2023-02-14 コラム
#郊外 #環境・資源 #生活・地域 #食文化 #まちづくり #デザイン #建築

地域の人の“関わりしろ”を広げるエリアリノベーションの起点 新横浜「ARUNŌ」

新横浜駅近くの旧横浜篠原郵便局を活用した文化交流拠点「ARUNŌ(アルノー) -Yokohama Shinohara-」2022年8月にオープンした同所は、篠原町を複数拠点で活性化していくための布石でもある。運営するウミネコアーキ代表の若林拓哉さんに、その経緯と展望を伺った。

 

さまざまなコンテンツが同居する複合拠点

JR横浜線・横浜市営地下鉄の新横浜駅から、繁華街とは反対の篠原口に出て約5分。静かな住宅街の表通りを歩くと、右手にキッチンカーとスロープ付きの建物が見える。

この日は屋外の出店スペースにクレープ店が初出店。ほんのり甘い匂いを漂わせていた

 

ドアの上の赤いサインには、「ARUNŌ」の文字。地域の要の位置にある空き建物を改修して文化複合拠点とする、ウミネコアーキの事業の第1号店だ。

入り口には近隣の農家直送の野菜や生花が並べられ、カウンターには地ビールや地域の飲食店 から仕入れた食材を利用した軽食メニュー。奥の壁は、手作りのアクセサリーや地域の企業の調味料、ハーブティー、駄菓子などの商品が窓型の棚に置かれた「一窓貸し」スペースとなっている。

 

ARUNŌ入口:新横浜駅から岸根公園の間にはコンビニもスーパーもないため、野菜は大変人気だそう

 

さらに奥の部屋は、仕事やミーティングのできるシェアラウンジ。壁をはさんで裏側には、シェアハウスが2部屋ある。

 

 

篠原地域をエリアリノベーション

 

建築を学んだのも「たまたまだ」と語る、若林さん

 

もともとこの篠原エリアの出身で、大学生時代に一度離れて戻ってきた若林さん。家族が持つ不動産を将来的に扱うことになるだろうと宅地建物取引士の資格を取ったものの、当初は特に地域のために何かやりたいと考えていたわけではなかったという。

代々この土地に暮らしてきた若林さんが地域の交流拠点を作るきっかけとなったのは、若林さんの祖父が1967年に建てた「新横浜食料品センター」の存在だった。

現在のアルノーから徒歩5分ほどの場所にある新横浜食料品センターは、新幹線開通から3年後、エリアに越してくる人が増え始めたタイミングで、新しい住人たちが住みやすい街にするにはどうしたら良いかと考えて作られた。肉や魚、野菜、乳製品、生活雑貨などを扱う6店舗が1階に、その店主らが住まう8世帯分の住居が2階にある長屋形式の木賃アパートで、築年数が経ってきたことから数年前から建て替えも検討していた。しかし一部のテナントが営業継続を希望していることから、若林さんは大胆な更新計画を立てた。

「せっかく使ってくれている方がいるので、営業しながら更新するために建物を縦半分に切って、まずは営業を続けたい方がいる側を残します。もう半分に新築を建ててから引っ越してもらい、残っていた方をまるごとリノベーションするという計画を今進めています」

 

シェアラウンジ。奥には制作中の「新横浜食料品センター」の模型も。

 

新横浜食料品センターの延床面積は全体で600平方メートル以上あるが、一つひとつの店舗は20〜40平方メートルほどと小さく、その一角を若林さんの事務所にすると決めたものの手狭だった。

「でも、床面積を増やしてしまうと収支が回らないし、ほかの人の関わりしろを考えてもそんなに大きくできない。そんなときに、この近辺には意外と空き家があるなと気づいて。センター内だけでがんばるのではなく、周辺の地域資源を活用してエリアリノベーションしていったほうが、やりたいことが本当にできるんじゃないかなと考えたんです」

 

かつての郵便局を再び地域のハブに

そんなタイミングで出会ったのが、不動産のコンサルティングを手がける山本ルリさん。新横浜食料品センターについて問い合わせてきた山本さんに、若林さんは早速、空き物件を探して持ち主に交渉する業務を依頼した。徐々に情報網を広げ、横浜篠原郵便局が空くこともいち早く知った。

 

「ARUNŌ(アルノー)」の名前は、シートン動物記の作品『伝書鳩アルノー』から

 

民間のオーナーが国に貸す形で1975年から郵便局として営業していたこの建物は、2021年に駅前に新しくできたビルに郵便局が移転し空き家に。オーナーから取り壊しの話もあったが、「ここは鉄骨がむき出しで、ふつうこんな収め方怖くてできないなというすごく特徴的な建物ですが、産業遺構的なニュアンスもある建築なんだなとわかったんです。そういうものを壊して駐車場やアパートにしてしまうのは非常にもったいないなと思って」と、建築に対する愛着から若林さん自ら、会社で一棟全体を借り上げ運用することを決めた。

 

若林さんは「空間自体に自分を出したいわけではないが、つくるものが重要」と語る

 

シェアスペースとしての業態は、後から発想したものだという。「地主の方も地域に愛着があるし、まちの中心にある公共的な場所だったところを誰かが独占的に使うというよりは、地域のために使うのが一番ナチュラルだと考えました。なるべく細分化していって関わりしろを増やして、ほかの人が挑戦できるような場所にするのが良いんじゃないかと。地域のために何かこういうことをやりたいんだというよりは、たまたま郵便局だったからこうしたんです」

 

フラっと寄れて、挑戦できる場所

シェアキッチンでは、韓国料理やビストロが定期的に出店するほか、前出の山本さんがマネジメントする「フローズンカフェバー」が営業している。経営を安定させるために自動販売機を導入しようというアイデアから生まれた業態で、市内の近隣エリアの飲食店から仕入れた冷凍食品を自動販売機で販売することも、温めて提供することもできる。また、急速冷凍機を導入し、地域のフードロスを削減しようと自ら冷凍食品の開発にも取り組んでいる。

 

 

35枠ある一窓貸しの「マドグチ」も、固定収入を確保しながらたくさんの人に関わってもらう仕組みの一つ。一面まるまる空いている壁にあったギャラリー利用の料金案内は、「考えてなかったんですが、『展示もできるんですか』と聞かれてその場で相場を調べて作りました」と若林さん。「こういうことをやりたいんだけどできますかと聞かれたら、なるべくどうやったらうまくできるか全力で考えたい」と、どこまでもフレキシブルだ。

 

壁はギャラリー利用もできる

 

地域の人からの反応を訊ねると、「単純に帰り道が明るくなって安心できると言われて、やっている意味があったなと思えました。言ってもらって嬉しかったのは、『何もなくてもフラっと来やすい』という言葉ですね。はじめはどういう場所なのかわかりづらくても、知ってくるとちょくちょく寄ってくれるんです」。もともと馴染みのある土地ではあるが、こうして拠点を開くことで「人生の先輩にたくさん会えるようになりました」とも語る。「母校の何回りか上の先輩が利用者として来てくれるようになったり、『大丈夫?食べてる?』と心配してくれる“お母さん”が増えたり。関わる人の層が広がりました」

アルノーで営業経験を積んだ人、いいなと思った人を、新横浜食料品センターに引き抜きたいという算段もある。「企画の入り口は基本的に受動的 だけれど、流されながら結果的に自分のやりたい方向にうまく誘導していっているのかもしれないですね」。出会う人や環境を最大限に活かしながら、大きなビジョンを着実に形にしていく若林さん。篠原エリアの今後に注目したい。

 

文:齊藤真菜
撮影:大野隆介


【プロフィール】

 

若林 拓哉(ワカバヤシ タクヤ)
株式会社ウミネコアーキ代表取締役・つばめ舎建築設計パートナー。
1991年神奈川県横浜市生まれ。2016年芝浦工業大学大学院修了。同年よりフリーランスとして活動開始。2022年法人化。建築設計だけでなく企画・不動産・運営の視点からトータルデザインし、建築の社会的価値を再考する。主なPJに、「新横浜食料品センター」(SDレビュー2022入選)、旧郵便局を改修した地域の文化複合拠点「ARUNŌ –Yokohama Shinohara-」(2022年)、主著に『小商い建築、まちを動かす!』(2022年、ユウブックス)等。

 

山本ルリ(ヤマモト ルリ)
株式会社Gee.RS 代表・一般社団法人musubi代表理事
1974年神奈川県横浜市生まれ。大学卒業後、不動産建売業を営む父親の会社で経理や会計、財務金融機関の担当。また、経営者としての知識を得る。
父親の他界をきっかけに、自身の会社を設立。柔軟な発想と多角的な視点、様々な経験と粘り強く考え尽くす姿勢から、不動産活用のプランニングにとどまらず、そこに関わる家族の相続や信託、介護、税など日常生活のサポートを請け負ってきた経験を活かし、お客様への伴走サポートのプラットフォームとして、2022年より一般社団法人musubiを設立する。

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