2020-04-30 コラム
#プロジェクト #パフォーミングアーツ #象の鼻テラス

ダンサー安藤洋子が横浜への“恩返し”プロジェクト 『Walk Installation vol.1 ARUKU』

世界的ダンサー・安藤洋子さんが活動拠点をドイツから日本に移し、横浜・象の鼻テラスで「歩く」をテーマにした実験的なダンス・プロジェクトを10 日間にわたり繰り広げた。プロジェクトリーダーとしてこのイベントを送りだした安藤さんにプロジェクトの実施内容とこれからについて語っていただいた。

 

横浜に恩返ししたい

 

現代バレエ界の鬼才ウィリアム・フォーサイス率いるフランクフルト・バレエ団にアジア人として初めて入団し、15年にわたり世界の舞台でダンサーとして活躍してきた安藤洋子さん。ドイツから日本に活動の場を移したのは5年前。生まれ育った街・横浜に「恩返ししたい」と、小さな子どもからシニアまで、ダンス初心者から若手ダンサーまで、幅広い世代とさまざまな習熟度に対してダンスを伝える機会を熱心につくっている。

象の鼻テラスではZOU-NO-HANA BALLET PROJECTの一環として1月21日〜30日の10日間にわたって、「Walk Installation vol.1 ARUKU」と名づけた身体表現を模索するプロジェクトが実施された。安藤さんの帰国後初のダンス作品を見る「ARUKU ダンスパフォーマンス」、高校生以上の誰もがパフォーマーとして参加することができる「ARUKU インスタレーション」、中学生以下と55歳以上を対象としたワークショップなど多彩な内容だ。

ARUKUワークショップ<シニア>* Photo: Ayami Kawashima

 

期間中に4日間開かれた「ワークショップ<シニア>」の実施の様子を見に行った。大きな窓からの明るい光が海のきらめきを感じさせる象の鼻テラスには、40人ほどの参加者が安藤さんの声かけに合わせて身体をほぐしていた。参加条件は55歳以上だが、男性の姿も多く、最高齢は88歳だ。

ぐるりと輪になった参加者でいっせいにいくつかの動きを行った後で、「ひとりずつ歩きましょう」と安藤さんから声がかかった。20メートルほどの距離をまっすぐに歩いていく。ひとりひとりに安藤さんが声をかける——「空間を運ぶように」「耳でまわりの景色を見るようなつもりで」「かかとを感じましょう」と。

ワークショップの最後には、全員がフロアを自由な方向にゆっくり歩く。「止まりたいときには止まっていいですよ」「自分の時間を味わって」と安藤さんが穏やかな声音で話す。

終了の挨拶を交わしあう参加者たちに向かって安藤さんが 「美しいものを見せていただきありがとうございました」とお礼の言葉を返したのが印象的だった。

ARUKUパフォーマンス* Photo: Ayami Kawashima

 

1月24日・25日には安藤洋子さんとZOU-NO-HANA BALLET PROJECTメンバーによるダンスパフォーマンスが開催され、象の鼻テラスいっぱいの大勢の観客が鑑賞した。ワークショップに参加していた子どもたちも最前列で目を見張る。プロジェクト立ち上げ時期より活動してきた若手ダンサーに加えて、2日目にはプロとして活躍する島地保武さんと小㞍健太さんもゲストとして加わり即興パフォーマンスを見せた。安藤さん帰国後初の実験的クリエーション作品となった。

ARUKUパフォーマンス* Photo: Ayami Kawashima

 

パフォーマンス後には、象の鼻テラス・アートディレクターの岡田勉さんとのトークがあり、観客から質問を募ると、子どもたちが次々に手を挙げ、「なんでダンサーになったんですか?」「どうしたら先生のように上手にダンスを踊れるようになれるんですか?」と質問が飛んだ。安藤さんは島地さんや小㞍さんも巻き込みながら、踊る理由や上手なダンスとはについて答えていた。

子どもたちも知りたがった、安藤さんがダンスを始めた理由はこうだ。「17歳からダンスを習い始めたんです。きっかけは映画の『フラッシュダンス』を観て、あんな風に踊りたいと憧れたこと(笑)。でも子ども時代を思い返してみると、お寺で育ったので盆踊りが大好きで、やぐらに登りたがる子どもでしたから、身体を動かすのは昔から大好きでしたね」

普通の大学に進み、就職して会社員として働きながらダンスを習い続けるが、プロのダンサーを目指すようになったのは22歳のころ。その後、演劇作品に出演するなど、主に東京でフリーランスのダンサーとして活動をしていた。世界的な現代バレエダンサーで振付家のウィリアム・フォーサイスの目に留まり、フォーサイス率いるフランクフルト・バレエ団にアジア人として初めて入団したのは34歳のことだった。以後、15年にわたり世界各地で踊ってきた。「ダンサーとしては遅咲きでした」と言う安藤さんだが、そんな回り道をした経験が、帰国してまず取り組んだ今回のプロジェクトの組み立てや内容に生かされているという。プロジェクトを始めたいきさつや、目指すもの、そしてこれからの活動について、さらに話を聞いた。

 

横浜にバレエカンパニーを設立する構想に賛同

 

——横浜でこのプロジェクトを始めたのは、どのような理由ですか?

生まれ育った街、横浜には何か恩返しができたらと考えていたところだったのです。実家は東横線・東白楽の駅前にある孝道山というところで、白幡の森を山猿のように駆けまわっていました。境内は桜がとてもきれいで、自然の中で毎日遊びました。ドイツから帰国した今も横浜に暮らしていますから、あらためてこの街が大好きだと思っています。

ドイツのフランクフルトに15年ほど暮らしたのですが、ドイツをはじめヨーロッパのそれぞれの都市は歌劇場やバレエ団、オーケストラなど芸術団体を持っていて、地域の人たちが誇りを持って芸術を支えています。帰国して、横浜にもそんな芸術団体があったらいいなと思っていたところに、象の鼻テラス・アートディレクターの岡田勉さんから「横浜に地域に根ざしたバレエカンパニーを持ちたい」という構想をお聞きしたのです。

私にできることはダンスだけですので、横浜市民が参加して応援できるダンスの団体を育てるプロジェクトであればぜひ協力したいと思って始めました。私がまず実現したいと思ったのは、「インスタレーション・ダンスパフォーマンス」。日常の中や何気なく訪れた場所で、パフォーマンスがふと始まっていて、誰もが見ることができ、身近にダンスに触れることができるという空間と時間をつくりたかったのです。そのために実験的にあれこれと試みてみたのが今回のプロジェクトです。

 

「歩く」ことの美しさと大切さ

 

——プロジェクトのタイトル「ARUKU」にはどんな思いがこめられているのですか?

ダンスというとステップを踏んだり、決められた振付にしたがって身体を動かすというイメージがあると思いますが、この場所で毎日ずっと誰かが踊っていて、それに誰もが参加したり見たりできることを実現したいと思ったので、誰もが毎日する動きは何だろうと考えて、「歩く」ことに思い至りました。身体的な歩行そのものでなくともいいのです。人間は何かの衝動があって身体を移動させます。何かをほしいとか、何かを見たい、手にしたい、などといった欲求があって、自分の身体をここからあそこまで移動させるのです。移動してみると、視界が変わって世界が開けて何かをつかむことができたといったことが起こります。歩くこと、身体を移動することは、日常的な身近な場所から、ちょっと遠いところや広いところ、もしかしたら頂上かもしれない場所へと動くことへの、そのまさに一歩なんです。

私自身も50歳になりましたのでシニアの年代に近づいて実感しているのですが、年をとると歩けるかどうかという意味合いはとても重要なものになってきます。でももしも自力で歩けなくなったとしても、誰かと一緒だったら歩けるかもしれないし、誰かが連れて行ってくれるかもしれない。誰かと話すことで心が歩いているかもしれないのです。介護を受けている人であっても心が軽やかに踊っていれば、誰かと一緒にどこかに歩いていけるのではないでしょうか。それは子どもも同じで、どの年代でも心が軽やかに歩いているということができることが大切だと思います。私は、人が歩いているのを見るのが大好きなんです。

ARUKUワークショップ<シニア>* Photo: Ayami Kawashima

 

 

——シニア対象のワークショップでも、クラスの最後に全員が一人ずつ歩くのを拝見しました。最後に「美しいものをありがとうございました」と安藤さんがおっしゃったのにはびっくりしました。人が歩く姿というのは美しいものですか。

美しいものです。そして最近気づいたのですが、育ったお寺ではお坊さんたちがまっすぐにきちんと歩く所作が日常の中で多いんですね。そういう幼少時の体験も影響しているかもしれません。心を整えようとする時に無意識にきちんと歩くことをやっているんですよ。

そしてダンスでは、舞台の上でちゃんと歩くことは一番難しいことです。本当に難しいです。ちゃんと歩けたら一流のダンサーと言ってもいいです。歩くだけですべてを表現できます。その人の人となりがそこに現われ出てくる。歩くことは深いです。

——シニアの方たちにダンスを教えるというのはどんな意味合いがありますか?

人生の先輩である人たちに対して、私が何かを教えるということではありません。立っている姿勢のなかにそれぞれの生き様が出てくればそれでいいのです。そのためには今の身体をしっかりと実感して、きちんと向き合うことが大事なんです。それは身体と心の健康につながると同時に、創造することにもつながります。

2019年4月に始まった神奈川県の主催事業である「共生共創事業」の「シニア創作創造プロジェクト」を活用して、このシニアの方たちへのワークショップは続けていきたいと思います。

 

 

表現とは一生をかけて深く考えること

 

——表現することには年齢は関係ないですか。

表現とは、人に見せるかどうかには関わりなく、人と人とのコミュニケーションの手段であって、自分の考えや感情を他の人に示すこと。自分とは何なのか、人はなぜ生きてなぜ死ぬのか、そういった人間の生を深く考えていくことが表現の基本ですし、それは年齢を問わない、一生かけてすることだと思うんです。ダンスは身体の表現ですが、年をとってたとえ身体性が失われたとしても踊ることはできます。たくさんクルクル回れるから、足が高く上がるからすばらしいダンスだというわけではないのですから。少ない動きでも美しいダンスを踊ることは可能ですから、年齢は関係ないことです。

 

 

——一方、若い人たちに伝えることにも取り組んでいらっしゃいますね。ダンスがこれからの社会や若い世代にはどんな役割を持つでしょうか?

今回のプロジェクトでも、3歳から中学生までの子どもに教えるワークショップも実施しましたし、若いダンサーと一緒に実験的なパフォーマンスをしたりと、私は今、世代を超えたたくさんの方と出会っています。自分自身がこの年齢になって、どの世代とも楽しく関われるようになったという感じがします。今の私の前に新しい扉が開かれているように思います。これから自分の人生をかけてやる新しい仕事が始まったように。

 

ARUKUワークショップ<ジュニア>* Photo: Ayami Kawashima

 

それは人に「教える」というよりも誰かと誰かを「つなぐ」、 橋渡しする役割みたいなことです。それをダンサーであるときとはまた違う形で始めているように思います。ダンスは元々は神様と大衆をつなぐ役割だったわけですから。そういう役割をするのがきっと好きなんですね。

それにダンサーとしては15年間、ヨーロッパで何も考えないで自由に踊れたので、もう十分に踊らせてもらいました。生涯現役ダンサーでありたいとは思っていますけれど、もう一つの役割として地域や社会に何か貢献ができたらうれしいです。

——自分で踊ること、作品をつくること、若手ダンサーの育成、シニアに教えること、子どもたちを育てること、これらはどうつながりますか?

みんながつながったらいいなと思っています。それがとても健全な社会だと思っています。若い人だけとか、子どもだけとか、おばあさんやおじいさんだけでそれぞれが孤立して、それぞれがつながることのない社会はみんなが苦しくなってしまいます。大きな都市である横浜こそ、交流とコミュニケーションのある豊かな地域になってほしいですね。そのためにもプロフェッショナルなアーティストたちが力を結集してそういう場所をつくりあげなければなりません。プロの果たしていくべき役割だと思いますね。

 

 

ZOU-NO-HANA BALLET PROJECTは、横浜発の市民が支えるダンスカンパニー設立を目指して、今後も安藤さんをプロジェクトリーダーに引き続き開催されていく予定だ。

 

取材・文 : 猪上杉子
写真(*以外) :  森本聡(カラーコーディネーション

 


【PROFILE】

安藤洋子
横浜生まれ。2001年アジア人として初めて、鬼才ウィリアム・フォーサイスの目にとまり、フランクフルト・バレエ団(2005年よりザ・フォーサイス・カンパニー)に入団。15 年間中心ダンサーとして世界各国で踊るとともに、数多くの新作クリエーションにも携わってきた。現在、自己の身体表現を模索するとともに、経験を生かした芸術教育にも力を注ぐ活動を続けている。ZOU-NO-HANA BALLET PROJECTリーダー。神奈川県共生共創事業「チャレンジ・オブ・ザ・シルバー」プロジェクトリーダー。YCAM InterLab + 安藤洋子共同研究開発プロジェクト RAM 主宰。洗足学園音楽大学講師。

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