VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.27

Posted : 2014.05.16
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横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。

現代の絵画と写真のリテラシー(1)
指標をめぐる現代美術について

美術の歴史を振り返ると、時代によって確かにある一定の傾向(流派という言い方もあるし、主義という言い方もあるので、これを傾向と言って良いのかどうか、定義付けるもの一仕事なので今回は詳細に触れない)が見いだせる。印象派、シュルレアリスム(超現実主義)、抽象表現主義、スーパーリアリズム等々。これらの担い手である美術家が、一つの主義、主張のもとに意識的にある傾向を作り出してきた場合もあるし、結果的にお互いの作品に共有すべき傾向が見いだせる時代もある。とりわけ徒弟制度の中から生まれた近代以前の美術と、個々の活動に美術の担い手が移行した近代以降では、その傾向の有り様の意味そのものが異なることも否定出来ないので、何もかも同じように傾向について語るわけにはいかない。ここでは、美術の歴史を俯瞰的に眺めようというのではなく、とりわけ20世紀後半、つまり1990年代から21世紀に入って美術が、何かの傾向を示しているのかどうか、無論まだその真只中にあっては、俯瞰的な立場を取って(取れるだろうか)見出すには時期尚早なのかもしれないのだが、最近観た幾つかの作品が、ひょっとするとある傾向を示しているのではないか、と思うことがあったので、試論として触れてみたい。

ここ一ヶ月(主に3月)くらいの間に観たのが、ミヒャエル・ボレマンス(ボレマンスの図版は、次を参照。http://www.zeno-x.com/artists/MB/michael_borremans.html)(原美術館)、武田陽介(タカ・イシイ・ギャラリー)、佐々木健(ハンマー・ヘッド・スタジオのAYOYAMA MEGUROにおける展示)、そして金氏徹平(Shugo Arts)の個展である。絵画、写真、オブジェという具合にこれらのアーティストは異なるメディアで表現している。メディアだけで言うと共通点はない。ここでは、何を表現の対象とするか、そして、それをどう表現しているか、というのがこちらの関心事だ。あるいは、この関心事を突き詰めれば、表現のリテラシーに行き着くかもしれない。

ところで、こうした凡そ一見異なる表現にどういった共通点を嗅ぎ付けようとしているのか、その理由について少し説明を要するだろう。と言ってもそれほど複雑な話ではない。写真についてである。それも、「写真はアート」か、という点ではなく、写真が登場することで、20世紀はおろか21世紀に生きる我々にまで、表現や視覚のあり方、そして美術作品に採用される素材の選択の仕方等に、依然として影響を与えているのではないか。というのが、ここで触れようとしている幾つかの作品を観て、改めて感じることだった。

写真が、何よりも美術に与えた影響は、現実(風景であれ事物であれ)をそのまま提示する、あるいは現前化したことであった。夥しい数の写真が示すものは、誰にとっても決して見知らぬものではないが、撮影を通じてそれらが改めて示されるという事態は、今ここにないモノ(言い換えれば、かつてそこにあったモノ)が、ここにそのまま提示されることであり、同時に、撮り手によって新たに発見された視点を観者と共有することでもある。これは、写真が登場するまでの、視覚的イメージが、概ね絵画によってある図像(イコン)として「作り出されて」きた事態と決定的に異なる点だと言える。また、19世紀以降の近代社会と共に成熟化してきた資本主義は、日常生活の中に夥しいモノを創出し続けてきた。こうしたモノ自体の現前性を日常的に強く意識させる事態が、美術家たちにどういった影響を誘発したかについてもここで考えてみたい事柄だ。

さて、20世紀に入ると、美術においてある「亀裂」が生まれる。端的に言えば、シュルレアルスト達に代表される、すべての事象を網膜的に捉え、それを優れた手業によって作り出してきたことへの強い批判的態度の顕れである。これは、ある意味で今日まで様々に意味と形を変えながら継続的に言説化されていると言えるだろう。この伝統的な美術の歴史、分けても絵画における網膜的世界観に対する反発は、理性の介在ではなく、知覚の直接性の優位のマニフェストでもある。その代表的な仕事となるのが、マルセル・デュシャンの「レディ・メイド」、つまりすでにあるモノ=商品を作品として採用したことだろう。デュシャンは、1913年に最初のレディ・メイドの作品「自転車の車輪」を発表する。デュシャンにおける指標的作品は、その後の、「おまえを私を」(1918年)という絵画作品でも指標的痕跡(指標については後述する)を見出すことが出来る。デュシャンは、レディ・メイド、すなわち生活世界の中にある既成品を作品に持ち込むのだが、シュルレアリストたちが、同様に既製品を作品に採用する際に、もっぱら蚤の市等で仕入れていたのに対し、デパートで購入していた。つまり、セカンダリー・マーケット(中古)ではなく、プライマリー・マーケット(新品)における既製品を選択した。人の手垢が介在したものではなく、新品でなければならなかったのも、デュシャンが、極力人の手の介在を避け、モノの指標的側面である現前性、透明性を優先したことに他ならない。そして、デュシャンは、最初に写真の指標的属性を忠実に結び付けて作品を制作し、提示した。それは、あくまでも写真の操作的モデルの採用であって、写真を作品として取り込むという意味ではない。写真が、現実を断片として切り取り、ある特定の文脈に移行させる事で生じる新たな意味、状況の可能性についてである。

さて、デュシャン以降の指標系の作品群についてだが、すでに述べたように、デュシャンは、写真の持つ指標的属性を極めて忠実に守りながら作品を制作してきたのだが、この指標的属性について、美術史家のロザリンド・クラウスは、その論文「指標論 パート2」で次のように述べている。

「指標記号を、現前性を生み出すための手段として使おうとする切迫は、抽象表現主義が痕跡として表現した絵具の盛り上げに端を発している。1960年代の間も、例えばジャスパー・ジョーンズやロバート・ライマンの作品において、その意味を変えつつも、こうした関心は継続した。この展開は、私が1970年代の芸術に属する現象として記述しているものの歴史的背景をなしている。しかしながら、指標に対する当初の態度と、今日のそれとの間には決定的な断絶があるということを認識されなくてはならない。それは絵画的なものではなく、写真的なものがモデルとして果たした役割に関係している。」

ここで「今日」と記述されているのは、この論文が1977年に執筆されたことからも、70年代が想定されている。

そもそもこの論文の書き出しは、写真と抽象絵画という「かけ離れた」ものが、「抽象にとって、写真がますます重要な操作的モデルとして機能し始めている」ということから始まっている。本稿の結論をロザリンド風に述べると、「写真にとって、絵画や彫刻がますます重要な操作的モデルとして機能し始めている」と言うことになろうか。これは、写真の草創期に、写真が絵画的構図を追ったことの繰り返しだと言っているのではない。加えて、視覚的イメージが、デジタル・イメージとして記憶化されてしまった現在、写真がアナログ時代の様に現実を物理的(現像という方法によってプリント化される)に移行させたイメージではなくなってしまったことも一方で念頭に入れる必要があるだろう。

そして、あくまでも「写真の操作的モデル」というものが、ここでのキー・ワードとするのだが、この場合の写真が想定する絵画や彫刻というのは、かつてのような抽象表現主義といった「現代美術」だけではなく、作家によって異なるものの、これまでの美術史上の作品を指している。例えば、ボレマンスが、ルーベンスやベラスケスのバロック時代の絵画や、あるいはオーストリアやスペインの支配に長らく置かれた自国ベルギーのファン・アイク等を強く意識していることを指している。無論、ボレマンスの作品は、絵画であって写真ではない。ただし、自身、東京での展覧会のオープニングでこのように述べているように、絵画制作は、一方で写真や映像との棲み分けによって担保されていることが分かる。

「かつて絵画は、実在するものを写しとる役割を担っていました。しかし、現在は写真や映像など、それにもっと適したメディアがあります。そのため絵画は現実を記録する役割から解放され、イマジネーションの世界をより自由に表現できるメディアとして、ますます面白くなっていると思います。現在、世界にはイメージがあふれかえっていますが、絵画というものはそう簡単に再現することはできません。スローなところが絵画のよさだと考えます。」(http://www.art-it.asia/u/HaraMuseum/cgBAqYNbyVIo5mKfzpxO/

この1963年生まれの、つまり1970年代はまだティーンエージャーだった画家にとって、先のクラウスが指摘する「抽象にとって、写真がますます重要な操作的モデルとして機能し始めている」その時代を経て画家として本格的に活動を始動する80年代は、そうした操作的モデルはすっかり機能していた環境であったと言えるだろう。

写真が、絵画とは異なる記号であることは、記号論を確立したC.S.パースによってすでに分類化されている。パースは、写真が自然と対応するよう物理的に強いられている中から生み出される、という点において、絵画が類似(イコン)として位置づけられるのに対して、指標(インデックス)とし規定している。ちなみに、言語は、対象との社会習慣的な関係による象徴(シンボル)と分類されている。絵画的イメージも写真のイメージも、現実の代理表象である点では、同じグループに入るかもしれないが、絵画的イメージは現実世界を絵画のイメージとして再現する際に、何らかの係数(歴史的、文化的コード、例えば遠近法等)が介在する点において写真とは異なる。よって、こうした分類に従えば、金氏徹平の作品は、抽象的な絵画や彫刻のオブジェを、ネット販売のキャラクター・グッズや、バケツ、溶液用の器等々といった指標的素材によって構成された成果だと言わなければならない。

Ghost Ship in a Storm 2009 「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」2009.3.20-5.27 横浜美術館の展示より

Ghost Ship in a Storm 2009
「金氏徹平:溶け出す都市、空白の森」2009.3.20-5.27 横浜美術館の展示より

 

こうした作品は、80年代のイギリスの作家トニー・クラッグの仕事にも観ることが出来る。クラッグは、ゴミ集積所からプラスティック製の破片を特定の色(青、緑、黄色、赤)に従って集め、別に見つけた原型をとどめた容器の形を大きく壁面に映し出し(80年代は、35mmのポジをスライド・プロジェクターで投影した)、その形に従って、破片を貼っていくといった作品を制作していた。80年代は、こうしたゴミをファウンド・オブジェクト(発見された素材)と称し、素材とすることが環境問題等と絡ませながら作品の文脈化が行われていた。一方、ここでも、そういった文脈化とは別に、素材の発見とその取り込みの中に、写真の操作的モデルが見出せるだろう。

Tony Crag, “Green, Yellow, Red, Orange, and Blue Bottles II” (1982)

Tony Crag, “Green, Yellow, Red, Orange, and Blue Bottles II” (1982)

 

さて、佐々木健の場合はどうだろうか。佐々木の絵画は、自身が語るように概ね写真を元に描いている(2014.4.12の佐々木へのインタビュー)。その理由は、描こうとする対象の、写真によって捉えられ、一定の情報量で固定化された状態が、支障なく絵画制作のプロセスを保ってくれるということにある。

佐々木健、「toilet paper」2013, 油彩・カンバス

佐々木健、「toilet paper」2013, 油彩・カンバス

 

佐々木健、「Boots」2013、油彩・カンバス

佐々木健、「Boots」2013、油彩・カンバス

 

佐々木健、「Floor cloth #pink line」2013、油彩・カンバス

佐々木健、「Floor cloth #pink line」2013、油彩・カンバス

 

このプロセスでなければ、現物を眼の前にしながらの制作では、その過程の段階毎に生じる視覚的、心的な変化に制作行為が左右されるということだ。現物があり、それを透明性によって現前化する写真のイメージ、そしてそれを基にある意味で忠実に再現する行為から生まれるイコン(類似、ないしは図像)としての絵画、という関係がここには在る。とは言え、この写真を介在させる制作過程には、かつての絵画の網膜的認識を出来うる限り最小化したいという表れがある。また、佐々木が、イメージの忠実な再現に、歴史的な絵画の手法をその都度採用しており、言ってみれば自身の独自な技法、様式といった意識が希薄であるというのも興味深い。こうした姿勢は、ボレマンスが、再現=記録としての絵画の役割が写真・映像に凌駕された今、再現とは異なる絵画のあり方を目指す姿勢と何か繋がるものがあるのではないか。

そして、60年代から90年代を経て、デジタル化が本格化する2000年以降は、ある意味で再現イメージの新たな事態が登場し、美術表現分野にも少なからず影響を与えだしたこともここでは無視出来ない。(この稿続く)

注記:ロザリンド・クラウスの論考は、「ロザリンド・クラウス美術評論集 オリジナリティと反復」リブロポート、1994から引用、参照。

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員