横浜美術館 開館30周年 特集 社会環境の変化を受容しながら「みなとみらい21地区」で歩んできた美術館

Posted : 2019.10.25
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1989年(平成元年)に開館した横浜美術館は、今年30周年のアニバーサリーを迎えた。横浜美術館が位置する「みなとみらい21地区」は、この30年で大きな発展を遂げ、一方、美術を取り巻く社会の状況はよりいっそう劇的に変化してきたといえるだろう。そこで、横浜美術館が歩んできた平成の時代を振り返り、社会環境の変化を受容しながらこの街で果たしてきた役割とその価値、さらに今後の展望について、逢坂恵理子館長にインタビューをおこなった。

撮影:笠木靖之

 

——今日は初めて横浜美術館の応接室に伺って、お話をお聞きします。この壁に架けられている作品は美術館のコレクションでしょうか?

私の個人コレクションなんです。館長に就任したとき、私も収蔵作品から好きな絵画や写真を選ばせてもらえたら素敵だなと思ったんですけれど、「空調や紫外線を24時間管理できない部屋なので設置できません」と言われました(笑)

——それを聞いて横浜美術館の信頼度がますますアップしました(笑)さて、今年開館30周年を迎えた横浜美術館ですが、「みなとみらい21地区」で歩んできたこの30年の軌跡について、逢坂さんはどのように見てこられましたか?

横浜美術館は1989年11月3日に開館しました。当時、私自身はICA名古屋というスペースのキュレーターをしていました。全国の地方自治体の文化事業として、さまざまなユニークな美術館が建てられ始めた頃ですね。とはいっても、その頃はいまの「みなとみらい21地区」には、ランドマークになるような建物もなければ、みなとみらい線も開通していなくて、横浜博覧会の跡地の雑草の生えた荒れ野にぽつんと美術館が建った、という印象でした。

 

——荒涼とした港湾地区に威厳に満ちた丹下健三建築が忽然と現れて、近未来SFのような光景だったと私も記憶しています。

周辺に何もない代わりに、海を見渡せるカフェからの眺望は素晴らしく、晴れた日には遥か遠くに冨士山も見えました。その後、「みなとみらい21地区」の都市計画は美術館を中心に急速に発展していきます。まるで絵本の『ちいさいおうち』みたいでしたね。

 

——開館当初から現在まで、横浜美術館が大きな柱として掲げてきたこととは何でしょう?

近・現代美術の鑑賞だけでなく、みる・つくる・まなぶという三位一体の活動を同時に進化させてきたことが横浜美術館の新しさだったと思います。まず、市民や子どもたちへの創造支援を目指すアトリエ施設を設置して、ワークショップなど創作プログラムを充実させてきました。それから、美術の調査・研究とともに、美術図書や映像資料を収集する美術情報センターを公開しています。開館当初から最先端のメディアを備えた映像モニターのブースがあったことは、当時としては非常に画期的でした。

展示室 撮影:田中雄一郎

子どものアトリエ 撮影:笠木靖之

美術情報センター 撮影:笠木靖之

 

——所蔵コレクションにも、横浜美術館ならではの独自のテーマがあるのでしょうか。

国際的な港町である横浜にふさわしく、1859年の開港以降の美術に焦点をあてて、作品の収集や展覧会をおこなっています。なかでも、日本の写真興隆期における一大拠点のひとつである横浜の美術館として、優れた写真コレクションの形成に努めてきました。近年、国内外の美術館に所蔵品を貸し出すことも増えています。内外の美術館へアピールできる展覧会をつくり、且つ専門的に交渉すべく、館内を横断するチームを立ち上げました。「昭和の写真コレクション」を海外の専門家や鑑賞者向けに構成したコレクション展がカナダの国立美術館で開催中です。

HANRAN展ポスター

 

——来館者はコレクション展の鑑賞にじっくりと時間を費やすことも多いです。たとえば2017-18年のコレクション展「全部みせます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」はほんとうに充実していて、多くの人に観てもらいたい!と強く思わせる内容でした。

横浜美術館コレクション展「全部みせます!シュールな作品」展示風景  撮影:加藤健

 

約1万2千点の所蔵品から、年間を通じて、テーマごとに展示を構成するコレクション展を開催していますが、その企画にも時代性が反映されています。過去には常設展と呼ばれていた所蔵品展ですが、いまでは特徴あるコレクション展は美術館の新たな魅力になりました。

それも、分厚いコレクションについて日頃から研究を重ね、同時開催する企画展やその時々に合ったテーマを提示することのできるプロフェッショナルの人材があればこそなんです。たとえば、横浜美術館が横浜トリエンナーレの会場になって、展示でコレクションを組み合わせることができるようになりました。温湿度管理のできる会場ということもありますが、コレクションを熟知しているということもあります。

——各専門家がチームとなって総合力を発揮しているという訳ですね。

私が赴任する1年前の2008年に指定管理者制度が導入されまして、ちょうど運営の効率化や予算の立て直しがおこなわれるタイミングでした。この制度では、美術館の運営予算と収支のバランスを確保し、特に集客性において高い目標設定が不可欠となります。目標を共有することによって美術館全体の相互協力によるチームワークと責任感がいっそう高まったと思います。

 

——激動の時代と共に歩んできた横浜美術館ですが、逢坂さんが館長に就任してからちょうど11年になります。館長就任からここまで、もっとも苦労したことや喜びを感じたことは何でしょう?

なんといっても、2011年、東日本大震災後の横浜トリエンナーレです。2001年から開催されてきた横浜トリエンナーレが4回目にして横浜市に主軸が移り、横浜美術館が主会場のひとつになった最初の年でもありました。震災と原発事故の直後から、アーティスティック・ディレクターの三木あき子さんがヨーロッパなど世界各地をまわって、参加を予定していたアーティストたちに状況を説明したんです。

——結果的にアーティスト全員が引き続き出展を快諾したことを伝え聞いて、真摯な説得力に感服したことを覚えています。

全スタッフが実現のために努力しました。開幕前夜、お客様が誰も来なかったらどうしようと不安だったのですが、朝になると美術館の前に行列ができていて。目頭が熱くなりました。またこの年の横浜トリエンナーレは、私は総合ディレクターとして、三木さんはアーティスティックディレクターとして、日本では初めて2人の女性ディレクターが企画をした国際美術展でもありました。崖っぷちの心境でしたから感動もひとしおでした。

ヨコトリ2011 ウーゴ・ロンディノーネ《月の出、東》2005  ヨコハマトリエンナーレ2011展示風景
協力:the artist and Galerie Eva Presenhuber, Zürich ©the artist
撮影:木奥惠三 写真提供:横浜トリエンナーレ組織委員会

 

——横浜トリエンナーレ以外では、印象に残ったのはどの展覧会でしょうか。

2011年は、「プーシキン美術館」展も予定されていましたが、開催直前に発生した東日本大震災の影響で中止になったんです。そこで急遽、当館のコレクションで構成し企画した「生誕120年記念 長谷川潔展」を開催することになりました。美術館にとってコレクションすることが大切であることをあらためて感じる機会となりました。

コレクション展といえば、「村上隆のスーパーフラット・コレクション」展(2016年)も強烈に記憶に残っている展覧会です。1,000点を超える膨大な展示作品を扱う展覧会はこれが最初で最後の経験かもしれません。

「生誕120年記念 長谷川潔展」展示風景

「村上隆のスーパーフラットコレクション ―蕭白、魯山人からキーファーまで―」展示風景 撮影:加藤健

——逢坂館長ご自身がキュレーションを手がけた展覧会ではいかがでしょうか?

2015年に「蔡國強展:帰去来」展を実現できたことは本当に良かったと思っています。オープニングをひかえ、美術館内のロビースペース、グランドギャラリーで火薬の爆発によって描く大がかりな作品を公開制作しました。その日はNHKの中継なども入って、大きな注目を集めました。普段の美術館では館内で爆発させることなどもってのほかなので丹下健三建築の堅牢な石造りのデザインと構造がこれほどありがたいと思ったことはなかったですね。蔡さんは1980年代から知っていますが、今回は着色した新しい火薬絵画や日本初の作品を展示できたことが嬉しかったです。

火薬絵画《夜桜》(2015年、火薬、和紙、800×2400cm、作家蔵)の爆破  Photo by KAMIISAKA Hajime

 

——横浜美術館館長としての逢坂さんの活動や役割について、どのようにお考えでしょうか?

美術館には、時代と共に変化する側面と、変わらずに堅持する側面があります。そのなかで館長には全体を俯瞰する使命があると考えています。水戸芸術館芸術監督、森美術館アーティスティック・ディレクターという職を経験し、務めてきたからこそ、その時代ごとの経験は必然的なものとして横浜美術館館長の役割にも生かされ、蓄積されてきました。ただ、ひとりの館長が培ってきたメソッドのすべてが次世代に引き継がれていくとは限りません。なぜなら、アーティストとキュレーターが価値観を共有できる世代差の幅は前後20歳くらいではないかと思っているからです。よい形で次世代のリーダーへひきついで行きたいと思います。

 

——横浜美術館は2021年度に大規模改修に向けた休館に入り、2023年度にリニューアルオープンの予定です。その後の横浜美術館はどのようなものになると展望していますか?

ヴェネチア・ビエンナーレの美術展と建築展が交互に開催されるように、横浜市でも3年ごとに美術・音楽・ダンスという領域を横断する芸術祭に取り組んでいます。そのなかで、横浜美術館にとっての大きな軸は、横浜トリエンナーレなどに代表される現代美術と、印象派などに代表される近代美術の大型展とコレクションの活用かと思います。横浜トリエンナーレは2001年にスタートして以来、約20年をかけて横浜市民に浸透してきました。たとえば、現代美術やコレクションを教材とした横浜美術館と地域の学校との美術教育の連携も盤石になりつつあります。若手学芸員やエデュケーターも入ったところで、これからの若い世代への普及・振興活動にますます期待しています。

 

——最後に、地球規模で社会や環境が激変しているこれからの時代、美術の位置づけはどのように変化していくと思われますか?

AI(人工知能)が人類を凌駕する時代が迫っているといわれていますが、私は人間にしかできないことがまだまだあると確信しています。むしろ、美術館は人間性回復の場所として歩んでいってほしいと願っています。

 

取材・文:住吉智恵(アートプロデューサー・ライター)

※写真:森本聡(カラーコーディネーション)


【プロフィール】

逢坂恵理子(おおさか・えりこ)
東京都生まれ。学習院大学文学部哲学科卒業、芸術学専攻。国際交流基金、ICA名古屋を経て、1994年より水戸芸術館現代美術センター主任学芸員。その後、同センター芸術監督、森美術館アーティスティック・ディレクターを歴任。2009年に横浜美術館館長に就任。11年から横浜美術館を主会場とした横浜トリエンナーレに関わる。