VIA YOKOHAMA 天野太郎 Vol.32

Posted : 2015.07.24
  • facebook
  • twitter
  • mail
横浜市民ギャラリーあざみ野の天野主席学芸員が綴る、アートをめぐっての考察。「アートとは?」と問い続ける連載です。
「もう一つの選択(Alternative Choice)」、
または「サブライム(崇高)」についての覚書

横浜美術館と違って、新しい赴任地の横浜市民ギャラリーあざみ野は、主に市民の作品発表の場となっているが、年に3回企画展をギャラリーの企画として行うことになっている。その企画をするために異動したのだが、正直なところ、ここ10年近く展覧会の企画が、色んな意味で出来ずにいたので、今頃になってちゃんと出来るか不安だった。色んな意味でと言ったが、個展ならいざしらず、何かテーマを設定したグループ展を企画する気が全くおこらなかった。理由は簡単で、テーマが見出せなかったからだ。社会的テーマにせよ、造形言語にせよ、企画する側も、参加するアーティストも、あるいは鑑賞する側も、リアリティを持てるような共有可能なテーマが、少なくとも筆者には見出せなかった。
国内で悶々として何も思い浮かばなかったところに、幸いにも、今年の前半に、シンガポール、オランダ、ベルギー、カナダ、ニューヨーク、台湾、中国(杭州)と立て続けに招聘される機会に恵まれ、それぞれの現地で美術はもとより社会そのものを直に見聞き出来たことで、ようやく展覧会を企画してみたい意欲が湧くことになった。そして、テーマも「もう一つの選択(Alternative Choice)」にしようと決めた。と同時に、このテーマの属するべき文脈としてもう一つのキーワード「サブライム(sublime)」もまたこの時期に頭を擡げるようになった。これらの語彙が浮かんだきっかけは、ベルギーのゲントを訪問した時だった。本来の目的は、通称スマックと呼ばれている現代美術館(Stedelijk Museum voor Actuele Kunst Gent)の訪問なのだが、実はその帰りに閉館まであまり時間の余裕がないまま立ち寄った、隣にあるゲント美術館(Museum voor Schone Kunsten Gent)でのある作品との出会いが契機となった。ゲントのこの美術館は、何と言ってもヒエロニムス・ボスの「十字架を担うキリスト」や、修復中の同地の聖バーフ大聖堂にあるファン・アイク兄弟作の祭壇画「神秘の子羊」が公開されていることでも有名なベルギー最古(1798年)の美術館だ。そこで、思いがけず、テオドール・ジェリコーのモノマニーの作品に出会えた。作品の原題は、「L’Aliéné or Le Kleptomane」(1822)、和訳では「窃盗偏執病者」ということになっている。

Portrait of a Kleptomaniac, c. 1820, Museum of Fine Arts, Ghent, Belgium

Portrait of a Kleptomaniac, c. 1820, Museum of Fine Arts, Ghent, Belgium

La Monomane de l'envie, 1822, Musée des beaux-arts de Lyon

La Monomane de l’envie, 1822, Musée des beaux-arts de Lyon

 

この作品も含め、ジェリコーの「偏執病者(モノマニー)」のシリーズが5点現存している。数年前にも、リヨン美術館(Musée des beaux-arts de Lyon)で「羨望偏執病者」に出くわして面食らったことがあった。このシリーズに直に出会ったのは、これで二度目だが、いつも「面食ら」わさせられるのには、理由があった。他のコレクションの展示の流れの中にあって、制作された19世紀前半の作品としてあまりに「異質」だからだ。

何が異質かと言えば、このような絵画が、それまでのヨーロッパにはなかったということ。美術史的に言えば、これは、絵画の主題としてはあり得なかったものだ。無論、形式としては「肖像画」であり、それはヨーロッパの絵画においては重要なジャンルだが、「一般に肖像画の機能が、記念や祝福、記憶や愛惜、哀悼や服喪にあるとするなら、五人の「モノマニー」はいったいそれらのいずれに当てはまるというのだろうか。まして、当時の多くの肖像画が、モデルの社会的な地位や権力を記録し誇示するために描かれていたとするなら、ジェリコーの作品は、スキャンダラスであるばかりでなく、ほとんどその存在すら許されない対象でもありように思われる。」(註1)代物であるのだ。ジェリコーには、これ以外に、人の屍体の部位をスケッチした作品も残されているが、これらもまた、当時の美術のシステムとしてのアカデミー教育とは無縁の作品である。19世紀前半というまだ、写真も登場(1839)していない、とは言え確実に近代社会のインフラが着々と整備されつつあった当時に、宙吊りの形で、つまり、近代以前にも属し得ない、しかしその時代にさえ属しきれない、むしろ未来として近代の何ものかを予言するかのようなこの作品との出会いは、数年まえのリヨンでの出会いとは異なった印象を持つこととなった。
この数年の間に益々、出口の見えづらい、未来に構想を打ち出しにくい時代を迎えているからだろうか。いずれにしても、幾つかのオプションの選択に悩むことが能わず、何か他の選択に苦慮しなければならない時代。この他の選択が、まさに「オルタナティヴ・チョイス(Alternative Choice)」というテーマ設定に繋がるきっかけの一つとなったのは確かなことだ。
さて、このジェリコーの作品との邂逅には続きがあって、ベルギーのもう一つの訪問先であるルーヴェン(Leuven)の現代美術館で観たゲント出身のアーティストPeter Buggenhoutの個展でのことだった。たまたま作家自身も来館していたので、一緒に展示を観て回る機会を得た。

Gorgo #26, 2012

Gorgo #26, 2012

On hold #1, 2015

On hold #1, 2015

 

日常生活の中から排出される不用品を作品に取り込むのは、この作家に限ったことではないが、圧倒的な物量とスケール感は、他にあまり例を知らない。それは、時には、ルーベンスの十字架降下の構図を想起させると同時に、天災、人災問わず、破壊され、手の施しようもなくなった有様にも見えた。アーティストとこれらの作品を巡って話しをしていた時に、思わずこれはまるで「サブライム(sublime)」だと口をついて出たのを覚えている。しかも、この和訳をすれば「崇高」という意味のこの言葉に、アーティストが敏感に反応したことにも強い印象を持った。後日、本人から、自身にとっても、作品とサブライムの関係が非常に重要なテーマだとメールをもらった。
実のところ、ゲントの美術館で観たジェリコーの屍体の部位を描いた作品を友人でもあるドラクロワが評した一文を美術史家の岡田温司がこう紹介している。
「先輩画家(ジェリコー)の解剖学的断片のことを、美術の歴史における最初の「主題なき絵画」とみなし、さらに「ジェリコーのこの断片は真に崇高である」と評したのである。」註2)
時代の転換点は、美術の表現にも、それまでの流れを断つ、まさに断絶を生むのは知られていることだが、この19世紀という時代にもまた、人事を超えた何モノかに敏感に反応した美術家がいたこと、そして、背景も意味も異なるとは言え、今世紀もまたそのアナロジーが見入させることに少なからず興味を覚えることになった。

ところで、既述したような契機があるとは言え、オルタナティヴ(Alternative)という言葉を、改めてどうとらえれば良いのだろうか。美術の世界でこの言葉は、例えば、「オルタナティブ・スペース」といった用語の中に見出せる。単なる選択(option)ではなく、つまり幾つかある選択肢の一つではなく、今有るものに代わるオルタナティヴ(alternative)が、使用されるべき理由は、用語を使用する側の批判的態度がここに見出せるからに他ならない。1960年代後半から70年代にかけて、とりわけアメリカでは、美術館や画廊の展示空間のデザインにおいて席巻する”ホワイト・キューブ(white cube)以下を参照(http://yokohama-sozokaiwai.jp/column/4034.html)”に対抗すべく、それに代わるもう一つのスペース(alternative space)が、主にアーティスト主導で続々と設立され、同時に歴史的な作品がそうしたスペースから生まれることになった。この場合の対抗とは、単なる物理的空間としてのホワイト・キューブにたいしてではなく、そこに意味付けられる「中立性(neutral)」という政治性に対してである。美術館や画廊におけるこうしたホワイト・キューブに展示される作品は、その空間の持つ中立性の文脈の中で、自己完結性に回収され、そもそも作品の持つ政治性すらスポイルされる。また、当時の代表的な現代美術館、ニューヨーク近代美術館、ホイットニー美術館等が、「ホワイトタワー」と揶揄され、取り上げる現代作家は白人、それも男性といった原理で強固に制度化されていた不条理で、不正義な事態がそこにはあった。
思想家である中山元が、その著『正義の名著』で以下のように述べているのは興味深い。「・・・正義がかたられるときには、フェアで正しいありかたが問題にされると同時に、その公正さや正しさが踏みにじられているという憤慨の念が伴うものである。人が正義を声高に要求するとき、その人にとって我慢のできないような公正でない事態が発生しているのであり、その事態を公正さの原理にしたがって是正することが求められているのである。正義の概念は、政治哲学の交わる場において、結節点のような役割をはたしているのである。」(註3)
さらには、アメリカの政治思想家ナンシー・フレーザーが、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』について取り上げたときの、次のような指摘が想起される。「その最も重要なものは、正義についてその否定を通じてかんがえさせるという点です。プラトンとは違い、イシグロは何らかの正しい社会秩序というものを提示しようとはしません。そのかわりに、これは絶対正しくないと読者が考えるようなひとつの社会秩序を冷徹に描き出します。これが重要なポイントの一つです。つまり、正義[正しさ]をじかに体験することは決してできないということです。反対に、私たちは不正義を体験しますし、むしろその体験を通じてしか、正義という考えを形作ることができないのです。不正義だと思われるものの性質をしっかり見定めることからしか、オルタナティヴへの感覚を得ることはできません。不正義を打倒するものが何かをじっくり考えるときにしか、さもなくば抽象的になりがちな私たちの正義概念に具体的な内容を盛り込むことはできません。したがって、「正義とは何ぞや?」というソクラテスの問いには、こう答えることができます。正義とは、不正義の打破である、と。」註4)

(この項続く)

註1 『芸術と生政治』、岡田温司、2006, pp.216-217
註2  掲書、p. 224
註3 『正義の名著』、中山元、2015
註4  以下のサイトから引用した。(http://fnfukuoka.jugem.jp/?eid=468

備考:あざみ野コンテンポラリーvol.6「もうひとつの選択 Alternative Choice」展は、下記のサイトを参照。
http://artazamino.jp/event/azamino-contemporary-20151108/

photo:K. Boo Moon

photo:K. Boo Moon

著者プロフィール
天野太郎[あまの たろう]
横浜市民ギャラリーあざみ野
主席学芸員