芸術文化とインクルージョンvol.2 ————アートの現場から;横浜みなとみらいホールと横浜能楽堂の取り組み

Posted : 2017.03.06
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あらゆる都市において「ソーシャル・インクルージョン」=「社会的包摂」の取り組みは推進していくべき重要課題だ。「インクルージョン」は、人種や年齢、性別、障がいの有無などに関わらずすべての人が暮らしやすい社会をつくるという考え方だ。 その中、文化芸術創造都市・横浜でも「クリエイティブ・インクルージョン」という施策が打ち出されている。 前回は、横浜美術館と横浜市民ギャラリーあざみ野の取り組みを紹介したが、今回は第2弾として同じく横浜市芸術文化振興財団の管轄する、横浜みなとみらいホールと横浜能楽堂の取り組みを紹介する。

横浜みなとみらいホールの取り組み———「盲特別支援学校オルガン体験ワークショップ」

横浜みなとみらいホールは1998年に開館した全国でも有数の優れた音響特性を誇る音楽専門のホール。なかでも大ホール正面に備えた国内最大規模のパイプオルガンは、その華麗で多彩な音色が世界中のオルガニスト(オルガン奏者)から称賛され、毎年数々のオルガン・リサイタルが開催されている。

このホール自慢のオルガンを視覚障がいのある子どもたちが体験するワークショップは2010年から「横浜銀行presents こども未来ミュージック・プログラム」として続けられている。そのきっかけは何だったのだろうか。

「オルガンコンサートに来た視覚障がい者の方に、パイプオルガンはどんな形をしているのかと聞かれたこと。視覚に障がいのある人は触れることで形や大きさや材質を理解します。ぜひすべての人にオルガンとオルガニストの姿を知ってもらいたいと思いました」と語るのは、ホール・オルガニストの三浦はつみさん。

取材の日、横浜市立盲特別支援学校(横浜市神奈川区)小学部の18人が、横浜港を臨む横浜みなとみらいホール海側にある正面玄関に到着した。三浦さんをはじめ、オルガニストの石川優歌さん、野田美香さん、職員とボランティアというスタッフが出迎える。

盲特別支援学校には視覚障がいと知的障がいのある子どもたちが通っている。両方を重複している子どもも多い。幼稚園から高等部まであり、今回は小学部の4〜6年生が参加、うち10名は初体験だ。

玄関から大ホール客席までは一般のコンサートへの来場者のためにも段差の少ないバリアフリーの動線が整備されている。2000席ある大ホールの最前列に児童たちは並んで座った。三浦さんの「大きなパイプオルガンの響きを聴いてみましょう」という案内で始まり、石川優歌さんのオルガン演奏が天から降り注ぐように響きわたると、心地良さそうに身体を揺らしたり、声を上げて喜びを伝える子どももいた。

石川さんは今年度にホール・オルガニストとしての仕事の進め方や役割を学んでおり、これも「実習」の機会だ。子どもたちの演奏への素直な反応はプロの演奏家を目指す彼女にとっても大きな励みになる。

「いろいろな音が聴こえたでしょう?」と三浦さんがステージに上がるように促すと、ほとんどの子どもがはしゃぎながら客席から舞台へと階段をかけ登る。子どもたちが『発声の歌』や『さんぽ』をオルガン伴奏ではつらつと歌う。

こうした曲は、事前に学校の音楽の授業を見学に訪れた三浦さんと石川さんが、授業で歌われていた楽譜を手に入れ、オルガン演奏用に編曲をしておいたもの。子どもたちは普段慣れた曲を歌うことで、大きな空間にだんだんと馴染んでリラックスできるのだ。

そして今度はカラフルな大布でできたバルーンが舞台に広げられた。そこにいる全員がぐるりと布の端を持って輪になり、『ホール・ニュー・ワールド』のオルガン演奏に合わせ歩いたり内側に潜ったり。このバルーンも普段学校で使われている教材で、楽曲選択も含めて学校教員との打ち合わせから出てきたアイデアだ。

児童たちは既に大きさを知っているバルーンを使って大勢でいっしょに身体を動かすことで、空間の広がりを体感しているように見えた。

ここまでの導入部分で、三浦さんやオルガニストと子どもたちの交流が自然に進んでいることに気づく。どの子もホールの大きな空間にひるむことなく、のびのびと声を出し身体を動かして楽しんでいる。事前に2度学校を訪れている三浦さんたちの声を子どもたちは覚えていたにちがいない。初めての場所や体験に用心深い自閉症の子どもも含むすべての子どもたちが、心地よくオルガンの響きを楽しめるようにとの想いからの入念な準備をしているそうだ。

児童たちがホールの空間と響きに馴染んできたところで、あらかじめ分けられたグループに分かれて、いよいよ実際にパイプオルガンを体験するコーナーとなった。ステージからさらに高いところにそびえるオルガンのコンソール(演奏台)や、数千本ものパイプがびっしりと並ぶオルガンの内部にまで、誘導ボランティアが付き添って登って行く。

コンソールに近づくまでの階段はかなり急で、オルガン内部は狭いため、ホールスタッフは注意深く見守っている。子どもひとりひとりについている誘導ボランティアは、今回フェリス女学院大学や桜美林大学の学生たちが担っている。目の見えない人を誘導する歩き方は事前に練習を行なったのだという。

オルガンの大きさを知るためにオルガンケース(外周)を端から端までを触りながら歩いてみたり、オルガン内部にある大きな木製パイプを両手で抱きかかえてみたり、とオルガンの構造を知る案内が続く。「木の匂いがする」という声も聞こえてきた。

子どもたちの表情がいっそう輝いたのは順番にオルガンの演奏台に座ったときだ。

椅子に座り、足鍵盤の上に足を置く。オルガンの演奏法の特徴のひとつである「ストップ」(音色を変える装置)を動かして音の変化を試してみる。皆、躊躇せずに弾き始め、嬉々としてホールいっぱいに広がる音を味わっている。ゲーム音楽の賑やかな曲やバッハの壮大な曲を披露する子どもも。今年はこの曲をオルガンで弾こうと、練習に励んできた子どももいた。この学校の生徒はピアノや楽器を習っている率が高いそうで、めったに触れないパイプオルガンを演奏することを楽しみにしていた様子がひしひしと伝わってくる。

また、バックステージでは、大小さまざまなパイプや、ふいご、小型の据え置き型オルガンであるポジティフ・オルガンを触ったり吹いたりしてオルガンの仕組みを学んだ。パイプの匂いをかいだり、太さ長さの違いで高音や低音が作れること、空気を送り入れてパイプを鳴らす仕組みに、大喜びだ。

ここまでの写真すべて Photo by OONO Ryusuke

最後に全員が客席に戻り、石川さんのオルガン演奏ヴェルディ作曲の『歌劇アイーダから』を聴く。音楽にじっと耳を澄まして聴き入る子どもたちの姿に、ワークショップ体験を通して何か変化が起きたことが感じられた。

終了後にあらためて三浦さんに話を伺った。

「オルガン奏者になりたいと思う子どもが増えたら」という演奏家側の素朴な思いから、ホールのオルガン事業担当者とともに企画書を持って横浜市立盲特別支援学校に飛び込んだのだという。当初は当惑した学校の教師たちも、1回目を実施した以降は、このワークショップを年間予定に組み入れて授業計画を立てて、協力を惜しまないという。

ではパイプオルガンという楽器ならではの特性は、どんなふうに生かされているのだろう。

「まずは視覚障がいのある子どもも知的障がいの子どもも、みんな音楽は大好きだということが基本にあります。言葉や視覚に頼らない表現だからでしょうか。そんな音楽が大好きな子どもたちにとって、オルガンの特性はとても楽しんでもらえます。巨大なパイプが居並ぶ最大の楽器であること、風を送り込んでパイプを鳴らす仕組みの面白さ、ストップがずらりと並んでいる機能的な美しさ、ひとつの楽器でさまざまな音色が出るところ、響きが立体的で天井から降ってきたり左右から包みこまれたりするところ、こうしたことが子どもたちの興味を惹き、オルガンを通してより音楽を好きになってもらえると思います。

そしてオルガンはコンサートホールに備え付けられた建造物でもあるので、このホールを訪ねてこないと出会えないし聴くこと、触れることができないもの。障がいのある子どもたちにとって新しい場所に出かけて来ること自体も大切な機会であることを意識して、準備を整えて迎えるようにしています」

このワークショップを7年間続けてきた意味合いはどんなことがあるだろうか。

「小学4年生で初めて参加してから最長で6年間続けて参加することになるのですが、オルガンに向かって発する子どもたちの驚きの表情や、一時の反抗期での乱暴な演奏を経て、また落ち着いて自分らしい演奏をしてみせてくれるなど、成長する姿を見守ることができていることがとても嬉しいです。毎年の出会いや再会が楽しみでなりません」

音楽とパイプオルガンの持つ力に驚かされ、またその力が最大限に発揮されるようにと入念な準備を気長に続けることで、障がいのある子どもたちにとっても、音楽を届ける演奏者やホールスタッフにとっても有意義な機会となっているのだと感じ入った。

 


 

横浜みなとみらいホールinformation

横浜みなとみらいホールのオルガンに会うには———

【第207回】オルガン・1ドルコンサート

日時:2017年4月21日(金)12:10開演
料金1ドルまたは100円
出演
:デーナ・ロビンソン&ポール・テーゲルス

 

【第11弾】夜も1ドルコンサート

日時:2017年4月21日(金)19:00開演
料金1ドルまたは100円
出演
:デーナ・ロビンソン&ポール・テーゲルス

http://www.yaf.or.jp/mmh/recommend/2017/04/2071-organ-1-dollar-concert-vol207-111.php

 

【横浜みなとみらいホールへのアクセス】

住所:横浜市西区みなとみらい2-3-6
アクセス:みなとみらい駅(みなとみらい線) 徒歩3分
お問い合わせ:TEL 045-682-2020

http://www.yaf.or.jp/mmh/

 


 

横浜能楽堂の取り組み———「バリアフリー能」

「能楽」とは、「能」と「狂言」をひとつにして指す言葉で、世阿弥による大成期から約600年の歴史があり、「世界無形遺産」にも指定されている古典芸能だ。そんな能楽を誰にでも楽しんでもらいたいという願いのこめられた企画が、毎年、横浜能楽堂で開催されている。「バリアフリー能」がそれだ。

横浜能楽堂の本舞台は横浜市指定有形文化財の由緒あるもの。明治8 年(1875年)に旧加賀藩主邸に建築され、その後大正8 年(1919年)に旧高松藩主邸に移築された「染井能舞台」を復元した。140年の歴史を重ねたこの本舞台を誰もが味わうことができる機会だ。

「バリアフリー能」の開催は今年で16回目となる。誰もが楽しめるようにとのサポート態勢がとても手厚い。「介助者1名無料」「点字パンフレット」「副音声」「手話通訳」「パソコン通訳」「上演時字幕配信」などのサポートが用意されている。

このすべてが第1回公演から整っていたわけではない。開催を重ねるごとに、改善の余地や新たに必要なサポートがないかを、協力をあおいでいる各障がい関係者団体や来場者から意見を聞き、ひとつひとつサポートを増やしてきた。

2001年当初からフィードバックに力を注いできた。横浜能楽堂の事業担当者が各障がい関係団体を訪ね、改善すべきところ、新たなサポートの必要を聞く。そうした意見を取り入れて反映したのは、能舞台を点字で表記した触図(プラスチック製の立体的な構造図に点字表記が付いている)、聴覚障がいの来場者向けの字幕の配信、チラシやプログラムの総ルビ(送り仮名)表記やイラストの導入などだ。

また、2012 年からは公演終了後に「公演向上のための意見交換会」を開催している。 毎回、障がいの種類を変えて実施、来場者から直接意見を聞く。サポートの改善案や公演の感想など意見を交換し、きめ細やかな対応につなげている。

視覚障がい者向けに配布される点字パンフレットや触図など

解説時の手話通訳とスクリーンを使ったPC通訳

 

公演に先立って実施される解説時には手話通訳と字幕の両方のサポートが行なわれる。通常の公演では配布されない「詞章」(能や狂言の演者のせりふの入った台本)もふりがな付きおよび点字バージョンがあり、希望があれば事前に配布される。ゆっくりと物語の内容や台詞を知ってから、舞台を楽しめるようにとの配慮だ。

サポート態勢の充実には最新の機器も役立っている。一昨年からは聴覚障がいのある人向けの字幕配信に「メガネ型ウェアラブル端末」も登場して選択が可能となった。

聴覚障がい者向け字幕配信用のメガネ型ウェアラブル端末エプソン「MOVERIO(モベリオ)」

 

このメガネをかけて舞台を見ると、目線の高さに台詞や詞章が表示される。Wifiのような無線電波ではなく人間の耳の可聴域を超える音声を飛ばし、文字情報を表示させる。これは元々、聴覚障がい者が字幕のついていない映画(日本映画など)を楽しむ技術として使われているもので、映画作品そのものに可聴域外の音をあらかじめ混ぜることで、個々の視聴者が持つ手元の端末に字幕表示させるものである。

この技術の特性は、電波で配信する際にありがちな通信障害が起こりにくく、マナー対策で携帯電話の電波を遮断する電波装置を持つ劇場などでも使えるという画期的な技術だ。一昨年の意見交換会では、このメガネによる字幕配信を体験した人からの「能面を付けた演者の口の動きがわからないので、どちらの演者が話しているのかがわからない」という感想に対応して、今年の字幕にはどちらの人物の台詞かがわかるような工夫をして表示することになった。

日々進化する最新科学技術と600年の歴史のある古典芸能「能楽」が、横浜能楽堂で出会うのだ。

一方、メガネを装着するストレスを嫌う人に向けては、 iPad端末での字幕配信の準備もある(今年度は好評につき定員に達し、iPad端末申し込みは締め切った)。

iPadを利用した字幕配信

 

この「聴覚障がいの方向け字幕配信」サービスも、聴覚障がいの方の「膝の上に置いた台本と舞台を交互に見るのは大変」という意見に対応して、2013年から導入したサポートだ。

また、この「バリアフリー能」実施の経験から、横浜能楽堂のホームページには常時、音声と字幕付きの動画での道案内が掲載されている。

こうした取り組みが評価され、2015年には、公共劇場として初めてバリア・フリー・ユニバーサルデザイン推進功労者表彰の「内閣府特命担当大臣表彰優良賞」を受賞した。

今年も、来る3月18日(土)に「バリアフリー能」が開催される。演目は酒をめぐる甥と伯母の駆け引きが愉快な狂言『伯母ヶ酒』と、名匠宗近が稲荷明神の助けを借りて剣を打ち上げる場面が見どころの能『小鍛冶』だ。動きが多く、わかりやすい演目を取り上げている。障がいのある人は介助者1名が無料になるサービスや、それぞれの障がいに合わせたサポートが用意されるのでチケット申し込み時に申し出る。サポートを必要としない一般の能楽の初心者にとっても、古典芸能を楽しむことのできる絶好の機会となるだろう。昨年の公演終了後すぐから1年がかりで準備された、さまざまな立場の人の声を結集し、最新技術も駆使した、誰をも拒まない古典芸能の姿に出会えるはずだ。

「バリアフリー能」での触れる能面展示の様子 撮影:神田佳明

 

2つの劇場・ホール型のインクルージョンの取り組みを取材して、「“Arts for all” すべての人のための芸術」とは何かを考えさせられた。各館は、鑑賞者であっても参加者であっても、一人一人にあわせた体験の充実を目指している。いずれも当事者間の入念なコミュニケーションを取ることが、共通の入口だ。ワークショップ型のホールでは、小人数の子どもたちに時間をかけて芸術体験をしてもらい、彼らの人生そのものに届くような濃い体験を目指している。鑑賞型の能楽堂では専門家や関係団体と連携したリサーチをもとに最新技術を活用して、社会におけるインフラとして劇場の機能充実をはかろうとしている。これらは、横浜に住む誰もが芸術文化に親しめる環境づくりであり、公立劇場・ホールの使命、社会における一つの役割を示している。

(文・猪上杉子)

 


 

横浜能楽堂information

横浜能楽堂本舞台
横浜能楽堂普及公演「バリアフリー能」

http://ynt.yafjp.org/schedule/?p=1979

主催:横浜能楽堂
日時:3月18日(土)14:00~15:45
演目
狂言「叔母ケ酒」
能「小鍛冶」
料金: S席4,000円/A席3,500円/B席:3,000円
(全席指定) ※有料チケット1枚につき介助者1名無料

サポート態勢についてはお問い合わせください。
お問い合わせ:TEL 045-263-3055
http://www.ynt.yaf.or.jp

【横浜能楽堂へのアクセス】

住所:〒220-0044 神奈川県横浜市西区紅葉ヶ丘27-2
アクセス:桜木町駅(JR 京浜東北・根岸線、横浜市営地下鉄ブルーライン)徒歩15分、日ノ出町駅(京浜急行線)徒歩18分
お問い合わせ:TEL 045-263-3055
http://www.ynt.yaf.or.jp