2019-12-20 コラム
#プロジェクト #音楽 #食文化

「ダイニングルームテイルズ」 アーティストによるスローライフな食卓

オーストラリア人のアートディレクターが始めた「ダイニングルームテイルズ」は、アーティスト自身が思い出の料理をつくり、参加者と一緒に食卓に着き、自らの生い立ちや芸術観について語り合う、スローライフなプロジェクト。その日本初となる公演が、「横浜音祭り2019」の「公募サポート事業」として、11月9日,10日の2日にわたって横浜で開催された。その様子を紹介するとともに、ピアニスト、企画したアートディレクター、主催者に話を聞いた。

 

アーティストがつくる思い出の料理

 

横浜の大桟橋にほど近い海岸沿いの レストラン「横浜シーサイドラウンジ SaLa」に夕刻、人々が集まりだした。

すこし懐かしいムードが漂うレストランの中に入ると、ディナー用のテーブルがしつらわれ、一隅には小さなグランドピアノが置かれている。

この日、ピアニストの浜野与志男さんは朝から忙しかった。ロシア人の母のもとで育った浜野さんは、母アーラさんの監修を受けながら、この日ふるまう料理を厨房にこもって懸命につくっていた。オーストラリア・メルボルンからやってきたこのプロジェクトのアートディレクターであるザン・コールマンさん、そして日本での開催を実現したNPO法人あっちこっちの代表理事・厚地美香子さんもエプロン姿でサポートに駆け回っている。

 

アーティスト自身がテーブルを回ってもてなす

 

参加者全員が食卓に着くと、ウェルカムドリンクと前菜がサービスされた。黒パンの上に「オリヴィエサラダ」という、野菜、ピクルス、ゆで卵と鶏肉角切りのマヨネーズあえが乗ったボリュームのあるカナッペのような料理だ。浜野さん自身が少し緊張した面持ちで各テーブルに挨拶をしながら配膳してまわると、参加者から喜びの声が上がる。

・冷たい前菜:オリヴィエサラダ

 

前菜が行き渡ったところで浜野さんが話し始めた。
「この会はただのディナーコンサートではありません、ただのトークショーでもありませんし、ふつうの演奏会でもありません。私のつくった料理をみなさんとともに食卓でいただき、ともに語り合いながら、そして私のピアノ演奏をお聴きいただきます」
そしてピアノに座り、子どものころの思い出の曲を弾き始めた。

♪チャイコフスキー :『四季』作品37bより「11月:トロイカ」

ロシアを代表する有名な作曲家の耳馴染みのある優美なメロディに会場がなごみはじめた。
浜野さんが子ども時代を語りだした。
「母がモスクワ生まれのロシア人でしたので、家の中ではロシア語を話していました。毎日の夕餉はごはんと味噌汁でしたが、何か特別な時にはロシア料理が食卓に並びました。大好きだったアニメは、ドラえもん。そしてチェブラーシカにも親しんでいました」と話すと会場がいっそう温かくなった。
ピアノをロシア人のサカロフ先生、次いでエレーナ・アシュケナージ先生に就いて一所懸命に取り組んでいたという中学生のころに弾いていた曲が演奏された。

 

♪メンデルスゾーン:無言歌 嬰ヘ短調 作品67-2
♪ラフマニノフ: 幻想小品集 作品3より 第4曲「道化師」

演奏が終わると、2皿目の前菜「ブリヌィ」を手にテーブルを巡る浜野さん。パンケーキ風の薄く焼いた生地の上にスモークサーモンとサワークリームを乗せて巻いて食べるのだと説明をする。アーラさんのオリジナル・レシピのマッシュルームのペーストも添えられている。

 

・温かい前菜「ブリヌィ」 (サワークリームとスモークサーモン、マッシュルームのペーストを添えて)

 

そして食卓に着いて参加者といっしょに食べながら、しばしの会話が弾む。浜野さんの子ども時代を知った参加者からは気さくに料理についての質問が飛びかっていた。

 

ひとしきり食卓を囲んだ後で、浜野さんが演奏したのは再びロシアの作曲家ラフマニノフの曲だ。「暗い曲想の中にひとすじの光を感じる」からと、この曲が好きだった理由を語る。

♪ラフマニノフ:『楽興の時』作品16より 第1番、第3番

 

 

複雑な内面や人生の暗い側面も語る

 

赤カブをたっぷりと使った「ボルシチ」がお玉を添えた鍋ごとテーブルに供されると、浜野さんが意外なことを語り始めた。

「母はよく、家にあった土鍋でボルシチをつくってくれたのですが、それを見るとまるで自分のようだなと感じていました。外側はいかにも日本風の鍋ですが、その中身はこれぞロシアといった料理ですから」

 

・スープ:「ボルシチ」(肉・野菜、特に赤カブ等を多く入れたロシア風スープ)

 

日本とロシアの2つの文化にもまれて育った複雑な胸の内が明かされたかにみえた。そして浜野さんの人生をもう一度たどるかのように演奏されたのは、

♪ドビュッシー :『子どもの領分』より
          「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」、「雪が踊る」
♪ショパン :スケルツォ 第2番 変ニ長調 作品31

 

ドビュッシーは小学生の時に演奏した思い出の曲であり、ショパンの「スケルツォ」はほかにも夢があったけれども悩んだ末にピアニストの道を選び、東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校を受験した時の課題曲だ。

ピアニストを目指す道に歩んだ浜野さんは、東京芸術大学に進み、英国王立音楽大学で修士号を取得するのだが、この輝かしい公式プロフィールからは読み取れなかった苦悩の日々を、静かな口調で語り始めた。それはライプツィヒ音楽大学でさらなる研鑽を積もうと入学を試みたが叶わなかった苦しい2年間のことだった。しかしこの日々のなかで今の妻となる女性と出会うという「幸運」もあったと、会場の笑みを誘う。

ショパン :エチュード ハ短調 作品25-12

を弾き終えると、メイン料理が供された。

・メイン料理:パプリカの肉詰め

 

メイン料理を味わいながらの会話の後、浜野さんの音楽に向き合う思いが語られた。
風船が会場に配られ、「音楽を思い描く時、頭のなかに空間をイメージします。それは球体で、透明あるいは半透明な空間です」
そう言って一番空間を感じる音楽だという日本人の作曲家、武満徹の曲を描いた。

♪武満徹 :「雨の樹 素描」(1983)

芸術による社会貢献活動をするNPO法人「あっちこっち」に所属するアーティストでもある浜野さんは、2011年に東日本大震災の復興支援のために被災地に出向きコンサートを行なった。芸大生のころのことだ。そこで「音楽にできることはなんだろうか、自分にとって音楽とは何を意味するだろうか」を考えるようになったと言う。

・食後に:りんごジャムと

 

食後のお茶やコーヒーが、手づくりのりんごジャムとともに出された。
最後に浜野さんが演奏したのはベートーヴェンのソナタだった。幼い時に初めて人前で弾いた音楽はベートーヴェンの「エリーゼのために」だったという。

♪ベートーヴェン: ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 作品110より 第3・4楽章

演奏家としての原点に帰るような、浜野さんの強い思いがこめられているように感じられる演奏だった。

ひとりひとりと言葉をかわして参加者全員を送り出し終えた浜野さんに、お話を聞いた。

 

浜野与志男さんにインタビュー

 

——内面を率直に語る言葉に驚かされました。この依頼を受けた時にはどのように思われましたか?

「今年の4月にまず「あっちこっち」の厚地さんからお話をいただき、ザンさんと引き合わせていただきました、最初の顔合わせの時に私のバックグランドも包み隠さず話しました。そしてこのプロジェクト実現のためにザンが来日して1週間ほど毎日食事をともにしてたくさんの思い出話をしました。私が思い出したくないことも、ザンが引き出してくれました。「何がきっかけとなって音楽の道に進んだのか」「一番大切にしている価値は何なのか」「君にとって音楽とは何か」と。」

——胸に宿った思いを多くの人の前で語ってみていかがでしたか?

「はたしてここまでプライヴェートなことを人前で話すことに意味があるのかと、直前まで悶々としていたのですが、神戸での第1回目の公演を終えた時に一気に涙があふれてきてしまい、自分でも驚きました。これまでの自分の道のりを振り返るいい機会を与えてもらい、今の自分を見つめ直すことになりました。自分を広げていくためではなく、自分自身を深めるために」

——料理して、食べて、語って、演奏するというのは大変だったのでは?

「演奏に向かう時には相当の集中力が必要でした。でも同じ食卓を囲んだ人の話だからこそお互いの内面に耳を傾け合う気持ちになれると思いますし、語り合った間柄の相手の演奏から何かを感じ取ってもらえたなら、ザンとともに願った目的が果たせたことになりますね」

 

 

「ダイニングルームテイルズ」がもたらす空間とは?

 

ダイニングルームテイルズ」はオーストラリアのアートディレクター、ザン・コールマンが2011年に始めたプロジェクト。これまで本国オーストラリアのほかロンドン、香港、サンパウロ、フランクフルト、ヘルシンキなど7カ国で9作品を上演した。アーティストはダンサー、曲芸師、パフォーマー、作曲家、ハーモニカ奏者、打楽器奏者など様々な分野にわたり、文化的背景もオーストラリア、ブラジル、ペルー、中国、ガーナなど多岐にわたる。このプロジェクトの意義についてコールマンさんに話を伺った。

 

ザン・コールマンさんにインタビュー

 

——そもそも「ダイニングルームテイルズ」を始めたきっかけを教えてもらえますか?とてもユニークなコンセプトをどうやって思いついたのですか。

「自宅のキッチンで食事を用意していた時に思いついたのです。自宅のキッチンはアイランド型のオープンキッチンです。カウンターの手前には冷蔵庫やガス台があり、向こう側には食事スペースがあります。私はカウンターの手前で料理をつくりながら、誰もいない食卓を見つめていました。その時、〈今、私は公演の最中で、食事をつくりながらお客様に話しかけているんだ〉という考えが浮かびました。これがこのプロジェクトを思いついた瞬間です。

そこで、私は多様な背景や、様々な人生経験を持つアーティストの話と、食事をしながらゆっくりした時間を楽しむ経験をフィーチャーしてみてはどうかと考え始めました。これが2011年はじめのことで、それから9作品を完成させ、8年かけて7カ国で90公演を実現しました」

——浜野与志男さんとはどのように出会いましたか?彼とどのように会話を積み上げて言葉を引き出したのか教えてください。

「浜野さんは「あっちこっち」の厚地さんにご紹介いただいたアーティストのお一人です。お会いしてすぐに、浜野さんが「ダイニングルームテイルズ」の出演者にふさわしいことがわかりました。浜野さんは食にこだわりがあり、人生経験や生きてきた背景を共有したいという気持ちを強く持っていますし、その上、人と接する時に暖かさと繊細さがあります。プロジェクト立ち上げ時は、オーストラリアと日本の間でのビデオ会議で会話しましたが、公演前には直接に顔を合わせて集中してつくり上げていきました。私たちは関係を構築するために、人生や経験したことを共有し、関心ごとを議論しました。自伝的な事実を語るというより、自分の人生の中で興味深い部分を他者と共有することが目的だからです。私たちはたくさんの事柄を話すというより、少ない話題についてじっくり話し、次の機会にはさらに掘り下げるというやり方をとりました。こうしてじっくり素材を温めながら、友情も育てていきました。この過程を経て、たくさんのお客様をおもてなしできるだけの信頼関係を築き上げました」

——今回は日本で初めての開催でしたが、予想していたことと違った反応や手ごたえはありましたか?

「実はなんとなく予期していたのですが、他のどこの国とも同じように、日本でも 人間味の本質を感じることができたことを嬉しく思いました。国ごとに文化の違いがありますので、このプロジェクトをいろいろな国でつくり上げる過程はとても楽しいものです。ただ、反応という点で言うと、どこでも人間は人間であって、興味深い話を楽しみ、食事を一緒にすることを楽しみ、知らないことを聞きたいと思う開かれた心を持っています。もちろん、楽しむ度合いは一人一人違いますが、その違いは住んでいる国に依拠するものではありません。「ダイニングルームテイルズ」の公演は毎回異なります。その理由は来られるお客様が異なるからです。例えばブラジルで2公演行なった時に、一つの公演は香港やメルボルンで行なった公演に似通っていましたが、もう一回は大変に異なっていました。その違いは場所ではなくお客様だったということです。人々がエネルギーを持ち込み、その夜の公演はそのエネルギーでつくり上げられます。日本の公演を準備している時には、日本のお客様は他の国より遠慮がちで保守的なのではと考えていました。ところが他の国とさほど変わらないことがわかりました。日本公演では毎回お客様が演奏にも周りのお客様との交流にも真剣に向き合われ、素晴らしいエネルギーとスピリットで盛り上げてくださいました」

——今後、どのようなプロジェクトを計画されていますか?
「次のプロジェクトでは、ポルトガル人でポルト在住のフードアルチザン(食の職人)Garfada do Ouro  と組む予定です。このプロジェクトは2020年に公演予定です。 また、2020年はじめには、浜野さんにオーストラリア・メルボルンで公演いただきます。オーストラリア先住民のアーティストたちとのプロジェクトも検討しています。また、日本で再度「あっちこっち」と一緒に日本のアーティストと新たな公演をしたいと思っていますし、韓国でも公演したいと願っています」

 

横浜で出会い、横浜で育てたプロジェクト

 

「ダイニングルームテイルズ」の日本公演を実現に運んだのは、横浜市中区を拠点として芸術での社会貢献活動を行う認定NPO法人「あっちこっち」だ。コールマンさんとの出会いは、2014年のこと、お互いが出席していた「国際舞台芸術ミーティングin横浜(TPAM)」 だった。

「あっちこっち」代表理事の厚地美香子さんは、「お互いのミッションと芸術的なアプローチに共通点を見出しました。日本で初めての公演でしたが、いらしていただいた方からは、

〈音楽やアーティストをより身近に感じられた〉

〈一人の音楽家の軌跡を追体験できる、まるでノンフィクションの一人芝居のようだった〉

などの声が届いており、運営の準備は大変だったものの、好評に終えられてほっとしています。

ほぼ毎年、こうした国際交流プロジェクトを開催しています。この公演にもオーストラリア大使館が後援をしてくださいました。国が違っていても言葉を交わさなくても分かり合えることがあったり、また一方で芸術的アプローチの違いに接して良い刺激をたくさんもらったりしています。これからの事業を発展させていくためのいい経験になりました」と語る。

「ダイニングルームテイルズ」はアーティスト個人の人間性の深いところに触れることで、芸術の普遍性に思いが至る「食卓」と感じた。これからのさらなる展開が楽しみだ。

左からザン・コールマン、浜野与志男、厚地美香子さん

 

 

取材・文 猪上杉子
写真   平舘平

 


 

【プロフィール】

 

浜野与志男 Yoshio Hamano
ピアニスト。日本人の父とロシア人の母をもち、ふたつの国の芸術・文化が共生する環境で育つ。2011年日本音楽コンクール第1位。日本フィル・サントリーホール定期やロイヤル・フェスティバル・ホール(ロンドン)、モスクワ音楽院ラフマニノフホール、浜離宮朝日ホールでのソロ・リサイタルをはじめ国内外にて活動を展開する。東日本大震災被災地での公演や中央アジア・キルギス共和国、レバノンほか各地でのアウトリーチなど、インクルージョンを目指した企画にも取り組んでいる。
東京藝術大学を経て英国王立音楽大学修士号およびアーティスト・ディプロマを取得、モスクワ音楽院にて研鑽を積む。2018年より東京藝術大学非常勤講師、東京音楽大学非常勤講師。デビューアルバム『ステート オヴ マインド ~漂流する国の孤高なる音楽』発売中。

ザン・コールマン Xan Colman
パフォーマー、アートディレクター。オーストラリアのメルボルンに拠点を置き、国際的に活躍する学際的なアーティスト兼、ライター兼プロデューサー。国際フェスティバルから地域コミュニティ、教育機関から大規模な演劇場、実験的なパフォーマンス・プラットフォームから紛争後のコミュニティ開発まで、さまざまな状況で作品を発表。International Theatre Institute(国際演劇協会2010年11月ユネスコ)の一員であり、メルボルンのコンテンポラリーパフォーマンス会社「A is for Atlas」のアートディレクターも務める。「ダイニングルームテイルズ Dining Room Tales」は、ザン・コールマンが2011年に立ち上げたプロジェクト。

認定NPO法人あっちこっち
2011年8月に芸術で社会貢献を考え実行する市民団体として横浜で発足。クラシック音楽家を中心に社会貢献活動を共に行う若手アーティストが50名以上登録している。東日本大震災被災地、熊本地震被災地にて若手演奏家等によるカフェコンサートを8年間に累計200回以上開催。2012年より芸術創作体験を子どもと保護者、若手アーティストと創りあげる「わくわくワークショップシリーズ」を横浜でスタート。2015年、第9回かながわ子ども・子育て支援大賞特別賞受賞。横浜市芸術文化教育プラットフォーム・学校プログラムコーディネーターも務める。
オーストラリアのアーティストと協働する国際交流事業も多く手掛け、2015年と2018年に東北被災地にて芸術団体ポリグロットシアターと、2018年に横浜にてサウンドアーティストであるマデリン・フリン&ティム・ハンフリーと共同プロジェクトを開催。

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