横浜の戦後建築遺産と創造都市 vol.1 建築家・佐々木龍郎さん×泰有社・伊藤康文さん対談

Posted : 2017.03.30
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関内外の街並みを特徴づけている「防火帯建築」。現在、横浜市文化観光局では文化芸術創造都市の取り組みの一環として、横浜固有の戦後建築遺産である防火帯建築をアーティスト・クリエーターに活用してもらおうと、不動産オーナー等民間事業者による事業モデルの推進を行っている。 今回の特集では、そうしたアーティスト・クリエーターの活動拠点の形成を進める「芸術不動産事業」と、防火帯建築の価値や魅力を解説。第1弾として、芸術不動産に立ち上げから携わってきた建築家の佐々木龍郎さんと、関内さくら通りをはさんで向かい合う「泰生ビル」と「泰生ポーチ」2つの先進事例を持つ泰有社の伊藤康文さんにお話を伺った。

泰有社の伊藤康文さん(左)と建築家の佐々木龍郎さん

 

クリエーターの手によって、古い建物を古いまま活用

ーー芸術不動産事業は、どのようにして生まれたのでしょうか。

佐々木 芸術不動産について語るには、創造都市という政策についても多少触れる必要があると思います。

 もともと横浜は、1965年に六大事業という非常に物理的な政策を掲げ、当時170万人の人口を現在の370万人、つまり2倍以上にしてきたという歴史があります。その2倍以上に膨れ上がった状況を受けて、もちろん物理的なインフラストラクチャーは暫時更新されてきましたが、集積した370万人に対してどういう政策を打つべきかという時に生まれたのが創造都市政策です。「創造都市」という言葉は、非常に多様な解釈を可能にするという意味で、とても適切な政策のタイトルだと僕は理解しています。

 ただいきなり創造都市といっても何をやって良いのか分からないので、まずは他都市の先進事業を見ていくと、アーティストやクリエーターが、街に入り込んで、その街の新しい価値を見つけ、見える化している。そこで横浜でもさまざまなアーティストやクリエーターを呼び込もうと、歴史的建造物を提供して、文化芸術に活用するBankART1929などのプログラムが2004年から始まりました。

 2005年には、森ビルが開発前のタイミングで待機していた二棟の建物(旧帝蚕事務所と旧帝蚕ビルディング)をしばらくぶりに開放し、アーティストやクリエーターが日常的に使うスタジオやアトリエ、建築設計事務所が入った「北仲BRICK & 北仲WHITE」が生まれました。当時森ビルの社長だった森稔さんはアートが好きで、実際にBankARTなどに足を運び「面白い、使ってもらおう」と言ってくださったと聞いています。そこで、BankART1929代表の池田修さんが間に入ってまとめてくれて、50組以上のアーティスト・クリエーターが集まったわけです。

 民間のオーナーが、使っていない自分のビルを期間限定で使っていいとアーティスト・クリエーターに投げたら、各部屋をみんながセルフビルドして面白く使った。古い建物を古いまま活用して、アーティスト・クリエーターが自分たちのオフィスとして使っていく、最初の大きな実例は、企業(民間)とクリエイター(民間)の不動産契約だったんですね。

 

属人的な仕組みから、オープンなものへ

佐々木 都市プランナーの櫻井淳さんと、今、横浜市立大学にいる鈴木伸治先生と、私とで、関内の空きビル調査を2003年頃からやっていて、古い建物がたくさんあることは理解していました。そうした調査と、BankARTなどに呼ばれるアーティストのためのスタジオのニーズが、うまい具合に結びついたんですね。アーティストが寝起きするのも、物を作るのも展示をするのも、すべて不動産の中で行われることなので、まず不動産を動かしていこうという意識で付けたのが、「芸術不動産」というネーミングです。

 最初は2007年のBankART1929の「ランドマークプロジェクト」の一つとして、不動産仲介のように古い建物と新しいアーティスト・クリエーターをマッチングしていきましょう、そうした動きを推進していきましょうといったプレゼンテーションをしていました。それから、横浜市芸術文化振興財団が立ち上げた横浜のアーティスト・クリエーターの窓口となるアーツコミッション・ヨコハマ(ACY)と連携していく中で、古い建物を持て余しているオーナーさんから少しずつ連絡が入り、いくつかマッチング事例が出てきました。

 芸術不動産が横浜市の正式な事業名となって初めて予算が付いたのは2010年で、芸術不動産リノベーション助成といって、アーティスト・クリエータの活動拠点として建物を改修するオーナーに工事費の半分を出すというものでした。まさに今いる「さくらWORKS<関内>」の右側の空間も、この助成を使ってできています。この助成金は2014年まで5年間の運用でしたが、まずはオーナーを動かすのが目的でした。

泰生ビルに2012年にオープンしたさくらWORKS<関内>イベントスペース

 

 2003年頃の調査時は、オーナーはまったく空きビルを貸す気がなかったんですよ。すごく古いビルなのに、坪1万5千円くらいなら貸してもいいけど、こんな安い家賃じゃ空けておくほうがマシだ、なんて言われました。それなら、最初は補助金を使ってでもオーナーを動かして、それによって実例ができれば、いずれ補助金がなくなっても「うちのビルでもやってみようかな」とつながっていくのではないかと。

 2015年度からは、今回の防火帯建築をテーマにした再生プロジェクトを横浜市文化観光局と私も含めたアドバイザーチームとで進めていますが、建物の改修に対する補助などはありません。民間の防火帯建築と、その再生の取り組みを発信してくれるような民間事業所やアーティスト・クリエーターをどうやってマッチングできるかということに注力するもので、現在、弁三ビルと住吉町新井ビルという2つの事例が昨年から動き始めています。

 流れとしては、北仲BRICK&WHITEから12年経って、民間と民間がしっかり手を握る形に元に戻ってきたんです。森さんと池田さんと多くの関係者の尽力でのおかげでスタートしたある意味で属人的な仕組みを、僕たちはもう少しオープンな形に持っていきたいとずっと思っていて、今ちょうどそういう時期に入りつつあります。

 

アーティスト・クリエーターの輪に入る

――泰有社と芸術不動産事業の出会いは、何がきっかけだったのでしょうか。

伊藤 泰有社は実は関内だけではなくて、ちょこちょこいろんなところに物件を持っています。リーマンショック前にプチ不動産バブルのようなものがあって、投資物件が非常に動いた時代に、うちも雑居ビルや飲食ビルをかなり取得したんですね。小さいビルも含めて全部で9棟で、うち3棟は都内、1棟は弘明寺で、残りが関内なんですが、ほとんどが古いビルです。収益率が高いものを買っていたので、満室だったんですが、リーマンショック後は空室率が高くなってきて、物件を取得している場合じゃないな、今持っているビルのリーシングにもう少し注力しないと、自分たちの首を絞めることになるなということで、特に空室のあった泰生ビルをどうにかしよう、というところからのスタートでした。

 最初は売って、ほかのビルを買うということも考えていました。古いビルを持っていてもしょうがない、売ったお金でほかの収益性のあるビルを買ったほうが良いという、投資的な感覚ですよね。ただ、泰生ビルはエントランスの左側と右側に分かれてオーナーが2社いる共有物件だったので、売るに売れないんですよね。泰有社の代替わり後何度も、どちらかが売って、どちらかが買いませんかと、2人のオーナーの話し合いを持とうと投げかけていました。会社が2つあるということは、業績も違うので、決してビル経営には良くないんです。たとえば大規模な修繕をする時に1億円かけましょうと言っても、双方の意見が合わないとできない。

築50年の泰生ビル(防火帯建築)

 

 そんなわけで、結局2社共有のままずっときてしまった中で、リノベーション助成が始まった2010年に、ちょうど僕がACYに訪ねて行ったんです。社内でどう空室を埋めるか話し合っていて、たまたまネットで芸術不動産を見つけて。といっても、芸術不動産とは何のことだか分かっていませんでした。今まで僕たちがやっていた不動産のリーシングというのは、不動産会社に依頼して募集をかけて、そこに問い合わせがあって入居してもらうという仕組みですよね。そこへアーティストやクリエーターを誘致すれば助成金を出すよと言われても、結局よく分からない。というのは、僕たちがアーティスト・クリエーターを知らないからなんです。

 そこで、ACYの杉崎栄介さんが紹介してくれたのが、ヨコハマ経済新聞の杉浦裕樹さんでした。杉浦さんたちのシェアオフィス「さくらWORKS<関内>」ができて、それからものすごい短期間で、ものすごい数の名刺交換をして。そのときに初めて、アーティストさんやクリエーターさんたちと横のつながりができて、仲間に入れてもらったことで、問い合わせがどんどん来るようになって、あっという間に満室になったんです。

佐々木 顔の広い杉浦さんから、さらにいろんな人につながったんですね。リノベーション助成を使ったのは、新しく取得した右側ですよね。

伊藤 はい。先ほどの話に戻りますが、芸術不動産のおかげで泰生ビルの泰有社側が満室になったので、隣のオーナーに、空室をアーティストやクリエーターに貸すのはどうですか、と話を持っていったんです。でも全部断られてしまって。要は、面倒くさそうな人を入れたくないんですね。当時、隣の住居階は2件くらい入っていて、要は滞納もしない、すごく良いお客さんで、こういう人たちを選んでいたんだな、というのは分かったんですが。その後、オーナーさんの代替わりがあって、こちらの考え方を理解してくれたのか、不動産売買の話が進んで、2013年に若干相場より安く、うちが隣も取得することができました。

 空きが18部屋くらいあったんですが、これまでの、古いものは売ってしまって、新しい収益性のあるものを買っていこうという考えが、アーティストやクリエーターの手にかかれば、売らなくても価値のあるものにできる、という考え方に変わってきたんです。おかげさまで、こんなおんぼろのビルですが、泰生ビル全体を取得してから4年半、44部屋が絶えず満室稼働になっています。

 

2階より上から埋めていくことで、路面空間を自由に

泰生ビルの向かいに位置する泰生ポーチ

 

——泰生ポーチは、どのような経緯で取得に至ったのですか。

伊藤 泰生ポーチに関しては、泰生ビルの真向いですから、空きビルだということは僕らも重々承知で、一年ぐらいかけて権利関係を調べあげて、交渉の後、かなり安価で買わせていただきました。そこで設計事務所のオンデザインパートナーズ、デザインユニットのノガンとタッグを組んでプロジェクトを立ち上げ、埋めていくことになりました。

 1階は空いていましたが、関内桜通りに面しているので、通常は不動産屋さんに募集をかければ、コンビニなりラーメン屋なり、おそらくすぐに埋まるものなんですよね。だけど僕たちはそれをせずに、2階から上の入居者が1階を使える仕組みがいいよねということで、まずは2階から埋めていくことにしました。1階の賃料は一番取らない方法で、まずやっていこうかと。通常は、1階が一番高く取れるんですが、あえてそうしていない、不思議なビルなんです。

 防火帯建築とされている建築物って、恐らく1階部分はなんとなく埋まっていても、2階から上がガラガラなんですよね。以前の泰生ビルも同じです。だから僕たちが注目したのは、1階ではなく、2階からどう埋めるかということ。1階がパブリックスペース的な要素を持っていたほうが、入る人にとって魅力ある空間、魅力あるビルになるだろうな、ということを想定したんです。

泰生ポーチ1階では日替わりで近隣のクリエーターがコーヒーショップを開く

 

佐々木 それは一つの関内の未来のモデルですね。1階のコンテンツを比較的柔軟にしていくと、10年、20年経った時に、相当街の歩いている雰囲気が変わると思うんです。上の部分が埋まれば、下の自由度が上がって、よりパブリックなものになっていく。お金を払わない人しか入れない飲食店だけではなくて、ゆるゆるといろんな人が集まる場所が並ぶような路面ができていく可能性を、泰生ポーチが先立って提示しているということではないでしょうか。

 

つながりのマーケティング

伊藤 泰生ポーチももう2期目に入りますが、ずっと埋まっています。実は最近2部屋空いたんですが、Facebookページで発信するまでもなく、人づてですぐに僕のところに問い合わせがあるんですね。

佐々木 芸術不動産のマーケティングって、家賃がいくら、駅から何分といった普通の情報としてのマーケティングではなくて、口コミや、人とのつながりのマーケティングに近いですよね。この人のつながりは持続性があるというか、いつの間にかその人脈自体がかなりオープンになっていて、たとえばFacebookですぐ広まったりすることが、大事なのではないかと。

 昔はおそらく、地域ごとにその顔となる不動産屋がいて、この街をどうしていくかを真剣に考えていたけど、今はクールな数字の世界になってしまった。それからもう一度、芸術という言葉と不動産をかけ合わせることで、血が通ってきた。そういう人のつながりがないと、次から次へとビル買えないですよね。

伊藤 それはそうですね。リーシングに対して、絶対需要があるなという自信がないと、僕たちも泰生ポーチは買わなかったですし、常盤不動産ビルも買わなかった。おかげさまで泰生ポーチに関しては、買って、リノベーションして、竣工する頃にはすべて満室、ということが実現できたし、常盤不動産ビルに関しても、いろんな形でオファーがあるので、現在17部屋くらい空いてますが、確実に埋まるだろうなという自信はあります。

――防火帯建築でもある常盤不動産ビルは、今どんな展開を考えていらっしゃいますか。

伊藤 常盤不動産ビルは、泰生ビルと同じく既存の入居者がいるので、空室率を低くするというプロジェクトですが、今年の秋前くらいには稼働できる方向で動いています。いろんな形で、泰生ビルと泰生ポーチも含めたこの3棟のビルを連携させて、ブランディングも含めてやっていこうと。

 1階が空いていたら、みんなが集まれるようなコミュニティーカフェのようなものができるんですが、空いていないので、上階を1部屋空けて家賃を取らずに、そこにパブリックスペースを作ろうかとも計画しています。そういった場所は、特にアーティスト・クリエーターを入れるにあたって、すごく大事だと思っているので、1部屋利益を度外視することも必要かと。

 

課題は「街の分析」

佐々木 泰生ビルも泰生ポーチも、実はアーティスト・クリエーターに特化していないというのが、意外と大事だと思うんです。特化はしていないけど、同じマナーを持った人たちが何となく集まってくる仕組みや空気を作っている。

伊藤 「旅するコンフィチュール」の菓子工房や、知的障害者の高校卒業資格が取得できる明蓬館高校の拠点「アンブレラ関内」、デジタルファブリケーション・ものづくり拠点の「FABLAB KANNAI」など、みんな共鳴して入ってきているところがありますね。

佐々木 「面白そうな人がいたら貸してあげよう」というスタンスですよね。アーティスト・クリエーターだけではなくて、ファンや、アーティスト・クリエーターに仕事を出してくれる人が混ざり合っていたほうが、街としてアクティブになる。この2つのビルが、街のモデルになっている、ということだと思うんです。

FABLAB KANNAI

 

伊藤 もちろん退去や入居を繰り返してはいますが、それがあることによって、また新しい化学反応が起こっているんですよ。たとえば泰生ビルでは、「ママピクニック」という子育て広場が新たに一部屋できます。また、ちょうど今日工事をやっていますが、昨年夏からは、FABLABと連携した屋上緑化のプロジェクトもスタートしました。入居者みんなで、そうした保育の形や、農作業によるコミュニティの活性化を模索するような、面白いビルになってきているんです。

 関内ではリーシングのベースとなるそうした人との横のつながりができてきましたが、やり方は街によっていろいろありますよね。普通の不動産オーナーにとっては、人のつながりといっても分からない部分があると思いますが、実際にいろんな人と会ったり、勉強したりすることで、その人たちがどういう風に動きたいのか、どういう空間を求めているのかが、だんだん分かってくる。そうすると、リーシングの仕方が全然変わってくるんですよね。

 東京の物件は満室なので今すぐやるべきことはありませんが、弘明寺にしろ、自分たちが持っている物件のある街の分析が、僕たちの今後の課題かなと思っています。絶対にポテンシャルはあるので、空室があるから売るのではなく、今あるべきものを大事にしていく、そういった考え方でビル経営をやっていきたいと思っています。

 

“介助する“オーナー

佐々木 新規取得の話でいうと、壊す費用なども考えると、泰生ポーチのように安く買えたり、もっと言えばあげたい、みたいなところも出てくるんじゃないかと。「壊せないし、子孫にも残せないから、これもらってくれないか?」と。

伊藤 それはすごくあると思います。もしオーナーさんが困っていて手放したいというのであれば、うちも積極的に見させてもらって購入するというのはありかなと思っています。

 実は泰生ポーチの場所は借地権しか持っていなくて、地代を毎月支払っているんですね。そんなに高い地代ではないし、建物だけ買っているので、ある意味安く済んでいる。

佐々木 土地を持っていないから、固定資産税を払っていないんですね。それも一つのやり方ですよね。

改装前の泰生ポーチ

 

伊藤 逆に、泰生ビルは、これだけ埋まっていれば利回りが出るじゃないですか。それなりの価値はもう持っているわけなので、これを売って、違う空きビルを買う、という方法もあるかもしれないですね。

佐々木 そうなったとしても、この建物の空気感みたいなものを持続するためには、何かコツがあるのでしょうか。

伊藤 いや、それはオーナー側がどうこうするのではなく、やっぱり入っている人たちによるものだと思うんですよね。

佐々木 でも意外と、最初の杉浦さんの発掘も含めて、伊藤さんも介助してますよね。それをしないオーナーがほとんどの中で、伊藤さんは、口出ししているわけではなくて、目配りしているような印象があります。

伊藤 結局、それをしないと次のことができないんですよね。いつまでたっても杉浦さんやほかの人頼みになってしまう。そうじゃなくて、自分たちも極力関与して横のつながりを持たないと、やっぱり話ができないし、退居がでたときに僕にところに問い合わせが来るのも、顔を知っているからであって。でも、基本的にやっぱり、そういうことが好きなんでしょうね。

佐々木 伊藤さんはいろんな集まりによくいますよね(笑)。

 一つお聞きしたいのが、まるまる空いている建物ではなくて、ほかにもテナントさんがいた場合、新しい人のつながりを入れていくにあたって、気を使っているところや考えないといけないなと思っているところはありますか。

伊藤 泰生ビルの左側に関しては既存の入居者がいるので、確かに気を使うことは必要ですね。昼間に寝ている方もいますし、騒音や、ゴミの出し方、清掃の仕方など、細かいところは注意しながら、既存の入居者もケアしています。そこは管理的な部分ですが、僕たちも充分やってきたことなので、今までの経験も生かしながらやっていければ。

佐々木 なかなか1棟丸ごと空いているというケースは少ないので、どうしても今いる方々と共存していくことがすごく大事になってきますよね。ビル管理って、ただ家賃を集めればいいだけじゃなくて、入居者同士を仲良くさせるとまではいかなくても、喧嘩させないように、精度が求められる気がします。

伊藤 問題があったときって、オーナーは本当に怒られ役なんですよね。でもそれで気が済むんだったら、いくらでも怒られます。本当は、お金はかかっても空室にしておくのが一番簡単ですが、やはり僕たちの役割はそこにあるので。

佐々木 ちゃんと気を使っていけば、できないことはないということですよね。

 

地域の「顔の見える化」を

佐々木 今でもこの地域で、伊藤さんのような価値観を持った動き方をされている人は、そんなにいらっしゃらないと思いますが、もう少し増えてもいいですよね。弁三ビルでカリアゲプロジェクトを手がけているルーヴィスの福井さんも、ちょっと一人じゃつらいから仲間がほしい、独占してできるものでもないと言っています。

 関内のビルで、オーナーが変わったという話をいくつか聞くので、代替わりというか、変化が少し起きているのではないかと思うんですが、オーナー間の交流って、普段はあまりないんでしょうか。

伊藤 ほとんどないですね。ライバルというか、ある意味やってやられてっていうものだと思います。でも、バブル期と違って、我が身我が身でいても、結局空室になることは目に見えているので、そこはこんなやり方があるよとどんどん情報交換していったほうが良くなりますよね。

佐々木 良い方向に持っていくために、横浜市に何かしてほしいことはありますか。

伊藤 入居者を入れているオーナーとしては、天災などにそなえたビルの強化は無視できないところなので、今もまったくないわけではありませんが、耐震関係の補助など、人命に関わる部分に関しての支援がもう少し厚くなると、またできることが増えるんじゃないかと。

 たとえば都内では、震災があると規模の大きいビルが、水を用意しておくとか、人を受け入れることを、区によっては義務付けられています。関内でもそういったことができると、近隣同士顔を合わせることになりますよね。避難訓練などのイベントで、街全体で防災を機に交流を持つということも必要かなと思います。

関内外OPEN!8当日は、泰生ビルと泰生ポーチの間の路上でウエディングセレモニーやヨガ、ワークショップなどが行われた

 

佐々木 先日の関内外OPEN!8は、けっこうにぎわいましたよね。あれは、泰生ポーチの1階スペースがなければなかなか盛り上がらなかった。あれを見ていると、路面に拠点があるというのは素晴らしいことだとみんな実感したと思うんです。

伊藤 関内外OPEN!で道路を一部通行止めにして、そこでクリエーターが子どもたちを招いて公園のように使ったのは良かったですよね。本当は、いつもそういったものが行われるべきだと思います。それが恒例化すれば、吉田町のようににぎわいが出ますし、街の活性化や顔をつなぐきっかけになれば、そんなに良いことはないですよね。隣人の顔がよく分からないというような現代の中で、顔の見える化運動みたいなものが必要なのかなと思います。そこに、クリエーターだけでなく、分譲マンションの方ももっと参加してもらえれば。

佐々木 管理組合を通じてきちんと知らせれば、可能性はありそうですね。

伊藤 そうですね。横浜市の職員の方たちとも連携して、いろいろなことができればと思っています。

泰生ビルの屋上では緑化プロジェクトが進む

 

佐々木 泰生ビル・泰生ポーチはいろんな意味でユニークで、これからの関内を考える上で非常に良いモデルですよね。それが今日お話を聞いて、よく分かりました。今後これをいわゆるオープンソースな仕組みにしていくには、オーナーや民間活用事業者、市が一緒に考えないといけないと思いますが、行政やプランナーがいくら良いことを言っても、最後のカギはオーナーが持っている。オーナー自身が自分の建物をどうしたいかまずは考えていくこと、その上で実績を持ったオーナーが動いていくことが大事だと思います。

伊藤 この街のオーナー間で、そういう空気がうまく広がっていくといいですよね。

 

【プロフィール】

佐々木龍郎(ささき・たつろう)

建築家
1964年東京生まれ。1992年東京都立大学(現首都大学東京)大学院工学研究科建築学専攻博士課程単位取得退学、株式会社デザインスタジオ設計室を経て1994年から株式会社佐々木設計事務所、現在同代表取締役。他に神奈川大学・京都造形芸術大学・東海大学・東京藝術大学・東京都市大学・東洋大学非常勤講師、一般社団法人東京建築士会理事、千代田区景観アドバイザーなど。横浜では芸術不動産の普及、防火帯建築の再生、エコリノベーションの普及に携わると共に、法人化した一般社団法人横濱まちづくり倶楽部の副理事長として関内外地域の再生に尽力している。

 

伊藤康文(いとうやすふみ)

株式会社泰有社 取締役
1967年生まれ、神奈川県出身。株式会社ニコル、株式会社ビジオーネインターナショナルなどのアパレル業などを経て、2003年株式会社泰有社の子会社有限会社リセットに入社。自社でのホテル事業など、取得物件の有効活用を主とした事業の確立をマネージメントし高収益を上げる。2006年現在の株式会社泰有社へ異動し、自社物件のリーシングから管理、営業・経理・広報まで総合的分野を担当。泰生ビル(2012年〜)、泰生ポーチ(2014年〜)のビンテージビル再生のマネージメント事例をもとに、今後も精力的にその分野を伸ばそうとしている。