ヴェネチアから学ぶ、創造都市とは? 対談:北山恒氏(建築家、横浜国立大学大学院Y-GSA校長×中野仁詞氏(神奈川芸術文化財団学芸員)

Posted : 2015.06.26
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横浜市は、2004年から「文化芸術創造都市」として文化芸術の創造性を活かした都市の魅力づくりを進めています。この取り組みでは、国内外の先行事例から多くを学び、取り入れています。本サイトでは、今回から複数回にわたり、世界の都市と交流し、その第一線で活躍されている方をゲストに招き、対談やレポート形式でお送りします。

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今回は、世界有数の水辺に面する文化先進都市、サードイタリー論でも取り上げられるヴェネチアにスポットを当てます。現在、ヴェネチアでは、1895年から続く現代美術の国際展覧会「ヴェネチア・ビエンナーレ」が開催されています。このビエンナーレにおける建築展は、現代美術展からずっと遅れて1980年に第一回が開催されました。今年の日本館は、横浜で働く中野仁詞氏(神奈川芸術文化財団学芸員)がキュレーションしています。その帰国直後の中野さんと、同じく2010年のヴェネチア・ビエンナーレ建築展日本館のコミッショナーを務められた北山恒氏(Y-GSA 横浜国立大学大学院建築都市スクール校長)にお話を伺いました。
インタビュアー:寺田真理子(キュレーター、横浜国立大学大学院Y-GSAスタジオ・マネージャー)

――都市の規模は異なりますがヴェネチアも横浜も水の都市であり、世界に向けて文化を発信するという共通性があります。横浜はヴェネチアから何を学ぶことができ、何を横浜らしさとしてさらに発信していけばいいのか、お二人のヴェネチアでの都市の経験、キュレーターとしてのご経験を通じて、ご意見をいただければと思います。まずは2010年にヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展において、日本館での展示に携わった北山さんからお願いします。

IMG_7720北山恒(以下、北山) 2007年頃から、横浜の「文化芸術創造都市」プロジェクトの委員として参加していましたが、その会議において「横浜は港町なのに港がない」という一番大きな問題が挙げられました。ベイエリアにも本当に船がないんですよね。ヴェネチアに行くと当然、水上交通が走っていて船がたくさんあります。カヤックや水と遊んでいる人もたくさんいます。道がないので水運、水上交通をインフラとして使っているわけです。ヴェネチアのような町は特殊ですが、横浜をヴェネチアに比べると、ちょうど袋をひっくり返すみたいに水を囲んだ都市というアイデアがあることがわかります。ヴェネチアは水のネットワークの中にいますけれども、それをひっくり返しているような感じが横浜です。以前横浜の都市デザイン室におられた北沢猛さんと20年ぐらい一緒に横浜の都市デザインについて関わってきたのですが、そのなかで港町をどうつくるかという議論がありました。そこで北沢さんがヴェネチアをちょうどひっくり返したような、「横浜アーバンリング」という水を囲んだ都市構想を提案されたのです。

横浜のトリエンナーレに対しても、ベイエリアの空いている土地や倉庫、工場で展覧会をやったらどうかと提案をしました。水上交通、ボートを使いながらそこをずっと船で巡るようにして、トリエンナーレを楽しむと、横浜が港町だと感じられると考えたんです。ヴェネチアのGiardini(註:ビエンナーレの開催場所となる公園)ってサンマルコから歩いてでも行けますが、必ず船で行きますよね。やっぱりヴェネチアの都市の魅力をビエンナーレはプレゼンテーションしていると思います。横浜も唯一性を持った魅力ある都市に育ってほしいと思います。これも以前から言っているのですが、そのためにもトリエンナーレは3年に一度なのでその間に都市の展覧会を開催してはどうでしょうか。

IMG_7740中野仁詞(以下、中野) ヴェネチアには、今回日本館のキュレーターになる前からもちょくちょく展覧会を見に行っています。今回のビエンナーレでも1年間に5回くらい行ったんですが、美術の作業は基本的に室内ものなので、あんまり野外とかの関わりってなかったりするんですけども、あえて宿は展示会場付近ではなくて、サンタルチア駅の近所に取り、毎日45分くらい歩きながら、Giardiniに通いました。せっかくヴェネチアに行って、あれほどきれいな都市の空間とかルートですとか、隅々まであっちこっち行くとサンマルコだとかリアルト橋だとか、それらを見ながら歩けば目的地に行けるってこともあったので、あえて歩くってことを選び、なるべく船に乗らないと決めたんです。展示の作業が始まるとずっと室内にいますので、その間は町並みを見るわけでもないので、あえてそういったことをしました。その経験から言うと、ヴェネチアはやっぱり音が静かですよね。車がない生活って、あるんだなって思いました。あと船。何でも船に頼る日常生活で、警察も船だし、タクシーも船だし、あと宅急便とか輸送も、ゴミ収集車も船。それはすごく新鮮ですよね。ヴァポレットという船のバスに乗っているとすごくゆっくり時間が進んでいくので、建物とか空間の体感や体験が非常にゆっくりと染み込んでくるというのがとても印象的でした。

横浜には海と川がありますので、そこを上手く使いながら都市のトリエンナーレができるのかなと考えていたんです。実は日本の県庁所在地をいろいろと調べていくと、仙台とか福岡、金沢、大阪、名古屋とか、やはり海に面したところにほとんどの県庁所在地があるんです。物理的に海のない山梨とか長野の県庁所在地は内陸部にありますし、山形は海があっても内陸部ですけれど。そういった海運とか、いわゆる街の表に入ってきたり出たりっていう、そういった外とのやりとりを考えても、水というのは、あらためてとても重要な役割をしていると思います。ヴェネチア自体は潟を埋め立てて人工的に作られた場所ですが、カナルグランデ(大運河)なんて、なんでわざわざS字になっているのかとか、あえて水に面する部分を多くとるような構造にしたのかなど思いを馳せてしまい、とても興味深いですね。水と街って歴史を紐解いていくと、現在のヴェネチアは、水は人とものを関わらせる重要なものなのかなと現地にいて感じました。

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――ヴェネチアは水上交通が日常のインフラですけれども、それが上手く都市の魅力を引き出すツールになっている。一方で外に出れば、街の中にアートを散らばせて、日常歩く街の中にもアートなどのいろんな仕掛けがされていると思います。今、横浜ではどのような取り組みがあるのでしょうか。

中野 横浜もこの地域だけみても見所満載ですよね。僕は、横浜トリエンナーレは、展覧会というよりお祭りであるべきだと思っているんですけども、やっぱり、いかに町と関わらせるかって大事だなと思ってるんですね。ヴェネチアのGiardiniという公園の中には、30のパビリオンがあるんですけども、今年のヴェネチア・ビエンナーレ第56回国際美術展は89の国と地域が参加していまして、30のパビリオンを引くと、59カ国はGiardini以外のところで展覧会をするっていうことになるんですが、ウルグアイ館とかは海に面するお目当てのところにブースをつくっていて、あれはとてもいい取り組みだなってことを思いながらも、全部見きれないんですよね。我々のような関わっている人間でさえもGiardiniとArsenale(註:ビエンナーレの会場となる元造船所)をみたらベルニサージ(内覧会)の期間他はもうほとんど見れない。今回の金獅子賞は、アルメニア館が取ったんですけども、その受賞発表と表彰式は5月9日の一般公開の日なんです。しかし、その時ほとんどのキュレーターたちが帰路につくために空港にいるんですよ。アルメニア館も水上バスの運行本数の少ない不便な島にある修道院を活用した展示スペースだったから、行くのは難しかったんです。

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多様なキャラクターと連続性のある街づくり

――北沢さんとの横浜の都市デザインのプロジェクトでは、歩く中で街をどう見せていくか、都市の中に文化を育てるとか、歩くってことはあまり考えていませんでしたか?

北山 北沢さんは「海都横浜構想2059(案)」をつくって、50年後の横浜(開港200周年)に向けた骨格的なアイデアの話をされていたと思う。コンセプトとしては横浜の湾の中をヴェネチアのように「アーキペラゴ」、つまり「多島海」として考える。多様な魅力ある都市をつくろうというようなものだった。その際、ヴェネチアの話をやや参照されていて、ヴェネチアも実は多島で、島がたくさんあると見た方がいいんじゃないか、という話をされていました。島それぞれに個性があって、さらに島の中の地区ごとの個性がある。そういう街を巡る体験の楽しさみたいなものを横浜でつくろうというコンセプトでした。横浜の都市デザインは、例えば元町とか伊勢佐木町とかそれぞれの町が違う個性を持っているってことを大事にしてきました。その個性は地元の商店街の人とか、地元の人たちが作ってきたもので、その主体性を重要視していく。つまり都市デザインは、上からつくるのではなくて、街の当事者がつくっていく個性を大事にしようというようなコンセプトで、横浜まちづくりってやってきたんですよね。それを湾の方にも展開しようってのが北沢さんのアイデアだったと思いますね。

それまで田村明さん(元・横浜市企画調整局長、技監)が関わられた1965年の「横浜六大事業」は、ある拠点をつくっていくような感じでした。ちょうど碁を打つように、ある布石を打っていくような感じで都市をつくるということをずっとやっていたのですが、それを連続性に変え、連続性の中に多様性をつくるというようなコンセプトに変えていった。だけど、行政だけでは都市はつくれないというのが分かってきた。つまり、どうやって実際に参加する人が街をつくっていくかという話に最後はなっていきました。

僕は今、横浜の都市の計画に参加していますけれども、横浜駅の大改造で、駅自体をどうするかを議論しています。このプロジェクトの当事者というと、鉄道事業者となる。本当はそこで生活する人が当事者として参加していくことで計画は良くなっていくと思います。この計画では、一企業の事業施設としての駅ビル開発ではなく、街のための公共施設としての駅にしようと発言しています。都市は多様な当事者が境界線を越えてネットワークすることによってできます。ヴェネチアはすごくいい参考例です。都市計画的に建物、街区が継ぎ目なく連続していて同時にその外観や中身に多様性があるというよくできた都市だなと思う。そういう意味では教科書的都市という概念がしますね。

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近代によって失われた路地空間の心地よさ

中野 横浜は結構地区によって独特の色がありますよね。道一本、線路一本先で全然違う。桜木町という駅をまたいで、野毛とか黄金町の地域とか、線路一本隔てると未来都市みたいな景観に変わりますし、地形も豊か。山があり、坂があり、海があり。仕事柄、外国人のアーティストとか、外国に留学している学生とかが日本に帰ってくると、野毛に連れて行くとすごく喜ぶんですよね。いわゆるダウンタウンの雰囲気と言いますか、安くておいしくて。

ヴェネチアの良いところというのは、個性的なのに、均一化されているヴィジョンといいますか見方がある。建物の角に設置されている観光名所のサインを見ながら街を歩く時も、その雰囲気は、路地とかたたずまいが同じような感じです。同じなんですけれども飽きないんですよね。一方で日本では、路地を人が移動しながら肩が触れあう経験ってほとんどない。「路地」という言葉自体も日本から消えつつありながらも、ヴェネチアでは路地っていうものが基本ですよね。

――日本では路地って、普段ではない、違法性があったりしますよね。

北山 日本の路地というのは、都市の近代化がなくしてきたんですよ。全国の道は車が通れるために、幅4m確保するという法律がつくられました。だからそれより小さい道路は壊して舗装して、車が入れるようにする。効率性、経済性が最優先され、マーケットが都市を支配してしまった。そうした中でも銀座などに路地が少し残っている。実はこうした路地は全部現行法規には適していないんですよね。法律が不適合をつくってしまっていると共に、でも本当はそういったインフォーマルなところに人間的なすごくいい場所があるというのが、パラドックスなんですよ。ヴェネチアでは細い路地をそのままキープしていて、1mぐらいの幅のところもありますよね。

面白いのはヴェネチアの路地の壁は硬い壁で、すぐ壁の裏側にプライベートな空間がある。それを感じずに路地というパブリック空間を人は歩いていますよね。日本の木造密集市街地に行くと、実は壁が柔らかく、路地というものがパブリックとプライベートに分かれていないので、壁の向こうからプライベートなものがにじみ出てくる。歩いているとそこに吸い込まれそうな感じで。ヴェネチアとは全然違う路地の感覚を我々は持っていて、たぶんヴェネチアから来た人にとってみれば、すごく不思議なプラベートとパブリックが重なってしまっている。そんな危険な空間はヨーロッパにはないんですよ。突然さらわれたり、殺されたりする可能性の潜む、非常に危うい場所。その危うい場所を我々は平気で使っているっていう。ヴェネチアに行くと、私達はなんて変わったところに住んでいるんだろうって思います(笑)。

都市のタイポロジーとしてのコンテナーとコンテンツ

北山 ヨーロッパには、空間のタイポロジーという概念があって、それは何かのためではなく、何かのために使っていた建築を他のものに転用していくっていうことを平気でやれるような、人間の生命を越えていくような空間の考え方のことなんです。例えば、ヴェネチアというのは、ほとんど400年以上経った建物を色んな形で使っているわけですよね。都市住居だったところを美術館に変えたりだとか、そういうタイポロジーを持った建築。一方で私たちの住んでいる空間ってほとんどタイポロジーを持っていないんです。日本の建築ってどんどん壊れていくので。京都にある建築もほとんど100年くらいですよね。100年というと人間の生命スパンと結構ぎりぎりで、東京の街って26年でほとんど建て替わっているんです。我々の生命スパンより短く変わっているから、50年前の渋谷を知っていたら、全然違った渋谷がそこにあるんです。ところがヴェネチアだと50年前と今と全く同じです。タイポロジーはあるけれども、建物の中のコンテンツはどんどん変わっていくんです。

中野 ヴェネチアの建物はすごくがっちりつくってあるじゃないですか。地震がなかったりするので、建物は古いんですけど、中に入るとものすごく近代的な空間になっていたりするのは驚きますね。

北山 彼らとは文明観が違うんですよ。彼らは人間の生命を越えてリアリティとしての空間が存在しているという文明の中にいます。我々は、どんどん建て変えられていく儚いものの中にいるので、外の物理的なものによって規定されないという状況の中にいます。彼らは物理的なものによって規定される状況にいる。構造主義という概念はそういうところから生まれているので、日本からは構造主義という概念は出てこないですね。もっと軽やかで滑らかで自由な感じがありますよね。

中野 日本って「普請」っていうことばがあるように、建て替える慣習があるんでしょうね。自分のケースでは子どものころ住んでいた家はもうなく、近所に家を建てました。身軽ですよね。引っ越しとか、移り住むというのも日本人は何とも思わないですよね。

北山 そのバラック性というか、インスタントな感覚をうまく利用すれば良いと思いますね。それを嘆くのではなく。横浜をどうやって変えていくかという話でも、使われなくなった小規模ビルを上手くリノベーションして、どんどん変えていけばいいんじゃないかと思います。

――ヴェネチアには、すばらしい建築、歴史的な建物、箱としてのコンテナーはあるけれど、そこでのコンテンツをどうつくるかが大きな課題となっています。しかしその歴史的・魅力的な箱を使って魅力的な街として、また国際的な文化の発信地のトップで居続けるために、街全体でいろいろと仕掛けています。世界的な観光都市として、文化先進都市としても魅力的であり続けるには、批評性をもって何を街に仕掛けるべきなかを常に考えながら発信していくことが重要じゃないかなと思います。

お二人もヴェネチア・ビエンナーレを批評の場として捉えながら、どのようなコンセプトを展示に込めたのでしょうか? 日本館での展示は日本の文化を表象するものだと思いますが、「日本」をどのように表現されたのでしょうか?

中野 ドイツがホロコーストやディアスポラといった歴史上の記憶を拭えないのと同じで、今回は、国際展なので、日本でも最近起こった東日本大震災での津波とか原発の問題というテーマからは目を背けられないなと思ったんです。物理的な災害ももちろんすぐ直近の過去にあったんですけども、もっと普遍的なテーマとして、人間の「生」と「死」を取り上げたんです。これは作家の塩田千春が一貫してもっているテーマでもあるので僕は彼女に声をかけたんですね。もう1つ思ったのは日本に限らず、人類の歴史上、ペストとかコレラとか天然痘とかの病気や、火山の爆発とかいろんな災害があって死に至るということもあったと思うんですけども、人類がみんな努力と人間の持っている叡智というのを総動員して、乗り切ってきた。そういった一過性の災害というよりはもっと普遍的な人間、本来人間のもっているエネルギーだとかっていうものを今回作品として展示したいなと思って、彼女と一緒に日本館を作ったんです。それは日本的であるかは別にしても、テーマとしてはもうちょっと広い。それはヨーロッパで活動している塩田と日本で活動する僕とが合わさることで、なかなか上手くいったかなと。

The Key in the Hand, 2015, (Japan Pavilion at the 56th International Art Exhibition - la Biennale di Venezia, Venice/Italy,) photo by Sunhi Mang, Courtesy of Chiharu Shiota (第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館 展示作品より)

The Key in the Hand, 2015, (Japan Pavilion at the 56th International Art Exhibition – la Biennale di Venezia, Venice/Italy,) photo by Sunhi Mang, Courtesy of Chiharu Shiota (第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館 展示作品より)

The Key in the Hand, 2015, (Japan Pavilion at the 56th International Art Exhibition - la Biennale di Venezia, Venice/Italy,) photo by Sunhi Mang, Courtesy of Chiharu Shiota (第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館 展示作品より)

The Key in the Hand, 2015, (Japan Pavilion at the 56th International Art Exhibition – la Biennale di Venezia, Venice/Italy,) photo by Sunhi Mang, Courtesy of Chiharu Shiota (第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館 展示作品より)


北山
 ヴェネチア・ビエンナーレは、アートのビエンナーレが最初で、建築ビエンナーレは1980年に始まって、「ポストモダン」をテーマにしていました。「ポストモダン」は商業化されていく中でのアイコンをつくるような作業になっていて、ビエンナーレではモニュメントをプレゼンテーションするという建築のインスタレーションをみせて、建築の商業化をやったんだと僕は思うんです。僕がコミッショナー候補に選ばれた時には、他のパビリオンは当然建築のモニュメンタルなところを考えてくるだろうと思ったので、日本館では「当たり前の」「ユージュアルである」ことが重要であるということを見せたかった。それで日本の建築家による住宅を展示し、しかも東京の木造密集市街地にある特別に取り立てるべきものではないものがいいと思い、プレゼンテーションしたら選ばれたんです。

その後、あらためてヴェネチア・ビエンナーレを考えてみると、やっぱりユーロセントリズム(欧州中心主義)、ヨーロッパ文明をプレゼンテーションしている場所だと思ったんです。そこで、アジアから行って見せ物になりに行くという状況を相対化できないかなと考え、東京という都市をパリと、ニューヨークと相対化して語ろうと考えたんです。パリには、”CITY OF MONARCHISM”というタイトルをつけて、帝政というか王政というか、ある権力、王様の権力として表象し、「19世紀は一人の大きな王様の権力がつくった都市で、人々がつくった都市ではない」と、メッセージで書きました。ニューヨークは20世紀の資本主義を表象する街として、”CITY OF CAPITALISM”という名前を付けましたが、基本的に「資本のシステムがつくる都市」で、これも人のための都市ではない。東京は、まさに今、どんどん変化しながらも「私達は人のための都市をつくるのだ」、というようなメッセージを出したんです。

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提供:国際交流基金 撮影:Andrea Sarti/CAST1466 (第12回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館より、「TOKYO METABOLIZING」ディクレター妹島和世、コミッショナー 北山恒、参加作家 塚本由晴/西沢立衛)

提供:国際交流基金 撮影:Andrea Sarti/CAST1466 (第12回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展日本館より、「TOKYO METABOLIZING」ディレクター妹島和世、コミッショナー 北山恒、参加作家 塚本由晴/西沢立衛)

 

ユーリセントリズムから抜けだし、
日本はいかに自分たちのアイデンティティをつくることができるのか。

北山 日本館の外壁に「都市の公共空間は人々を抑圧する権力装置である」というメッセージを赤い文字で書いたら、プレビューの時にそれを全部消せって言われ、結局、その時の全体のディレクターである妹島和世さんが「これは北山の言っているUrban Public Spaceであって一般的な話ではない」と解説をして、Urban Public Spaceという言葉にコーテーションマーク(“Urban Public Space”)を入れようと提案してくれたんです。それでこの文字は残りました。ヨーロッパでは「パブリック・スペース」、そして「デモクラシー」は大事なコンセプトですよね。それを「権力装置である」と宣言してヨーロッパ文明を相対化することをやったんです。僕にとっては、それは一番重要なプレゼンテーションで、今の私たちがいる場所もヨーロッパ文明を中心とした世界の中にいて、そこからどうやって離脱するか、私たちそのもののアイデンティティをどうするかっていうのも絶えずやらなくてはいけないことだと思っています。

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中野 良いですね。打って出るっていうか、闘うっていいですね。でもヴェネチアの人たちって、都市の温かさに包まれているっていうのを、北山さんがそれを切り崩すっていう意識を打ち出したのは結構ショックだったでしょうね。

横浜の地場産業と関わりながら、いかに横浜ならではの都市・文化をつくっていくのか

――ヴェネチアは、サードイタリーとして伝統工業が残る道があると聞きましたが、そういった伝統工業も今や中国資本が経営するなど状況は変わりつつあるようですね。横浜も、横浜ならではの人がどのようにモノや空間に関わりながら、世界に対して文化を発信してくのかというのを考え続けなければならないと思います。

北山 ヴェネチアの状況は、この数年だと思います。僕は2010年の時はそんなに感じなかったんです。生活がなくなった都市っていうのはテーマパークですよね。そういうものが本当の都市ではなくて、非都市っていうようになってきている。やっぱり都市は人間の生活のある場所ですから。非都市化してきている場所はすごく問題があって、テーマパークには文化をつくるクリエイションがないと思うんですよ。そういう意味でヴェネチアは素晴らしい都市だけどすごく大きな問題を抱えているなあと思いますね。今、湾岸の横浜ベイエリアの中の倉庫や工場が移転したり寂しくなっていますが、あそこに大量にアーティストとか、これからの若い連中が住み始めて、色んなものづくりが始まると横浜って面白くなるのになあと随分前に北沢さんと話したんです。

中野 その指標は大事ですよね。美術のスペースとかギャラリーとか名前がつかなくてもどこだっていいんですよ。すごい間口が広いんです。今、日本中でトリエンナーレ・ビエンナーレ・芸術祭ってすごい数があって、若い人たちが売り手市場というか、毎回仕事があるんですよね。そういう〇〇芸術祭っていうのは場所さえあればなんでもいいんです。

――横浜市の創造都市では、都心部再生の中で不動産の転用を核にアーティストやクリエーターなどの手仕事をする人達を「業」として誘致していく、それが街と繋がることで、既存産業の振興や観光や地域課題解決につながっていくことを目指しています。中心市街地の最大の産業は不動産業でもあるのですが、人口減少社会の中でどう開発するのか、新築をつくるのか、ストック活用をしていくのか、国をあげて取り組むべき課題になってきましたが、そのあたりはいかがでしょうか。

北山 大きな資本の不動産が入ってくると勘違いするんですよ。小さい資本が小さい地価でやっているのはすごくいいと思うんですよ。最適化を目指して軽やかに変わっていくのが良い。不動産商品としてこの10年ほどの間に、全国に数多くつくられたタワーマンションは、眺望を売り物にしながら自らの存在で風景を壊しています。結果、横浜でもみなとみらいの海沿いのタワーマンション群は丘から海へのヴィスタラインを切断してしまいました。関内地区のタウンスケープを守るために高い建物が建たないようにもう一度高度規制をかけられないでしょうか。大きい資本が街を急激に壊し始めていると考えています。都市に対するヴィジョンがないまま、不動産を中心としたマーケットに委ねた都市発展になっているように思えます。不動産は確かにエンジンであるとは思うんだけど、良いエンジンをどう付けるか、その選別こそが大事なんだと思いますね。だから、今こそ明快な都市ヴィジョンが要請されています。

――最後一言、横浜へのメッセージをお願いします。

中野 僕はやはり、ヴェネチアの都市からは観光客も含めて、多くの声が聞こえるんですよね。さっきの路地論じゃないですけども、路地から漏れ出る声の重なりみたいのをすごく感じる。そうしたヴェネチアで感じた声のように、横浜も色んなコミュニケーションとか住民同士、アーティストも含めて、多様な声(多声性)がある街になっていくと面白いなと思いました。超巨大都市である東京は集まっては散っていくっていう外発的なイメージがあるんですけど、横浜では、内発的に多くの声が聞こえるようになると、ヴェネチアで経験したことが反映されるようになるかなあと思いました。

北山 横浜は湾に船が全然いないので、ヨットとかカヤックとか客船とか、色んな船が行き交うようにするにはどうしたらいいのか。それとシーバスですね。そのためには色んな利用者がいないといけないから、湾岸に色んな人がいるという都市をつくれたら良いなあと思いますね。


【創造都市横浜 → MUGCUL.NET】
今年のヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展日本館について、もっと詳しく知りたい方は、こちらのレポートをご覧ください!

神奈川県発、カルチャーサイト「MAGCUL.NET」
ヴェネチア・ビエンナーレ特設ページ
「第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展レポート」
http://magcul.net/focus/venezia/


【対談者 プロフィール】

architecture WORKSHOP
北山 恒 Koh Kitayama
1950年生まれ。横浜国立大学大学院修士課程修了。1978年ワークショップ設立(共同主宰)を経て、1995年年横浜国立大学助教授、architecture WORKSHOP設立主宰。現在、横浜国立大学大学院Y-GSA教授。横浜市都心臨海部・インナーハーバー整備構想や、横浜駅周辺地区大改造計画に参画。2010年、第12回ヴェネチア・ビエンナーレ建築展コミッショナー。代表作に「洗足の連結住棟」「祐天寺の連結住棟」「公立刈田綜合病院(共同設計)」など。受賞歴に、日本建築学会賞、ARCASIA建築賞ゴールドメダル、日本建築学会作品選奨、日本建築家協会賞など。主な著書に「ON THE SITUATION」(TOTO出版)、「TOKYO METABOLIZING」(TOTO出版)、「in-between」(ADP)など。

中野 仁詞 Hitoshi Nakano
1968年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学大学院美学美術史学専攻前期博士課程修了。
第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展(2015年)日本館キュレーター。神奈川芸術文化財団学芸員。
主な企画に、塩田千春展「沈黙から」 (07年、神奈川県民ホールギャラリー)、小金沢健人展「あれとこれのあいだ」(08年、同)、「日常/場違い」展(09年、同)、「デザインの港。」浅葉克己展(09年、10年、同)、泉太郎展「こねる」(10年、同)、「日常/ワケあり」展(11年、同)、さわひらき展「Whirl」(12年、同)、「日常/オフレコ」展(14年、KAAT神奈川芸術劇場)、八木良太展「サイエンス/フィクション」(15年、神奈川県民ホールギャラリー)ほか。芸術資源マネジメント研究所研究員。東海大学、女子美術大学非常勤講師。