宮晶子さん(建築家)

Posted : 2010.08.25
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今回は、横浜・馬車道の大津ビルにオフィスを構え、今年の第26回新建築賞(旧吉岡賞)を受賞されたSTUDIO 2A(スタジオ ツーエー)の建築家、宮晶子さんにお話を伺いました。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年8月25日発行号 に掲載したものです。

Q. 宮さんは小さい頃、横浜にお住まいだったことがあるとお伺いしたのですが、もともと横浜のご出身ですか?

はい。といっていいのか、生まれは違うのですが、小学5年生のときに、横浜といっても東戸塚界隈の新興住宅地に、引っ越して来ました。それまでは父の転勤に伴い、西宮、東京、熊本などで過ごしていました。

Q. その頃は、創造界隈というか、この横浜の都心部のあたりに出かけてくるようなことは?

そうですね、高校生くらいになると、ちょうどここ馬車道にあったユウリンファボリ(※1)が好きで、画材や海外の文房具を買いに来ていました。丸井などもあって、「お出掛けする街」でしたね。

(※1)ユウリンファボリ:1970年代から1990年代に馬車道通りにあった文具館。

Q. 横浜にいらしたのはいつごろまでですか?

小学校5年から高校時代までずっと横浜でしたが、 大学が日本女子大で目白だったので、自宅通学でしたが、その頃から、活動の拠点は知らず知らずに東京に移っていった、という感じです。卒業してからは、最初のレーモンド設計事務所は新宿でしたし、次のアルテック建築研究所も祐天寺だったので、そのうち東京で一人暮らしをするようになりました。

久しぶりに拠点を横浜に戻したのは、事務所を独立した1997年の秋です。馬車道の大津ビルに、元勤めていたアルテックの人たちが移転することになって、大きいスペースを借りるので、OBや横浜に関係する人たちに、スペースシェアをしないかと声をかけてくださったからでした。
こちらも、六本木の再開発地区に破格の値段で借りていた部屋兼仕事場から出なきゃいけないというときで。独立したてということもあり、横浜には実家もあるので、ありがたいな、という思いで。特別、”横浜”を意識して来たというよりも、その流れの中で、そうなったんです。もちろん、馬車道であることや、大津ビルの佇まいに惹かれての決心でしたが。

Q. 横浜に戻ってきて、どのような印象をもたれましたか?

1997年に戻ったその頃は、馬車道のあたりも桜木町からこのあたりに来るまでのお店なども、高校時代とほとんどかわっていなくて、ユウリンファボリはなくなっていましたけど、バブル期を通過したとは思えない感じで。建物のシルエットというか、空の広がりもかわっていなくて、懐かしいというか、思いがけず“戻ってきた”という感じがすると同時に、私にも地元と感じる場所があるのだという感慨のようなものを感じました。

Q. それまでは、あまり「横浜」を意識することはなかったんですね。

そうですね、むしろ東京から戻ってきたときに改めて“横浜”というものを意識するようになりました。東京で過ごした後、ここ横浜で特別に感じたのは、中心部でありながら歩ける距離感で、街ができあがっているということでした。なんでしょう、やはり東京はものすごく巨大で、いろいろなモノやコトが散在していて、場所を超えて情報の強度によって、動かされるというか、体験が点と点というか、断片的なんです。

でも横浜って、距離感がある程度残っていて、歩いてあそこに行けば何かがある、実体としての都市空間があるんですね。場所と目的が距離と比例的に線でつながってネットワークされているというような。
それから、特にこの馬車道の辺りには4、5階建てのいわゆる下駄履き住宅が残っていて、1、2階の商店の上には住まいがあり、街に生活のスケールや気配が混在しているのですが、そのことが、居心地のよさにつながっているのだと気がつきました。お店の人との関係もすごく普通でいいんです。

何ていえばいいか、マニュアル化されていないし、どちらが上とか下とかいうことでなくて、モノを尋ねると、その人自身がそこで考えて、すごくフラットに対応してくれる。文房具のアルバイトのお姉さんも、コーヒーチェーン店のお兄さんでさえも、本当に普通に、皆がそういう対応をしてくださるので、それが東京のあとではすごく新鮮で、ヨーロッパの旅行中に人と接して感じるような、普通な関係、等身大の関係が都市の中に存在しているような感覚ですね。ランチにも2度目にいくと、顔を覚えていてくれる。あ、これは居心地がいいな、って心から思いました。

Q. 実際にここでお仕事を始められて、東京にいらっしゃった時から、何か変わりましたか?

何というか、自分のペースでモノを考えられる、と感じました。

Q.横浜・馬車道から、仮に東京・渋谷として、実はそんなに距離はないですよね。電車でも30分程度、結構近い。それなのに空間として、横浜と東京にそんな違いがでてくるのは何故でしょう?

そうなんですよね。都市にも人のように、それぞれもっている個性があるんですね。横浜のこの界隈には、開港以来の都市文化の歴史とほどよい規模と密度、広い空や人との関係がもたらす、ゆったりとした空気感があるからだと思います。

Q.お住まいも横浜に移されたんですよね。お仕事ではなく、生活をする街としての「横浜」はいかがですか?

そうですね、現在は戸塚に住んでいますが、できれば、この近く、野毛山辺りに住んで、馬車道あたりに職場があって、というのが理想ですね。自転車や歩きでちょうどよくて、途中の吉田町で一杯ひっかけて帰る(笑)。

Q.では、建築家として、特にこの横浜都心部の「創造界隈」エリアには、どのような面白さを感じますか? 野毛、馬車道、黄金町など、それぞれ豊かで、文化発信拠点になっている個性的なエリアがありますが。

とにかく、それらの場所が全部歩いて行ける範囲にあるというのがいいですね。忙しくて、ちょくちょくとはいきませんが、歩いて吉田町を抜けてバーで一杯飲んだり。今日は天気がよくて外で飲みたいという日には野毛まで歩いていったり。入江に面したBankARTのカフェや本屋に立ち寄ったり。建築家というより、猫的な目線ですが(笑)、そのように身体的に選べる都市の構造が、とても重要なんだと思うのです。

街全体について、起きている出来事を情報としては追いきれてはいないのですが、通りがかりに空き室が一時的なギャラリーになっているのを見つけたり、ランチに行く店の隣が突然、古本屋になっていて、聞けばそれは仮設舞台で、夜には、街全体の店が演劇の舞台になるとか(「ラ・マレア横浜」(※2))、偶発的に出会えるようなこともあって、それぞれの文化発信拠点が街全体に面的なネットワークを持ち始めているのを感じます。 このように、歩ける都市の構造に創造界隈の活動が相乗していることが、とてもいいと思います。

(※2)ラ・マレア横浜:2008年10月3日~5日に行われた、横浜・吉田町商店街の街頭(店舗内および路上)で、通り全体を会場とした街頭パフォーマンス。アルゼンチンのアーティスト、マリアーノ・ペンソッティの脚本・演出により、9つのショートストーリーが店舗内や路上に散りばめられた。
主催・制作:急な坂スタジオ http://kyunasaka.jp/lamarea/

Q. お気に入りの場所ってありますか?

大津ビルの屋上から見る港の風景というのは日常的に好きですね。
あと、何度も話題にしている野毛ですが、その道端で、飲める場所があるんですけど、そこはお気に入りで、東京の建築仲間にも大人気です(笑)。
BankART(※3)も好きですし、大さん橋(※4)も好きですね。
なんというか、特別に足を運ぶという感覚よりも、日常の中にそういうものが入っているというか。たまに東京に行って、今日は「外で食べたいな」とか、「風に吹かれてお茶したいな」とか、「道端で飲みたいな」とか普通に思っても、すぐにはないんですよ。

(※3)BankART Studio NYK
(※4)横浜港大さん橋国際客船ターミナル

Q. 港がある、というのも独特ですよね。

そうですね。夕方になると濱風が吹いてきて、空気自体も違いますね。空も広いし。そのせいか気候のいい中間期には窓やドアを明けているお店も多いですね。それが、いわゆる“ベイエリア”といわれるような特別な雰囲気のゾーンではない街でできる、というところがいい。

Q. 横浜に事務所を構えられて10年余りになりますが、横浜の街に変化はありましたか?

だいぶ変わりました。最初に私たちが来た頃、馬車道のこのエリアは、住居もありましたが、基本的にはビジネス街、官庁街の延長という感じで、ほとんど背広姿の方ばかりで。ランチにいっても、私たちみたいな、学生にはどう見ても見えないけど、ラフな格好をして、和定食を食べよう、的な人ってすごく少なくて(笑)。だから、お店の方から、「あなた方は何のお仕事をしていらっしゃるんですか?」って、よく聞かれて(笑)。今でこそ創造界隈ということで、そういう人が増えましたが、来た当時は、珍しがられました。

最近聞いたんですが、大津ビルに私たちのような設計事務所の人間が集まっているのを、横浜市の方が見て、「みなとみらい」という新しい地区にビジネス街もできている中で、この関内外という、歴史あるゾーンですが、この地域をクリエイティブな人たちの集まる場所にしようと思いついたそうなんですよ。最近まで知らなかったのですが、嬉しい驚きでした。

Q. 先駆けだったんですね!住む人が変わると、街の表情も変化していきますよね。その人たちが必要とするものが、街の中で作られたり、売られるようになったりとか。

そうですね。ABCブックセンターのような本屋が欲しいと思っていたら、BankARTさんがそのような関係の本を多く扱ってくださるようになりましたし。あとは、ユーロスペースのようなミニシアターが欲しいです(笑)。関内アカデミーがつぶれましたので…。市の計画では、今後、市のほうで、山下の方に創造界隈の一環として映像ゾーン計画(青写真?)があると聞いて、期待しています!

Q. 先駆けとしてここに居た方たちの目には、市の政策によってクリエイティブな街へ変化していく様子は、どのように映りましたか? 新しいクリエイティブ・ピープルが、どんどん街に増えてきたというのは実感できるもの?

あ、それはわかりますね。街を歩いていて、そういう人を見かけますし、事務所のとなりでは、芸大生がたむろしています(笑)。あと、Y-GSA(※5)という横浜国立大学の建築科の院が一時期、近くにあったんですが、みんなもう、ペンキ塗りたてで、服にペンキつけたままの格好で歩いていたりして(笑)、「こんなところで、何しているの!」という感じでした。真夜中のコンビニでは、見られたくない姿を見られますし。(笑)

(※5)Y-GSA:横浜国立大学大学院/建築都市スクール

Q. クリエイティブシティが始まる前の横浜にいらして、なおかつクリエイティブシティが広がっていく様子を見てきた方のお話として、非常に面白いですね。

そうですね。となりは、今、芸大ですが、その前はBankARTさんで、来た当時は、富士銀行が普通に営業していました。ATMがとなりで便利でした(笑)。
そして、富士銀行が合併でみずほ銀行になったときに、その店舗が閉鎖されて、取り壊されるんじゃないかという話もあった中で、当時の中田市長さんが市として売却を押さえられたというのを聞いて、「横浜市、やるな!」(笑)、よかったなーと思っていたんですね。それから、横浜市の方がイベントで使用なさるような時代がしばらくあって。そうこうするうちに、BankARTさんがプロジェクトを開始なさったんです。それで、「お、なんか楽しくなってきたな。」と。

Q. 本町ビル45(シゴカイ)さんもご近所で、建築家の方がたくさんいらっしゃいますよね。交流とかはあるんですか?

独立後の最初の10年は仕事に追われていたこともあって、広く交流する余裕がなかったのですが、最近は少し時間もでき、事務所をひとりで借り始めたということもあって、自然と交流が広がってきています。
今年、「house I」という住宅で、第26回の新建築賞という、以前は吉岡賞と呼ばれていた建築デザイン界では登竜門として知られている、大変うれしい賞をいただいたのですが、先日、横浜の方達が中心になって、BankARTでお祝い会をしてくださいました。横浜の創造界隈の交流をしようということもあって、そのような会をしていただけたのですが、創造界隈のみなさんがとても喜んでくださったのがたいへん嬉しかったです。

その会にいらしてくださった東京の編集関係の方は、拡散している東京にはない、密度の高い建築コミュニティの存在を感じたそうです。
仕事での交流ということでは、近しい設計事務所4社とこの界隈での仕事をする機会も出てきて、とても楽しみで励んでいるところです。

Q. 近所のクリエイターの方たちとご一緒なさる機会として、例えば2009年の「関内外OPEN!」(※6)もありましたね。今年も開催されるそうですね。

「関内外OPEN!」は、仕事場を限定で公開するというオープンスタジオのイベントだったんですが、普段は、近所でも、他の方の事務所に入るというのは、あまりないことなのです。
そういう意味で、このイベントの中で、他の事務所の仕事ぶりを見られたり、逆に自分のオフィスに来てもらった時に、プロジェクトへの意見をもらったりして、とてもいい企画だなと思いました。これまでより、少し、他の事務所に伺いやすくなりましたし。

とはいえ、まあ、ドアをノックするには、少々勇気がいりますが、近所にクリエイティブな、同じような仕事をしている人たちがいるというのは、とにかくとても心強くて。例えば、日曜の夜に事務所に来たりすると、他のオフィスの電気もついていたりして、「ああ、みんな頑張ってるな」って(笑)。自分も頑張ろう!って、そういう励ましをもらったりもしますね。

(※6)関内外OPEN!:2009年に開催された横浜・創造界隈のアーティストやクリエイターのアトリエを限定公開するオープン・スタジオイベント。2010年は「関内外OPEN!2」として、9月11日(土)、12(日)開催予定。
http://www.yaf.or.jp/ycc/openstudio/

Q. 「関内外OPEN!」というのは、市民の方たちにとっても貴重なイベントだったと思いますが、クリエイターの方たちの交流という意味でもよかったんですね。

そうですね。もっといえば、オープンスタジオ中は基本的には、事務所にいる必要があるので、次回は、入居者同士の交流の時間も設けたいね、という話が出ています。建築家同士はまあ、よく見知っているんですが、デザイナーの方とか他ジャンルの方とは知り合う機会も少ないので、そういう方たちともっと交流できたらいいな、と。

Q. 宮さんは、設計の際に「“自由”をよぶ“ずれ”」ということを意識されている、と伺いました。それがどういうことか、創造界隈の建築物を例に、もう少し詳しくお聞かせいただけますか。

建物は人間よりもずっと寿命の長いものですよね。
例えば、BankART Studio NYKは、もともと倉庫でしたが、今はギャラリーやカフェなどオルタナティブに使われています。そして、あの大きなコンクリートの柱はとても存在感がありますよね。一見、邪魔のように映るかもしれませんが、実はとても重要で、それによって場が生じます。人はそれを拠り所に、創造的主体として、その空間を生かすことができる、と思うのです。本来の目的としたものでないものや、本来の機能ではないものの“ずれ”が生み出す余白や隙間が自由な空間も生み出すのだと思うのです。
そういう空間を新築においても作っていきたいと考えています。

Q.「身体感覚を呼び覚ます建築に興味がある」ともおっしゃってますよね。

イタリアの山岳都市に行ったときに、歩くたびに刻々と見えているシーンが変わっていって、そこで、「ここに自分の体がある」という感覚を本当に意識したんですね。それはとても楽しいことだったので、自分が主体的に身体を動かして居場所を見つけていくというような。
もっと言えば、森の中を歩いていて、ポッと明るい陽だまりに出くわして、「じゃあ、ここで休憩しよう」とか、「布を広げてピクニックをしよう」とか。

そして、ここで私が興味があるのは、“人と人の集合との関係”なんです。
その陽だまりで皆とご飯を食べたりおしゃべりしながら、時には、自分はひとり少し離れた木陰で本を読んでいる。でも全く一人ではなくて、皆のざわめきや気配を感じることができる。でも本に飽きたら、すっと皆の輪に加われる。一人のようで一人でない。

そういうあいまいな状態というのが、人間は居心地がいいんじゃないかと思うのです。大勢が集まるから、「はい、じゃあ大きな部屋をつくります」、勉強をするから、「では、小さな、静かで落ち着く勉強部屋をつくります」という風に、目的毎に切り取った場所を作るのではなくて。もちろん、目的をもって作るのですが、それだけではない、そういう中間というか「選択可能な状態」が人間は心地いいんじゃないかと。かつ、押し着せられてそうなっているのではなく、たまたまそうなっている、これが理想じゃないか、と。

ただ「建築」は計画をしなくてはならないもので、機能も目的も使命もあるので、「解」が求められます。その中でできるだけ、「計画された」というような一方通行ではなく、偶然そうなっていて、たまたま素敵で、皆楽しくて、なおかつ、身体的に発見していけるというような開放的な在り方を探していきたいと思っています。

Q. 変幻自在で、多様で、豊かな空間…。都市のような多くの人が集まる空間というのは、さまざまな居場所が生み出せる可能性を求められている、と。

そうですね。建物の中だけでなく、街との関係、建物の境界でも、その曖昧に開く関係を提案していきたいです。今は、都市化が進み、建物がどんどん閉じていると思うんですね。日本の都市は、ヨーロッパのような広場までは取り入れなかったので、基本的には、道と建物ばかりなんです。いわゆるガラス張りというのも、開いているようで実は閉鎖的です。

なので、建物の境界が重要で、街への居場所というプレゼントをつくりながら、建物の中に、いつでも参加可能で、でも選択もできるというような、新しい関係をつくり込んでいけたらいいと思うのです。
Q. もし街がそういう建物で構成されたら、常に新しいエネルギーが生まれるような気がしますね。建物と街がひとつの装置のような役割を果たす感じがします。

袖触れ合って、ものごとが少しずつ伝搬していく、という感覚がいいなと思っていて。「関内外OPEN!」は、そういうきっかけとして、体験としてはすごくいいと思ったんですね。人が、境界なく建物の中に入ってきて、普段は出会わない人が出会って、交流できる。これが、イベントでオープンという期間限定でなくても、日常的に、自然に、街と建物の中とが、“見える”ような”見えない”ようなで、緩やかに開いていくことが出来ないかと。

建物、つまり建築って、作り方次第で、人と人の関係を誘発することもできるし、逆に閉じてしまうこともできる。そういう機能を持っているんですね。そういう意味で、建築物は、重要だと思っています。
なので、つくりかたによっては、そのめざす中間の状態ができると思うのです。
そこのところを提案していきたいという気持ちが強くあります。

Q. かつては縁側とか土間のような外と内の間のようなスペースがありましたよね。

そうなんです。昔の日本の空間の作り方ってすごくいいと思うのですが、まさに縁側とか。でも、これを、都市化されたときに失ってしまった。
なので、それらに代わる何か新しい空間の手法が必要なんです。何か奥行きをもって開いたりとか、ぱっと見えるところがあるけど奥の方は見えないとか。そういう、段階的な開き方、重層的な奥行きというのを作ろうとしています。
そういう意味で、今は「壁」を断片化することで、日本の昔の奥行きだったり、つながりだったりというような「空間の質」というものを、現在の都市、社会との関係の中で考えています。

Q. 完全に密閉されているより、少し開いているほうが、交流がなかったとしても、「あそこの家、何日も締め切りで、どうしたんだろう?」ってことにはならない(笑)。

窓も可能性があるとは思います。でも、普通、窓の場合は、内側と外側とがはっきりわかれるので、受動的に「覗かれている」、もしくは向こうの人も見たいわけでもないのに「覗いちゃった」という感覚になりやすいんですね。
ところが、壁柱や断片化された壁の場合は、それこそ森の中のような関係が生まれるんです。
壁が立っていて、隠れたり見えたりというのが、同じ地平のつながりの中で行われているという感覚があるんです。

「house I」(第26回新建築賞受賞作品)

「house I」(第26回新建築賞受賞作品)

住まわれてからも、皆さん、意外に気にならないって言ってくださって、日中はカーテンをかけないままで過ごされています。やはり空間のもっている質や機能の作られ方によって、人との関係、心理的なものも変わってくるんだと思います。

Q. これまでは、個人の住宅を多く手掛けられていらっしゃいますが、不特定多数の、いろんな方達が行き来する空間、地域というものにも、強いご関心をお持ちですよね。今後、もし、横浜で新しい取り組みをされるとしたら、どこでどんな事をしてみたいですか?

一晩考えたいご質問ですね(笑)。どこでもなんでもやりたいです!

うーん。例えば、たちまち改善という点で思いつくのは、関内駅ですね。関内駅から馬車道や伊勢佐木町に抜けるときって、狭い通路でアクセスしにくい状態になっていて。特に伊勢佐木町に行きにくいんですよ。そこを変えれば、もっと人の流れが変わると思います。関内駅には、スタジアムや市庁舎など、人の往来の多い駅という意味でも、もっと、地域に開かれるといいですよね。
駅はもともと、多くの人が行き交うところですが、今後は、ICカードの発達もあって改札という機能から人が流動的に交流できる場所になってくるんじゃないかなと思いますので、そういう意味でも、駅には関心があります。

Q. 本来の機能だけではなく、そこに人が行き交うことで新しい何かが生まれるような、そんな空間づくりですね。

思い思いに過ごす人がいっぱいいる景色っていいと思うんです。美術館であってもオフィスであっても、どのような建物でも、「関わり」をつくっていける空間づくりをやっていきたいと思っています。

宮さんの考える建築や街には、人の気配やぬくもりの感じられるほっとする空間がたくさん生まれそうですね。そういう空間がどんどん増えていけば、開放的な暖かみのある横浜らしい街になっていきそうですね。今後のご活躍をとても楽しみにしています。

プロフィール
宮晶子さん宮晶子[みや・あきこ]
兵庫県生まれ。日本女子大学住居学科卒業。
レーモンド設計事務所、アルテック建築研究所を経て、1997年 STUDIO 2A設立。
現在、横浜国立大学、東海大学、日本女子大学非常勤講師。「那須の山荘」で、1999年に栃木県マロニエ建築奨励賞受賞、 2000年にAMERICAN WOOD DESIGN AWARD CITATION AWARD受賞、2001年に日本建築学会作品集入選。2004年「kogota seminar house」でSDレビュー入選、2004年「ZEBRA chair」で杉コレクション優秀賞受賞。2010年「house I」で、第26回新建築賞(旧吉岡賞)受賞。

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年8月25日発行号に掲載したものです。