VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.11

Posted : 2011.04.25
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「横浜トリエンナーレ2011」キュレトリアル・チーム・ヘッドをつとめる、横浜美術館の天野学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。

注:本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2011年4月25日発行号に掲載したものです。

第11回:未曾有の事態の後に

3月11日、14時46分18秒

3月11日は、午前中、横浜美術館で横浜トリエンナーレの記者発表があり、ヨコハマトリエンナーレ2011の新たに決まったタイトルや、まだ一部とは言え30人のアーティストが初めて発表された。同様の内容で、同日の15時から東京に会場を移し、記者発表が予定されていた。東京会場で、まさに取材の関係者の受付をはじめようとしていた14時46分18秒、後に気象庁が「東北地方太平洋沖地震」と命名する地震が起こった。すでに、会場には約70名の取材の関係者が集まりはじめていた。ちなみにエレベーターが停止し、約50名の関係者が1階で立ち往生となった。激しい揺れで、床に座り込む人々、準備中のレストランのガラスのコップが倒れないように支える人たち。大きな悲鳴はなかったものの、言いようのない不安が人々の顔に表れていた。しばらくして揺れが少しはおさまったときに、会場であるビルの20階からお台場方面、フジテレビの本社ビル向こうから上がった黒煙が見え、ただならぬ状況だと認識した。爾来、天災と人災がもたらした文字通り未曾有の事態によって、物理的にも心理的にも、我々は、人智のコントロール外に身を置かされることになった。
3月11日は、午前中、横浜美術館で横浜トリエンナーレの記者発表があり、ヨコハマトリエンナーレ2011の新たに決まったタイトルや、まだ一部とは言え30人のアーティストが初めて発表された。同様の内容で、同日の15時から東京に会場を移し、記者発表が予定されていた。東京会場で、まさに取材の関係者の受付をはじめようとしていた14時46分18秒、後に気象庁が「東北地方太平洋沖地震」と命名する地震が起こった。すでに、会場には約70名の取材の関係者が集まりはじめていた。ちなみにエレベーターが停止し、約50名の関係者が1階で立ち往生となった。激しい揺れで、床に座り込む人々、準備中のレストランのガラスのコップが倒れないように支える人たち。大きな悲鳴はなかったものの、言いようのない不安が人々の顔に表れていた。しばらくして揺れが少しはおさまったときに、会場であるビルの20階からお台場方面、フジテレビの本社ビル向こうから上がった黒煙が見え、ただならぬ状況だと認識した。爾来、天災と人災がもたらした文字通り未曾有の事態によって、物理的にも心理的にも、我々は、人智のコントロール外に身を置かされることになった。

トリエンナーレは予定通り、準備が進む

電力不足、放射能問題、未解決の問題を抱えながら、横浜トリエンナーレの開催そのもの、あるいは開催するにしてもその会期を巡って様々な議論があった末に、今日現在、予定通り開催することを前提に、準備は進められている。
4月上旬から、その準備の最終的な段階として、ロンドンとベルリンで、参加アーティストとの打ち合わせのため、出張に出かけた。幸い、この時に会ったアーティストは、すでに予定されているスケジュールのためという理由以外は、展示にもオープニングにも来日する意思を示してくれた。詳細な展示作品の確認が順調に進んだこともさることながら、アーティストからの来日に対する快諾は何よりの吉報であった。
こういった状況下で国際展を開催する意義を問い直す、という新たに課せられたミッションに、彼ら、彼女らから賛同と理解が得られたのは、他ならぬアーティスト自身がその当事者であるからだろう。アートと社会の関係が言われて久しいし、この連載でも、アートと地域社会の有り様についても触れてはきたが、今は、まさにアートの存在意義そのものが本質的な問題としてストレートに問われようとしているのだ。というのも、さまざまな議論の中には、今実施すべき優先順位の上位に、この国際展を位置づけることができるのかどうか、といったこともあるからだ。差し迫った生活の立て直しに、アートが直接的に役立つことなど、無論ありえない。とは言え、たとえ優先順位が低くとも、むしろ、だからこそ、その存在意義を“プロモート”する必要があるのだろう。

官と民との関係:台湾の「民」の強さ

さて、ヨーロッパ出張のあとは、すぐに台湾のアーティストとの打ち合わせで、2泊の台北出張に出かけた。極めて短い滞在ではあったが、ここで興味深いことを学ぶことができたので、それをレポートしておこうと思う。
以前から聞かされていたことではあったが、台湾における政治は、常に泛藍連盟派(はんらんれんめい)と、泛緑連盟派 (はんりょくれんめい)に二分されてきた。つまり、大陸同様同じ中華民族の国家であるとする派と台湾は独立した国家であるとする派に分かれている。あまり日本では馴染みのないことだが、その両勢力が政権のイニシアティブを取り合うのに合わせて、すべての機関のリーダーもまた総入れ替えとなるケースが多い。卑近な例を言えば、美術館の館長やそれを統括する省庁の長もまた総入れ替えとなるのだが、いずれにせよこうした文化機関が政治的なパワーゲームの対象となっていること。また、日本のように財団法人や非営利団体(NPO)等が比較的組織しやすいのに比肩して、台湾ではこうした公的な中間支援の組織化に国が熱心ではないし、財団を立ち上げるための条件が随分とハードルが高い(ファンドの額は少なくとも一千万円以上を用意する必要がある)ということ。こうした背景を受けて、民間レベルで、文化(この場合、アート及びアーティスト)を支援する基盤が良好に組織化されていることを改めて認識することになった。
2009年に、黄金町エリアマネジメントセンターでシンポジウムを行った際に招待したマーガレット・シュー(バンブー・カルチャー・インターナショナルディレクター)も私財を投げうった一人であるのだが、そこからは、今や国際的なアーティストとなったマイケル・リンも、初期の頃に、活動の場を与えられている。あるいは、1988年にオープンしたIT PARKも、今や台湾現代アーティストのアーカイヴの量と質において追随を許さない。恐らく台湾のアーティストについて調べたければ、まずここのサイトにアクセスしてみれば良いほどだ。こうした民間ベースの文化的インフラに加えて、今回の出張で知り合うことになったコレクターの存在も台湾では大きい。
無論すべてのコレクターというわけにはいかないだろうが、たんに作品を収集するだけに留まらず、有形無形で若いアーティストを支援していこうとする姿勢がある。自らがファンドを提供し、審査員を募り、35歳以下の「35視覺藝術家支持計畫」といった作家支援プロジェクトを立ち上げているのはその好例だろう。
天野さんvol.11_1

あるいは別の店舗経営者でもあるコレクターも、店舗内に、ダミアン・ハーストやアニッシュ・カプア、村上隆等のコレクションから惜しみなく作品を展示し、ある意味でパブリックに供している。同時に、そうした場を若手アーティストの展示場所としても提供している。
官と民という言葉で峻別されていた互いの領域が、規制緩和(JR、JTあるいは郵政の民営化)によってそのボーダーが失われつつあるのは日本でも見られる有り様である。市場化テストや指定管理者制度もまた同様の文脈で生まれた新たな公共サービスの運営のスキームである。とは言え、一定の政治的、外交的な判断から生まれたこうした制度が今では、それ自体様々な問題を内包しているのもまた事実だろう。ここで指摘しておきたいのは、台湾における言わば民による官の肩代わりの活動は、下から生まれたものであり、日本のように上意下達ではない点である。先述したように、台湾でも政治的レベルでは、政権が交代する度に、首長の首がすげ代わるのだが、一方で、IT PARKの20年以上の継続性と好対照を示しているのだ。

グローバルな問題とローカルな問題、そして「民」の役割

天野さんVol.11_2

Taiwan Protest Typography/ Drawing (56x76cm),
4 lambda prints, Protestros’ orignal banner (150x100cm),
6 times larger banner (600x900cm)/ 2009

ところで、横浜トリエンナーレとは直接関わらないが、今回会った台湾の若手アーティストの一人、Chia-En Jaoは、 台北の国立芸術大学を卒業後、ロンドンのゴールド・スミス、パリのエコール・デ・ボザールで学びながら、世界のグローバル化を目の当たりにしてきたのだが、その作品の一つは、台湾におけるローカルな問題を取り上げている。土地を政府に不当に取り上げられた家族が、毎日官庁に土地返還のスローガンを掲げ訴える運動に寄り添い、小さかったプラカードを大きくすることで、小さな個人的活動を、実は世界中で起きている理不尽なる政治的行為として普遍化しようとする。すべてのグローバルな問題、つまり世界中の人々が共有出来る問題とは、まさにこうしたささやかで、地方的な問題の中に包括されていることを示唆しようとするのだ。
官と民との関係は、国家ごとにその様相が異なるのは、これだけ見ても明白だが、今置かれている日本の状況にあって、こうした台湾における民のあり方の中に、これからの我々の指針を見いだすことはできないだろうか。これから右肩上がりの税収が見込めない官に代わって民の果たす役割は、これもまた新たな「公共圏」の形成に重要な役割を果たすだろう。そういった文脈は、アーティストにもまたその鋭い嗅覚を働かせる主題の一つにもなるのだ。
前回でもふれたが、今やアーティストはすぐれた「民族誌学者」であり、社会をモティーフにする鋭敏な観察者でもある。まるで、「神々は細部に宿る」というようなアフォリズムを忠実に実行にうつしながら、世界を暴き、そして我々自身の有り様にも批判的態度で迫ってくるのだ。

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜美術館主席学芸員。横浜トリエンナーレ組織委員会事務局
キュレトリアル・チーム・ヘッド。

 

 

 

注:本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2011年4月25日発行号に掲載したものです。