2022-04-22 コラム
#まちづくり #建築 #芸術不動産 #ACY

座談会: ”リレー”される芸術不動産(前編)

これまでも当メディアで、たびたび紹介してきた「芸術不動産」。これは、「BankART1929」発のプロジェクトに遡る。当時まだ「芸術不動産」という言葉はないが、2004年の横浜市の歴史的建造物活用、2005年の「北仲BRICK&北仲WHITE」(以下、北仲)の民間不動産活用が、その源流となっている。継いで2007年に始まったアーツコミッション・ヨコハマ(以下、ACY)の一環で、関内・関外エリアの老朽化した遊休不動産の活用が進み、アーティスト・クリエイターの創作拠点が街に増えていった。2015年には、ACYから「民主導で芸術不動産事業が進むための環境づくり」へと移行。その成果をもって2021年には「ヨコハマ芸術不動産機構」となって民間団体へと事業継承され、芸術不動産は新たなフェーズを迎えようとしている。
今回、芸術不動産の創設から現場を見続けている建築家の佐々木龍郎さん、ACYの杉崎栄介さん、そして今後芸術不動産を事業として運営を担う株式会社plan-Aの相澤毅さんにご登場いただき、芸術不動産の過去、現在、未来をテーマに、それぞれがキーマンとなり語り合っていただいた。モデレーターを務めるのは設計事務所オンデザインの西田司さん。西田さんは、ACYの助成を活用した泰生ビルにオフィスを構えるなど、お三方とのつながりも深い。雑談を交えながらフランクな雰囲気の中、さっそく座談会はスタートした。

白熱座談会のメンバー:右から西田司氏(㈱オンデザインパートナーズ)、相澤毅氏(㈱plan-A)、佐々木龍郎氏(建築家)、杉崎栄介氏(アーツコミッション・ヨコハマ)


なぜ、芸術不動産は生まれたのか?


西田:
それでは、まず、佐々木さんに芸術不動産の立ち上げ期の経緯から話していただけますか。

佐々木:「芸術不動産」という言葉は、2007年「BankART1929」と「ZAIM」*1で開催されたアートイベント「Landmark ProjectⅡ」で、鈴木伸治先生(現在、横浜市立大学教授)、建築家の櫻井淳(櫻井淳計画工房)さん、僕の3人で話し合っているうちに浮かんだワードでした。

もともと森ビルが未使用のまま所有していた2棟の古い建物を、2005年から2006年の1年半だけローコストで貸していただけるという話があって、当時3カ月ぐらいの募集期間に55組のアーティスト・クリエイターが集まったんです。そこが「北仲BRICK&北仲WHITE」*2です。その近くである建築家が「万国橋SOKO」*3というビルの改修プロジェクトをされていて、プランと家賃の収支があわないという話が聞こえてきて、結果、最低限のインフラのみの整備にして収まったけど、結果的に建物の坪単価は倍以上に上がったと。

僕は不動産の専門家じゃないけど、そういう話を聞くうちに直感的に「これからは古い建物を不動産事業として考えないといけないな」って思ったんですね。当時、行政の財産を活用したアートスペースとして「BankART1929」とか「急な坂スタジオ」などの事例はあったけど、僕ら建築家やデザイナー、アーティストが使えるアトリエやスタジオをもっと発掘してかないと、北仲が終了したあとには、みんな横浜からいなくなっちゃうなって。

杉崎さんとはその頃、出会ったんですよね。その頃は財団から横浜市のほうに出向されていて、ちょうど横浜トリエンナーレの頃?

杉崎:お会いしたのは2006年でした。2005年の横浜トリエンナーレの次の年です。2005年当時、私はまだ横浜市の創造都市施策とは関わっていないのですが、北仲と平行してあったのが、当時の「横浜トリエンナーレ2005」の流れだと聞いています。

総合ディレクターの川俣正さんが、国内外のアーティストが開催期間中に横浜に滞在しながら、地域と世界のつながりをつくり、アートやそこに関わる街や人が変化、成熟していくプロジェクトにしようとされまして。そのため、アーティストたちが一時的に泊まったり住んだりする“アーティスト・イン・レジデンス”の場所が必要でした。川俣さんと一緒に働くキュレーターやスタッフも様々な場所から集まってくるので、そうした方々の入居場所も探していったそうです。

これも今の芸術不動産につながる、横浜にとっては“きっかけ”となる出来事だったのですが、その翌年の2006年に私が財団から横浜市役所へ派遣されることになり、そこで会議に出席した際、はじめて芸術不動産に関わるようになりました。

佐々木:それがわたしたちの最初の出会いでしたね。

杉崎:はい。2005年トリエンナーレのときは、ある会社が所有していた、戦後すぐに建てられた住宅用の賃貸物件を貸してくださったんですよね。

佐々木:当時、トリエンナーレの事務局がレジデンス用にホテルの利用を考えていて、数字は確かではないけど、例えばホテル5室で3カ月分の宿泊滞在費として300万円ぐらいかかるとした場合に、その予算に少し上乗せすれば……。

西田:改修に回せる(笑)。

佐々木:そう。300万だと1部屋60万の予算だけど、「もう少し上乗せてしてもらえれば、水回りもきれいになって、トリエンナーレの開催後はそのまま普通の賃貸として使えますよ」と担当者に交渉したんですよね。そうしたら実際に上乗せしてもらえることになって。たぶんその部屋は今でも賃貸されていると思います。

杉崎:これは余談ですが、「ヨコハマホステルヴィレッジ」も同じ時期にオープンして、横浜トリエンナーレ開催中に奈良美智さんが滞在されたと聞いています。前訪れたときに色紙がロビーに残っていました。

佐々木:お金がどこかにあるのか、それをどうやって不動産の再生に結び付けるのかみたいな話は、そういったトピックがいくつかあったと思うんですよ。

そこでBankARTのプロジェクトの一環で、今は東京藝術大学で教えているグラフィックデザイナーの松下計さんがデザインした「芸術不動産」の大きな看板を歴史建造物である旧第一銀行の前に置いて、アーティストやクリエイターを支援しているメッセージにしたんですよね。当時、僕は北仲から「本町ビルシゴカイ」*4(以下、シゴカイ)に移ってそこを芸術不動産の本部にしていました。

旧第一銀行横浜支店前の風景。(※)

杉崎:本部があった場所は今の相鉄フレッサインのところ。

佐々木:シゴカイは北仲の向かいでしたよね。いつも4階、5階の電気が消えているので、「あそこのフロア、使えないかなあ」みたいなノリで相談したら、BankARTの池田さんが動いてくれて、結果的に移転できて(笑)。

相澤:シゴカイの中にあるから、それで正式名称が……。

杉崎:はい、その中に佐々木さんの設計事務所があって、芸術不動産の本部がありました。

相澤:なるほど。

西田:まさに拠点でしたよね。

杉崎:当時、横浜だけにオフィスを構えている人もいれば、東京に事務所があって、横浜でもアネックス的に事務所を持ちたいという人も結構いましたね。

西田:北仲には、当時ブックピックオーケストラをやっていて、今すごく活躍されている内沼晋太郎(ブック・コーディネーター、クリエイティブ・ディレクター)さんがいましたよね?

杉崎:そうだ。

佐々木:シゴカイには、デザイナーの野老朝雄さんもいた。

杉崎:後に、ツクルバを立ち上げられる中村真広さんも大学時代に北仲にいらしていたそうです。大学の先生(建築家)の事務所に来ていたとおっしゃっていました。当時出された本を読むと、他にも今ご活躍中の方が沢山活動していたことがわかります。

佐々木:現在の北仲地区開発は別事業者ですが、当時そこの物件を所有していた森ビル株式会社(以下、森ビル)の都市開発担当者が北仲の建物はしばらく使わない予定だと話していて、僕は「それなら、使わせてもらうことができないか」って話をしたんです。たぶん森ビルとしても横浜市に対して、いろいろアピールをしたい経緯もあって、森社長が直接、BankARTの活動を視察に来て「面白いことをやっているから、こういう人たちにだったら、期間限定で使ってもらっていいのでは」となってトントン拍子に進んだと聞いてます。

森社長って、僕の理解だとアーティストやクリエイターのことをすごく好きでいてくれて、そういうオーナーの属人的判断で北仲ができて、当時の僕らは自由に活動できたんだと思います。そう考えるとやっぱりオーナーっていう存在はとても大きい。オーナーとうまくやらないと、不動産は全く前に動きません。それと同時に僕ら建築士は、構造設計者などと一緒に、「この建物は本当に使っていいのか」という実質的な安全性を考えなきゃいけない。

西田:佐々木さんのお話には、不動産軸の話と、入居する側のプレーヤー軸がありますよね。北仲はその両方が同時に起こったから分かりやすく見える化できた。では、そこから先、事業として「芸術不動産」を広げていこうと思った時に、佐々木さんが考えていた方向って、不動産軸がメインだったのか、それともプレーヤー軸だったのか。需要と供給みたいな話で、足りなかったのはどっちだったのでしょう。

佐々木:正直、需要と供給っていう図式では考えたことないけれど、北仲がクローズして、入居者がその後も横浜で活動したいってなった時、シゴカイには建築系を中心に15組ぐらいしか入れなかったんです。その時に横浜に残りたくても、全然、受け皿が足りていないなって感じました。

西田:なるほど、実際、芸術不動産をはじめて反応はいかがでしたか?

佐々木:プロジェクトとしてやりますって何となく宣言しただけで、芸術不動産として最初に動いたのって、2008年に杉崎さんとやった横浜橋商店街の近くにある「横浜橋アートハウス」*5でしたよね。当時「まず、ACYでモデル事業やります!」って杉崎さんからお声掛けていただいたのが、築50年の木造住宅で、20年間くらい使われていなかったハードな物件だった。これがアドバイザーとして、はじめてACYの案件に関わった時ですね。

横浜橋アートハウス改修前(※)

改修後(アートピクニックTOCO ※)

西田:どんな関わり方だったんですか?

杉崎:2008年はACYを立ち上げた次の年なんですが、いよいよ民間物件でアートにかかわる拠点形成を増やしていく必要がある時期だったんです。というのも、行政所有の物件は打ち止めで、BankART Studio NYKや急な坂スタジオのような創造界隈拠点はこれ以上増えないと言われていたんですね。ACYでは相談窓口をやっていたので、そこから横浜橋の案件が入ってきました。これをアート拠点化しようと考えて、佐々木さんにこのプロジェクトのアドバイザーを引き受けて欲しいと依頼して、相談に乗っていただきました。改修費用はオーナーさん持ちということで。

佐々木:当時、関東学院大学院の修士の2年生だった大久保くんという建築学生に「めちゃくちゃいい修士設計がある」と言って、彼と6人の後輩とで3カ月かけてリノベーションしました。僕と美術展示施工さんと地元の工務店、水道屋さんが指導してやりました。同時にACYのほうで利用者の公募もかけてもらって、借りてくださる方があらわれました。

西田:実際に入居されたんですか?

佐々木:はい、美大の教員が借りられて、OBやOGのスタジオとして2年間運営されていました。結果的に2年間で改修費用以上の家賃収入があったそうです。この頃には「芸術不動産」という名称もリリースされていました。2008年に横浜橋アートハウスをやって、その後の2010年から2014年まで「芸術不動産リノベーション助成」という制度ができたんですね。僕はこの頃のことを「リノベーション助成の時代」って呼んでいます。

杉崎:それ以前の助成事業で、関内、関外地区*6にアーティストやクリエイターを誘致しようという、立地促進助成*7があったんです。この制度は、すでに北仲がなくなることを前提していて、そこに集まった60余りものアーティスト・クリエイターに横浜に留まってもらうにはどうすればいいのかという施策アイデイアでした。

西田:当時、(北仲の入居者が)「本町ビルシゴカイ」や「ZAIM」に移るか、移らないかの議論がありました。

杉崎:北仲は都市部にありながらにして当時は物件がなかった時代です。みなとみらいも空き地だらけでした。それらは事務所開設支援助成の対象エリアから除かれたんですよね。横浜市としては関内地区に「クリエイターに残って欲しい!」という思いだったんでしょうね。

佐々木:つまり、北仲の素晴らしさに気づいた市が、クリエイターが横浜の都市部に定着する仕組みをつくったと。

西田:それって、まさに横浜市のファインプレーですよね。

佐々木:北仲にいたアーティストやクリエイターとしては、横浜市内に事務所を構えればインセンティブがある。インセンティブが何かというとコスト的にいうと敷金、礼金分なんですよ。移転すると初期費用がやっぱり高くてネックだから。そこをフォローするための制度だったんです。

西田:では、このあとは2010年以降の芸術不動産を深掘りしていきます。次のパートのキーパーソンはACYの杉崎さんですね。

<前編了 中編、後編へと続く>

【座談会: ”リレー”される芸術不動産(中編)】
【座談会:“リレー”される芸術不動産(後編)】

協力:BEYOND ARCHITECTURE
文:宮下哲
撮影:大野隆介(※を除く)


*1「ZAIM」:2006~2010年。旧関東財務局の建物を活用した拠点。市民サポーターやアートNPOの活動をさらに盛り上げ、ネットワークを広げる(ザイムプロジェクト)ための拠点施設。現、㈱横浜横浜DeNAベイスターズが運営する「THE BAYS

*2「北仲BRICK&北仲WHITE」:2005年~2006年。みなとみらい線馬車道駅付近に位置する北仲通地区にある、歴史的建築物を活用した空間。約60組のクリエイター、アーティストが入居した。

*3「万国橋SOKO」:2006~2021年。中区海外通りに位置し、1968年に竣工、物流倉庫として使用されていた。2006年、横浜市によって創造的活動の場へと用途転換された。

*4「本町ビルシゴカイ」:2008~2010年。中区本町にあった「本町ビル」の4階、5階にクリエイターが入居していた。

*5「横浜橋アートハウス」:2008~2011年。横浜橋商店街にある木造家屋(個人宅)。アーティストの活動の場として入居者公募を行い、「アートピクニックTOCO」として再生。

*6「関内、関外地区」:関内駅をはさんだ、海側と陸側のエリアのこと。

*7「立地促進助成」:2008~2020年、ACYが事務局として運営していた「アーティスト・クリエイターのための事務所等開設支援助成」のこと。2005年~2007年は、横浜市が直接運営していた。

【プロフィール】(50音順)

相澤 毅(Tsuyoshi Aizawa)
株式会社plan-A代表取締役、合同会社plan-A TOYAMA代表社員。Project Designer、Innovation Booster。大手生活ブランド勤務を経てから前職ではデベロッパーにて社長室に所属し不動産開発から海外事業におけるスキーム構築・広報P R・販売戦略・広告クリエイティブ・ブランディング・新規事業企画・商品開発・人材育成制度構築・産学連携など手がけてきたが、2018年5月に独立起業。今は不動産事業者や大手家電メーカーのコンサル、企業の事業開発参画、不動産開発事業、場のプロデュース、拠点運営、自治体とのまちづくりや創業支援、企業の取締役や顧問、NPO法人の理事等を手がけ、多様な働き方を実践している。

佐々木 龍郎(Sasaki Tatsuro)
1964年東京生まれ。株式会社佐々木設計事務所代表取締役。生業は建築の設計監理。住宅・共同住宅、医療福祉建築、公共建築、商業建築などを手掛ける。そこで得た知見を活かして、地域デザイン、調査研究、人材育成などに携わる。株式会社エネルギーまちづくり社取締役、一般社団法人横濱まちづくり倶楽部副理事長、一般社団法人東京建築士会理事、千代田区景観アドバイザー、神奈川大学・京都芸術大学・東京都市大学・東京電機大学・東洋大学・早稲田芸術学校非常勤講師。

西田 司(Nishida Osamu)
1976年神奈川生まれ。使い手の創造力を対話型手法で引き上げ、様々なビルディングタイプにおいてオープンでフラットな設計を実践する設計事務所オンデザイン代表。東京理科大学准教授、ソトノバパートナー、グッドデザイン賞審査員。主な仕事として、「ヨコハマアパートメント」「THE BAYSとコミュニティボールパーク化構想」「まちのような国際学生寮」など。編著書に「建築を、ひらく」「オンデザインの実験」「楽しい公共空間をつくるレシピ」「タクティカル・アーバニズム」「小商い建築、まちを動かす」。http://www.ondesign.co.jp/


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