「続・朝鮮通信使」横浜・韓国アーティスト交流プログラム 文化を重ね、心を通い合わせ、まだまだ続く。

Posted : 2018.02.23
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昨年ユネスコの世界記憶遺産に登録された「朝鮮通信使」。この現代版のプロジェクトをBankART1929が「続・朝鮮通信使」と名付けて、2010年から実施している。2017年度のその活動を紹介し、これからの意義を探る。

「朝鮮通信使」と「続・朝鮮通信使」

室町時代から江戸時代に朝鮮半島から日本に派遣された外交使節団、それは、江戸時代から「朝鮮通信使」と呼ばれている。
2017年10月、この「朝鮮通信使」の江戸時代の様子を記録した資料が、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」(世界記憶遺産)に登録されたことが報道されたので、ご存知の方も多いのではないだろうか。

羽川藤永筆『朝鮮通信使來朝圖』江戸市中を行列する延享度朝鮮通信使の行列を描く
神戸市立博物館収蔵、池長孟コレクション

 

この「朝鮮通信使」を今の日本と韓国の新しい交流プロジェクトとして2010年から展開しているのが、BankART1929の「続・朝鮮通信使」だ。
「通信」とは、「よしみ(信)をかわす(通)」の意味。江戸幕府は500人規模の文化使節団を朝鮮半島から招聘し続けた。実際にホストを務めたのは各藩で、それぞれが独自の方法で異国の客人を迎え入れ、「通信」(よしみをかわす)を実施した。このことは、既に言及されているように当時が地方自治の連合政権、都市の時代へ変遷していたという史実を浮上させる。

「他都市及び国際的なネットワークの構築」を目指すBankARTの事業に合致するテーマだったことから始まったこのプロジェクト。開始以来、人に会う、地域を訪ねる、パレードを行う、コンサートやシンポジウムや展覧会を開催するなど、様々な活動を通じて新しい日韓交流のネットワークが築かれてきた。

昨年にはこれまで培ってきた関係をさらに発展させ、韓国の各都市の文化施設やアート組織と協定を結んでの「横浜・韓国アーティスト交流プログラム2017」が実施された。韓国から横浜に迎えたアーティストは計5人、まずは、彼らの話を紹介し、次いで「続・朝鮮通信使」のこれまでの記録と今後についてを主催のBankART1929に伺った。

 

 

「横浜・韓国アーティスト交流プログラム2017」

韓国から横浜へ

昨年9月から3カ月間横浜に滞在したのは、光州市立美術館から派遣されたキム・ソラさん、チェ・スンイムさんの2人。昨年12月にはその成果をBankART1階のミニ・ギャラリーで同時に披露した。
キム・ソラさんの作品は絹地のキャンバスにほとんど単色で描かれた微細な線やインクの濃淡の滲みが印象的だ。横浜に来てからは毎日のように街を歩きまわり、身体感覚を用いて都市を理解しようとしたのだという。そこで発見したのは、水が街の全体にいきわたっていること、その痕跡であるカビを観察してみると細密な線が繋がり合っていること。横浜という街を有機的な生物のように捉えたのだ。

PHOTO;大野隆介

 

もうひとりのチェ・スンイムさんの展示は、平面絵画作品と立体的な陶器の作品が混じりあいながら賑やかに並ぶ。

PHOTO;大野隆介

 

光州市生まれの光州市育ち、一度も光州という都市を離れたことのなかったチェさんは、自ら海外の地、横浜での滞在を切望したそうだ。不慣れな土地での滞在制作で感じる不安を落ち着かせてくれたのが「土」だったという。素材として常に感じていた価値よりも、横浜では「土」は癒しになった。その横浜の「土」を黄金町の窯で焼いて、横浜の土から生まれた「おはなし」を綴ってみせた。

PHOTO;大野隆介

 

また、仁川文化財団 仁川アートプラットフォームより2017年8月から3カ月横浜に滞在し、写真、パフォーマンス、インスタレーションを制作したノ・ギフンさんの滞在報告展「Moon and Light」が1月26日[金]~ 2月4日[日]に開催された。

© BankART1929

 

 

横浜から韓国へ

その交換として、韓国の各施設へと滞在制作に行った日本人アーティストたち5人が、帰国後にアーティストトークを行い、滞在の充実した内容を報告した。

太田新吾さんは、ソウル市立美術館・ナンジレジデンシーに2017年7月から約4カ月滞在した。映像作家として活躍する太田さんが初めてのレジデンス滞在先に韓国を選んだのは、映画の公開を通して交流のあった韓国の人々に、より深い取材をしたかったからという。自殺防止に関するインスタレーション作品は、韓国メディアからも大きな反響を得た。

PHOTO;大野隆介

 

© BankART1929

 

黒田大祐さんは、仁川文化財団・仁川アートプラットフォームに2017年6月から約2カ月半滞在。韓国特有の建設現場での建築物カバーに触発された作品の制作や、彫刻教育の背景の探求など、韓国のアーティストの実情を知ることで、相対的に自分自身の置かれている状況をゆっくり深く考える機会が持てたという。

PHOTO;大野隆介

 

© BankART1929

 

写真家の蔵 真墨さんは、釜山文化財団・ホンティアートセンターに2017年7月からまる3カ月滞在。不慣れな地での暗室作りには手間取ったというが、釜山の街を時間をかけて撮影し、「PUSAN is beautiful」と題する展覧会やフォトグラム作品の展示を行うことができたと手応えを語った。

PHOTO;大野隆介

 

©蔵 真墨

 

写真家でBankART1929オフィシャルカメラマンでもある中川達彦さんは、光州市立美術館・GMAレジデンシーに2017年8月から2カ月滞在。何度も訪れている韓国で印象に残っていた教会の屋根の上の十字架を、同じ場所で昼間と夜に撮影していくシリーズの作品を制作した。滞在しなければ撮影不可能な、昼夜でがらりと変わる景色を見せてくれた。

PHOTO;大野隆介

 

©中川達彦

 

やはり光州市立美術館・GMAレジデンシーに2カ月滞在したもう一人は、下西 進さん。ハングル文字を創作するなど積極的に韓国の文化や歴史に触れようと動いた下西さんは、韓国の焼酎メーカーの広告に自分自身が女装してモデルとして出演するという設定の写真作品を制作、発表して、光州の街の人々を驚かせた。

PHOTO;大野隆介

 

©BankART1929

 

PHOTO;大野隆介

 

 

「続・朝鮮通信使」のこれまでの歩み2010〜2016年

2010年 春 横浜
朝鮮通信使研究の第一人者仲尾宏氏による8回の連続講座を実施。もうひとりの重要な研究者故・辛基秀氏の娘、現代美術のコーディネーターの辛美沙氏がゲストトーク。

2010年 夏 8/6-8/31  ソウル~瀬戸内~越後妻有
8月6日、日韓の主にクリエイターからなるクルー約20名が、現代版の衣装を身にまとい、オリジナルな旗と音楽を掲げて、20数日間キャラバンを行なった。ソウルから釜山へ、釜山から対馬へ、そして博多へ。下関からは船をチャーターし、大阪まで14日間の船旅。「瀬戸内国際芸術祭2010」の正式参加プロジェクトだったため、下関、宇部、上関、下蒲刈島、今治、鞆の浦など、瀬戸内海の通信史ゆかりの街を巡った。そして瀬戸内芸術祭のシンポジウムにも参加し、再び牛窓、備前、室津、神戸、大阪へ。その後、「あいちトリエンナーレ」「新潟県越後妻有」にも参加。

© BankART1929

 

2011年 春 4/28-5/6  ソウル~釜山
韓国国内を巡るツアーを「続・朝鮮通信使研究会」のメンバー15名程で行なった。仁川やキョンギドウ等に誕生した新しいアートスペースを巡りながら、ソウル~安東~大邸~慶州~ウルサン~釜山と東周りで南下。釜山では文化財団が新しく開館した「朝鮮通信使博物館」のお祝いや、朝鮮通信使祭りのパレードにも参加。大邸の郊外の村では、加藤清正が出兵した際に残留したといわれる武士の19代目の子孫にあたる人たちの日本人村を訪問。

2011年 夏 8/6-11/6  新・港村
横浜トリエンナーレ2011」と特別連携して開催した「新・港村」というプロジェクトの中で、数多くの韓国チームを招聘。ソウル・アートスペース・グムチョン(ソウル文化財団)、totatoga(釜山)、釜山文化財団(釜山)、net-a/東亜大学校石堂学術院(釜山)、ブピョンアートセンター(富平区/仁川市)、FREEZOOM(京畿道)、ムンレアーティストビレッジ(ソウル)、オルタナティブスペース LOOP(ソウル)、バンディオルタナティブスペース (釜山)、オープンスペースBae(釜山)、ノリダン(富川その他)、TETSUSON韓国チームなど。その際チームが活用するスタジオ空間として、江戸時代、釜山にあった「草梁倭館」(日本人居留地)の一軒を再現。会期中は、この草梁倭館を中心に、日韓の多彩なイベントを連日開催。対馬市長、釜山文化財団事務局長、仲尾宏氏等を招き、シンポジウム「日韓交流の新しい可能性~朝鮮通信使を起点に」開催 。

2012年 秋 9/14 -9/17  東海道+横浜~越後妻有
「ノリダン」(打楽器隊/韓国)と「サンドラム」(打楽器隊/日本)を招聘し、BankARTの拠点がある横浜関内外地区をパレード。その後、場所を新潟に移し、大地の芸術祭開催中の越後妻有で、このふたつの打楽器チームはともに十日町市や津南町を巡り、「農舞台」で行なわれた芸術祭のファイナルイベントに参加。

2013年 夏 10/6-10/27 対馬~清洲~瀬戸内~愛知
対馬アートファンタジア」を訪問。その後、釜山へ。KTXで釜山から清州へ。「清洲国際工芸ビエンナーレ」の公式シンポジウムに参加。ソウル、仁川(松島)のオルタナティブスペース、ノリダンの本拠地の富川を訪問。福岡に戻り、陸路で松山、丸亀、今治、広島、倉敷、岡山を巡り、呉にてチャーター船と合流、下蒲刈島では「朝鮮通信使再現行列」に参加。鞆の浦、百島の「ART BASE MOMOSHIMA」を経て、「瀬戸内国際芸術祭2013」のすべての島を巡る。釜山文化財団のチャさんも高松から参加。最後は小豆島の福田地区に滞在。福田港~姫路~名古屋ルートで「あいちトリエンナーレ」を訪問。

© BankART1929

 

2014年 夏~秋 横浜
横浜トリエンナーレ2014」と連携した「東アジアの夢」と称した大展覧会を開催。
韓国から招かれた「ノリダン」は、大きな操り人形を滞在制作。制作した人形とともに横浜の街を闊歩した。「サンドラム」との共演が再び実現。韓国でも、開館予定の光州のアジアハブセンターの関連イベントで30ヶ国のアジアのチームが集まり、シンポジウムと展覧会があり、BankARTは開発好明氏を紹介しながらプレゼンテーションを行なった。
光州市立美術館が企画した展覧会「光の都市 光州」がBankART Studio NYKの3Fで開催。また12月には釜山の近郊都市・金海でBankART(池田修さん)がコーディネートし、開発好明氏と高橋啓祐氏がグループ展に出品。

2015年 春・夏 横浜・釜山・妻有
再び仲尾宏氏を中心に「朝鮮通信使part2」のゼミを開催。また毎年釜山で行なわれている「朝鮮通信使祭り」に列席。8月29日、シンポジウム「日韓交流の新しい可能性part2~朝鮮通信使を起点に」を越後妻有「大地の芸術祭」の開催される中、十日町情報館で開催。パネラーには、京畿文化財団文化芸術本部本部長チャ・ジェグン氏(当時)、朝鮮通信使研究者の仲尾 宏氏、建築史家の三宅理一氏、大地の芸術祭総合ディレクター北川フラム氏。

2015年 秋 光州
光州市立美術館の企画展示室で、BankART1929が企画する大規模な展覧会を開催。朝鮮通信使にまつわる展示も行う。横浜市文化観光局、「みかんぐみ」曽我部昌史氏、「小泉アトリエ」小泉雅生氏を招いてのシンポジウムも開催。またアジアハブセンターオープンに際して、アジア30カ国が参加する国際会議にも参加。

© BankART1929

 

2016年 夏・秋

再び韓国全国の行脚。ソウル、釜山等の大都市ではない、坡州市、安山市、世宗市、南原市、清洲市、光州市等を中心に15チームを訪ね、ミーティングを繰り返した。
「瀬戸内国際芸術祭」において、「サンドラム」とそのコラボレーターの韓国のミュージシャンたちと瀬戸内を巡り、高松港でコンサートを開催。神戸を経て、南港(大阪)から船に乗り、瀬戸内海経由で釜山へ。柳幸典氏、堀浩哉氏が参加していた「釜山ビエンナーレ」では、多くの韓国のアート関係者と再会。京都を起点に東海道を行き、伊勢、名古屋、浜松、静岡、横浜。「サンドラム」はBankART NYKでライブを開催。(資料提供BankART1929)

© BankART1929

 

 

「続・朝鮮通信使」のこれから

「さてこのプロジェクト、どこまで続くのでしょうか? 」とBankART1929主宰の池田修さんは自ら問いかける。ユネスコの世界記憶遺産への登録は、始まりでも終わりでもない、と。8年間にわたって行き来を続けたことで、お互いにようやく信頼関係が築けたところだと。池田さんはこう語る。
「『朝鮮通信使』はもともとは外交の、しかも最初は秀吉時代の不幸な関係を緩和するためのものでしたが、次第に「文化交流」の様相を帯びてきます。人が幾度も同じ道を往来するというのは、まさに物や風物が重なり、文化が重なり、心が重なっていくことだったのです。『朝鮮通信使』当時のスケール500人規模の招聘と4,000人ともいわれるクルーを実現するには、数多くのハードルがあります。滞在を受け入れてくれる都市との協働関係の構築、法的・感情的なハードルのクリア、全体を支える経済の仕組み、等など。これらの課題を焦らないで、じっくりと突破していきたいと思います。幾度も往来することで、日韓の間に横たわるいくつもの誤解や隠された真実などを開いていき、溶かしていきたいと考えています。そしてそう遠くない将来、この往来の中から時代を超える『旅する街=トラベリングシティ』が生まれてくることを願いたいと思います。」