VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.33

Posted : 2015.10.09
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横浜市民ギャラリーあざみ野の天野主席学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。
「もう一つの選択(AlternativeChoice)」、
または「サブライム(崇高)」についての覚書(2)
「あざみ野コンテンポラリーvol.6もう一つの選択」のエッセイに代えて

さて、前回の冒頭にも触れた横浜市民ギャラリーあざみ野で開催される「あざみ野コンテンポラリーvol.6もう一つの選択」は、2015年の10月17日(土)から11月8日(日)まで開催される。会期中、アーティストのインタビューをメインとした印刷物が配布されるが、そこには、美術館における図録のようなキュレーターのエッセイはない。下記のテキストは、言わばそのエッセイに当たる。

はじめに
美術が、モノとして市場で価値付けられることは19世紀に誕生する近代社会においてスタートしたスキームだが、留意すべきは、その後の、いわゆる新自由主義が進むことでこの枠組みが新たな様相を示し始めたことだろう。つまり、市場が極端に支配的となり、その価値付けを担保するはずの美術館や批評の言説行為が後追いになってしまっているという事態、具体的に言えば、市場に影響力のある商業画廊に属しているアーティストだけが評価対象となっており、美術館も、あるいはビエンナーレやトリエンナーレといった国際的な現代美術の展覧会も、そうした市場においてプレゼンスされるアーティストを中心に評価されるようになってしまっているという実情だ。新自由主義は、官の規制を出来るだけ排除し、民の活動(主に経済活動)の自由な采配を担保しようとするものだが、こうした小さい政府の形態が、欧米やアジアでも主流になってしまうことで、市場優先主義とも言うべき流れが益々極端な姿を見せようとしている。そして、今の所、このスキームに代わる選択が見当たらない。というよりも、一般社会における枠組みにおいても、これに代わる選択を見出せないでいるのが実情だろう。とは言え、ここで「もう一つの選択」と言っているのは、もう一つの選択を進めよ、という意味ではない。ある筈の多様な選択が見当たらない事態への警句としてこのテーマはあるのだ。

出品作家、作品によせて
青山悟は、「刺繍」というメディアを通して作品制作を行っている。ここでは、直接人の手を介した刺繍ではなく、ミシンという装置が介在しているのだが、青山自身「ミシンは大量生産の道具なので、ミシンの普及が進めば進むほど、雇用がなくなっていくといった労働の問題もありますし。最初は僕がよく参照しているウィリアム・モリスなどはミシンを忌み嫌っていたはずです。」註1)と述べるように、刺繍作品を作り上げる装置としてのミシンが抱える歴史的背景に強い関心を示している。大量生産、大量消費を支えるこうした技術の歴史的な位置づけを念頭に置きながら、こうした装置を媒介させるもう一つの意味付けを、自身影響を受けたアメリカのアーティスト、アンディ・ウォーホルを引きながらこう述べている。「ウォーホルについてもう一度勉強し直してみて、自分の作品のあいだに一つ機械という要素を入れてみたい、そう思いました。当然ウォーホルはシルクスクリーンをやっていたわけで、シルクスクリーンもやってみたいなということになって。あともう一つ、機械ということならミシンもいいかもしれないなと思って始めました。同じ産業機械を作品に導入できたらなと思ったのが最初です。」
ここで興味深いのは、アーティストがその作品を手業によって制作するのではなく、そこに機械という装置を介在させるという近代美術の表現における「もう一つの選択」が見出せる点だろう。こうした例の一つには、1839年に発明されたカメラという装置がすぐに想起されるのだが、いずれにせよウォーホルの姿勢に青山が惹かれたのは、次のようなウォーホルと機械についての論述の中にその理由が見出されるかもしれない。

青山悟「About Painting / エドワード・ホッパー」2014-2015、紙にポリエステル糸で刺繍、©AOYAMA SATORU courtesy of Mizuma Art Gallery, Tokyo

青山悟「About Painting / エドワード・ホッパー」2014-2015、紙にポリエステル糸で刺繍、©AOYAMA SATORU courtesy of Mizuma Art Gallery, Tokyo

 

「純粋美術では、そういった制約(商業美術におけるクライアントの注文)がなく、芸術家が自分のフィーリングを表に出すものだと思われているが、そんなものは虚妄にすぎない。注文主にそのような要求をされない純粋美術だからこそ、かえって作者の個性やフィーリングの必要のない無個性で機械的な作品を作ることができるのである。アーティストになってからのウォーホルは、逆説的に、ほとんど手わざの跡を感じさせず、機械による大量生産のような冷たさを強調したのである。つまり、本来の美術は、芸術家の主観やオリジナリティのような不安定なものを超えるからこそ芸術であるとウォーホルは述べているようだ。それゆえ、「誰もが機械になるべきだ」という言葉に続く、「誰もが誰もを好きになるべきだ」という言葉は、「人々が自らの個性を超えてお互いの間の共通性を認識し、他者と共鳴・協働・共生すべきだ」という意味に受け取れる。」註2)
青山は、ミシンを、その登場した19世紀、つまり産業革命期の工業化社会到来の象徴として、あるいは、近代美術がハイアートとして差別化されつつあった1960,70年代のアンディ・ウォーホルの機械を巡る言説等を汲み取りながら自身の表現を編み出していくことになった。

今回の展覧会には、映像作品が多いのだが、その中でも斎藤玲児は、静止画を編集し、それらを動画という文脈に布置するという方法をとっている。斎藤は、美術大学で絵画を学んでいる。幼少の頃から絵を描くことに興味を持っていたのだが、絵画とは別に高校生の時から平行して写真を撮り始めている。写真はほぼ毎日、日々の日常を撮影するもので、まるで日記のような存在として今日まで続いているのだが、そうした日常性に対して、絵画制作はある時間、ある場所に限定して行われる行為として明らかに写真の撮影とは異なった位置づけを占めている。この日常性からの乖離が、斎藤の絵画制作に支障を来すことになった。当時取り組んでいた抽象絵画の制作の行為の中に何かしらのリアリティが感じられなくなったと言うべきだろう。一方で、かといって続けていた写真をすぐに絵画に代わる表現手段として選んだ訳ではなかった。結果として写真を表現として選んだのだが、それまでには数年の歳月が必要だった。それだけ、写真があまりにも日常的な行為として内在化していたことを示している。
ところで、斎藤の極私的とも言える写真が、絵画に代わる表現手段として浮上するのは、事象の移ろいへの関心と、それを体現してくれる写真への信頼に他ならない。それは、網膜を通過して視覚の記憶が刻まれる代補的行為とも言えるだろう。だからこそ、斎藤は徹底して、事象の表層に拘り、事態から重力を剥ぎ取り軽やかなイメージとして写真を捉える。また、高校生の頃から関わる写真は、やがてアナログからデジタルにその形態を移行させるが、斎藤にとってのこの移行は、写真に物質的な質量を持たせたくない思いと合致することになる。あくまでも、データに過ぎないという事態はむしろ歓迎すべきものである。それは、こうした言葉に端的に現れている。
「一番大きいのは、デジタルは質量というか、場所もとりませんし、現実物として触れられるものではないので、結構沢山撮るものですから、量がいくらあっても重さがない、軽さが自分にとってとても大切です。・・・・現実にものを見ている時も、映像になったものを見ている時も、あまりその裏側については意識しないようにしています。それは、なぜ映像を記録するかということに関わると思いますが、ものがなくなってしまったり、時間がなくなってしまったり、人や場所が変わっていくこと自体、自分にとって非常に大事なことであって、その瞬間、瞬間に過ぎていくもの、捕まえられるものは、表面でしかないと思っています。あくまでそれをなぞって記録していく。それを記録した映像も、結局表面しか写っていないという諦めみたいなものは常にあります。」註3)

斎藤玲児「#19」2015 video

斎藤玲児「#19」2015 video

 

友政麻理子のテーマは、コミュニケーションである。コミュニケーションは常に齟齬を、誤解を、あるいは対立さえ生んでしまう側面がある。厄介なのは、誰もがそうした事態を想定していないにも拘わらず、不可避的に事態が悪化してしまうということだろう。コミュニケーションは、こうした言わば「負の事態」からの出発という手間取る過程を踏みつつ、ようやく相互の理解を得る手立てを掴むことが出来る。友政もまた、自身「相手について知ろうとしたり、自分について知ってもらおうとしたり、コミュニケーションをとろうとした時にズレがあることに気づきます。そういう実際の経験が何度もあり、それが興味を持つきっかけになっていると思います。」註4)と語るように、コミュケーションにおけるズレに興味を示したところから作品制作が始まっている。友政作品は、主に映像作品として提示されるが、作品の底流に流れるのは、言葉の世界というよりも音(音声)や身振りの世界に重きを置いているように思える点が特徴的だろう。普通に会話している(ように見える)、例えば、「お父さんと食事」(2000-2014)のシリーズでは、赤の他人として食事を介しながら「親子」の会話を試みる様子が撮影されている。

「お父さんと食事|Have a meal with FATHER」2014 video courtesy of TALION GALLERY, Tokyo

「お父さんと食事|Have a meal with FATHER」2014 video courtesy of TALION GALLERY, Tokyo

 

この時の体験を友政は次のように述べている。
「例えば、私は中国語もアフリカの言葉も分からないので、相手が何を言っているのか分からない。私が何を言っているのか相手も分からない状態の中で、それでもやはり、相手に「安心していいよ」とか、「美味しいね」とか、一緒にいてどう思っているのかを伝えていかなければ、コミュニケーションができないのです。そういう時に、普段気にも留めていなかった身振り手振り、声のトーン等がぐっと前に出てくるというか。それは、とても動物的というか、虫などがコミュニケーションをとるのに似た、何か新しいやり方だと感じながらやっていました。言葉が使える時には隠れていた、ただ目を合わせるとか、頷く、ちょっと触れる、相手に何かを勧めるとか、すごく単純なやり取りによって、言葉は通じていないし文化も違うけれど、二人に共通のものはないかと探しているような感じです。まったく知らない土地で行なったプロジェクトだからこそ、出てきたものではないでしょうか。」註5)
ここで読み取れるように、友政は、コミュケーションにおけるテキストよりも、音声、あるいは身体的振る舞いに重点を置いていることが分かるだろう。さて、友政の最新作は、新潟市で開催された「水と土の芸術祭」(2015)への出品作である。ここでは、「市民の参加で、潟の夢を見、その夢の報告会を行い“潟にまつわる夢”の短編映画を制作、さらに上映会を行うことでコミュニケーションを生み、その交流の中から“潟”の像を浮かび上がらせようとする」ことを趣旨とするプロジェクトを組織し、自身も映像作品を制作している。このプロジェクトでは、「自主映画」をまさに自主的に制作することが目的とされている。ある程度経験のある市民から初心者も含め、この制作行為の中で様々生まれる新たなコミュニケーションや、制作された作品を巡る議論を通じ、映画とは、あるは自主映画とは何か、といった問題が浮上している。とりわけ興味深いのは、この映画参加者の間で交わされる「作品は誰のものでもない」というテーマだ。まるで、ロラン・バルトの「作者の死」を想起させるのだが、実際のところここでは、参加者がそれぞれの得意分野を持ち寄せながら編み込むように制作果たしたことで自ずとそうした結論に至ったのである。

和田昌宏の作品を観た時に、あるいはその作品制作のプロセスを知る時、フランスの文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの「ブリコラージュ」を想起する。和田は、日頃気になる事柄を映像で記録しておくことを忘れない。とは言え、実際に記録した時点では、それが何かの作品へと結びつくかどうかは本人も知る術がない。ただ、断片を記録として残し、やがて作品の構想がそうした断片の中から紡ぎ出される時に、はじめて作品の素材として導入されることになる。

和田昌宏「KOBU」2015 展示風景

和田昌宏「KOBU」2015 展示風景

 

和田が自身のこうした方法について次のように述べている。
「とりあえず常にビデオカメラなどの映像機器を持ち歩いています。何も撮らないこともありますが、何か起こった時に、後に作品に使うかどうかは別にして、何か撮っておこう、記録しておこうと思っています。こうして、どうでもいいかもしれない素材がDVテープやデジタルで膨大に残っています。例えば旅の記録かもしれないし、車を運転中の記録かもしれない、つまり“自分が気になった記録集”が素材として沢山ストックされています。それが、ある場所で何か作品をつくるとなったときに、一つひとつの過去に撮り溜めてあった素材が引き出しから出てきて、それらがつながって作品ができてくることが結構あります。だから、ストックとしてイメージをおさえておく、というのは自分の普段の生活の中で心がけていることですね。そこは面倒くさがらないで、カメラを用意して撮るということを心がけています。」註6)

王坪と凌宗権は、筆者が杭州の中国美術学院を訪問した際に観た同学の卒業制作展での作品から選んだ。いずれも手法はドキュメンタリーと言うべきものだ。
まずは凌の作品から観てみる。撮影場所は、彼の故郷である山東省臨沂市、登場する老女は、凌の祖母である。祖父を数年前に亡くした祖母は親戚が近くに住む地域に一人で住んでいる。作品のタイトルにあるように、祖母は始終咥えタバコで登場するだが、これは十数年前に凌の叔父で祖母の次男が自殺をしたときから習慣化したものだ。凌の作品では、祖母を囲む縁戚関係者を周到に取材したというよりは、あくまでも祖母の視点に立った撮影が行われている。つまり、作品中やりとりされる会話は、祖母の一方通行で成立しているのだ。実際に凌はこう証言している。
「叔父、叔母を撮影した時、具体的に何を撮るのか、どのように編集するのかは何も教えませんでした。殆どは彼らのありままの生活。衝突や事件性のような映像を望んでいることは彼らに伝えることもできないため、ドラマチックなシーンを捉えることはあまりできませんでした。編集された作品は平坦に感じるかもしれません。叔父、叔母がこの作品をみたら、おそらく狂うように怒り出すだろうと思います。彼らが祖母に優しくないと作品の中の人々が指摘していますから。」註7)

凌宗権「老煙頭(Grandma)」2015 videoより

凌宗権「老煙頭(Grandma)」2015 videoより

 

まるで、彼女を取り巻く人間関係を紐解くよりも、その方がより祖母の現在(=いま)を直截に示すのに有効だと言わんばかりだ。とは言え、確かにここでの登場人物には、個々の言い分もあり事情もあるのだが、それらを容易に斟酌することで生まれる誤解よりは祖母の独白に彼女を取り巻く環境が活写されているのは事実だろう。北京や上海といった大都市との間の都鄙問題がここでは集約された画面として立ち現れている。
一方、王坪の作品は、もっと個人的であり、さらに言えば作者王の複雑な心理的な襞が幾つも見え隠れする作品となっている。ストーリーはいたってシンプルで、大学も卒業しようという歳になってそれまで育ててくれた両親を連れて小旅行をしたその記録だ。プロットがシンプルなだけに、ここで交わされる会話や、登場する両親の表情の変化が、一筋縄ではいかない人間の心理をある構造をもって表すことに成功していると言えるのではないか。撮影を担当した王の友人から発せられる王への非難とも受け取れる会話や、王自身が両親に幼少のころから長きにわたって抱き続けていた「不安」は一種のパニック症候群を引き起こしていたこと等がここでは少しずつ露わになっていく。王とのインタビューの中でこの作品制作の動機をこう述べている。
「動機はとても単純でした。海を見たことのない両親に海を見せたかったです。幼いころから自分を惑わす問題は「予期不安」という心理的障害だとつい最近分かりました。両親との年齢差が大きいので、一人っ子の私が独り立ちできる前から、二人は急激に老化しています。そして、私たち家族は「死」という触れたくない問題に直面しなければならなくなっています。死んだら遺灰を海に撒いてと母が私に言っているが、二人とも一度も海を見たこともないことは私が知っています。」註8)

王坪「每次见面都像是告别(Every meeting seems parting)」2015 videoより

王坪「每次见面都像是告别(Every meeting seems parting)」2015 videoより

 

年老いるまで旅行などしたことがない両親の存在は、我々日本人からすれば今でこそ奇異に写るのだが、それが両親の現実であればこそ迫ってくる言いようのない哀しさは単なる社会問題を超えた深い人間の心情として浮上する。
凌にせよ王にせよ、自らの状況に対する不作為、あるいはどうすることも出来ない無力感が静かではあるがある重力をもって迫ってくる。

さて、芸術の世界では、イギリスのヴィクトリア朝時代の文学者ウォルター・ペイターの有名な次のような言葉がある。
「すべての芸術は、絶えず音楽の状態に憧れる。」註9)
紙面の都合上、端折って言えば、この言葉の意味は、「形式と内容」の一致する音楽に芸術の理想を見るということだ。ペイターの補足を借りれば「たとえば詩においては、単にその内容とか主題、すなわちある特定の事件とか状況—また絵画においては、単にその題材、すなわちある出来事の実際の状況とかある風景の実際の地形とかーは、それらを扱う際に形式と精神とを欠いては無に等しくなるだろうということ、そしてこの形式、この扱い方は、それ自体が目的となって、内容全体に浸透するであろうということーこれこそすべての芸術が絶えず到達しようと努力している状態であり、程度の差はあるがそれぞれに成果を収めているのである。」註10)
こうしたいわゆるメディウム・スペシフィックの考え方は、美術の歴史において綿々と引き継がれ、近代以降は、戦後のアメリカ美術、とりわけ絵画におけるメディウムの純化を進めるフォーマリズムに引き継がれる一方、写真発明以降今日に至るまでのそれぞれの時代の「ニューメディア」の登場に発するミクスト・メディア、あるいはさまざまなメディアのあいだを横断するインターメディアが登場することで、あたかもこれら二つの方向性が時間的流れの中で現出してきたかのような印象を与えることになる。美術史家岡田温司は、これら二つの方向性は、対立関係というよりも常に表裏一体の関係と看破し、音楽が芸術における諸分野の自律性と、それらを言わば統合する手段として理解すべきであるとした。こうした「車の両輪だったのであり、しばしばメビウスの輪のようにたがいに反転しながら絡みあっている」註11)関係を成す事態の中に、近代以降の芸術の有り様を探ることが有効である理由は、それがそのまますべての価値観の有り様にまで反映されるからだろう。人は完璧に統合された状態にしばしば感動を覚えるとともに、統合こそ果たされずとも多声性とも言うべき緩やかな形式の中に、自由さや大らかさを感じ入ることも事実だからだ。あるいは、厳密な意味を突き詰める反面、「真らしさ」という共通感覚を求める姿勢は、それこそ対立するというよりはまさに両輪のように歴史上繰り返されてきた行為であった。
「もう一つの選択」と題した本展は、無論、このテーマに「厳密」に即した作品によって構成されているわけではない。むしろ、多声的とでも言うべき多様な視点から世界を捉えようとしている作品によって成り立っている。それらは、一見したところ、「形式と内容」の一致を目指していないかのごとき印象を与えるかもしれないが、それはまさに今このときにおける、アーティストの選択に他ならず、それは同時に他の選択を否定しようとしているわけではないことも示している。あれかこれかと迫る二者選択ではなく、多義的で、逆説的にも見えるこうした姿勢のなかにこそ表現の新たな可能性を見出してみたいものだ。

註1)2015年7月14日に作家のスタジオで実施した青山悟とのインタビューより引用(インタビュアー佐藤直子)。以下、各作家のコメントは、インタビューより引用。尚、各作家のインタビューの実施日、実施場所,インタビュアーについては、以下の通り。
斎藤玲児(2015年7月17日、横浜市民ギャラリーあざみ野、天野太郎)、和田昌宏(2015年7月17日、横浜市民ギャラリーあざみ野、日比谷安希子)友政麻理子(2015年原田裕規)
註2)「ウォーホルの芸術~20世紀を映した鏡」、宮下規久朗、2010年、光文社より引用(電子書籍のため頁は特定出来ず)。
註3)斎藤玲児(2015年7月17日、横浜市民ギャラリーあざみ野、天野太郎)のインタビューより引用。
註4)友政麻理子のインタビューは、こちらから送付した設問を原田裕規が読み上げ、それに本人が応答した。(2015年原田)
註5)同上
註6)和田昌宏(2015年7月17日、横浜市民ギャラリーあざみ野、日比谷安希子)とのインタビューより引用。
註7)、註8)王と凌のインタビューはこちらからの設問を送付し、それに応答する方法をとった。
註9)、註10)ウォルター・ペイター『ルネサンス 美術と詩の研究』 富士川義之訳、白水社、1986年、新装版1993年 / 白水Uブックス、2004年、p.138
註11)岡田温司「『すべての芸術は音楽の状態に憧れる』、再考」表象08、表象文化論学会、2014、p.7

備考:あざみ野コンテンポラリーvol.6「もうひとつの選択 Alternative Choice」展は、下記のサイトを参照。
http://artazamino.jp/event/azamino-contemporary-20151108/

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜市民ギャラリーあざみ野
主席学芸員