寿町のクリエィテビティを顕在化する―ファッションデザイナー矢内原充志さん

Posted : 2017.04.25
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アーツコミッション・ヨコハマが2016年から開始した「クリエイティブ・インクルージョン助成」。“創造性による社会包摂”を目的として、4つのプロジェクトが採択された。矢内原充志さんによる『KOTOBUKI INSIDE』もそのひとつ。寿地区の人たちと対話し、ファッションコーディネートして、写真作品を制作し、最終的に本にまとめる計画だ。4月30日まで、象の鼻テラスでキックオフイベントとなる写真展が開催されている。

寿地区でのプロジェクト

横浜の戦後復興を支えたかつての労働者が住む寿地区。日本の高度経済成長期、港湾や土木現場で働く日雇い労働者が集まり、簡易宿泊施設が約120軒ほど造られて現在の姿となった。仕事を求めて、日本中から男たちが集まった。往時、立ち入るのをためらうほど、荒くれたイメージがあった寿町を覚えている人もいるだろう。特別な場所だった。

ところが、現場の機械化が進み、1990年代のバブルの終焉によって、日雇い労働の需要が減少する。仕事がないまま、身寄りのない労働者たちの高齢化が進む。

現在、寿地区における簡易宿泊所宿泊者は、地区人口に占める割合は7割以上(平成24 年現在)であり、そのうち8割以上が生活保護受給者である。簡易宿泊所宿泊者のうち 60 歳以上の割合は、平成元年では約 13%だが、平成 24 年には約 67%となっている。また、寿地区人口のうち男性が占める割合は平成 10 年以降、一貫して約 85%となっており、男性に偏った人口構造となっている。(平成26年4月寿町総合労働福祉会館再整備基本計画より)。
つまりは、21世紀になると、寿地区は一転して福祉の街となった。ここは今も特別な場所だ。

現在、象の鼻テラスでは、そんな寿地区で進むアートプロジェクト作品の展覧会が開催されている。タイトルは『KOTOBUKI INSIDE』。ファッションデザイナーの矢内原充志さんが寿町に関わる人たちをインタビューして、エピソードやキャラクターに合わせて彼らのいでたちをスタイリング。準太陽賞も受賞した新進の写真家、サトウノブタカさんがその姿を撮っている。会場には6名のポートレート、撮影付近の風景、彼らが撮影に着たアイテムが木枠の中に展示されている。

象の鼻テラスでの開催風景

 

寿町にはファッションなんて縁がないように思われているかもしれないけれど、それはファッションをどう捉えるか次第。この人、渋いでしょう? ゲンズブールが好きなんです。身なりにもこだわりがあって、バッグにはスカジャンについているような刺繍を切り抜いて貼ったりしている。みんなそれぞれにクリエイティビティを持っている。自分らしさを楽しんでいる人もいる

『KOTOBUKI INSIDE』作品

 

スタイリングの対象となる人は、この地区で支援をしている団体などから紹介してもらっている。またポートレートには団体のスタッフも登場する。最初は面白くならないのではないかと思ったが、おなじみの顔なので街で撮影していると辺りから笑顔が生まれる。和やかな雰囲気になるのがいい、という。そしてこのプロジェクトの存在を広く知ってもらえる。

まずインタビューで聞く事は、昔していた格好、好きな色、子どもの時に好きだったのは赤?それとも青?、今までに就いた職業など。トラックの運転手をしていた? じゃあ、車をデコっていましたか? なんていうことを糸口にして対話を広げていきます

今回の発表は6名だったが、すでに20人以上と話をした。しかし、面白い話ができたと思っても、実は顔出しがNGだったり、また待ち合わせをしても撮影に来なかったりと、実際の写真には結びつかないこともある。「なかなか打率は悪い」と苦笑いする。それでも今後5年間は続けていきたい。

ファッションデザイナーとして、いち表現者として、ブランドなど生まれそうにないと思われている場所で、ファッションを見いだしていきたい。この地区にいる人たちのクリエイティビティを見つけて、顕在化する。それがプロジェクトの目的です」と語る。

 

表と裏。コインのエッジのような場所にて

昨年、矢内原さんは関内駅近くの不老町にアトリエを移した。海の方角に向いた窓からはJR関内駅の高架の向こうに市庁舎や横浜スタジアムが見える。そして、反対側の窓には、こまごまとした区画で続く風景。その方向に歩いて5分もかからないところに寿町がある。

もうすぐ目の前の市庁舎が移転する。そうするときっと街が動くでしょう? その期待もあってここに決めたのです。実際に入居してみると、このアトリエの場所が実に面白い。コインのエッジの様に、ここから横浜の表と裏の景色のどちらも見渡すことができる

横浜中心部が見渡せるアトリエにて

 

身近になったことで寿町が気になった。ここに引っ越して来なかったら、寿町でプロジェクトを始めようとは思わなかっただろうと言う。

クリエイティブ・インクルージョン助成の応募書類にはいろいろと熱い思いを意気込んで書いたんですよ(笑)。寿町の存在をどうやって世に知らしめていくか、とか、寿町のリアルを切り取れないか、プロモーションできないか、とか

今までに幾つも寿町を舞台にしたドキュメンタリーが作られてきた。中にはドラマチックな演出で、様々な問題提起をする内容のものもあった。矢内原さんもそれらを知っている。何かこの街に貢献できることがあるかもしれない。しかし、いざプロジェクトを始めると矢内原さんの考えは変わった。寿町の今をそのままを伝えればいいのだと考えるようになった。そして、切り取るのはリアルというより、寿町のポジティブな側面。

今は、寿町のために何かをしようといったおこがましい気持ちは全くないです。このプロジェクトは僕のファンタジー、僕らの表現。いい意味で寿町とギブ&テイクができればいいなと思っています。作品を作らせてもらったら、服をお礼にあげるとか

喜んで受け取ってくれる人もいれば、中には「こんなうまい話があっていいはずがない」と固辞する人もいる。その人は代わりに、自分でも服をリメイクするのでそのアドバイスが欲しいと言ってきた。こうやって、ひとりひとりと関わっている。

いろんなところにいろんな人がいるということ。作品を通じてそれが伝わればいいのかな」と矢内原さんは言う。

多くの人は、学校や会社といった何らかの組織に属することで自分のアイデンティティを見いだしている。昨今、様々なニュースを見て感じるのですが、その枠から外れられなくなった時に人は絶望してしまうのでしょうね。でもたくさんの生き方がある。何が幸せかなんてわからない。なんでもありなのが世の中だって知ることができたら、ハードルが低くなって生きやすくなるのではないかと思うんですよ

それを表現することが、インクルージョンになるのではないか。

ポートレートを撮り貯めて、ゆくゆくはファッションのブランドブックのようにカッコいい装丁の写真集を作りたいと考えている。そして、もうひとつやってみたいことが、作品を屋上看板などにして街に大きく発信すること。それも横浜の表のエリア、みなとみらいの方に向かって。

寿町で撮った写真を、何の説明も前触れもなく、ゲリラ的に、アートとしてパブリックな場所で展示したい。今建設中の市庁舎の仮囲いにこの写真が並んだりすると、面白いだろうなと思っているんです

街の表と裏の風景が混ざり合う。これもインクルージョンだ、きっと。

 

自分のスタンス

矢内原さんはファッションデザイナーとして自分のブランドを運営しつつ、舞台衣装を作ったり、産業振興、まちづくりなどのプロジェクトのデザインコンサルティングなども手がける。

震災後に東北での建築プロジェクトにNPOの理事として関わることがあったけれども、十分に果たせなかったという後悔があります。モチベーションや自分の本業との兼ね合いで、最終的なふんばりがきかなかった。たぶん自分の身の丈を超えた志であり、活動だった。そこで思い知ったのは、結局僕はデザイナーで、エゴイストで、自分が“主語”にならない活動はできないということでした

生まれ育ったり、家族がいたりして、関わりの深い土地の“自分ごと”として考えることができなければ、まちづくりなどには関わるべきではないと悟ったそうだ。

何もできなかったという反省はしながらも、それが分かっただけでも東北のプロジェクトは有意義だったと思っています。だから今は実家がある今治市と愛媛県、現在仕事と暮らす場としての横浜にこだわって、プロジェクトに関わっています

これが矢内原さんのスタンス。正直な人だ。できる、できないをきちんと判断するということは、自分を追い込まないためにも必要なこと。自分らしく生きていくための才能のひとつと言えるのではないだろうか。

そのスタンスの取り方は寿町のプロジェクトでも発揮されている。矢内原さん曰く、寿町は関わるのがとても難しい場所なのだそうだ。そこで暮らす人たちの複雑な事情ばかりではない。加えて、支援に携わる人々や団体のイデオロギーや倫理観、目標、実践の方法などがあまりにも多様なためだ。「寿×ファッション」のプロジェクトを始めると言ったら、明るく純粋に「面白いね~」と言ってくれた人、その一方で意味をすごく深読みをする人もいて、寿町にいる人それぞれの思い、思惑は異なる。

どの人たちともフラットで良好な関係性を保ちながら、プロジェクトを進めていくためには、自分のスタンスをはっきりと決めて表明し、揺るがないことが肝要だと矢内原さんは言う。

これはひとつの比喩ですが、目の前に倒れている人がいるとする。僕は実際に手を出して起き上がらせてあげられないけれど、それができる人は今すぐに呼んできます、というスタンスなんです

こうやって決めた一線は守りながらも、たくさんの人たちと関わることによって、コミュニケーションの力がついてきたと感じている。

寿にいる人たちは千差万別。この街のみんなとコミュニケーションできたら世の中の人全部とできるだろうなと思いますよ(笑)。コミュニケーションのトレーニングをさせてもらっている感覚です

「今寿町で鍛えられています」

 

 

ファッションの仕事

人間は自分の背中を、鏡などを使わない限り、見ることはできない。矢内原さんが言うには、自分の体は約50%しか肉眼で直接見ることができないそうだ。

人は自分のことは近すぎて見えない。そんなあやふやな自分という存在を誰かに、何かに規定してほしいと思っている。自己表現というより、自分をアイデンティファイするもの。下着でも、作業服でも、自分が身にまとうもの全て、それがファッションだと思うのです

普通なら自分の身の回りのものに、人の名前がベタベタとついているのは耐えられない。でも服には名前の入ったタグがあって、それが襟筋に張り付いていても着ている人は気にならない。なぜか服だと許される。体と同様、近すぎて見えないからだ。

どんなジャンルのことであれ、僕のやっていることは、自分がどんなものを着ているのか、よくわかっていない人に“そのコートじゃなくて、こっちですよ”と言いに行く仕事なんですよ

これも比喩だ。人を組織と言い換えることができる。今やっていることやイメージがキャラクター、ポリシー、現代性、社会のニーズに合っているかなどを判断してアドバイスする。業種は違えども、ディレクションをする方法に変わりはない。

その判断は感覚的なものですけれど、それを裏付ける説得力がなければいけない。僕にとってその力となっているのが、ファッションデザイナーとしての経験です。ファッションの仕事というのは年に2度、ブランドの規模にもよりますが、シーズン毎に60、70アイテムを発表します。コンセプト作り、生産からプロモーション、販売までの最初から最後までを約3ヶ月という短スパンで回さなければいけない。これを20年以上続けている。僕の実験の場でもあり、場数という意味でも鍛えられてきました

愛媛県にいた高校生の時からファッションには興味があった。その当時からブランドの店に入り浸り、店員さんから「この靴なら、どこにでも行ける」と言われて買ったお洒落な靴を、山にも海にも履いて行って「そういう意味じゃない」と叱られたエピソードを笑いながら話す。

アートにも興味がありました。宇佐美圭司、荒川修作岡崎乾二郎などに影響を受けました。でも進学する時に、現代美術って学校で何を習うことなのかがわからなかった。服の作り方なら習える気がした。だから服飾の学校に行きました

最初はただ好きだったファッションを、先ほどのように言葉で定義づけられるようになったのは、それほど昔のことではない。時間と経験によってだんだんとわかってくることがあるからだと言う。

この『KOTOBUKI INSIDE』のプロジェクトも時間を経るうちに、矢内原さんの思いに変化があるかもしれない。数年後、完了した時にまた話を聞いてみたい。

そんな矢内原さんの中に大事な不変の実感がある。

僕が社会とジョイントできる方法、それは結局服を作ることだと思うのです

これからもこの人はたくさんの色とりどりのコートを作り出して、ひとりひとりに羽織らせていくのだろう。

                         (文・田中久美子)

 

『KOTOBUKI INSIDE Project』写真展

日時:2017年4月30日(日)まで 10:00~18:00
会場:象の鼻テラス
住所:横浜市中区海岸通1丁目
アクセス:日本大通り駅(みなとみらい線)徒歩3分

http://yan.yafjp.org/event/event_38527