亀井岳さん(映画監督)

Posted : 2010.04.26
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今回は、2010年5月8日より、横浜ジャック&ベティにて公開される映画「チャンドマニ」を制作した亀井岳さんにお話を伺いました。

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年4月26日発行号 に掲載したものです。

Q. この映画はどんな映画ですか?

©2009 FLYING IMAGE

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時代設定は今。現代においてモンゴルでホーミーを唄う二人の若者。一人は、首都ウランバートルでホーミーを唄うスター歌手のダワースレンという若者、そしてもう一人はホーミーの故郷といわれている、ウランバートルから約1500km離れたチャンドマニ村出身の若者ザヤー。この二人の若者がバスに乗って、チャンドマニ村に向かうという設定で、ホーミーやモンゴルの伝統音楽をテーマにしたロードムービーです。

Q. この映画は、ストーリーはフィクションなのですが、登場人物は全員実名で、しかも役柄としては本人そのまま。フィクションとノンフィクションが入り混ざるような構成ですね。

はい。ゆるやかなストーリーで、何か大展開するようなものがあるわけではないのですが、ドキュメンタリーの部分もあるし、フィクションのシーンの部分もあると。ご覧になると最初は困惑するかもしれません。僕としては、よりリアリティのあるシーンをいっぱい撮りたかったので、ドキュメンタリー的なシーンがたくさん入ることになった。ほとんどの役者が素人なので、演技としては非常にぎこちないところもありますが、味のある見所だと思って楽しんでいただければいいな、と思っています。

Q. フィクションが入り混じっているのは、例えばどんなシーンですか?

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この映画の二人の主人公、ダワースレンとザヤー。彼らには、ストーリーの中で役を演じて旅をしてもらっています。ただし、ザヤーのお父さんのダワージャブという方(モンゴルでも有名なホーミーの名人)や、西モンゴルの最も大きな街であるホブドの劇場の有名人であるセンゲドルジさん、それ以外にも知られざる遊牧民の名音楽家たちに朗々と唄っていただいたり、演奏いただいたりしているシーンでは、ストーリーから完全に切り離された中で、彩りをつけるというか、モンゴル遊牧民の文化を深く知っていただいたり、楽しんでいただくという意味で登場してもっています。

Q. ホーミーというのはどういう音楽なのですか?モンゴルの人たちにとってはどのような存在?

ホーミーはいわゆる「のど歌」と言われるものです。西モンゴルとその周辺の国々に広く見られるものです。モンゴルの西北の方に旧ソ連のトゥバ共和国、ハカス共和国という国があって、特にその一帯で広まっています。
実は、今なお謎が多い芸能で、どこが起源かというのは諸説あり、学術的論争のテーマにもなっているんですね。でも、モンゴルの方はチャンドマニ村が故郷であり、モンゴル人あるいは西モンゴルの方たちにとってのアイデンティティとなっているようです。

Q. ストーリーとしては、モンゴル人の心の故郷である「チャンドマニ」村へ、首都で活躍する一人の若者ダワースレンが訪ねていく旅に、チャンドマニ村出身の若者であるザヤーが偶然同乗する。そういうロードムービーですね。

©2009 FLYING IMAGE

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そうです。実は今のモンゴル、特に首都ウランバートルには海外からお金や人がどんどん流入しています。一方、伝統的な「遊牧」というのは非常に過酷な生き方なので、この過酷な遊牧を捨てて、現金収入を得ようと、ウランバートルに人がたくさん集まってきているんですね。

で、さらにいえば、ホーミーをする遊牧民というのはどんどん少なくなってきて、もうほとんどいない状況なのではないかと思います。ところが、矛盾するようですが、ホーミーをする人はどんどん増えている。つまり、お金を得るプロの芸能としてホーミーを習う人が増えているんです。こういうことを背景としていて、この映画は実はモンゴルの方にも観ていただきたい。ストーリーの中では、ダワースレンは、遊牧民ではなくプロの音楽家ですから、自分のアイデンティティを求めて西に向かう。ザヤーは田舎から出稼ぎで都会に来ているんですが、もう一度遊牧あるいは故郷とはなんだろう、というところで、二人がチャンドマニ村に向かうということになっています。

Q. ダワースレンはとてもハンサムですよね。モンゴルでは人気スターという感じなのですか。

ホーミーがウランバートルにおいて、日常どれだけ聴かれているかというと、日本における沖縄民謡のようなものだろうと思います。沖縄民謡を好きな方は多いと思いますが、誰もが日常で沖縄民謡を聴いているわけではないですよね。実は今、モンゴルでもヒップホップのような音楽がすごく流行していて、若者に人気がある。そういう意味でも日本における沖縄民謡や民謡とすごく近い存在じゃないかと思っています。

Q. そもそもモンゴルとは、どんなご縁だったんですか?モンゴルとの出会いについてお聞かせください。

モンゴルのことは、実はこの映画を撮りはじめてから勉強した部分が多いです。
モンゴルとの出会いは2005年です。当時、僕は石川県金沢市にいました。ある日、僕が行き付けのすし屋ですしをつまんでいると、金沢大学にいたモンゴルの留学生がふらっとこの店に入ってきた。そこで彼と僕はすごく飲みまして(笑)。そのときにモンゴル人って面白いなーと。それがきっかけでした(笑)。

Q. それがモンゴルに行くことに?

その頃は、よくある感じで、酒の席で、「モンゴルに遊びにきてよー。」、「うん、いくよー。」っていうようなやり取りだったんです。ところが、2006年ですか、僕は当時ニューヨークにいたんですが、彼から連絡があった。今年、モンゴル800周年だから、来いと。ナーダムという面白い祭りがあるから、観に来いと(笑)。

Q. いきなりですか(笑)。

僕はなんかタイミングかなーと思っちゃった。それで、アメリカからまず日本に戻って、それからすぐにモンゴルに向かいました。でも、このときすごく苦労したんですよ(笑)。
やはり、800周年ということで、ビザが不要になっていたので観光客が大勢渡航していて、日本ではモンゴル行きのチケットが取れなかった。それで、僕は一度北京に飛んで、北京でウランバートル行きのチケットを買って、行きました。大変だったんですが、まあ、行きました(笑)。これが初上陸です。

Q. お祭りはどうでしたか(笑)?

毎年夏に行なわれる祭りのことをナーダムというそうで、モンゴル相撲、弓矢、それから競馬、この3つが中心になっています。特に800周年ということで、これらが大々的に行なわれていましたよ。
で、実は、僕は、モンゴルに着いたその日にトゥメンエフ劇場というところで、映画の主人公の一人、ダワースレンのホーミーを聴いたんですよ。僕はもともとホーミー愛好家というわけではないし、CDとかをたくさんもっているわけでもないんですね。それなのに、初めてモンゴルにいったその日に劇場で彼のホーミーを聴いた。

で、ちょっと、衝撃を受けました。どういう衝撃かというと、その、すごく抽象性を感じたんですね。その抽象性とはどういうことかというと、その抽象性という窓からすごくたくさんの大きな具象のイメージが広がるゲートになっている。それを聴いて、「なんやこれは」と。ばーっといろんなことが頭の中をめぐりました。

Q. ホーミーは、歌詞のない歌ですよね。

はい。でも後できけば、それは有名な曲だったそうなんですね。でも、僕は初めてだったからそれは知らなくて、音楽なのか音なのか、自然の何かを表しているのか分からないような衝撃がずばーっとあったんですね。
で、すぐさま、ホーミーはどこでできたんだろうか、と。こんな凄まじいものができたところに僕は行ってみたいと。で、そこに立って、僕はどう感じるだろうか、ということにものすごく興味を持った。

その後、金沢時代に知り合った例の友達と一週間くらい、ゴビ砂漠を旅したりしたんですが、その後に自由な時間ができたんですね。そこで、僕は「チャンドマニ村に行きたいんや」と言いまして。そしたら「遠いぞ」と(笑)。僕はそんなことは平気なので、「いやいや平気だ」と。
それで、この映画にも出てくるロシア製のバスに乗りまして。ウランバートルの市場から出ているんですが、1500km、これは東京から沖縄くらいの距離です(笑)。それをずーっと、3日間くらい走り続ける。2人ドライバーが乗っていて、休み休み交替しつつずーっと走っている。

Q. 何人くらい乗っているんですか?

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僕のときは比較的空いていました。20人くらいでしたが、普通は詰め込まないと発車しないようなんですが。この2泊2日のバスの旅が、とにかく楽しくて。夜になったらみんなで歌をうたう。で、食べ物をみんなで分け合う。夏でしたが、夜になると結構寒いんですね。こう、隣のおばちゃんと抱き合いながら寝たり。ずーっと走っていますから、寝るのもバスの客席です。で、たまにゲル食堂で休憩してお茶を飲んだりするんです。

僕は中国や韓国も好きなんですが、中国人や韓国人をすっとばして、なんか日本人にものすごく近いような感じを覚えた。こうやって、肌で接していると思うようになってきまして。これって何なのかなーと思い始めて。
トイレとかも、隠れる所もない草原ですから、女性でもデールという民族衣装で隠してささっと済ませる。そういうのがすごく潔いし、食事も乳製品や羊の肉を必要なときに必要なだけ食べる。

潔いという字は清潔の「潔」ですが、自然との関わりあいに清潔感を感じるんですね。で、そう感じるようになったら、もう、どんどんのめり込んできまして。「遊牧民である彼ら、モンゴルの人たちはなんてすごいんだ」と思うようになって。で、その結果ですね、ホブドという、ウランバートルから、モンゴルの大都市の西の一番大きいホブド県のホブド市というところまで行きまして、そこから今度はジープに乗ってチャンドマニ村を目指す。ホブドからさらに6時間くらいかかるんです。

Q. ほぼ4日間の旅なんですね。

そうです。で、もちろん僕はモンゴル語なんて分かりませんから、ホーミー的なものをやってみせた。「ホーミー。」とかだけ言ってみたりするんですよ。発音も全然できないのに(笑)。
そしたら、「ダワージャブという名人がいるからそこに連れて行ってやる」と言われて。6時間くらいかけて連れて行ってくれた!

Q. モンゴル語が一つもできないのに、すごい展開ですね!

夜の10時くらいに村に着く。ちょうどそのくらいに日が沈むんですね。その薄ら明るい中、広がる草原にゲルがぽつんとあるんです。そこにジープでぐーっと向かう。あー、ようやくダワージャブさんという名人に会える。長い旅だったけどようやくホーミーが聴けると。
そしたら、中から、奥さんと娘さんが出てきて、「ダワージャブさんはウランバートルに行って居ません」って言われるんですねー(笑)。

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ほんで、あー・・・って力も抜けてしまうんです。で、我ながら日本人だなーっていう瞬間で、まず「今日、どこに泊まろう?」って思いました。6時間かけて街から離れて。でもそんなこと、向こうはなーんにも心配していない。今日はここに泊まれと。それが普通なんです。結局そのゲルに2、3泊させてもらいました(笑)。
で、草原の中にゲルがあって、草原の上に寝ているわけです。そして星がいーっぱい見える。

さびしいのかなあ、と思っていたけども、夜になると、そのゲルを百頭も二百頭も羊やヤギが囲っていて、この羊やヤギが、咳をしたり、くしゃみをしたり、ゲップしたりするんです!そしたらざわめきがばーっと群れに広がる。ざわめきのなかで家畜と一緒に寝てるんですよ。だから、ぜんぜんさびしくない。
この不思議な空間の中で、自分が身を投げ出して寝ている。 翌朝起きたら、40キロくらい離れたところに湖が見えるんですね。そこから太陽が昇ってくるのをみて、なんか、その瞬間に、「この全ての体験を映画にしよう」。そう思っていましたね。なんというか、これを全て映画にしなければならないのかなーと。
よくこの映画を作った動機を質問されるんですが、この長い話をします。これがまさしく動機です。

Q. 亀井さんがチャンドマニ村まで行ったこと自体が映画のようなお話ですね。

実は、この道中も自分でビデオを回していたんですよ。これはお見せする機会のないものですが、映画とほとんど変わらないですね(笑)。でも、だからこそリアリティにこだわりたいなと思いましたし、皆さんも旅をするつもりでこの映画を観ていただければと思っています。

Q. 結局第1回目のチャンドマニ行きではダワージャブさんにお会いできず、ホーミーは聴けなかったんですか?

名人ではないけども、チャンドマニ村でもホーミーを聞くことはできました。もう一つ、興味をもっていたのが、子どもはホーミーをするのか、ということと、習いたての方のホーミーを聞いてみたかった。
映画にホーミー研究家のおじさんが出てくるんですが、彼の息子で、モギという少年がいて、この子がずっとホーミーをやっていて。彼のホーミーを聴くことができました。もちろん勉強中なので、音も小さいですし、名人級ではないのですが、これも僕にとってはすごくいいホーミーでした。

Q. モンゴルにはその後も行くことになったそうですね。

そうなんです。国内を移動するのに、滞在を含めれば往復で10日くらいかかるんですね。だからモンゴルに一度行くと、なんだかんだ2週間くらいは必要になる。で、このときはチャンドマニ村からウランバートルに戻ったときにもう時間もなくて、結局、ほとんど誰とも会えずにこの2006年の滞在は終わってしまった。
実は僕、映画を一人で全て撮ろうと思っていたんです。これまでも映像作品を制作していましたから、映画もできると思っていました。とはいえ、2006年の夏は誰とも知り合えなかったので、2007年の夏、最初の訪問から一年後に、もう一度、いろんなことをよく考えて行こうと思っていました。

問題はいっぱいありました。スタッフは僕しかいないし、友達の家族はいるけども、どうやってモンゴルで協力してくれるスタッフやキャストを探したらいいのかも全然分からなくて。何も分からないまま、モチベーションだけ上がってきて。
そんな中で、一つの出会いがありまして。年が明けて2007年の春、僕は仕事でメキシコにいたんですね。そこでも、もちろん頭の中はモンゴルの映画のことでいっぱいだったんですが、仕事を終えて、キューバに行ったんですね。前から行きたいと思っていたんで。で、ハバナのホテルで、古木洋平君と会いました。彼は、写真をやってて、中米から南米までずーっと撮影旅行をしている方です。その時、実は30分くらいしか僕らは会って話をしていないんですが、なんとなく僕はこの人と映画を撮るんじゃないかな、という不思議な気持ちになって。「モンゴルで映画を撮ろうと思っているだけど、一緒に撮らない?」って声を掛けたんです、キューバで(笑)。そしたら彼も二つ返事で「いいですよ」って言ったんですよ(笑)。

彼と会ったのはその時だけなんです。彼は翌朝早く出発したので、僕が起きたときにはもういなくて。メールの交換をしたくらい。彼はさらに6ヶ月くらいかけてアルゼンチンの先に行くといってたので、連絡もつかない。不安ですけども、彼は行ってしまった。
2007年の夏に、僕はもう一度モンゴルに行きました。これは完全に映画を撮る準備のためですが、準備というよりも、僕はもっとモンゴルのことを知りたいなと思いました。

そのときに奇跡的というか、すごい偶然があって。 ダワージャブの息子さん、実は本編の主人公の一人であるザヤーなんですが、彼が大学でずーっと日本語を勉強していたんですね。だから日本語が話せる。それで、すぐに彼に電話して、会いました。で、自分の思いを伝えた。僕はホーミーの映画を撮りたいんだと。で、一緒にやらないか、と。そしたら、ぜひやりましょう、と。

Q. なんというか、簡単ですね!

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ほんと、簡単なんです(笑)。それで、この2007年夏の滞在では、彼と二人でモンゴル中をずーっと旅をしました。東にも西にも行きましたし。ホーミーの名人がいると聞けばその人に会いに行ったり、口笛の名人がいると聞けばその人に会いに行ったり、です(笑)。北の方にも、ロシアの国境周辺まで行きました。
その途中には、映画に出てくるザヤーのチャンドマニ村の幼なじみの子に会いにいって、遊牧の手伝いもしました。それで、なんというか二人の信頼関係もできた。彼の言いたいこととか、遊牧民であることとか、いろんなことを吸収できたのかな。分かり合えたと思っています。

やっぱり彼自身は、「ホーミーは遊牧民のものなんだ」ということを言っていましたし、これが今のモンゴルの状況なんだなと理解できたとも思っています。映画のことは、この旅で固まったかなと思います。

Q. 映画の中にはたくさん、名人や普通の人たちの素晴らしいホーミーが出てきますが、そういう方たちにはどこで出会ったんですか?

チャンドマニ村に最初に行った旅で、西モンゴルのホブドという街に寄った際に、センゲドルジさんにはお会いできたんですね。彼は、モンゴルで非常に有名な方で、日本にも公演で何回か来たことがあるような方なんです。
で、日本からホーミー、ホーミー言っているやつが来ているのを街で聞きつけて。そうなったら、もうセンゲドルジさんに会いに行くことなっているみたいな、そんな感じの存在なんですね。で。彼のほうから、僕の宿泊先に来てくれて、唄ってくれた(笑)。

Q. すごい展開ですね。

彼も、ちょっと日本語をしゃべったりするんですね。で、少し複雑な話なんですが、このときにお礼をすると言ったら、彼は、「お礼はいらん」と。でも、実はこんなCDがあるから良かったら買ってくれ、とおっしゃるので、じゃあということで、そのCDを買った。それが、日本人でモンゴルに何十年も関わっている方がいらして、その方がずっと前にモンゴル中を旅して制作したCDだったんですね。
僕はそのCDをずっと聴き続けているんですが、すごくいいCDなんです。映画にも、この中から2、3曲使っています。センゲドルジさんとの出会いはそんな感じでした。

2回目の2007年、ザヤーと旅をしたときに、チャンドマニ村の研究者で、チャンドマニの民族的ルーツに関する本を出している方がいて、その出版記念に、チャンドマニ村のかなりの数の住民が、ウランバートルに来ていたんです。一族100人以上。このときにダワージャブさんにお会いできて、ホーミーも聴かせていただきました。だから、まあ、2007年にいろんな出会いがあったということですね。
ただ、そのときもなお、もう一人の主人公ダワースレンとはまだ会えていませんでした。探していたんですが、なかなか連絡がとれないまま、また日本に帰らないといけないことになりました。

Q. 実は今回の映画で亀井さんがフィルムに収めた方々には、これまで映像に収められたことがない方もたくさんいるそうですね。

そうですね。2007年のモンゴル滞在を終えて帰国したところで、先ほどの古木君がやっと南米から帰国して合流したんですね。そこで約4ヶ月くらい準備をして、2008年2月にモンゴルに2度撮影に行きました。その中で、センゲドルジさんが知っているホブド周辺のいろんな歌い手さんのところに一緒に連れて行ってくれました。知られざる演奏家、遊牧民の歌い手など、結構な数の方のところに行きましたから、残念ながら、映画の中では都合上、割愛させていただいた演奏家もたくさんいます。

この体験、実はちょっと感動しましてね。4時間も5時間もかけてジープで会いに行く。で、その帰り道、顔に風を浴びながら、なんともいえない充実感に満たされて。同時に、僕はこうやって生きていくのかな、というような。こういう風に、いろんな所を訪ねていって、出会いがあって。
なんというか、こうやって会いに行って帰りながら風を浴びたりして生きていくのかな、と。ちょっとセンチメンタルですが、ふと、そんな風に思いました。その瞬間は本当に幸せだったと思います。本当にこの映画の醍醐味でした。映画のシーンとしては使わない人もいっぱいいますが、制作の中での醍醐味だと感じました。

Q. チャンドマニには出てこなかった多くのホーミー奏者の記録というのも、大変貴重な資料として生かされるのではないですか。

結局、ホーミーとはなんだったのか、西モンゴルにおける伝統とはなんだったのかといえば、それはやはり物語を伝えるためにあったものなんですね。でも、今はテレビが登場して、記録する媒体が出てきて、ホーミーのような形で物事を伝えようとする人が少なくなってきて、本来の目的から外れてきている。おそらく、この方々もご高齢なので、もう、むしろ皮肉的ですが、それを記録するために、映像というものを使う羽目になっている。

ただ、それはやはり必要なんだろうなと思います。ホーミーや馬頭琴、あるいはオルティンドーの名人級のすごいテクニックを持った人はたくさんいると思うんですね。でも、そうじゃなくて、今回映画になっているもの、ならなかったものというのは、そういうテクニックではなく、遊牧民と西モンゴルの自然というものに密接に関わりながら出てきている音なので、ぜひ映画を観ていただきたいと思いますし、映画にならなかったものもぜひ、何か皆さんに観ていただく機会があればなと思います。

Q. 実際にお会いしてインパクトを受けている方々を、あえてドキュメンタリーにせず、劇映画にしたのはなぜですか。

一緒に作りたかったという、僕のわがままなのかもしれません。もっと彼らに肉薄して、一緒につくりたいと思ったときに、自分の創作というものが出てきたのかもしれないですね。ただ僕自身は、長編映画をつくったのは初めてなので、ドキュメンタリーかドラマというカテゴリーなのかということを、頭の中で考えながら作ったわけではなかったんですね。なんというか、ごく自然にこの形になっていて、後から問われて整理してみると、あ、そういうことなのかな、という部分が多くて。だから、ごく自然にこの形式になった、というのが本音なんです。

Q. 映画を実際に撮るというのは大変な作業だったと思います。メイキングにまつわるお話をお聞かせください。

最初は全部一人でできると思っていたんですが、片手でカメラ、片手でマイクというのは、実際難しかった。本来、映画はどれくらいの人数で製作するものなのか僕は分からないんですが、でも、音を録る人と、映像を撮る人はどちらかといえば分かれていたほうがいいですよね。で、僕は音を録る仕事になりました。

とはいえ、撮影時にこだわった点が2つありました。一つは誰も見たことのない、これまで紹介されたことのないようなモンゴルの風景を撮りたいと。それで、正月、真冬のモンゴルの草原、青くない草原、緑ではない草原を舞台にしたいと思っていました。もう一つは、僕が最初に聞いた抽象的なホーミーを再現したいということで、有名な曲じゃない、自分の今思っていること、アドリブで歌ってもらうということをやりました。これはモンゴルの人も初めて聴くホーミーになります。
2007年夏にモンゴルに行き、秋に古木君が南米から帰国して合流。それからすぐに年明け、2月には撮影に行っているんですね。結構早いペースだと思います。

撮影にあたっては、いっぱいシミュレーションしました。モンゴルの冬は-30℃、-40℃という世界であることは分かっていました。大陸の真ん中なので湿度のない寒さなんです。そのために、例えばバッテリーの消耗が一番怖い。フル充電しても、残量のメモリが一つ目から始まるんです。全く活性化しない。一番の奥地まで行ってバッテリーがない、テープがないではお話にならないので、とにかくこれには気をつけました。これをあっためるためにマフラーをしたり工夫しました。

バスの中のシーンも録りましたが、車体がすごく揺れるので、カメラを固定するために日本から突っ張り棒を持って行ったりしましたね(笑)。というようなことをできるだけシミュレーションして、やりました。それでも、例えばバスの中のシーンでは、やっぱり振動がとにかくすごくて、用意した突っ張り棒もいっぱいつぶれましたね。だから想像以上ですし。寒さでいえば、例えば目をつぶると上下のまぶたがくっついて開かないんですよ(笑)。凍ってしまって!

Q. -30℃、40℃の寒さって想像がつきませんね。

でもね、チャンドマニの村人なんかは、ちょっと買い物に行くのにTシャツ1枚で気軽に出かけていったりするんですよ(笑)。僕らはすぐ限界が来ますね。やっぱり・・・、痛いですね(笑)。
それから、モンゴルの方はプライドが高いので、こちらがぐずぐずしていると、「何やってるんだ」って怒られることもよくあります。撮影する中で、台詞を言ってもらったり、同じシーンでも何カットもほしかったりしますよね。それをやっていると、「何故同じところばかりやるんだ!馬鹿にするな。」と言われたり。ザヤーが全部通訳をしてくれるんですが、やっぱり意思疎通の難しさはありました。

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その場その場で出演してもらう人を調達したりするものですから、バスの中のシーンで、できたら普通の乗客のシーンがいいんですよね、おっちゃん、おばちゃん、子ども。運転席の隣の助手席にカメラを乗せて後ろ向きに撮影するので、最前列の席に人がいては撮影できないので、この席は僕が買い占めると。この5席分の料金は払うから誰も乗せないでくれ、と交渉する。そしたら、「分かった」と。「お前のやりたいことは分かったから、俺に全てを任せとけ」といってビールを飲んでたりする。で、次の日実際にバスに乗ると、もう人でいっぱいなんですね(笑)。こういうことが2回も3回も続くんですよ。それで、予定がどんどん押して、日が過ぎていっても理解してもらえない。

で、最後にお願いしたバスの運転手が、僕が一番最初に2006年にウランバートルからホブドまで行ったときの運転手だったんです。で、彼に、「あ、お前か」と。「(亀井さんを)覚えてるぞ。何しに来たんだ?」と。「映画を撮りにきたんだ」と。で、これまでの経緯を話すと、「じゃあオレに任せておけ」と。で、やっと、全部わかってくれたんですね。だから、その後、たとえば雪にはまってしまうシーンとか。実は最初の2006年のときに沼にはまったんですが、彼の車を押すのを手伝ったりした。で、なんか全部分かってくれているんだなーと。めぐり合わせというのは不思議だなと思いました。

Q. チャンドマニの完成後、日本に帰ってから上映にいたるまでは?

実は、上映のことは全く考えていなかったんです。なんとかなるだろうというか、とにかく映画を作ることしか頭になかった。お金のこともありますし。それで、2008年2月の撮影後にいったん帰国し、10分くらいのパイロット版をつくって東京に行きました。何のあてもありませんでしたら、とにかくいろんな人に見てもらおうと。多少いろんな方に見ていただけたんですが、特にそこではなんの繋がりも得ることはできなかった。皆さん、「面白そうな映画だね」とは言ってくださるんですが。

金沢にいたときの僕の飲み友達に、横浜に縁のある方がいて、この方が、横浜の、横浜市芸術文化振興財団というところに行けとアドヴァイスしてくださった。この財団の中にアーツコミッション・ヨコハマというところがあって、そこはとにかくクリエイティブなことをしている方を応援しているから、何かできるかもしれないよ、と。そういう経緯で横浜にたどり着いたんですね。

それで、財団を訪ねまして、担当の方に映像を見ていただいて。そしたら、この財団の中に、もともとモンゴルが専門で、学生時代に在モンゴル日本大使館で働いていたという職員の方がいらしたんですね。そんなご縁もあって、応援しようと。これは金銭的なことというよりも、人的な面で、いろんな方に引き合わせてくださったんです。在日モンゴル大使館に連れて行ってくださったり、2回目の撮影でモンゴルに渡航する際に、現地で協力してくれそうな方をいっぱい紹介してくださったりしました。これが本当に力になっていて、2回目の撮影は格段に順調に進みました。

ただ、この時点でもまだどこで上映できるというようなことは全く決まっていませんでした。映画館ともなんの接点もなくて。でもとにかく映画を完成させることしか頭にありませんでした。それに対して応援していただける体制ができてきた、という感じでした。
2008年10月に2回目の撮影に行き、それを経てなんとか完成しました。

Q. 上映に向けては?

本当に、なんの智恵もなくて、どういうものかよく分からなかった。映画祭に出せばいいのかなと思って、2つ3つ出品してみましたが、なんかピンとこなくて。成績もよくありませんでしたし。その時点ですごく落ち込みまして。もう、策がなかった。この時点でも僕と古木君の二人しかいませんでしたから。そうこうしているうちに、2009年の夏くらいに、たまたま渋谷のアップリンクという映画館の方に観ていただく機会ができた。
そうしたら、面白いじゃないか、と上映していただけたんですね。ここから映画関係者の方々にばっーと観てもらえた。今考えたら、なんでそんなこと思いつかなかったんだろうと思いますけどね(笑)。

Q. 横浜のシネマジャック&ベティでの上映にいたったきっかけは?

横浜で上映することを視野に横浜の財団さんにも応援いただいていたので、とにかくシネマジャック&ベティさんにも観ていただいて、それで上映が決定しました。

Q. 亀井さんはもともと映画監督のご志望ではなくて、現代美術作家として活動なさっていたのですよね。その活動の中で、今回の映画ということになるわけですが、現代美術作家という活動の中で、旅や出会いがテーマになっている気がします。そのあたりを少しお聞かせください。

もともと僕は大学・大学院では彫刻をやっていました。そのとき、金沢時代でいえば、NYから金沢へきた作家の制作の手伝いをして、それが縁で彼らと一緒にNYで自分の作品を発表したり、あるいは大学院の同級生にメキシコ人がいまして、それが縁でここ10年くらいメキシコと日本を行き来して、制作発表をしたりということが続いています。

大学院を出て、造形からインスタレーションの作品に変わってきまして、空間を扱うようになった。そして、それを記録するために、映像を扱うことになった。それが2001年です。そんな映像作品、今回のように本格的なものではありませんが。小さい短い映像作品の製作と旅というのが、自分の中ではリンクしていて。旅先で発見したことであったり、出会いなんかを映像の作品にすることが、2001年以降ずっと続いていて。それが今回はたまたま映画というような大きな形の作品になった。そんな感じですね。

Q. 「旅」は、亀井さんが作品をつくる上でどのような位置づけなのですか?

例えば幼稚園から小学校に進学する。そしたら遊び範囲が広がるじゃないですか。小学校から中学校になっても、中学校から高校になってもそうで。大学になったら海外だって自由に一人で行けるようになる。つまり、外に向けて歩みだすというか、外に向ける一歩というのは自分にとって好奇心の塊のような、大切なアクションというか、これが自分にとっては大切で。旅というのはそういうことなのかな、という風に思ったりしています。

人間の豊かさというのは、より多くの価値観というものをどれだけ受け入れられるかというところにあると思っていて、そういう意味で、僕は今なお成長したいと思っているんですが、知らない人たちと会ったり、これまでに見たことのないような人たちの生活やモノを見たら、自分自身のことももっとよくわかると思うんですね。これが、自分自身の制作のテーマだと思います。

例えば今回の映画も観ていただけば分かるんですが、ザヤーとダワースレンの二人の主人公。ダワースレンは、自分自身というもののオリジンというのか、モンゴル人であることで、さらに西にむかうことで自分自身を探す。ザヤーはチャンドマニ村に帰るんですが、でもそれは旅をした末にもう一つ次のステップに移るということなんですね。だから、この映画というのは、モンゴルやホーミーというものをモチーフ、素材にしていながら、僕がこれまで作ってきた造形や短い映像作品と基本的には同じものなんですね。

Q. つまり?

つまり、僕自身が幼稚園から小学校に行くときとかの次のステップ、次の空間に行くということで旅があったり出会いがあったりということの延長に、僕の造形であり旅であり、映像の制作があったんです。だからこの映画もフォーマットは違えど、同じことだと思うんですね。

Q. 既に次の作品、次の旅の計画が生まれているそうですね。

©2009 FLYING IMAGE

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はい(笑)。次は中米、メキシコで映画の作品をつくりたいなと思っています。メキシコはもう十数年関わってきた国です。まだ構想は固まっていませんが、若い人が勇気を持って次のステップに進むというテーマで、何かつくれたらなと思っています。
僕ら、子どものときは、何十年かすればもっといい国になっているのかなと思っていたけど、現実は全然そんなことはない。よくなっていないことも実はたくさんある。なんとか200年、300年と良くなる方向を目指してやっていくしかないんだろうと思う。

映像なり美術をやろうと思ったりというのは、そういう巡りあわせ、出会いの中で、次のアクションに繋がっていくからです。少なくとも、次の世代に繋げることが僕らの責任だと思いますから、僕よりも若い世代に、彼らが何かを感じられるようなものをいっぱい見てもらいたい。

映画を撮り終わったら、もっと終わった感があるとおもっていたんですけど、そんなことは全然なくて。映画自体は僕から離れていってどんどん一人歩きして。いろんな方からたくさんの感想やご意見をいただいて。ということは、映画が、僕の手から離れて旅にでたのかな、と最近ずっと思っていて。つまり、何も終わったわけではなくて、映画が一人立ちして旅を始めたのかなーという不思議な感覚で、面白いですね。

亀井さんご自身も旅をつづけ、デビュー作である映画も旅に出発したのですね。
今日はありがとうございました。

首都ウランバートルから、故郷チャンドマニ村へ~二人のホーミー唱者が辿る共鳴の旅
チャンドマニ~モンゴルホーミーの源流へ~
監督・脚本・編集・制作:亀井岳
撮影:古木洋平
2010年5月8日より、横浜シネマジャック&ベティにてロードショー
公式サイト:http://www.chandmani.com/

プロフィール
亀井 岳さん亀井岳[かめい たけし]
1969年生まれ。大阪芸術大学美術学科卒業、金沢美術工芸大学大学院修了。
2001年頃、造形作品から映像制作へと表現スタイルを変更。
2006年、モンゴルへの旅でホーミーと出会い、映画制作を決意。2008年にはモンゴルで撮影、2009年に映画「チャンドマニ」完成。

 

※本記事は旧「アートウェブマガジン ヨコハマ創造界隈」2010年4月26日発行号に掲載したものです。