2022-06-10 コラム
#パフォーミングアーツ #急な坂スタジオ

次の世代へ引き継ぐ5年に― ―急な坂スタジオ・加藤弓奈さんインタビュー

2021年に開館15年を迎えた「急な坂スタジオ」。その運営団体「NPO法人アートプラットフォーム」代表で、急な坂スタジオのディレクターも兼任する加藤弓奈さんは、開館当初の立ち上げメンバーだ。加藤さんがディレクターに就任してから、今年で10年の節目を迎えた。これからの5年間は、蓄積されてきたものを「次の世代に引き継ぐ」ことを目指していくという。これまでのふりかえりと、今後の展望についてお話を聞いた。

横浜における舞台芸術の歴史は古い。明治期の伊勢佐木町は、大衆芸能の劇場や寄席が軒を連ねていた。現在、急な坂スタジオがある野毛山から紅葉坂エリアには、多くの芸術文化施設が点在している。また市内には、STスポット横浜横浜赤レンガ倉庫1号館Dance Base Yokohamaなど、若手や中堅アーティストを支援する場があり、KAAT 神奈川芸術劇場のような国内有数の劇場もある。

これら施設の多くは“発表”の機能を中心としているが、“創作”や“リサーチ”を集中的に行える機能をもつ場は少ない。作品をつくるアーティストたちが創作に打ち込める場所がなければ、作品は生まれないし、実績をつくることもできないが、実績がない若手アーティストにはお金も集まりにくい。急な坂スタジオは、そんな切実な課題から生まれた施設だといえる。

急な坂スタジオの始まりは、横浜市が2004年から掲げる「文化芸術創造都市(クリエイティブシティ)」にある。港や、歴史的な建造物といった横浜の“地域資源”を活かすとともに、芸術文化による創造活動や事業活動をとおして、魅力的な横浜をつくっていく施策だ。この一環として、舞台芸術の創造拠点・急な坂スタジオが2006年に誕生。結婚式場だった「旧横浜市老松会館」を転用した建物は横浜市が所有し、公募で選ばれた団体が運営する“公設民営”の形式がとられた。

急な坂スタジオは4つのスタジオ、ホール、和室、コミュニティルームをもち、演劇やダンスなど、舞台芸術をつくるための「稽古場」として、アーティストたちをサポートしている。「NPO法人アートプラットフォーム」は、その前身の団体も含めて2006年から15年間ここの運営に携わり、昨年度の公募でも採択された。そして、2022年度からの5年間の運営では、これまでの舞台芸術を「続けていくための場所」に加えて「始める、出逢うための場所」にしていくという。

15年の稽古場運営から見えてきたこと

――急な坂スタジオの柱は「稽古場の運営」ですね。演劇やダンスなど、舞台芸術に関わるアーティストの創作活動をサポートするための施設として、横浜の舞台芸術シーンを下支えしてきました。この15年間をふりかえり、どのような手ごたえをおもちですか?

加藤弓奈(以下、加藤):施設の性質上、この場所の運営は5年のサイクルで考えなければなりませんが、なにかを“育てる”ことを考えるときに、それは必ずしもじゅうぶんではありません。ありがたいことに私たちは15年という期間がもてたことで、アーティストが活動を続け、実績をつくっていくための「環境」を整えることができたのではないかと思っています。
公募サイクルの中にあっても目の前の5年ではなく、10年先、20年先も、いま一緒にいるアーティストやスタッフが活動を続けていくためにはどうしたらいいか。それを常に考えてきた15年でした。

――急な坂スタジオは開館時から、ワークショップやトークプログラム、プロデュース公演などの活動をともにしたり、稽古場の利用をサポートしたりするレジデントアーティスト*1やサポートアーティスト*2を迎えていたことで知られていますね。


*1 レジデントアーティスト:稽古場の無償提供、人的・制作的・資金的サポート等、個々のニーズにあわせたサポートが受けられるアーティスト。
*2 サポートアーティスト:スタジオの優先予約や年間30日の無償利用などが受けられるアーティスト。


加藤:サポートアーティストだった「木ノ下歌舞伎」の木ノ下裕一さんや、「範宙遊泳」の山本卓卓さんなど、初めてお会いしたのは2010年ぐらいなので、皆さん10年以上の付き合いになりますね。サポートアーティスト制度一新のため、これまでご一緒した方々については2021年度で卒業されましたが、いまも変わらず活動を続けています。10年前と比べてステップアップしていたり、新しい活動のあり方を発見したり、海外にも活躍の場を広げたアーティストもたくさんいます。
急な坂スタジオが出会ったアーティストたちが、活動を止めることなく続けていることが、この場所の成果と言えるかもしれません。

急な坂スタジオの外観。文字通り、急な坂道の途中にある。施設名を命名したのは、開館当時、レジデントアーティストだった岡田利規さん(チェルフィッチュ)だ。

――昨年度の公募で、2022年度からの5年間の運営も「NPO法人アートプラットフォーム」が採択されました。次の5年間については、どのような考えのもと事業を組みましたか?

加藤:じつは今回、公募に参加するかどうか、正直悩んだんです。15年やってきていろいろなことができたという達成感があると同時に、運営団体が変わらないことが“創造都市”にとって本当にいいことなのかとも考えました。より豊かな創造が生まれるためには、定期的にプレイヤーが変わった方が、人の流れや波が大きくなるのではないかと。

一方で、出会ったときに大学を出たばかりのアーティストたちが、子どもを連れて稽古場に来ている現状がありました。そのことを考えたときに、いまこの場所に必要なのはプレイヤーの「刷新」ではなく、「世代交代」ではないかとあらためて気づいて。そこで私が次の5年間でやらなければいけない仕事は、次のディレクターにバトンをきちんと渡すことだと捉え、その考えのもと今後5年間の事業を組みました。

――「世代交代」は、舞台芸術に限らずどんな業界も直面するテーマですね。

加藤:私がこの仕事を始めたのは20年前になりますが、そのころは演劇をつくる環境が整っていないことは当たり前だし、創作のためには生活が乱れてもしかたがないといった空気があったと思います。でも、ほんとうにそれは当たり前のことなのでしょうか。お客さまに“届く”作品は、つくっている側が心身ともに健康で、幸せな生活をおくっていて初めて生まれるものだと私は思います。そういう感覚をもった私たち世代が「中堅」のポジションに居る。急な坂スタジオでは、いまあらためて、20歳前後で活動を始めたばかりのアーティストたちをどのようにサポートできるかを考えていきたいと思っています。

NPO法人アートプラットフォーム・代表であり、急な坂スタジオ・ディレクターの加藤弓奈さん。

2022年度以降のプログラム――若い世代のサポートを充実

――具体的なプログラムについて、おうかがいしたいと思います。若い世代のアーティストのサポートという側面では、どのような取組みがありますか?

加藤:舞台芸術の現場でも、ウィズコロナでいかに創作や発表を続けていくか、大きな課題になっています。いまは集まる機会そのものをつくることが難しい局面にあって、それこそ20年前なら、自分たちでお金を集めて劇場を借りて公演をするという、がんばればできたことが、いまではとても高いハードルなってしまっています。

そういった若い人たちが気軽に挑戦できるプログラムとして、「急な坂アトリエ」と「相談室plus」という企画を用意しました。いずれも和室を利用するプログラムです。元結婚式場なので和室があり、これまでは大型のミュージカル公演の稽古の際ホールの楽屋と合わせてお借りいただくことが多かったのですが、近年はコロナの影響もあってか、そういった利用も限られていました。それであれば、若い人たちに使ってもらったほうが意義がある。

急な坂アトリエ」は、2〜3ヶ月、和室を自由に使うことができ、毎日来てもいいし1週間来なくてもいい。このプログラムでは自分が何をつくりたいのか、どうしたらいいかなどを集中的に考えることができる期間と環境を提供したいと思っています。そのためアーティストの皆さんには「子ども向けのワークショップを期間中に開いてください」ということだけをお願いしています。

相談室plus」は、“発表”を目標とした、2~3週間ほどの短期集中型、作品創作プログラムです。

館内のサイン。もともと結婚式場だった施設を転用し、活用する急な坂スタジオ。ホールや和室など、結婚式場の面影を残すスタジオもある。

――この2つのプログラムに参加したアーティストたちとの、その後の関係性についてはどのように考えていますか?

加藤:本人たちの希望に応じて、YPAM(横浜国際舞台芸術ミーティング)の期間には全館を使ったショーケース(2~30分程度の上演作品)に参加してもらうことや、市内にある複数の劇場と提携し、若いアーティストの公演をサポートしていくネットワークづくりなどを検討していきたいと思っています。急な坂スタジオとの出会いをきっかけに、これまで使ったことがない市内の劇場で公演をする機会が増えていくと、アーティストにとっても劇場にとってもいい刺激になるのではないかと。

――若手向けの取組みのなかには「スタートアップ支援」の要素もありますね。

加藤:初めて急な坂スタジオを使ってくれる団体向けの割引制度を整えています。また、公演と比べて収入がみこめないコンペやコンクールのための創作に対するサポートの必要性を感じていました。そこでコンクールに出すための作品の稽古場として、空き状況に応じ安くホールを貸し出す仕組みも試験的に始めているんです。

――アーカイブの充実や、ハラスメント対策といった点も、あらたに構想された部分ですね。

加藤:劇場に残るアーカイブは、上演された作品の記録になりますが、急な坂スタジオのような“稽古場”が残せるアーカイブでは、創作のプロセスを含め、なかなか表には見えてこない舞台芸術シーンを残せるのではないかと思っています。写真や映像を中心に、オンラインでアクセスできるものを構想しています。

ハラスメントについては、急な坂スタジオの職員が全員、ハラスメント相談員の資格を取得しようと思っています。稽古場がそれを掲げるだけでも、創作に関わる人たちの意識が変わるのではないでしょうか。ハラスメントについては業界全体の意識を変えていく必要もありますね。

館内の廊下。舞台芸術や、横浜でひらかれるイベントなどのチラシ、フリーペーパーなどが多く配架されている。旧レジデントアーティスト/サポートアーティストの選書が並ぶ本棚もあり、誰でも閲覧できる。

「急な坂スタジオ」を訪れるきっかけとして

――急な坂スタジオは、稽古場としての性質上、劇場のようにいつでも誰でも公演が見られる場ではありませんが、これまでスタジオを飛び出した“まち歩き型”プログラム、稽古場の公開、トークイベントなどのアウトリーチプログラムなどさまざまなかたちで施設をひらいていますね。
今後の5年間を見すえたプログラムで、急な坂スタジオが「未来の観客に出会う場」としてどのような構想をされていますか?

加藤:劇場で作品を見るためには、日時を決めて数千円のチケットを取り、2時間近く椅子に座って鑑賞しなければならないので、意外とハードルが高いと思うんです。作品がおもしろいかどうかも、実際に見てみなければわからないじゃないですか。急な坂スタジオでは、劇場じゃないからこそできることを考えたい。劇場よりも気軽に、舞台芸術に触れられる機会をつくっていきたいと思っています。

先ほどお話しした、急な坂アトリエのアーティストが行う子ども向けのワークショップは、創作の過程で生まれた作品のかけらを子どもたちにシェアしてもらう機会になればと考えています。アーティストにとって、子どもはいちばん素直な観客です。子どもたちにとっても、いつもは足を運ばない場所に行ったら、ちょっと楽しいことが経験できる。急な坂スタジオに“ちょっと遊びに行く”ような感覚で、アーティストと観客が交流できる仕組みを企画していきたいです。

子ども向けワークショップを開催したときのスタジオ前の様子。(*)

和室で開催されたワークショップを楽しむ子どもたち。(*)

――先ほどお話しに出ていたYPAMの期間も、急な坂スタジオでたくさんのショーケースが見られる機会になりますね。

加藤:そうですね、「ここに居ればおもしろい作品がたくさん見られますよ」というメッセージとして、全館で4作品ほどのショーケースを行うことを考えています。初めて舞台芸術に触れる方にとっても、劇場でいきなり2時間の大作に挑戦するよりは、ショーケースを複数見られたほうが最初の一歩になるのではないかと。

急な坂スタジオのエントランスホール。

エントランスホール左側のオープンスペース。ここでショーケース公演が行われることもある。

人材の育成と世代交代――ディレクターとサポートアーティスト

――次期ディレクターの育成についてもお聞きしたいと思います。

加藤:私が前任者の相馬千秋さんからディレクターを引き継いだのが、だいたい30歳のときでした。「あとはよろしく」という感じで切り替わったからこそ、自分が得意とすることをやれてきたと思うんです。10年前のやり方はそれでよかったと思うのですが、いまは別のやり方があるのではないかと思っています。

15年間で急な坂スタジオが築いてきたことや、私自身がやってきたことを共有財産として残したい。たとえば、人的ネットワークや対応のしかたといった、個人のなかに蓄積されたノウハウがあります。それらを次期ディレクターに引き継いでいただくために、2年間は私も一緒に仕事をしようと思っています。

そしてその人が、5年先、10年先も、一緒に活動してほしいと思える方々を、サポートアーティストとして迎えてほしいんです。

――サポートアーティストも、次期ディレクターとともに世代交代を見すえての卒業だったんですね。

加藤:そうなります。世代論にはしたくありませんが、一緒にがっつり仕事ができる年齢差には、限界があるのではないかと感じていて。世代が違えば価値観も違うし、美しいと感じられるものが同じだったとしても、そこに至るプロセスはたぶん違うのではないかと思っています。そこを調整しながら無理につくっていくよりは、感覚や経験が近い世代のディレクターが一緒にやったほうが、双方に余計なストレスがかかりません。

だから、私がディレクターに就任した30歳よりも若い人に、ディレクター職をバトンタッチしたいです。そしてそれが業界のスタンダートになってほしいという思いもあります。

加藤弓奈さん。

――具体的には、どのような人を次期ディレクターとして迎えたいと考えていますか?

加藤:「私じゃないとできない」という感覚も大切ですが、それはアーティストがもっていればいい。それを支える側は、サポートに徹することができる人がいいと思うんです。

アーティストがキャリアを重ねるのはすごく大変なことだし、多分育てることはできなくて。勝手に育っていくのを、どれだけ丁寧に見守ることができるか。急な坂スタジオが求めているのは、そういった考え方を共有できる若い世代のディレクターです。

「急な坂スタジオ」の役割について

――横浜市が発行した急な坂スタジオの2022年度公募要項には、「本施設の役割」として、「創造活動の場」「人材の育成」という2つの柱が書かれています。
NPO法人アートプラットフォームは、これら2つに多方面からアプローチしていますが、加藤さんはいま、その役割についてどのように考えていらっしゃいますか?

加藤:急な坂スタジオで生まれた作品は、観客のものだと私は思っています。そのため先ほどお話ししたような、劇場と比べて作品やアーティストに気軽に出会える機能をもち続けることは重要だと思っています。

急な坂スタジオは、横浜市の建物を無償でお借りし、市の補助金を交付されているので、当然のこととして横浜市民にとって有益な施設であるべきです。そこで難しいのが、どのような指標で“有益”であるととらえるか、という点です。

たとえば、どれだけの市民が急な坂スタジオという場所を知っているか、といった認知度であれば数値化することができるかもしれませんが、アーティストが急な坂スタジオで生み出した作品が、他の地域や、海外で上演されるなど、どんどん広がっているという現実がある。また、演劇作品は、再演や後世のアーティストが戯曲を取り上げたりする可能性があって、いま生きている人たちだけでなく、未来の観客にもひらかれています。その豊かさは、どのように数値化できるのか。そこにはやはり難しさを感じますね。

――最後に、急な坂スタジオへまだ来たことがないという方々に向けて、メッセージをお願いします。

加藤:創造拠点である急な坂スタジオは、急な坂アトリエのワークショップやYPAMでのショーケースなど、気軽に足を運べる機会が用意されています。そういったプログラムをきっかけに、ぜひご来館いただけたらと思います。

横浜市中央図書館から野毛山動物園へと続く坂道の途中にある急な坂スタジオ。休日には動物園へ訪れる人たちでにぎわう坂道だ。

取材・文:及位友美(voids
写真:*以外、森本聡(カラーコーディネーション


【プロフィール】

加藤弓奈(かとう・ゆみな)
急な坂スタジオ ディレクター。横浜生まれ。早稲田大学在学中にインターン生として横浜の小劇場、STスポットで制作アシスタントを務め、卒業と同時に劇場に就職。2005年より3年間館長を務める。
2006年急な坂スタジオの立ち上げに参加、2010年より現職。
アーティストの創作活動をサポートするプログラムに取り組み続けている。

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