VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.5

Posted : 2010.04.26
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次の横浜トリエンナーレは2011年。その開催に向けての動きの中で、横浜美術館トリエンナーレ担当の天野太郎学芸員が感じたこと、出会ったことなどを紹介していきます。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年4月26日発行号 に掲載したものです。

地域とアート、あるいはアートの行方

地域とアートを結びつける背景

このところアートは、もっぱら地域との関係において語られることが多い。本年正月の日本経済新聞の「地方発エネルギー」と題した特集の中で、「町ぐるみアートでにぎわい」という見出しの記事(註1)もそうした傾向を良く示している。ここでは、瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクター北川フラム氏の「観光、福祉、伝統の継承などあらゆるものをつなぐ力がある芸術文化は町の活性化に外せなくなった」というコメントを紹介している。それにしても、今なぜアートは、美術館ではなく地域という文脈で語られることが多いのだろうか。

このことを考えるにあたってヒントになる広井良典の著書『コミュニティを問いなおすーつながり・都市・日本社会の未来』(註2)がある。広井は、我が国において、かつての農村社会で見られた「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」の一致が、高度成長期の急速な都市化、産業化に伴って、両者が引き離され、「生産のミュニティ」=カイシャが優位を占めて行く過程を以下のように論述している。

「戦後の日本社会とは“農村から都市への人口大移動”の歴史といえるが、農村から都市に移った人々は、カイシャと核家族という都市の中の農村(ムラ社会)”を作っていったといえる。そこではカイシャや家族といったものが“閉じた集団”になり、それを超えたつながりはきわめて希薄になっていった。そしてさらに、そうしたムラ社会の「単位」が個人までいわば“縮小”し、人と人の間の孤立度が極限まで高まっているのが現在の日本社会ではないだろうか。」(広井,2009,p.16-17)

高度成長期が去り、ポスト産業化社会が形成されつつある中で、広井は、いったいどういった持続可能なコミュニティのスキームを指向すべきか問いかけている。税の減収、少子高齢化に伴う人口減といった背景を抱える日本のパイは、縮小の一途を歩んでおり、同時に大量生産大量消費の時代、すなわちパイの拡大=個人利益の増加が望めない時代にあって、次のようなコミュニティの分類と分析を通じて、これからのコミュニティのあり方を模索する。

1 「生産のコミュニティ」と「生活のコミュニティ」

2 「農村型コミュニティ」と「都市型コミュニティ」

3 「空間(地域)コミュニティ」と「時間(テーマ)コミュニティ」

ここで注目したいのは、「子どもと高齢者」の人口全体に占める割合が、2000年前後を境に、増加に転じている点。そして、この「子どもと高齢者」は、地域コミュニティ=土着性(広井, 2009)への帰属性が強いこと、つまり、地域との関わりが強い人々の増加期に今突入しているという点だ。新たなコミュニティ形成の十分条件が揃ったことをここでは示唆している。

さて、コミュニティ再生が、言わば同時代の大きな課題になっていることと、それが持続可能な活動と不可分の関係にあることは誰しも予測出来るだろう。そして、ここでは、社会における弱者と定義付けられる「子どもと高齢者」を抱えながら、存続の可能性を求めていくときに、様々なスキームの中の一つに、アートが位置づけられたというわけだ。

なぜアートなのか? アートの行方

地域とアートをテーマとしたプロジェクトは、今や国内でも枚挙にいとまがない状況である。規模の大きなところで言えば、「越後妻有 大地の芸術祭の里」、「瀬戸内国際芸術祭「アートと海を巡る百日間の冒険」」、あるいは、規模はやや小振りだが、地元横浜の黄金町バザール、そして例えば、「JOBANアート構想」等もその一例。このプロジェクトのJR常磐線沿線都市は,交通の利便性に加え,多くの文化施設を有し,さらに東京芸大をはじめ多くの大学が立地している。また,各自治体もまちの活性化に向けて様々な施策に取り組んでいるが,郊外の大型商業施設の立地や,自動車社会の進展に伴い駅周辺などの中心市街地の空洞化は深刻な社会問題になっている。こうした状況の中で,まちづくりの手法や目標は違っても,駅の持つ拠点性の回復を,地域の活性化の重要なファクターとして捉えている。

とは言え、アートが、なぜこういった新たな地域社会形成にとって欠かせないのか、という疑問は依然として残る。なぜなら、多くのアーティスト=美術家にとって、究極の目標は、その作品が評価され、盛んに売買され、例えば、美術館にコレクションされることだからだ。それが、言い過ぎであっても、作品が展示され、鑑賞され、一定の評価を得たいのは当然のことだろう。地域社会の空きスペースではなく、名のある美術館で個展が開催されることもまたアーティストが抱く夢でもあるだろう。これらは、美術を巡る市場における価値付けが、アーティストにとって依然として重要な通過儀礼であることをも示している。実際に市場で全く評価されなければ、いかに優れた作品を制作していても、その生活の基盤を支える財源は枯渇化し、アーティストとしての活動もできなくなる。いわゆるモダニズムが生み出したこうしたアートを巡る市場は、今現在も確固たる存在を示しているのだが、無論、そこで評価されるアーティストの数はいつの世も限られているし、実際作品だけを売って生活が成り立っているアーティストの数ともなるとさらに少なくなる。

さて、地元黄金町等の地域コミュニティ再生のプログラムでは、選抜されたアーティスト(に限らず、何らかの商業行為や、公益事業等の従事者も)に安価な家賃で、住居やスタジオが供給され、その生活と制作活動が補助される。地域住民にとっては、こうした若い世代(に限らないが)の新たな住民を迎え入れ、空洞化する地域の再生に取り組む契機ともなる。こうした新たな住民たちが、何か地域に貢献したり、あるいは望ましい効果に寄与することが、一方的に要請されるわけではない。むしろ、町内会の構成員として、あるいは住民としてお互いに円滑なコミュニケーションを果たすことがまずは望まれることだ。こうした段階を踏みながら、地域に溶け込んでいくアーティストには、自らの生活を確保していくという本来の仕事が待っている。同時に、それは、地元の住民の関心のあるところでもある。実際に、同じ町内の住民となったアーティストの作品の質について、住民から質問されたことがある。せっかく迎えたアーティストであればこそ、これから有名な芸術家になる可能性があるのかないのか、住民としては聞いてみたいところだ。オープン・スタジオや、あるいはワークショップ等を通じて、広くパブリックとのコミュニケーションを計るプログラムに参加するこうしたコミュニティ・ベースのアーティストであっても、やはり世間からは優れた作品を作り出す芸術家像が求められるのは、興味深い話だろう。なぜなら、ここでも、優れた芸術家のイメージを担保するのが、他ならぬ市場の評価であり、その評価を支える批評の評価であるからだ。

地域社会が、アーティストを支援するには、過疎化を食い止め、コミュニティの活性化をはかること以外にも様々な理由があるだろう。美術大学を卒業して、何の支援もなく、社会に放り投げられる若いアーティストの一種のセイフティー・ネットの役割も果たしているのだろう。そうした中から、自立したアーティストに成長し、やがてその地域から巣立っていくというのも、一つのあり方なのかもしれない。

さて、このように考えると、アーティストにとっては、結局のところ、作品が、価値あるものとして売買対象になり、その名も世間で知られるところとなることだけが、その存在を示す唯一の拠り所になってしまわないか。すでに述べたが、美術作品が、市場経済の中で、本格的に扱われるようになったのは、19世紀以降にすぎない。美術市場は無論、今でも十分に機能しているのだが、さて、ここで醸成されてきた美を巡る言説によってのみ美術は価値づけられるのだろうか。

次回は、いわゆるファイン・アートの意味の見直しについて、写真を巡って再考されつつある例をあげながら、アートの行方について引き続き考えてみたい。

註1)日本経済新聞 2010年1月1日
註2)広井良典、『コミュニティを問いなおすーつながり・都市・日本社会の未来』ちくま新書800、2009年8月

 

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員。横浜トリエンナーレ組織委員会事務局 

キュレトリアル・チーム・ヘッド。

 

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年4月26日発行号に掲載したものです。