど」と思える考えですが、1970年代はまだなかなか一般には浸透していませんでした。美術史において美術のありかたを大きく広げた、画期的なアーティストの一人です。

 

わからないけれども惹かれた作品

 

逢坂:川内さんはウィリアム・ケントリッジが好きだと言っていましたね。

川内:いつから現代美術を見始めたのかと考えて思い当たったのです。25歳ぐらい(1998年前後)の時にワシントンD.C.に住んでいました。スミソニアン博物館に無料で入れましたので、暇な時にぶらっと行くようになりました。そんな折にウィリアム・ケントリッジの大きな展覧会が彫刻美術館全館を使って開催されました。

それまで私は彼について何ひとつ知らないでいて、ただその日暇だったからたまたまその美術館に行ったのですが、とても好きになっちゃって。初期の頃のウィリアム・ケントリッジの木炭を使ったアニメーション作品でした。その有機的な絵と音楽と作品性に心が裂かれちゃいました。それから彼のファンになり、彼の作品展示を追いかけるようになりました。

ニューヨークに彼の作品があると聞けば見に行き、スイスにあると聞けば見に行って。東京に作品が来た時(2010年 東京国立近代美術館「ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた…」)ももちろん見に行きました。

いま思うと、彼の作品との出会いが私を美術の世界に招き入れてくれました。南アフリカのアパルトヘイトのことを知らないで見て、「なにかわからないけどこの人の作品はずっと見ていたい」という気持ちにさせてくれたのが彼、ウィリアム・ケントリッジです。

逢坂: 私は 2002年、ドイツの「ドクメンタ」という現代美術の大きな祭典でウィリアム・ケントリッジの作品を初めて見ました。私も大きなインパクトを受けました。そもそも21世紀になる前はヨーロッパで行われる芸術祭にはほとんど欧米の作家の出品ばかりで、90年代の最後の方には日本やアジアの作家の出展も増えたんですが、アフリカの作家はなかなか展示される機会が少なかったんですね。

その2002年の「ドクメンタ」のアーティスティック・ディレクターがオクウィ・エンヴェゾーというナイジェリア出身の黒人のキュレーターだったんです。彼がウィリアム・ケントリッジを西洋の世界に紹介した人です。この間亡くなってしまいましたが。

21世紀という映像の時代となりアニメーションもコンピューターで描くのが当たり前になりましたが、ケントリッジはペラペラマンガのように1枚1枚全部手で描いて、それをコマ撮りして素晴らしい映像作品に仕立てる作風です。そして最近では昨年12月にインドの「コチ=ムジリス・ビエンナーレ」で彼の新作(“More Sweetly Play the Dance”)を見ましたが、その作品は古い建物の細長い空間の中に、まるで屏風のように10個ぐらいスクリーンが並ぶ作品でした。左手の方から人々が行進して移動していくような、そういうシーンが素晴らしかった。アナログ的な手作り感と今の新しい技術を組み合わせていて、現代の世界の様々な見え方というのを示してくれています。

川内: ケントリッジはYouTubeで見られる作品もあるので、 よかったらご自宅で見てください。

 

現代美術は人生をしなやかにする

 

川内: 昨年、お話を伺った時に、「年を取るごとにしなやかになってきた」とおっしゃったことがすごく素敵なことだなと強く印象に残ったんです。年齢とともにだんだん頑固になっていくのが普通なのに、どうやって年を取るごとにしなやかになっていったんですか。今日はそこをぜひお聞きしたいと思っていました。

逢坂: それはまさにアーティストとの出会いがあったから。現代美術作家との出会いを重ねて、アーティストと仕事をすることによって、自分の中にある偏見に気付かされ、それが1枚1枚剥がされてきたと思います。しなやかになったとも言えますが、真面目か不真面目かというと今の方が不真面目ですよね。20代の私が今の私を見たら許せないかもしれません。若い頃のほうが真面目で頑なで、許容する範囲が狭かったと思います。想定外のことがあるということをアーティストから教えてもらいました。

アーティストの思いも寄らない発想を、学芸員として、そして美術館館長として、いろいろな制限がある中でどうやったらいい形に持っていけるかを日々考えてきたわけです。何でもアーティストの言うことを受け入れるということではないですが、しなやかさをもらえたのはアーティストとともに考える経験を積み重ねてきたおかげかなと思います。

 

人生を決めたアーティストとの出会い

 

川内: 私は38歳の時に国連職員を辞めて本を書き始めたんです。そのきっかけになったのはやはりアーティストとの出会いでした。パリで私が国連職員として働いている時に「59リヴォリ」という、アーティストが不法占拠した建物があって、当時はもう合法化されていたんですけれど、30人ぐらいのアーティストがそこで暮らしながら絵を描いたり作品を作ったりしている場所がありました。

パリの中心地である1区にあるんですけれども、そんな一等地の建物を不法占拠して作品を作りながらそれを売って暮らすという、そんな夢物語みたいなことができるのかと衝撃を受けました。「警察は入ってくるな。進入禁止」と書かれた看板が掲げてあるんです。実際は誰でも入ることができて警察官以外だったら誰でもウエルカムだという不思議な場所で、むしろ市民とアーティストの交流の場になっていました。

59リヴォリ、パリ(写真提供;川内有緒さん)

 

そこに日本人の小林悦子さんというアーティストが住んでいて、不思議な雰囲気の平面作品を作っていました。彼女と出会ってどういうわけか気が合って話しているうちに大きく影響を受けてしまって。彼女の自由さとかものの見方とかそういうものがどんどん自分の中に流れ込んできてしまったんです。

そんな小林悦子さんの人生や考え方についてもっと知ってもらいたいという思いで、あるとき文章を書きはじめました。そのうちに、自分も表現者になりたいと思うようになると同時にそれまで書き溜めてきた文章も『パリでメシを食う。』として出版されることになり、最終的には国連をやめるという決断になりました。

逢坂: 彼らアーティストが持っている自由な発想というのはなかなか誰もが身に付けられるものではないので、影響を受けるのはわかります。川内さんが国連職員を辞めちゃったのもそのアーティストと出会ったからなんですね?

川内: 彼らはどんな国籍の人もどんな身分の人も一緒になってケンカしたり大騒ぎしたりお酒飲んだりみたいなのが毎日のように繰り広げられていて。全然違う立場の私が行っても、みんな歓迎してくれるんですよね。それで人生が変わってしまったという感じです。
表現をして生きていけるのはすごく幸せなことだなと思いました。すべてのアーティストが人間的に素晴らしいと言えるわけではないでしょうが、みんな表現する喜びにあふれていて、そんな生き方を単純に羨ましいなと思い、私も何か表現してみたいという気持ちにさせる力を持っていました。

 

 

違う価値観を受け入れる

 

逢坂: ほかにアーティストから私が学んだことはといえば、自分と違う価値観を持っている人がいるということを受け入れていくこと。多様性って最近はよく言われますが、多様性を実現すべきだと言葉で言うのは簡単なんですけれども、自分たちとは違う人たちを受け入れていくというのは、非常に大変なことですね。近年は特に、同じような価値観を持っている人たちで群れたがって、それで他者を排斥するという力が動くようなことも多いです。

けれども、「59リヴォリ」で川内さんが経験されたように、アートを介すると政治も国境も人種もやすやすと越えることができる。だからこそ私たち、美術界で働いている人たちというのは、柔軟な発想を鍛えられるんじゃないかと思います。でもそれを自分の生活の中で実現していくのはなかなか困難なことですが。

もう一つ、現代美術に関わる仕事をしてきたことで自分の中で変わってきたなと思うことは、人を肩書きで見ないようになったことです。これは年取ったせいもあるんですけどね。現代美術の見方とも共通していて、「これは有名な画家が描いた絵だから素晴らしいんだ」と刷り込まれているものですが、現代美術にアプローチすることはそんな肩書きや先入観は関係ないのです。それは人間関係にも及ぶようになってきました。

川内: これはゴッホの絵だからいい絵に違いない、自分では心の奥で惹かれないけれどもきっといい絵に違いないって思ってしまう時もあるじゃないですか。そういうものをいかに壊していくかは、けっこう難しいことですよね。でも有名じゃなくても自分にとって面白いかどうかが大切だという考え方は、人間を肩書きで見ないということと似ているんですね。そういうわけで逢坂さんは年々しなやかな生き方になってきたのですね。

 

 

現代美術はわからない?

 

逢坂:「現代美術ってわからない」「どうしたらわかるようになりますか?」とよく問われます。

川内:今日、横浜美術館の「Meet the Collection -アートと人と、美術館」展を拝見しました。何百点もの作品が並んでいてその数に驚いてしまいました。でも、心惹かれる作品となると半分くらいだったかなという気がします。あとの半分はなんとなく興味が持てなかったり、わからないからいいやと感じたり。展覧会のこういう見方は、どう思われますか。

逢坂: 美術、アートを見るということは、こう見なければならないとか、こう感じなければならないという正解のない世界なんです。ひとつの正解はないけれども自分にとってどうかということが問われるんですね。

この作品がおもしろいとかつまらないとか、自分の心が動かされるというのが。それは見る人の心の中にある価値観とか、生まれ育った環境とかが大きく反映されるんです。なおかつ同じ作品でも若い時に見た時には何にも感じなかったけれども、いろいろな経験を経て人生を歩んできた時に見たらものすごく響くという作品もある。その逆もあって、若い時にはすごくいいと思った作品を、年齢を重ねた時に見たらそれほどのものでもないなという作品もあります。

作品鑑賞とは、今まであまり馴染みのない作品に出会った時に、まずは自分がどう感じるかなんです。なにも感じない作品もあるし、どう感じればいいのかわからないという作品もあるわけで、わからなくてもいいんです。わからなきゃいけないというわけではないんです。

川内: 一番幸せな出会いは、私がウィリアム・ケントリッジに出会った時みたいに、なにも知らないで見たけれど心から感銘を受ける、そんな体験。一生に何回もないかもしれないけれど、アートとでないと起こらない幸せな出会いじゃないかなと思います。

 

 

現代美術作品やアーティストとの出会いによって人生が変わる体験をした川内さん。現代美術作家と向き合ってきたことで人生がしなやかになったという逢坂さん。二人の出会いはまさにアートが結んだものだが、共感しあう姿は、アートを通して人と出会いながら変化する自分を楽しんでいるかのようにも見えた。

「正解は一つではない、自分なりの意味を見つけてみて」というメッセージに背中を押され、まずは気楽にアートに出会いに行ってみるといいのだろう。

 

構成・文;猪上杉子
※写真;森本聡(カラーコーディネーション)

 

◆逢坂恵理子(おおさか・えりこ)
東京都生まれ。学習院大学文学部哲学科卒業、芸術学専攻。国際交流基金、ICA名古屋を経て、1994年より水戸芸術館現代美術センター主任学芸員。その後、同センター芸術監督、森美術館アーティスティック・ディレクターを歴任。2009年に横浜美術館館長に就任。11年から横浜美術館を主会場とした横浜トリエンナーレに関わる。https://yokohama.art.museum/

 

◆川内有緒(かわうち・ありお)
1972年東京都生まれ。日米の民間企業やフランスの国連機関に勤務し、国際協力分野で12年間働いた後にフリーのライターに。誕生と死、人生、アートがメインテーマ。著書に『パリの国連で夢を食う』『バウルを探して 地球の片隅に伝わる秘密の歌』(第33回新田次郎文学賞受賞)『晴れたら空に骨まいて』『空をゆく巨人』(第16回開高健ノンフィクション賞、集英社)等。またGallery and Shop山小屋(東京)を運営。https://www.ariokawauchi.com


Infromation
Meet the Collection ―アートと人と、美術館

会期;2019年4月13日(土)~6月23日(日)
会場;横浜美術館
開館時間;10時~18時 (入館は17時30分まで)
毎週金曜・土曜は20時まで (入館は19時30分まで)
休館日;木曜日


BUKATSUDO
住所;横浜市西区みなとみらい2丁目2番1号 ランドマークプラザ 地下1階
交通;みなとみらい線「みなとみらい」駅徒歩3分、JR市営地下鉄「桜木町」駅徒歩5分
営業時間;月~土 9:00~23:00 日・祝 9:00~21:00 ※お盆年末年始休業
URL;http://bukatsu-do.jp

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