2020-12-01 コラム
#福祉・医療 #パフォーミングアーツ #助成

家を劇場にし、時空を越えて集まる舞踏家たち。踊ることで老いの価値をつなぐ。

「おうち劇場」は舞踏家の加藤道行さんがアーティストとともに、認知症等を持つ人の家を訪問して行なっている活動だ。障がいや病気があってもアートを通じて豊かに生きることができる在宅での生活の新しいあり方の創出が期待されて、2020年度の公益財団法人横浜市芸術文化振興財団のクリエイティブ・インクルージョン活動助成(芸術と社会の関係から生まれる創作活動を支援)の対象となった。横浜市郊外にある大野一雄舞踏研究所に伺い、「おうち劇場」のきっかけや背景、目的について話を聞いた。

大野一雄舞踏研究所で

 

きっかけは舞踏家・大野一雄

 

加藤道行さんが70歳代の男性Tさんのことを知ったのは2018年のことだ。Tさんは、舞踏家・大野一雄と深い関わりのある人物で、数年前から認知症の症状で在宅介護サービスを受けている。ケアマネージャーの知人から大野一雄とのゆかりを聞いた加藤さんはTさんの自宅を訪れ、晩年の大野一雄に師事した踊りを舞った。その出会い以来、時々大野一雄舞踏研究所の稽古に来ていた歌手で音楽療法士の莉玲さん(2019年4月より参加)やコロナ禍以降積極的にオンライン配信をしている作曲家の楯直己さん(2020年7月よりオンライン参加)の協力を得て踊りと音楽によるパフォーマンスを行なうために月に一度のペースでTさんと妻Eさんの自宅を訪れている。10月31日には通算24回目の訪問が行われた。

感染症対策のために、この日訪問したのは加藤さんと莉玲さんの二人。楯さんはスタジオから、またEさんの英語教室の生徒でありウィリアムズ症候群の“アッピー”さんは自宅から、また舞踏家仲間の西山弘志さんとアナ・メデイロスさんはブラジルの自宅からと4カ所をインターネットで結んでの参加型のパフォーマンスだ。

この日は「月」がテーマ、莉玲さんの「月の砂漠」の歌唱に合わせて、造花がたくさん付いた帽子をかぶった加藤さんがTさんの傍で踊り、Eさんやアッピーさんはリズムに合わせて手を叩く。楯さんが民族楽器や声による即興音楽を奏でると、加藤さんの踊りにブラジルの西山さんとアナさんも加わり、即興のアンサンブルが続いた。

Tさんは積極的な参加はなかったものの、ずっと穏やかな表情でリアルのパフォーマンスと画面の中の動きを見守っていた。

「おうち劇場」2020年10月の訪問パフォーマンスの様子*© Chihaya Tanaka

 

−−一昨年(2018年11月)に「おうち劇場」を始めようと思ったきっかけは何でしょうか。

加藤:Tさんの担当ケアマネージャーをしている平野健子さん(ケアマネ事務所もりのきもち)は私の知り合いなのですが、彼女がTさんが大野一雄の著作『わたしの舞踏の命』を出版した人物だということを知らせてきて、顔合わせを提案してきたのです。私は晩年の大野先生の稽古場に通って舞踏を習い、大野先生が2010年に103歳で亡くなるまでの約10年間の生活全般を介護スタッフの一員として支援したので、大野先生こそがTさんに引き合わせてくれて、この活動をはじめた動機そのものなんです。

『私の舞踏の命』大野一雄著 この本が加藤さんとTさんを引き合わせた

 

−−世界的舞踏家の大野一雄に師事し、最期を看取ることになったのはどのような経緯なのですか?

加藤:私はもともと知的障がい者の施設で働く神奈川県の社会福祉職員でした。重度の障がいの方のクラスを受け持つことになったとき、そういう方たちの存在のすばらしさを生かすことができないかと考えて、アートプログラムの講座で学びました。そしてその施設でコーディネーターとしてダンスのプログラムやワークショップなどを実践しているうちに、すっかり自分が踊ることにはまってしまって。そんな1995年ころにテアトルフォンテ(横浜市泉区民文化センター)で全作品上演計画をやっていることを知りました。なんとか見たいと思ったのですがチケットは売り切れでした。それで『魂の風景』という大野一雄のドキュメンタリー風の映像作品を見たのです。そうしたらどうしても直に稽古しているところを見たいという思いがつのり、電話をかけてきたのがここ「大野一雄舞踏研究所」です。1999年ころのことです。そうして大野一雄先生と大野慶人先生の稽古に通うようになりました。

2000年に一雄先生は転倒され、入院がきっかけで認知症がわかり、日常生活にも介助が必要になりました。福祉職員という経験がありましたので介護スタッフのひとりに申し出させていただいたんです。県職員をやめて大野一雄先生の専任の介護スタッフになり、2001年から 2010年に亡くなるまでの10年近い年月をそばで過ごさせていただきました。

 

介護経験から学んだもの

 

−−福祉職員だったとはいえ認知症にかかわることになったのは大野一雄さんが初めてだったのですか?

加藤:ええ、それ以前は障がいを持つ人とはかかわりがありましたが、老齢の方、認知症の方とのかかわりはありませんでした。大野一雄先生を介護させていただいたこと、その体験がきっかけで今に至っています。「おうち劇場」の活動の原点です。

−−大野一雄さんの晩年は認知症を抱えながらだったのですね。その姿からはどのようなことを学ばれました?

加藤:認知症であってもいつも踊りのことを考えていらっしゃった。認知症に特有の症状に見当識障害といって時間の概念が失われることがあります。先生も夜中になると頭の中が踊りのことでいっぱいになって、介護している私のことを叱るのです。

「こんな年寄りのところで何をしているんですか。やろうとしないのはやりたくないのと一緒です」「やればできる、大丈夫ですから。早く劇場に行きなさい」と叱咤激励されていました。認知症を持ちながらもアーティストとして、舞踏家としての芯はずっと持たれていました。

世界中から大野一雄に一目会いたいと多くの踊り手が訪ねてきましたが、もう手足も自由には動かせなかったんですが、その人の前に先生がただ向き合うだけで部屋の空気が一気に変わるんです。緊張感が身体から湧き上がってくるような、ある磁場が立ち上がってくるような場面を何度も経験させていただきました。なかなか言葉では説明できないのですが、ものすごい体験でした。老いたから、認知症になったから何もできないわけではけっしてない、ほかの人にこんなにも大きな影響を与えることができるということがわかりました。

 

老いることの普遍的な意味

 

−−大野一雄さんという大きな存在を間近で知ることで、老いや認知症でその人の価値がなくなるのではないことを学ばれたのですね。

加藤:世界の大野一雄だからそこまでの存在感だったとは言えますが、そこには人が老いるということにおいての普遍的な真実があります。大野先生が我々のために遺してくれたそのギフトを、自分なりにできる形で、この「おうち劇場」の活動を通して社会に知らせていけたらと思っています。

 

−−そのひとつの実践の形の「おうち劇場」にたどり着くまでは?

加藤:大野先生の介護を通じて、高齢者向けにもダンスのプログラムができたらと感じていました。ホームヘルパーの資格を取得していましたから介護施設で働きながら、高齢者向けのダンスセラピーをされている方に就いて勉強したり、実際の現場で実践させてもらったり。そんな時に Tさんと出会って「おうち劇場」の構想ができました。Tさんは妻のEさんが在宅介護されていて、車椅子で日常生活を過ごされています。穏やかな方ですが、気が乗らなかったのか、今までに一度だけベッドから降りてこられなかったことがあります。その時はベッド上でパフォーマンスをしましょうと臨機応変に対応しています。体調や体力的なことや、人それぞれによって配慮するべきことがありますので、そこをちゃんと汲み取らなきゃいけないという点では、ずっと介護の仕事をしていたという私の経験も生きていると思います。

 

−−回を重ねて変わったことはありますか?

加藤:Tさんはアートに対する感覚がするどく、舞踏、写真、現代詩などの分野の本を出版する仕事を長年横浜でなさっていた方です。奥様のEさんはどんな仕事をされてきたかの資料を私たちに提示してくださるのですが、それはTさんの人生の最期を収束していきたいというメッセージではないだろうかと私は考えています。ご自分の出版された本をテーブルに並べて、その前に座ってパフォーマンスを見ていただいていますが、この間の8月の際には一冊を手に取ってページをめくって、ずっと読んでいらっしゃいました。かなり集中してご覧になっていたので、ご自分の仕事のことなどを思い出されたのではないかと感じました。こんな反応が見られたのは、Eさんにとっても嬉しいことだと思います。

大野一雄先生の介護を始めた初期のころに、ご自分の書かれた『舞踏譜 御殿、空を飛ぶ』という分厚い本を持ってきて、「ちょっと私はわからなくなったから教えてください」と言いながら本のページがボロボロになるまでめくっていました。その行動は何度もあったのですが、その姿にも重なりました。人生において大切にしてきたものへの想いは消えることはないということを強く感じました。

自身の出版した本を見るTさん 2020年8月*

 

−−Tさんと関わられて、加藤さんの中で変化したこととかありますか。

加藤:自分の原点が何かということを強く意識するようになりました。大野慶人先生の稽古では「あなたの軸足は何ですか」「あなたはどこに立っていますか」ということが最初に問われることなんです。長く障がいを持つ人たちと働いていながら、その上で「踊る」ということはどういう意味があるのかということを考えて、自分自身を集大成していくことを意識するようになりました。この「おうち劇場」が一つの軸足となって、そこからまた何が生まれるのかを自分のテーマとして、自分の踊りを深めていきたいなと思っています。

 

−−今後の活動のビジョンはどんなものでしょうか?

加藤: 多様な人が関われるような場を将来的には作っていきたいです。認知症の人もいるし、障がいを持った人も、子どももいるし、健康な人もいるし、みたいな集団で一緒に踊りを通じて楽しむということができれば、そういう場をプロデュースできたらと思っています。

100歳まで舞台に立っていた大野一雄先生は、生前によく「命を大切に」と言っていました。命を大切にした生き方ということを「おうち劇場」を通じてみんなで考えたり何か形にできたり、老いの社会的・精神的意味や価値を、社会の中で考えられるきっかけになればと思っています。老いの社会的価値がみんなの大事な価値だと気づいてもらえればと願っています。

 

 

取材・文:猪上杉子
撮影:森本聡(*以外)

【プロフィール】
加藤道行(かとう・みちゆき)
舞踏家。1962年、クリスチャンの両親の元、東京郊外に生まれる。2000年より大野一雄舞踏研究所で舞踏修行を始める。2001年からは、師大野一雄の日常の介護を数名の研究生と共に行ないながら師の身近で舞踏を学ぶ。舞台では、コンテンポラリーダンサーや能楽師、日本舞踊家との共演やオペラへの出演をしている。舞台以外でもミュージシャンや画家との即興コラボレーションを積極的に行なっている。また、ライフワークとして障がいを持った方や認知症の方々も含め様々な人がからだとこころがコロコロ転がるように楽しくおどる場を創るダンスワークプログラムカラコロDanceプロジェクトを1996年から続けており、現在では年100本以上のワークショップを介護施設や地域活動ホーム等で行なう。「おうち劇場」は、その中のパーソナルセッションの一つとして2018年11月より始まり、現在は歌手の莉玲と作曲家の楯 直己の協力を得て行なっている。莉玲とはJasmine Wayという歌と舞踏のユニットを組み、第14回山手芸術祭等にも出演している。

加藤道行webサイト:https://mi2chi2yu8ki.wixsite.com/michiyuki-website

カラコロDanceプロジェクトwebサイト:https://mi2chi2yu8ki.wixsite.com/michiyuki-website/dance

 

 

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