BankART1929のこれから——「創造都市横浜」の 担い手たち Vol.1

Posted : 2015.02.06
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横浜港へと続く運河沿いの元倉庫の建物。BankART1929はオープンから10年。 街、建物、食、写真、“大野一雄”といった横浜の「財産」をコンテンポラリーに展開し、その企画は日本のアート界、いや海外にも大きな影響を与えてきた。さて、BankART1929はこれからどこへ行くのか?
1外観小

 

横浜はアートとの親和性の高い街。アーティストやクリエーターが作品を発表する機会を多彩に提供し、彼らの創造性を育てる環境も充実している。そんな「創造都市・横浜」を支えてきた数々の「場所」の、これまでの道程とこれからについて探る全6回のシリーズ。
今回はBankART1929代表の池田修さんにお話しいただいた。


 【BankART1929 の基本データ】
横浜市が推進する歴史的建造物を活用した文化芸術創造の実験プログラムとして、2004年3月にスタート。BankART(バンカート)は元銀行であったふたつの建物を芸術文化に利用するという意味を込めた造語。旧第一銀行と旧富士銀行の建物でのスタートだったが、現在の主な活動拠点は、旧日本郵船倉庫を改修した約3,000㎡の建物。事業内容は、企画展の実施、ブックショップ、パブ&カフェ、コーディネート事業の実施、アーティストへのスタジオ貸与、講座の開催など。


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アートは日常にあるべきもの

 「僕自身の基本的なものの考え方ですが、そこにあるものをまず全面肯定することから始めます。BankARTを始めるにあたっても、横浜という街が持っているものを深く理解して、その可能性をしっかり見ることが最初の仕事でした。頭で学んだことや好悪の感情という文化的背景によってものごとを見るのではなく、まずは全肯定のスタンスで街や人と関わっていこう、というのが僕自身の生き方であり、このBankARTの基本精神です。

 そしてこれは『日常』と『非日常』の問題につながります。アートに関わるということは、日常的な事柄にちゃんと丁寧に反応していくことが大事だと肝に銘じてきました。

そのモットーを実現するために、BankARTの運営面でいえば、毎日夜11時まで開館しています。日常生活の中で、仕事の後にいつでも来れることが大切だからです。

展覧会のオープニングは金曜日の夜に行なうことにしています。金曜日の夕方というのは日常から非日常への狭間ですから、アートの体験が一般的な社会の構造とリンクするのです。こういった案外見落としがちな些細なことを丁寧にやってきたつもりです。

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「BankARTパブ&カフェ」は年中無休で夜11時まで営業している

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「受付のクリエイティビティが重要」と池田さんは言う

 

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「BankARTスクール」の様子

「現代の寺子屋を目指して開講した『BankARTスクール』も2005年当初の2ヵ月は7時スタートでしたが東京から間に合わないとわかって反省し、開始時間を見直して、次の期から7時半開始に変更しました。この変更のおかげで安定して講座ができるようになりました。9時半までなので、終了後は下のパブで一杯飲んで帰ることもできます。月曜日から土曜日まで毎日開いています。これまでに3,000人以上が受講しました。講師と学生、学生同士の交流が盛んです。これもアートを考えることが日常の中にあるべきだというポリシーが実現されています。

期間限定のプロジェクト『新・港区(ハンマーヘッド/スタジオ)』では2年間、約50組のクリエーターが活動しました。昨年解散しましたけど80パーセントの人が関内外に新たな拠点を作って活動を続けています。

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「ヨコハマトリエンナーレ2011『新・港村(BankARTLife 3)』」は黙祷で始まった

 

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期間限定のクリエーターの活動拠点「新・港区」を共同運営した

撤収展小

「新・港区『撤収展』」(2014年)のチラシ

 

『アーティスト・イン・レジデンス』、これもアートの日常性の獲得という意味においてとても重要であって、1回だけイベントをやるとか展覧会をやるのとははるかに違う、深い人間的な交流が生まれるものです。展覧会というアウトプットだけではなく、生産の仕事、ものを作る土俵も大切だという信念から地道に行なってきました。ここ横浜を、制作の現場として、ものを生み出す場として関わってもらう機会を作るというのはとても大切な使命だと思っていますね」

ずっと転換点ばかりでした

 「ずっと転換点ばかりでしたね。なにしろ2004年のBankARTのスタート以来、引っ越しと工事の連続でしたから 。旧第一銀行と旧富士銀行、2つの元銀行の建物の活用から始まったのですが、わずか4ヶ月後に旧富士銀行を東京藝術大学大学院映像科に譲り渡すことになりました。

 幾度にも及ぶ引っ越しは、引き渡すことで新規の活動拠点を得ることにもつながり、 結果的には良かれと思っての決断が功を奏したことも多いんですよ。僕はそういう大変さも楽しむ方なんで。いい方向に行けるのだったらいいやと、それでずっとやってきたんです。 

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「ルーフトップパラダイス」(2008年) 改修工事のため屋上のみでの展示

 

本拠地が工事中であったり、明け渡し中であったりしたことで、屋上のみが使用可能であったために知恵を凝らして行なえたプロジェクトや、他の場所を生かしてのプロジェクトなども生み出すことができました。これも、『どんなときでもアートは止めない』『どんな日常であれアートは生まれる』ということの実践と言えると思います」

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Landmark Project」は横浜の風景をアートで変貌させる試み

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川俣正展『Expand BankART』」(2012年)

  
これからどこへ行くのか?

 「大きな方向性としては、日本の現代アートを相対的に考えることをしていきたいと思っています。そのためにアジアとしての日本を考えるために、『続・朝鮮通信使』のプロジェクトは重要なので継続していこうと思っています。アジアという『街』を捉えるには行き来すること、往来することが一番有効で、時間をかけて解いていく課題だと思っています。

 

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「大野一雄フェスティバル」2009年『禁色』の上演

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「続・朝鮮通信使パレード」

ヨーロッパ圏との関係では、この春には『BankARTベルリン』というアート拠点を開設します。小さくてもいいので手がかりになるような場所をつくろうと計画しています。 

BankARTはこの10年、都市における新しいアートのあり方を継続して実験してきたと思います。それが日本の既にある施設や新しく誕生する施設に影響を与えたり、海外でも韓国や台湾のように、 BankARTに影響を受けたアート施設がいくつも生まれています。 種を播く先駆者としての役割を評価されることはとても嬉しいことです。一方、ここ横浜を舞台に、横浜のもっている財産をリレーしながら、国内外に、次の世代に受け渡すかということも大事にしながら、次の5年を歩んでいきたいですね」

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BankARTのディレクターたち。左から細淵太麻紀さん、溝端俊夫さん、池田修さん

 


【BankART1929へのアクセス】
住所:〒231-0002 横浜市中区海岸通3-9
最寄り駅:みなとみらい線「馬車道駅」
お問い合わせ;TEL : 045-663-2812
http://www.bankart1929.com

 ●PROFILE
いけだおさむ
1957年大阪生まれ。2004年からBankARTの立ち上げと企画運営に携わり、今日に至る。
BankART1929代表、ディレクター。