演劇とラップが出会う『ワーグナー・プロジェクト』とは何か? 高山明、劇場への帰還。

Posted : 2017.10.12
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ラップと演劇。一聴すると奇抜な組み合わせだが、ともに「言葉」を重視するという意味で、じつはこの2ジャンルの相性はとてもよい。事実、ラップの音韻を演出に生かした名作は、ままごと『わが星』を筆頭に、2000年代以降しばしば発表され、人気を博している。しかし、劇場をラッパーたちの溜まり場にしてしまう演劇はかつてなかっただろう。今月、KAAT神奈川芸術劇場で上演が始まる「『ワーグナー・プロジェクト』―ニュルンベルクのマイスタージンガー」は9日間にわたって劇場を開放し、飛び入り参加OKのMCバトル、ワークショップ、ラジオ放送などを連日行い、劇場をストリートに変えてしまうという。筋書きなし。プロ・アマの区別もなし。そんな前代未聞のラップと演劇の融合を企画したのは演出家の高山明と、彼が主宰するPort B。都市空間をツアー形式で巡り、街と人の歴史にアクセスする作品など、独自の演劇プロジェクトを手がけてきた高山は、新作にどんな企みを込めようとしているのだろうか?

photo:OONO Ryusuke

 

 

<なぜ、いま劇場なのか?>

高山明は演劇作家である。だが、活動初期を除いて、彼の大半の作品は劇場では上演されず、一般的に言われるような戯曲・台本も存在しない。例えば現在もプロジェクト進行中の『東京ヘテロトピア』は、スマートフォンアプリとGPS機能が作品の軸になる。鑑賞者はアプリで示された東京各所に自ら赴き、その場所に行くことでロックが解除されるオーディオドラマを聴いて、日本にやって来た異邦人たちの物語に触れる。そうやって得られる経験は、劇場に足を運び、決まった席に腰かけ、数時間のドラマに没入する観劇とはまったく異なる性質のものだ。しかし、街の空気や匂いをじかに感じて得られる個人的な経験は、やはりどこかで「演劇」の魅力あるいは魔力に通じている。高山は、演劇の可能性を劇場ではなく、劇場の外に求めてきた人なのだ。
そんな彼が「『ワーグナー・プロジェクト』―ニュルンベルクのマイスタージンガー」では、ついに劇場に「帰還」するという。その理由はいったい何か?

高山 ツアーやインスタレーション形式の作品を、現代アートの領域で発表する機会がこの数年は特に多かったこともあって、もはや僕は演劇の人だと思われてない節があるんですよね(笑)。でも、自分ではやはり演劇をずっとやってきたと思っています。そもそも「劇場の外に飛び出す」イコール「自由になる」ではなくて、まったく違った不自由さに直面することでもあります。例えば使いたいと思っていた建物の使用許可がおりなければ作品自体が成立しなくなる危険性があるし、法律やセンサーシップに関わるあらゆる規制と常に格闘しなければならない。一方、劇場に目を転じると、劇場にも固有のルールはあるにせよ、物理的にも制度的にも「社会」に対してあるボーダー(境界)を引いたところから始まっている。それはつまり、劇場だからこそ「社会的なボーダーの作り方」をいろいろ実験できるわけで、これまで「劇場はどのくらい開くことができて、かつ閉じられるか?」をテーマにしてきた僕にとって、これはとてもポジティブなことなんです。毒にもなれば薬にもなるという意味で。

 

ボーダーを作る。それは、近代演劇の祖にして、現在の劇場空間の基本形を設計したリヒャルト・ワーグナー、そして彼の戯曲『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を上演する今回の新作の構想に深く関わっている。

高山 ワーグナーが19世紀後半に設計したドイツのバイロイト祝祭劇場は、奥に深いステージ、客電を消す、観劇途中の入退場不可、観客の視界に入らないように半地下に設えたオーケストラピットなどを複合的に活用することで、観客を演劇に没入させる現代の観劇スタイルを決定づけた歴史的な劇場です。そして『マイスタージンガー』は16世紀中頃のニュルンベルクを舞台にした歴史ドラマで、歌自慢の靴職人が市民に向けてドイツ人としての自立と誇りを訴えかけるという、一種の市民劇、近代的市民の誕生を描いた作品なんですね。この2つに共通するのは、エリート階層の人々の意識を、ある1つの視点・価値観に集中させようとするワーグナーの狙いがはっきり見えること。これって、今の世界の動きと似ていると思いませんか?

 

それは例えば、トランプ登場以降のアメリカで吹き荒れる「アメリカファースト」や、シリア紛争に端を発する難民の急増で混乱するヨーロッパの社会状況のことだろうか?

高山 この数年、ドイツやギリシャでプロジェクトを進めてきたのですが、ヨーロッパ全体が国境を閉じるか否か、EU(欧州連合)は分裂すべきか否かなど、境界についてひたすら議論しているのを間近で見てきました。日本でも同様の問題が政治や市民運動の場で紛糾していますが、これって劇場の性質とかなり近い。劇場の閉鎖空間は、趣味嗜好やイデオロギーを共有する人々のコミュニティーを形成しやすい性質を持つと同時に、収容人数以上の人をあらかじめ排除することで成り立っている。これらは僕が活動してきた都市や屋外と違って圧倒的に厳密で、入場料、上演時間、年齢、言語などによって、劇場はさまざまな選択や排除を意識的・無意識的に私たちに強いているんです。この性質を利用して、これまで僕がやってきた「参加」のかたちを、劇場ベースで更新してみたい。それが今回の狙いの一つなんです。

photo:OONO Ryusuke

 

 

<君もラッパーになれる!? ラップと言葉のポテンシャル>

「移動」という能動的な参加を観客に求め、特異な作品体験を立ち上げてきた高山明とPort B。そのマインドは、劇場へと帰還する今回も健在であるようだ。それでは肝心の質問を向けてみよう。『ワーグナー・プロジェクト』はどんな「演劇」になるのだろうか?

高山 『ワーグナー・プロジェクト』はオペラ作品です。でも、いわゆる上演的なことはほとんどしません。9日間の上演期間のうち、毎日19時から「上演」に相当するライブは行うんですが、残りの時間は日常の延長に近い散漫な時間が続くんです。でも、ただのダラダラした散漫さではなくて、むしろ散漫な時間をポジティブに捉えてその質を問うていきます。
いちおうタイムテーブルはあって、ラッパーや詩人によるワークショップやレクチャー、グラフィティ工房に参加することもできます。でも、それもまったく強制ではありません。9日間フリーパスのチケットも、22歳以下なら3000円(22歳以上のフリーパスチケットは1万円。一日券も三日券もある)ですから、特にヒップホップやストリートカルチャーに興味のある若い人は、ふらっとやって来て、思い思いの時間を過ごしてほしい。Kダブシャインさん、GOMESSさん、ダースレイダーさん、「サイプレス上野とロベルト吉野」さんといったヒップホップ、ラップの人たちもやって来ますし、サイファーは毎日、MCバトルも不定期で行うことになると思います。

 

上演初日の20日には、「ワーグナー・クルー」という名の出演者を募集するラッパーオーディションを実施。合格者は、会期中に行われるさまざまな実践的レッスンを経て、最終日のファイナルライブへの出場権を獲得できるという、ラップ専門の「学校」と、『アメリカズ・ゴット・タレント』『アメリカン・アイドル』(ともに米国で人気を博した素人参加のTV番組)のようなスター・オーディションの要素も本作の核となるらしい。しかし、なぜ高山は、こんなにもラップやヒップホップカルチャーにこだわるのだろうか?

高山 ワーグナーの『マイスタージンガー』の軸がニュルンベルクで行われる歌合戦なので、それを踏まえてのことでもあるんですが……何よりもラッパーの人たちが本当に面白い! 今回参加していただくGOMESSさんって、小学校6年くらいからの6年間まったく学校に通わなかったそうなんです。そして、学校で勉強しないかわりに彼がやっていたのがラップ。家に引きこもって、自分の周りにある風景をひたすら言葉に置き換える修行のような日々を過ごすうちに、プロのラッパーにまでなってしまった。
他にもダースレーダーさんがとても面白いことを言っていて、例えばテストの答案用紙を目の前に置かれて、AとかBとかから答えを選べと言われると「そこにはない解答があるんじゃないか?」と反射的に疑ってしまうんだそうです。テストのあり方に疑問を持って、問題用紙から排除されている外側の可能性を考えるというのはとても批評的な営み。GOMESSさんが既存の教育システムから距離を置いて、独力で言葉と向き合い、これまで誰も試さなかった新しい言葉の使い方を練り上げてきた格闘の作業も同様で、これってじつは、今の時代においてかなり重要なスキルだと思うんです。生活や教育の場であらかじめ与えられた基盤を、いかにして裏側から見るか。そのための能力が、僕らは本当に退化してしまっている。あるいは意図的に奪われている。ラップに取り組む人たちは、それを取り戻そうとする現代の詩人・哲学者として、僕の目には映るんです。

 

以前、高山は自らの演劇経験を振り返るロングレクチャーのなかで、戦後日本で生まれた前衛舞踊「舞踏」の創始者である土方巽から受けた影響について言及している。土方は、自分の内側から発露される感情がダンスを生むのではなく、言葉や文字のように外からやって来る要素によって、逆に身体が振り付けられる、という意図の発言を残しているが、高山にとってラッパーはその現代的な実践者であるのだ。

高山 ラッパーたちは、現実を言葉で変革しようとしているんだと思います。言葉に命を賭けているからこそ、彼らはたくさんの若者に強い影響を与えている。さらに『ワーグナー・プロジェクト』では、ラッパーの人たち、そしてラッパーになろうと考えている人たちと、現代詩や短歌に取り組む詩人や歌人が出会う場を生み出したいとも思っています。詩人では管啓次郎さんや山田亮太さんや瀬尾夏美さん、歌人の斉藤斎藤さん、それから歌う詩人の柴田聡子さんなどです。言葉に向かって格闘する人たち同士のバトル、交流から、何かが生み出される瞬間を目撃したいんです。

photo:OONO Ryusuke

 

 

<台湾・立法院占拠から見えた、新しい「道」>

ここまでの話を聞いて、確信したことが一つある。今回、高山が劇場に作ろうとしているのは「演劇」よりもむしろ「事件」「事故」に近い。劇場が持つ制度や機能を熟知したうえで解体し、批評的な介入を行うのは現代演劇の範疇に属するが、その後に起こる未知との遭遇・衝突にこそ、彼はすべてを賭けているのではないか。

高山 『ワーグナー・プロジェクト』を構想するにあたって、印象的だった出来事があります。それは、台湾で2014年に起きた「ひまわり学生運動」。台湾と中国間で結ばれた貿易協定に反対する学生たちが立法院(日本における国会議事堂)を占拠した社会運動で、都市に関わる運動としてとても興味深いものでした。デモのような抵抗運動は街の外で行われるけれど、学生たちは立法院の中に閉じこもることで状況を動かした。
さらに面白かったのが、メディアとの情報の経路を自前で作ってしまったこと。「国際プレスセンター」というセクションを立法院に設置して、台湾の大手新聞社や通信社を経由せず、直接「ニューヨーク・タイムズ」といった海外メディアに情報を発信していった。それによって国際的な反響を得る運動に拡大していったんです。

 

「ひまわり学生運動」は約1ヶ月の籠城期間を経て自主解散したが、そこで得られた成果は大きなものだった。運動の引き金になった貿易協定の審議は公式にストップし、当時の政権支持率は10%前後にまで下落。翌年に行われた統一地方選挙の国民党の大敗には、同運動が強い影響を与えたという分析もある。

高山 学生を支援するために近所のおじちゃんやおばちゃんたちが自前で食料や水を渡す支援を行なっていたように、占拠中は街のすべての流れが、立法院と、中にいる学生たちを中心に動いていたといいます。「ひまわり学生運動」が成し得たのは政治的な変化でもあるけれど、それ以上に僕が関心を持つのは、あらゆる面で都市に新しい経路、回路を作り出した運動であったということなんです。おそらくそれは、立法院という一種の「劇場」的空間を閉じたから発生したもの。そして、その内側と外側を結ぶ情報や食料やメッセージなどの「道」をコントロールできたことが、学生たちの勝利の一因だったと思います。
『ワーグナー・プロジェクト』は政治的な主張を持つ運動でもなければ、劇場を不法に占拠する行為でもありません。でも、演劇が毎日上演されていて、チケットを買ったお客さんがやって来て、受動的に作品を享受する、という劇場の「当たり前」を変えることができれば、それはきっと新しい何かになるのではないでしょうか。

 

KAATのホームページで見られる『ワーグナー・プロジェクト』の概要には「劇場がストリートになる9日間。」という一文がある。
ストリート=道と聞いてイメージする像は人によって様々だが、多くはアスファルトで舗装された人工的な道路ではないだろうか? だが、おそらくここで生まれる道は、そのような構造物としての道ではないように思う。子どもの頃、建物と建物のあいだの、身を細めてやっと通れるような空間を、自分だけが知っている近道として探検したような感覚における道。あるいは、国境を越えるためにフェンスを破って作られた小さな穴。そういった、何かと何かのあいだに突然生じた空白の場所こそが『ワーグナー・プロジェクト』のストリートには相応しい。そんな気がしてならない。

高山 土方巽がやろうとしていたのは自分の身体を「道」にすることだったのではないのかと、最近ふっと考えるんです。彼は「虚体」という言い方をしていますが、イメージとして自分の身体の一部をボコッと抜くと、そこには当然通り道ができますよね。そうやって自分の中に空白を作ることで、澁澤龍彦、三島由紀夫、あるいは自分のお母さんやお姉さんを受容して、通していったのではないかと……。まだ、うまく言語化できないのですが(苦笑)。
でも、これだけははっきりしています。GOMESSさんが自分の道をオリジナルな言葉へのアプローチで切り拓いたように、僕たちの世界に対する振る舞い方はYESかNOで二分化されるものではなくて、無数の可能性が潜んでいる。そういった選択肢以前の場所、躊躇したり、迷ったりできる場所を劇場に生み出したい。そう思っています。

 

インタビュー・文:島貫泰介

 


プロフィール

高山明(たかやま あきら)

1969年生まれ。2002年、PortB(ポルト・ビー)を結成。実際の都市を使ったインスタレーション、ツアー・パフォーマンス、社会実験プロジェクトなど、現実の都市や社会に介入する活動を世界各地で展開している。近年では、美術、観光、文学、建築、都市リサーチといった異分野とのコラボレーションに活動の領域を拡げ、演劇的発想・思考によって様々なジャンルでの可能性の開拓に取り組んでいる。主な作品に2017年『マクドナルド放送大学』(ドイツ/フランクフルト)、2016年『北投ヘテロトピア』(台湾/台北)、2014年『完全避難マニュアル・ラインマイン版』(ドイツ/ラインマイン地域)、2014年『横浜コミューン』(日本/横浜)、2013年『東京ヘテロトピア』(東京/日本)、2011年『国民投票プロジェクト』(日本/東京、福島ほか)など多数。2016年より東京藝術大学大学院映像研究科准教授。

 


公演情報

KAAT ×高山明/Port B『ワーグナー・プロジェクト』
―「ニュルンベルクのマイスタージンガー」―

http://www.kaat.jp/d/wagner_p

 

構成・演出:高山明
出演:ワーグナー・クルー(初日のオーディションにて決定)
講師:Kダブシャイン / GOMESS / 斉藤斎藤
サイプレス上野とロベルト吉野 / 柴田聡子 / 管啓次郎 / 瀬尾夏美
ダースレイダー / ベーソンズ / 山田亮太 and more!
音楽監督:荏開津広
空間構成:小林恵吾
グラフィティ:snipe1

 

日時:10月20日(金)~28日(土)、各日15時~21時
会場:KAAT(神奈川芸術劇場)大スタジオ
料金
9days パス(前売のみ)
 一般 10,000円、U22 3,000円
 9日間入退場自由!
すべてのイベントが楽しめる、特典つきのプレミアム・パス!
※特典①「ワーグナー・プロジェクト」オリジナルトートバック&       ステッカー
※特典②「ワーグナー・プロジェクト」レクチャーシリーズ・ドキ       ュメント

3days パス(前売のみ)
一般 5,000円
 ※特典「ワーグナー・プロジェクト」オリジナルステッカー

1day パス(前売のみ、公演日指定)
一般 2,500円、U22 1,000円

当日券
一般 3,000円、U22 1,500円

 

→TIME TABLE詳細はこちら(随時更新中) → http://bit.ly/2ydJmXd

DAY1:10 月 20 日(金)
15:00 – 15:10 イントロダクション:高山明(演出家)
15:10 – 17:00 公開収録インタビュー:磯崎新(建築家)
17:00 – 20:00 「ワーグナー・クルー」公開選抜オーディション

DAY2:10 月 21 日(土)
WORKSHOP:山田亮太(詩人)
WORKSHOP:Kダブシャイン(ヒップホップMC)

DAY3:10 月 22 日(日)
WORKSHOP:⻫藤斎藤(歌人)
LIVE:TBA

DAY4:10 月 23 日(月)
WORKSHOP:瀬尾夏美(画家・作家)
LIVE:TBA

DAY5:10 月 24 日(火)
WORKSHOP:山下陽光(途中でやめる)
LIVE&MC バトル:ベーソンズ(ファンクメタルロックバンド)

DAY6:10 月 25 日(水)
WORKSHOP:管啓次郎(比較文学者・詩人)
LIVE:柴田聡子(ミュージシャン)

DAY7:10 月 26 日(木)
WORKSHOP:⻫藤斎藤(歌人)
LIVE:GOMESS(フリースタイルラッパー)

DAY8:10 月 27 日(金)
WORKSHOP:TBA
LIVE:サイプレス上野とロベルト吉野(ヒップホップグループ)

DAY9:10 月 28 日(土)
LIVE:ワーグナー・クルー

※ サイファーは連日開催
※プログラムは予告なく変更する場合があります