2014-07-26 コラム
#トリエンナーレ #美術

消えゆく瞬間を慈しむ写真家・トヨダヒトシ

いよいよ8月1日(金)に開幕する現代アートの国際展「ヨコハマトリエンナーレ2014」。参加アーティストのひとり、写真家のトヨダヒトシさんをご紹介しよう。写真家といっても、撮影したフィルムをいっさいプリントせず、写真集をつくるのでもなく、スライドショーだけで作品を発表している。いったいどんな思いがこめられているのだろう。

 

 

写真への不信感

 

みんなで暗い部屋に並んで座り、前方のスクリーンに映し出される映像をいっしょに見ている。後ろのほうから、かすかにジージーという映写機の音が聞こえる。スライドフィルムを繰り出すカチャッという音がときどき聞こえてくる。

その次のひとコマを送り出すときのまちまちの間合いに、人の手の気配を感じる。あっ、誰かが映写機にはりついて、手でひとコマひとコマを送り出しているんだ。
えっ?  あのひとがトヨダヒトシさん?  写真家本人が映写機に付き添っているの?

トヨダヒトシさんの作品のスライドショーを初めて見た時の驚きだ。
どうして印画紙にプリントすることも、写真集をつくることもしないのだろうか。

「そもそも写真に対しては疑いを抱いていたんです」とトヨダさんは語ってくれた。
写真に対して危険性を感じていた高校生のトヨダさん、このころはまさか自分が写真家として生きていくことになるとは夢にも思わなかった。

「だって、写真というのはたった1/30 秒といった一瞬を切り取ったもの。それもある方向から見たものに過ぎないのに、それがまるで永遠の真実であるかのような顔をしてそこに残るから」

そのころ必死に探していたのは「生きる」ことの意味だった。

「とても青臭い考え方に行き着きました。自分のそれまでの人生は『ありがとう』と他人に言うばかりだったと気がついたので。孤独を癒してくれたラジオからの音楽に『ありがとう』、読んだ本の1行の言葉に救われて『ありがとう』、旅先で手を差し伸べてくれたおばさんに『ありがとう』と。
大人になったら、『どういたしまして』と応えられるようになりたい、それが生きるということの意味なんじゃないかと思い至ったんです」

「ありがとう」と言う側から「ありがとう」をもらうことのできる人間に、「どういたしまして」を返す側になろうと決意したものの、その方法が見つからなかった。

 

 

ニューヨークに人生を探しに

 

それを探しに21歳のトヨダさんが向かったのはニューヨークだった。

この時は「この街ではきっと何か見つけられる」という手応えは感じたものの旅の資金が尽きて帰国する。もう一度ニューヨークの地に降り立ったのは1年後。実際にニューヨークに住んで生活をしたいとの願いだった。

ニューヨークでの生活が始まり5ヶ月ほど経った時にはトヨダさんには胸の中に吐き出したい思いが溜まっていた。たまたま友人から借りたカメラで何百枚もの写真を撮った。そして、その写真を眺めていたトヨダさんは、写真の持つ別の意味に気づくことになる。

「誰かの手を離れた赤い風船がビルとビルの間を通った光景を撮った写真を見つけたんです。なぜその写真を撮ったのかわからずにいた。でもプリントした写真を見た時に、すっかり忘れていた大好きだった映画のことを思い出した。小学校の講堂で見た『赤い風船』という映画。少年が手を離れた風船を追ってパリの街をさまようストーリー。大好きだったこの映画のことを十何年も忘れていたけれども、僕にあの時写真を撮らせたのはこの感情だったのかと気づかされたんです」

自分なりの写真との向き合い方を見つけた瞬間だった。トヨダさんにとって写真は私的な感情を見出す対象となった。

 

日本に帰国して、写真に取り組むようになったトヨダさん。ポストカードやポスターなどの撮影の仕事も舞い込むようになり、カメラマンを生活手段にする道も見えてきた。しかし、プロのカメラマンとして器用に商業写真を撮影することは、高校生の時に決心した「どういたしまして」と言える生き方から逸れていきそうな焦燥感にかられてしまう。

この時26歳になっていたトヨダさんが向かったのは、やはりニューヨークだった。そしてニューヨークでの生活がこの後22年間に及ぶことになろうとは知る由もなかった。

「その頃の僕にとってニューヨークは街そのものが学校。いろいろなことを街から、人から、学びました」

しかし、写真を生きることの手段としようとの決意はあったものの、確固とした方法をまだ確立していなかったトヨダさんは、一時期写真から離れることになる。そのきっかけはこうだ。

「アメリカを旅しながら写真を撮っていた時のこと。
中西部の田舎町のバーに入ると、午後の陽射しの差し込むカウンターに並ぶ2人の男性。彼らの孤独や淋しさが立ちのぼるような写真が撮れてしまった。
けれど、実際にはその3秒後に彼らは大笑いをして肩を叩き合ったんです。孤独なんて嘘なのに、そんな写真がいとも簡単に撮れてしまう。
写真を撮るということが、嘘をついているような思いに囚われて苛まれました」

 

 

写真は命綱

 

そんなトヨダさんの窮地を救ったのもニューヨークだった。

尊敬する写真家のロバート・フランク、映像作家のジョナス・メカス、彼らの作品に触れ、彼らとの交友関係を持つことができたこと、そして多くの友人との出会いと会話がゆっくりとトヨダさんを救い出した。

写真の「嘘をつけてしまい易さ」に苛まれ写真を撮れなくなっていたトヨダさんだが、それでも簡単なコンパクトカメラにモノクロフィルムを入れて肌身離さずに持ち歩いていた。

「写真は僕にとって命綱のようなものでした。
宇宙飛行士が船外活動するときに命綱がないと、宇宙の彼方に吸い込まれていっちゃってもう二度と戻れなくなるような」

そんなある日、ブルックリンからマンハッタンの友人の家にウィリアムズバーグブリッジを渡って歩いて行く途中、橋の上から川面を見たら太陽が砕けて映っていた。ふと1枚撮った。もう1枚撮った。
ちょっと歩いて気になってもう一回振り返って川面を撮った。また歩きだし、今度は空に浮かんでいる雲を撮った。ちょっと歩いてもう一度、少し形の変わった雲を撮った。
そして橋を渡りきり友人の家で過ごし、帰り際に彼の写真を撮った。また同じ橋を歩いて渡って家に帰った。

単なる普通の一日の出来事。
それを撮ったフィルムをコンタクトシートに現像して、ひと続きの連続した写真を見た時のトヨダさんに、転機が訪れた。

「1枚1枚は何でもない写真だけれど、1枚1枚に意味があるのではなくて、連続性を見たときに、その時の自分の心の動きや思っていたことが写っているような気がしたんです。川面に砕けている太陽の姿を3枚撮り、その後に雲を撮ったという何気ない順番に何か意味があって、写真と写真の間にこそ何かがあるんじゃないかと」

それから思考錯誤が始まり、8ヶ月ほどが経過した後、以前の一眼レフのカメラにスライドフィルムを入れて、確信を持って毎日の日々を写真に撮り始めることになったのだ。そして撮った順番に何かの意味があり、1枚1枚の写真ではなくその間にあるものを探すという目的のために、スライド上映で発表する方法に行き着くことになる。

 

消えてゆくところを見てほしい

 

最初のスライドショーの上映は、ニューヨークのダウンタウンの駐車場だった。
ここに、「どういたしまして」「ありがとう」を交わし合い、連鎖させるための手段ができあがる。

「僕はこう思う、ということを話す方法がようやく見つけられたんです」

方法を見つけてからは、ニューヨークのあちらこちら、チャイナタウンの公園、教会、劇場といったさまざまな場所で、映写機を自分で操作して上映するライヴ・スライドショーによって長編あるいは短編の映像日記作品の発表を行なうようになる。

「それがスライドショーという形態だったのは、スライドフィルムの上映は、消えていくものだから。
撮ったものが現れるところを見てもらいたいのではなくて、それが消えてゆくところを見てほしい。
スクリーンに映し出された映像は、すぐそこにあるのに手に取れない、掴み取ることができない。
人生もそういうもの」

「こういう出来事があったけれど、これも消えて行った、という思いをいっしょに共有してほしい。
自分が撮った写真を後で見るのはその眺めを見ていた自分自身をもう一度見るということ。 どうしてあの時この眺めを見ていたんだろう、ここに何を見ていたんだろう、と過去と向き合って考えること。
1枚1枚のスライドフィルムを自分の手で送っていくのは、あの時の時間と今の時間、この2つの時間を丁寧に縫い合わせる作業でもあるのです」

あっ、スライドショーを見たときに感じたトヨダさん自身の気配や息づかい。トヨダさん自身がそこにいて、自分の過去を自分の手で送り出して、消えゆかせることに意味があるんですね。

 

アメリカの各地の映画祭や、日本の美術館、山奥の廃校になった小学校の校庭など、その発表の場は広がったが、必ずライヴ形式で作品を上映しているトヨダさん。

そしてこの8月からは、「ヨコハマトリエンナーレ2014」に参加し、横浜市内の7ヶ所で上映を行なう。
場所がちがうと同じ作品の上映でも、そのスライドを映し出すリズムや間合いはちがうものになるのだそう。
トヨダさんが何を「話す」のか。映し出されたスクリーンのはかない瞬間を記憶に刻み、消えゆく波間を味わいに行こう。

●プロフィール
トヨダヒトシ
1990年渡米。1991年、ニューヨークの国際写真センター(I.C.P.)が主催する社会人向け写真講座でナン・ゴールディンの指導を得る。1993年よりニューヨークを拠点に活動を開始。以降、写真を一切プリントせず、アナログの映写機を自ら操作し、モノとしての痕跡を残さないスライドショーによる映像日記作品を発表しつづけている。2000年より日本でも東京都現代美術館、横須賀美術館、タカ・イシイギャラリーなどでの上映の他に、山奥の廃校になった小学校の校庭などでも一貫してライヴ形式での上映を続けている。2012年より拠点を日本に移す。

【イベント情報】
ヨコハマトリエンナーレ2014
「華氏451の芸術:世界の中心には忘却の海がある」
8月1日(金)~11月3日(月・祝)
主会場:横浜美術館/新港ピア

●アーティスト・プロジェクト
トヨダヒトシ「映像日記/スライドショー」
〈開催スケジュール〉

8月9日(土)
《NAZUNA》[2004-2014]
会場;新港ピア・野外上映
(雨天の場合:横浜美術館・レクチャーホール)
最寄り駅:みなとみらい線馬車道駅
定員80名

8月15日(金)
《spoonfulriver(ひと匙の河)》[2007-2014]
会場;横浜市イギリス館(旧英国総領事公邸)
最寄り駅:みなとみらい線元町・中華街駅馬車道駅、JR線石川町駅
◎事前申込制・定員30名

9月13日(土)
《An Elephant’s Tail―ゾウノシッポ》[1999-2014]
会場:横浜美術館・野外上映
(雨天の場合:横浜美術館・レクチャーホール)
最寄り駅:みなとみらい線みなとみらい駅、JR線/横浜市営地下鉄線桜木町駅
定員60名
※トヨダヒトシさんによるポストトークがあります

9月22日(月)
《黒い月》 [2010-2014]
会場:ランドマークホール(ランドマークプラザ5F)
最寄り駅:みなとみらい線みなとみらい駅、JR線/横浜市営地下鉄線桜木町駅
定員220名

9月27日(土)
《11211》 [2000-2014]
会場:象の鼻テラス
最寄り駅:みなとみらい線馬車道駅
定員100名

10月4日(土)
《The Wind’s Path(あの風の通る道)》[2002-2014]
会場:ヨコハマ創造都市センター(YCC)
最寄り駅:みなとみらい線馬車道駅
定員100名
青木隼人さんによるギター演奏あり

10月18日(土)
《NAZUNA》 [2004-2014]
会場:横浜市開港記念会館講堂
最寄り駅:みなとみらい線日本大通り駅
定員250名

■詳しくはこちらをご覧ください
http://www.yokohamatriennale.jp/archive/2014/artist/t/artist452/

 

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