街を変えていく小さな「鍼」 −台北URS の意義と役割−

Posted : 2016.06.27
  • facebook
  • twitter
  • mail
横浜市と長年の交流がある台北市。芸術文化、まちづくりの分野でも、積極的な交流を行っている。その台北市が行う都市再生施策が、いま注目を集める。その手法は、横浜市が進めてきた創造界隈拠点施策をさらに発展させたと言ってよいもので、こうした積み重ねから少しずつアジアならではの都市再生の手法が見えてくる。ここでは、現地の最新の様子を紹介する。(編集部)

URSタイトル

街を新たに育てるために「鍼」を打つ。2010年から、台北市は都市活性のための小さな文化拠点作りをそう例えた。URS(Urban Regeneration Station 都市再生基地)と呼ばれ、そのほとんどが歴史的建造物を活用し、由来などを活かしたテーマで市民に開放されている。現在市内に10ヵ所あるURSがどのように街を変えていくのか、その意義と役割を追う。

新しい文化拠点が続々と生まれている台湾

近年、台湾はアート、建築好きにはさらに面白い場所になってきた。
清朝、日本統治時代に建てられた古い建築物をリノベーションした新たな文化的拠点が続々と街中に出現しているからである。

台北にある大規模なものでは、日本統治時代の1914年に建てられた酒工場跡地を段階的にリノベーションし、現在は4.5haの土地にエキジビションスペース、名画座、音楽ホール、ショップなど何棟もの文化&商業施設が並ぶ「華山1914」、1937年築のタバコ工場をデザインとアート、そしてクリエーターのインキュベーションの拠点として2011年にオープンした6.6haの「松山文創園区」がある。
「文創園区」とは文化創造公園の意味である。

崋山1914 大学の卒業制作展が開催されていた。

崋山1914 大学の卒業制作展が開催されていた。

崋山1914 広大な敷地は市民の憩いの場ともなっている。

崋山1914 広大な敷地は市民の憩いの場ともなっている。

 

今年、台北は国際インダストリアルデザイン団体協議会(ICSID)によってワールドデザインキャピタル(WDC)に選ばれており、関連の展示や会議、イベントがたくさん行われるが、松山文創園区はそのメイン会場にもなっている。
華山1914は台湾文化部(日本でいう省)が民間企業に運営を委託、松山は財団法人台北市文化基金会が管轄している。

台北市だけでなく、台中、台南、高雄、花蓮、嘉義など、主要な都市には、かつての産業遺産を使って、広大な文創園区が設けられている。

高雄市の港近くに広がる駁二芸術特区。

高雄市の港近くに広がる駁二芸術特区。

 

訪れるたびに、日本と較べても不動産が高価だという台湾で、開発の波にのまれず、市中の大規模な産業遺産がよく残ったものだと驚きを隠せない。
いずれも地方の創造活動の拠点だけでなく、ショップやレストランなどの商業施設としても活用され、賑わいを生み出す重要な観光資源にもなっている。
華山1914を運営する台湾文創発展股份有限公司の広報、廖さんによれば、台湾は将来文創園区のシステムを輸出したいと考えているそうだ。

台北市の都市再生の試み

台湾の都市のこうした新しい試みは、創造都市のコンセプトに基づいて1990年代後半から始まった。国際的な競争力を持つ魅力的な都市つくりは、すでに規模も経済もインフラも成熟の域に達した台北市にとっても重要課題となった。

では、どのような手法で?

台北市産業発展局局長であり、URSプロジェクトのキュレーターである林祟傑氏の文献(※1)によると、それをさぐるために世界各地の創造都市事例を参考にしたという。ドイツのルール地方の炭鉱業が廃れた後の再生例、また2009年に横浜で開催された「横浜クリエイティブシティ国際会議」での創造都市研究の第一人者、ピーター・ホールの講演についても検証している。ホールは巨大都市東京に圧迫されつつ、勃興してきた海外の産業都市とも競争しなければならない横浜の現状を分析し、創造都市計画がいかに重要かを説いた。「台北にも同様の分析が役に立つと考えた」と林氏は語る。

その他にも創造都市提唱者チャールズ・ランドリー、ブラジルのクリチバ市再生を手がけたジェイミー・ラーナーなどの意見を聞き、台北市が下した方法は、すでに独自が持っている歴史や文化的価値を増幅させ、影響力を高めていくという「ソフトパワー」。そのために文化的プラットフォームを街の中に作るプロジェクトを考え出した。小さいながら徐々に効果を広げていく「都市の鍼」、それがURSである。

2010年から開設され始めたURSには確固としたフォーマットがない。建物は台北市がほぼ寄付によって取得し、管理は台北市都市更新處が行っているが、環境、建築物の規模、歴史的背景によって、民間のパートナーに貸付してフレキシブルに運営する。開設する理由、目的も様々で、エリアのクリエイティブ・ハブの役割を担い、創造活動やクリエーションの拠点となっているもの、人々の豊かなライフスタイルに寄与する緑地イベントスペース、寄付された歴史的建造物の由来にちなんだテーマで文化活動しているもの、地域のコミュニティの場となっているものなど、URSのそれぞれに物語がある。

URSは「yours」の発音にも由来するという。全て一般公開されており、市民の施設利用が可能で、交流拠点としても機能する。ただ、オープンすることが目的ではない。活動していく中で、ネットワークを構築し、地域に文化や創造の意義を認識させ、根付かせることを目標とする。まさに文化の「鍼」。その波及効果こそが大切なのだ。

大稲埕エリアのURSを見て歩く

台北市の西南、淡水河沿いにある大稲埕は、清朝後期の19世紀中期から水運の拠点として商業的発展を遂げた。昔は穀物の乾燥場所があったことからこの名で呼ばれている。南北にこのエリアを貫いている通りが迪化街で、南は茶、漢方薬や乾物、布を扱う商店が集まり、北はかつて台湾貿易に携わる外国人居住地域だったこともあり、裕福な屋敷が並んでいた。

迪化街北部。街並みはかなり整ってきた。

迪化街北部。街並みはかなり整ってきた。

 

「このエリアには知識人も多く居を構えていました。商業だけでなく、台北の文化の発信地でもあり、歴史的に重要な場所なのです」と案内してくれた台北市都市更新處の曽さんは言う。

台北市は大稲埕エリアを「歴史風貌特定専用区」に定め、保存と街並み再生を推進している。すでに北部は、オリジナルの高さである2階建てレンガ造りのアーケード建築が並び、往年の雰囲気が感じられるまでになっていた。見学に行った日はそこで映画の撮影が行われていた。もっと通りが整備されれば、近い将来、明らかに台北の新名所となるだろう。ちなみに市内に10ヵ所あるURSのうち、5つがこのエリアにあり、ほとんどが迪化街に面している。

最初に訪れたのがURS 329 RICE & SHINE。URSは番地とテーマで識別される。この建物は110年前に建てられ、米問屋を営んでいた。開設して2年目となるこの場所を運営するのは米問屋の5代目。使命は大稲埕の米にまつわる歴史を語ることだ。台湾の典型的な商店の間取りは、路面店の後ろに台所と中庭があり、背後に住宅部分がある。2階は倉庫である。現在は住宅だった部分に米穀関係のショップとカフェを設け、残りは全て展示スペース。年度末だったため、そこでは大学の卒業展が開催されていたが、場所を意識してのことなのか、活版印刷や昔の家電をテーマにしたレトロな雰囲気の展覧会となっていた。

URS 329。

URS 329。

URS 329 の2階ギャラリーで展示中の学生たち。

URS 329 の2階ギャラリーで展示中の学生たち。

 

次はURS 127 ART FACTOR。文字通りアートがテーマとなっており、1階はデザイン・グッズの他、工芸品などを扱うブティック、 奥が展示スペースとなっている。2階は若いクリエーターたちのインキュベーションセンターを兼ねたデザイン・ライブラリーでワークショップなども頻繁に行われている。運営はアートマネージメントや美術書出版を手がける民間企業。ちなみにショップの面積はURSに人を呼ぶための魅力作りとして、全体の30%までは許容されることになっている。

URS 127の展示スペース。

URS 127の展示スペース。

URS 127のショップ。

URS 127のショップ。

 

台湾市都市更新處は半年毎に運営状況をチェックし、開設2年後に運営団体の意思確認を行う。その後は3年毎に更新となる。

URSが「鍼」である由縁

このエリアの文化的ランドマークとなっているのが、URS 44 STORY HOUSE。有名な寺院、霞海城隍廟と永楽市場の向かいにある。清朝時代に建てられ、1920年代の日本統治時代に再建された建築だ。ここは位置のよさ、規模の大きさから大稲埕エリア全体の歴史や伝統を語る役割を担っている。1階部分には台北市観光案内所があり、その隣の区画に歴史を説明するコーナーがある。正月の伝統的舞踏紹介など、イベントが繰り広げられることも多い。また面白いのは「このエリアに民宿を誘致することの是非」「伝統産業の価値増進について」などの意見を求めるボードが設置されていることだ。誰でも気軽に意見をポストイットに書いて貼ることができる。このエリアのコミュニティスペースである。

URS 44。正面が台北観光案内所。

URS 44。正面が台北観光案内所。

 

少し離れている URS 27W FILM RANGEは、他のURSと少し色合いが異なる。建物は製菓企業から台北市に寄付されており、現在この企業や場所に関連した事柄を中心に歴史を紹介している。台湾人が国民党政府に対して蜂起した2.28事件のきっかけになった場所がすぐ近くにあり、台湾人の初めての人民新聞を発行していた経緯もあって、人権の歩みを説明している。これは製菓企業のメセナのひとつと言えるだろう。

このエリアを歩くとわかるが、URSでなくともギャラリーやブックカフェ、洒落たレストラン、台湾の伝統工芸品やデザイン・グッズなどを紹介するセンスのいい店が多いのに気づく。これはURSが貢献した街の文化的魅力が、流行に敏感な若い出店者を呼び込んでくるからだ。歴史ある商店街を台湾では「老街」というが、迪化街は新しい店が昔ながらの商店と入り交じって、ユニークで活気ある老街を作り上げている。

「URSによって、街の美観を愛する人たちとのネットワークも生まれました。その存在が保全、再生の推進をバックアップしています」と台北市都市更新處コーディネーション・セクションのチーフである詹さん。

大稲埕を案内してくれた台北市都市更新處の曽さん、宋さん、詹さん(左から)。URS 27Wの前で。

大稲埕を案内してくれた台北市都市更新處の曽さん、宋さん、詹さん(左から)。URS 27Wの前で。

 

街をドラスティックに変化させるのではなく、人々の意識を少しずつ変え、ひとつひとつリノベーションを重ね、時間をかけて価値を積み上げていく。こんな静かな都市革命を林氏たちは「軟都市主義(soft urbanism)」と名付けた(※2)。「鍼」に例えたURS、まさに都市再生の東洋医学的手法だと言えないだろうか?

URS:http://www.urstaipei.net/
崋山1914:http://www.huashan1914.com/
松山文創園区:http://www.songshanculturalpark.org/
ICSID:http://www.icsid.org/

※1“YOUR CITY・URS LIFE”2013 Taipei City Urban Regeneration
※2“創造都市による台北市の都市再生活動”林祟傑

文・写真 田中久美子